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四段

洛陽に到着した高順と華雄を待っていたのは、董卓の側近、李儒だった。


董卓の宮殿は、もともと後漢の皇帝が住んでいた場所である。今は董卓が占拠し、そこかしこに涼州訛りの荒くれ者たちが屯していた。大理石の床は泥足で踏み荒らされ、金箔の柱には無造作に刀傷が刻まれている。壁に掛けられた絹織物は引き裂かれ、宮女たちは董卓の兵士たちの乱暴から逃れるために物陰に隠れている。


(美しいものを美しいと思わない。価値あるものを価値あると思わない。それが董卓の本質だ。この男は破壊することに何の躊躇もない。創造する意志を持たない権力者ほど、恐ろしいものはない)


謁見の間。玉座には、巨漢の男がふんぞり返っていた。


董卓である。その腹は太鼓のように膨れ、首は牛のように太い。だが、その目だけは異様に鋭く光っている。いつもと違うのは、彼の手に握られた酒杯が、これまでになく乱暴に揺れていることだった。


「胡軫が死んだ」


董卓の第一声は、怒りと悲しみが奇妙に入り混じったものだった。


「陽人で孫堅に敗れ、逃げ帰ろうとしたところを高順貴様の部隊に討たれたと聞いた。これは、まことか」


高順は片膝をつき、深く頭を下げた。隣では華雄が緊張した面持ちで同じように拱手している。胡軫の死それは高順がこの場に呼び出された最大の理由だった。


「まことでございます。胡軫将軍は陽人の戦いで孫堅に大敗し、敗走の途中、私の配下の者が止むを得ず討ち取りました」


「止むを得ず、か」


董卓の声には、抑えきれない感情が渦巻いていた。胡軫は若い頃から董卓に仕えてきた子飼いの将である。涼州の辺境で共に羌族と戦い、洛陽への道を共に歩んできた仲だった。その彼が死んだ。それも、味方の手によって。


「胡軫は、俺にとって息子も同然だった。最初はただの馬丁だったが、俺が引き立てて将にした。羌族との戦いでは、いつも先陣を切って戦った。あいつは…あいつは、本当に無能だったのか」


董卓の声は震えていた。その巨体が、かすかに揺れている。側に控える李儒が、何か言おうとしたが、董卓は手で制した。


「高順、貴様の言い分を聞こう。なぜ、胡軫を討たねばならなかった」


高順は顔を上げた。董卓の目は涙で潤みながらも、冷徹な光を宿している。感情と理性が、この男の中で激しく鬩ぎ合っているのだ。


「胡軫将軍は、孫堅の罠にかかりました。敵の誘引策を見抜けず、全軍を突出させ、退路を断たれました。その結果、陽人の戦いは大敗に終わりました。そして胡軫将軍は敗走の途中、自らの保身のために味方の部隊を盾にしようとしました。私は止むを得ず」


「無能……!」


董卓は酒杯を床に叩きつけた。陶器の砕ける音が、広間に響き渡る。


「あの男は、最後まで無能だった! 俺がどれほど引き立ててやっても、戦場ではいつも猪突猛進。羌族との戦いでもそうだ。勝てばいいが、負ければ味方を巻き添えにする。それが今度は、孫堅相手に!」


董卓は深く息を吐き、目を閉じた。しばらくの沈黙の後、彼は静かに言った。


「高順、貴様を罰することはせぬ。胡軫の死は、奴自身の無能が招いたものだ。そして貴様は華雄を救い、孫堅を退けた。その功績、認めよう」


翌日、董卓は李傕を孫堅のもとへ和睦の使者として遣わした。洛陽と陽人の間でこれ以上戦いを続けるのは得策ではないそう判断したのである。高順はその使者に同行を命じられた。


李傕は董卓軍の中でも武勇に優れた猛将だが、外交には疎い。孫堅という男の性格も、洛陽を巡る諸侯の思惑も、彼の頭にはなかった。馬を並べて陽人へ向かう道すがら、高順は静かに口を開いた。


「李傕将軍、孫堅は和睦に応じませぬ」


「なに? まだ行く前から、なぜわかる」


「孫堅は反董卓連合の急先鋒です。洛陽に一番乗りしようとしている男が、和睦の話に応じるはずがありません。むしろ、こちらが和睦を申し出たことで、董卓軍が弱気になったと判断するでしょう」


「では、どうするのだ」


「長安への遷都です」


高順は淡々と続けた。


「洛陽は四方に開け、関東の諸侯の侵攻を防ぐ要害が不足しております。しかし長安は崤山と函谷関の険に守られ、防衛は容易。何より董相国が洛陽を離れれば、諸侯は目標を見失い、いずれ仲間割れを始めましょう」


李傕は高順の顔をまじまじと見つめた。彼は単純な武人だが、無能ではない。この男の言うことに一理あると、本能で感じ取ったのである。


「その策、俺から相国に伝えておく。お前もいずれ呼ばれるだろう」


果たして孫堅は和睦を拒否した。李傕が董卓のもとへ戻り、高順の献策を伝えると、董卓は即座に高順を呼び出した。


「李傕から聞いたぞ。長安への遷都を進言したそうだな」


「はっ。洛陽は防衛に適さず、関東諸侯の侵攻を防ぐには長安への遷都が最善かと」


「しかし、洛陽を捨てるとなれば、朝廷の百官は反対するだろうな」


「反対は予想されます。ですが、相国が天子を守るためとおっしゃれば、誰も表立っては逆らえませぬ。それに……」


高順は一呼吸置いてから、核心を突いた。


「洛陽を捨てるにあたり、この地を関東諸侯の手に渡すわけにはまいりませぬ。洛陽の財と民を長安に移し、残った都は焼き払うべきかと」


董卓の目が細められた。


「洛陽を焼けと申すか」


「洛陽を無傷で残せば、諸侯はここを拠点に長安を窺うでしょう。しかし焦土と化した洛陽に、誰が留まるでしょうか。これは長安を守るための、必要な措置にございます」


「……ふん。貴様、ずいぶんと思い切ったことを言うな」


「私は、相国の天下をお守りしたいだけにございます」


董卓はしばらく高順の顔を見つめていた。この男は呂布とは違う。武勇では呂布に劣るが、智略では遥かに上回っている。そして何より、自分の保身ではなく、董卓の利益を考えて献策している少なくとも、そう見える。


(それに、こやつは司隷の税収が見込めぬことを見越しておるな。洛陽が豊かな都であるのは、四方から税が集まるからだ。関東が反旗を翻した今、洛陽に税は入らぬ。ならば長安に移り、関中の地盤を固める方が得策そういう計算か)


董卓は心の中で天秤をかけた。胡軫という子飼いを失い、呂布という養子は武勇だけが取り柄の猪突猛進型。しかし高順は違う。智略があり、大局を見据え、しかも自ら危険な献策を堂々と口にできる胆力がある。董卓はこの時、初めて高順という男を「使える駒」としてではなく、「頼れる将」として認識し始めていた。


「よかろう。長安への遷都、洛陽の焦土作戦——どちらも認める。して、高順。貴様はどう動くつもりだ」


「私に、并州の黒山賊・白波賊の討伐をお任せいただけませぬか」


「并州だと? あの地は百万の賊徒が跋扈する無法地帯だぞ」


「だからこそ、でございます。并州を制すれば、長安の北の盾となります。私は河内を足がかりに、太行山脈の黒山賊と汾水流域の白波賊を討ち、并州全土を相国の支配下に置きます」


「本気か」


「本気でございます。それに」


高順はここで、董卓への忠誠を示す最も効果的な一手を打った。


「并州に向かう道すがら、河内郡に拠る王匡を討ちます。王匡は反董卓連合に与した逆賊。これを討てば、関東諸侯への見せしめにもなりましょう」


董卓はゆっくりと頷いた。


「よかろう。高順、貴様を武衛将軍に任じる。丁原の配下だった諸将と、その兵四万を貴様に預ける。好きに使え」


高順は内心で驚愕した。四万それは彼が予想していたよりはるかに大きな兵力だった。丁原の旧部は并州出身者が多く、彼の指揮に馴染みやすい。董卓は高順の才覚を認め、それに見合う投資を決断したのである。


「はっ。必ずや、相国のご期待に応えてみせます」


「それと呂布には胡軫の敗残兵を与える。あいつは戦場では無敵だが、兵を統率する才はない。せいぜい戦場で暴れさせておくさ」


董卓はそう言って、口元を歪めた。呂布と高順——この二人を競わせ、互いに牽制させようという計算が、その目には浮かんでいた。


洛陽を発つ前、高順は董卓からもう一つ、密命を受けた。


「洛陽の北の外れで、異様な連中が出没しているらしい。漢人ではない。高句麗か鮮卑か、あるいはもっと遠くの蛮族の言葉を話す。ただの盗賊や流民の類いかと思っていたが、どうもそうではないらしい」


「と、いいますと」


「洛陽の周辺で、やけに詳しく地理や人の動きを調べているそうだ。誰がどの門を守っているか、いつ衛兵が交代するか、どの将軍がどこに出入りしている。まるで何かを待っているようだとな」


李儒が横から口を挟んだ。


「ここひと月ばかりで、洛陽の下級役人が三人、忽然と姿を消しました。いずれも西涼出身者に恨みを持つ者たちで、密かに人を集めていた形跡があります。消える前に、彼らはみな北の外れで誰かと会っていたと」


「その誰かが、件の連中だと」


「おそらくは。さらに奇妙なのは消えた役人の一人が、消える直前に『すべてを変える力が北から来る』と周囲に語っていたそうです。まるで、誰かに吹き込まれたかのようにな」


(組織工作だ。異民族を糾合し、不満分子を拾い上げ、情報を集め、洛陽の内部から何かを起こそうとしている。これが単独の盗賊や流民の仕業であるはずがない。誰かが指揮している。それも、この時代の人間とは思えぬほど計画的に)


「相国、その連中の首領について、何かわかっておりますか」


「いや。姿を見た者は誰もおらぬ。ただ捕らえた下っ端が、『将軍』と呼ばれる者がいると白状したそうだ。高句麗の生まれで、鮮卑や匈奴の言葉も自在に操り、漢語も達者だという。だが、どこの勢力にも属さず、独自に動いているらしい」


(高句麗。鮮卑。匈奴。それらを糾合できる言語能力と組織力。そして正体を隠しながら洛陽を揺るがす工作…まるで現代の諜報員のような手口だ。俺は、警戒せねばならない)


「相国、その件、私に調べさせていただけませんか。并州へ向かう前に、可能な限りの情報を集めます」


「よかろう。好きにしろ」


高順は深く頭を下げた。心の中で、二つの計画が同時に動き始める。洛陽の闇に潜む「もう一人の転生者」の正体を探ること。そして何より、并州を手中に収めること。


洛陽郊外。


高順は董卓から与えられた四万の兵を率い、河内郡へと進軍した。河内太守・王匡は反董卓連合に与した諸侯の一人であり、董卓にとっては目障りな存在だった。高順はこの討伐を、自らの并州経略の第一歩と位置づけていた。


王匡は董卓軍の接近を察知し、洛陽郊外に陣を敷いて迎え撃った。彼の率いる泰山兵は精強をもって知られ、正面からの戦いでは容易に崩せない。しかし高順には、すでに勝算があった。


「王匡は名門意識が強く、部下の意見を聞かぬ。正面から当たってくると思い込んでいる。ならば…」


高順は全軍を三つに分けた。正面には囮の部隊を置き、左右から騎兵で側面を突く。さらに簡易鐙を装備した精鋭騎兵を、王匡の本陣めがけて突撃させる。この時代の騎兵戦術では考えられない、立体的な包囲殲滅戦だった。


戦いは高順の読み通りに進んだ。王匡軍は正面の囮部隊に引きつけられている間に側面を崩され、本陣に高順直属の騎兵が雪崩れ込んだ。王匡は敗走を図ったが、高順は追撃の手を緩めなかった。


「逃がすな。王匡を討て」


その命を受けたのは、張五だった。彼は若いながらも、この戦いで抜群の騎乗技術と度胸を見せ、敗走する王匡の馬に追いつくと、一撃でその首を討ち取った。


「大将! 王匡の首、取りました!」


血に染まった首級を掲げる張五の顔には、若さゆえの興奮と誇りが溢れていた。高順は静かに頷いた。


「よくやった、張五。お前は今日から伯長だ」


こうして河内郡は高順の手に落ちた。王匡の死は河内の民にとって、むしろ解放だった。王匡は苛烈な統治で民を苦しめていたからである。高順は河内に入ると、ただちに軍律を徹底し、略奪を禁じ、市場を開かせた。董卓軍の他の将とは違うその評判が、河内の民の間で急速に広がっていった。


河内城の楼閣に立ち、北の空を見渡しながら、高順は静かに呟いた。


「これで河内は俺のものだ。次は太行山脈の向こう、并州全土を手中に収める」


彼の手には四万の兵があった。董卓の信任があった。そして何より、未来の知識という名の、誰にも真似できぬ武器があった。


「行くぞ。これより、誰も見たことのない国を作る」


驍風の嘶きが、河内の空に響き渡った。

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