第十二回 青梅煮酒論英雄 献策改革推憲制 五段
建安四年、冬。
袁紹がついに動いた。河北の巨人は数十万と号する大軍を率いて南下を開始し、黄河の渡河点である黎陽に本営を置いた。その先鋒として顔良、文醜の二将が白馬港を経て延津へと進軍し、曹操の前線拠点を次々と脅かしていく。曹操はただちに官渡に主力を集結させ、袁紹の大軍を迎え撃つ構えを見せた。
曹操の陣営には、かつてないほどの緊張が走っていた。袁紹の兵力は精強を極め、その数は十万を超える。対する曹操の兵力は三万に満たない。正面から戦えば勝ち目は薄い。荀彧は曹操に「守り抜け」と進言し、荀攸は「敵の兵站を断て」と献策した。郭嘉は「袁紹は必ず内部分裂を起こす」と予言し、程昱は「持久戦に持ち込めば勝機はある」と冷静に分析した。曹操はこれらの献策をすべて受け入れ、官渡に堅陣を敷いて袁紹を待ち受けた。
しかし袁紹の狙いは曹操だけではなかった。冀州の背後、すなわち并州と幽州からの高順の攻撃を、袁紹は最初から織り込み済みだったのである。高順が陥陣営の主力を白馬港に集結させ、一万の伏兵を北岸に潜伏させていることは、袁紹の諜報網によってすでに把握されていた。沮授は高順の動きを詳細に分析し、一つの策を練り上げた。あえて背後を空にし、高順を冀州に引きずり込む。その上で、伏兵として温存していた張郃と高覧の精鋭を差し向け、高順軍を包囲するのである。
「高順は必ず冀州に攻め込んでくる。奴は曹操と密約を結んでいるはずだ。曹操が官渡で我々を引きつけている間に、高順が背後を突く。その裏をかけば、高順こそが孤立する。張郃と高覧はそのために残した。顔良と文醜だけが我が軍の精鋭ではない」
袁紹のこの決断は、彼にしては珍しく果断だった。田豊は「高順を侮りすぎる」と反対したが、沮授の策を採用することで袁紹は自分の優柔不断を克服したつもりでいた。しかし彼は気づいていなかった。高順という男は、策を読まれたその先を、さらに読む男だということを。
高順は袁紹の南下を好機と見て、ただちに全軍に冀州への進攻を命じた。幽州からは田豫と田楷が、并州からは張遼と華雄が、河内郡からは張楊が、三方から冀州に雪崩れ込んだ。高順自身も白馬港から北へ転進し、魏郡を経て鄴城を目指した。その進軍速度はまさに電光石火であり、袁紹が留守にしていた冀州の諸県は瞬く間に高順の手に落ちた。
田豫は幽州から南下し、わずか数千の兵で中山郡と常山郡を制圧した。彼は若いながらも軍略と民政の両方に長けており、占領地の統治を完璧にこなしながら軍を進めた。田楷は騎兵を率いて鉅鹿郡を突破し、冀州の中央部を横断した。張遼は雁門から滏口の狭路を越えて并州を出ると、趙郡を経て鄴城の北方に達した。華雄はその巨体を馬上で揺らしながら、張遼の後続として魏郡に迫った。張楊は河内郡から北上し、鄴城の南方から圧力をかけた。
冀州の北半分はわずか十日とかからずに制圧され、高順の旗が魏郡の城壁に翻った。各郡県の豪族たちは、高順軍の規律正しさと占領地での公正な統治を目の当たりにし、次々と帰順を申し出た。高順は董昭に命じて占領地の戸籍を調査させ、税制を整え、略奪を厳しく禁じた。これにより冀州の民衆は、袁紹の重税から解放されたことを喜び、高順の統治を歓迎した。
高順はこのまま一気に鄴城まで攻め上がるつもりでいた。しかしそこへ、斥候から予期せぬ報せがもたらされた。
「申し上げます。鄴城の手前で袁紹の伏兵を発見しました。旗印は張、高。張郃と高覧でございます。兵力は優に数万。我が軍の倍はあります」
「張郃と高覧だと。あの二人がなぜここに。河北の精鋭はすべて顔良と文醜に預けて南下したはずだ」
高順の声には、普段は決して表に出さない驚きが滲んでいた。傍らに控えていた賈詡が、静かに口を開いた。
「袁紹は最初から我々の出方を読んでいたようでございます。顔良と文醜は陽動。本命は冀州防衛に残された張郃と高覧。我々は誘い込まれました。袁紹にしては珍しく、こちらの裏をかいたことになります」
「なるほど。田豊が反対したという話も頷ける。この策を立てたのは沮授だろう。田豊ならば、こんな小細工では私を止められぬと諫言したはずだ」
高順は一瞬だけ言葉を失った。袁紹がこちらの裏をかくとは思わなかった。顔良と文醜は確かに河北最強の猛将だが、張郃と高覧はそれに劣らぬ実力者である。張郃は騎兵の運用に長け、後に曹操が「韓信にも匹敵する」と評した男だ。高覧は防衛戦においては袁紹軍随一と評され、堅実な指揮で知られていた。その二人が数万の精鋭を率いて待ち構えている。このまま正面からぶつかれば、かなりの損害を覚悟せねばならない。
高順はすぐさま幕僚を集め、軍議を開いた。地図が広げられ、賈詡、董昭、張遼、華雄らが顔を揃える。
「張郃と高覧が鄴城の手前に布陣している。このまま進めば、挟み撃ちに遭う可能性もある。しかしだからといって退くわけにはいかぬ。ここで退けば、袁紹は勢いに乗って曹操を全力で叩きにいくだろう。それは避けねばならぬ」
賈詡が地図を覗き込みながら、冷静に状況を分析した。
「袁紹の狙いは二つ考えられます。一つは、冀州に侵入した我々を張郃と高覧で拘束し、その間に顔良と文醜で曹操を叩く。もう一つは、顔良と文醜で曹操を官渡に拘束し、その間に張郃と高覧で我々を叩く。いずれにせよ、袁紹は我々が冀州を攻めることを読んでいた。その上でなお、曹操を先に叩くつもりなのです」
「ならば、その目論見を崩すまでだ」
高順は地図の上で冀州の中央を指でなぞった。その指は、鄴城と官渡を結ぶ線を断ち切るように動く。
「張燕を遊軍として冀州の内側に送り込め。敵の南北の連絡線を断つ。補給路を遮断し、伝令を襲撃し、敵がどこでどれだけの兵力を動かしているかも把握できなくさせる。張郃と高覧の背後を脅かせば、あの二人は容易に動けなくなる。冀州は広い。それを逆手に取る」
張燕はもともと黒山賊の頭領として十万の軍勢を率いていた男であり、遊撃戦においては並州軍随一の手腕を持つ。彼はただちに五千の遊軍を率いて出陣し、冀州の山岳地帯に消えていった。張燕の遊軍は神出鬼没の動きで袁紹軍の補給線を分断し、各地の郡県を攪乱していった。張郃と高覧は背後を脅かされたことで、鄴城に釘付けにされた。彼らが一歩でも鄴城を離れれば、張燕がその隙に鄴城を奪いかねない。二人は進むことも退くこともできず、ただ鄴城の守備に専念せざるを得なくなった。
さらに高順は并州に残していた大半の軍を冀州に向けて進発させた。これまで防衛のために温存していた兵力を、一気に攻勢に転じたのである。冀州に流れ込む高順軍の総数は、日に日に膨れ上がっていった。呉資、章誼らが率いる後続部隊が続々と合流し、高順の手元にはついに十万を超える大軍が集結した。
この報せは、官渡の本営にいる袁紹のもとにも届いた。冀州の南北が分断され、張郃と高覧が釘付けにされ、高順の軍が日増しに増強されている。このままでは冀州全体が高順の手に落ちるのも時間の問題だった。袁紹は唇を噛みしめ、重臣たちを前に苦渋の決断を下した。
「高順と和睦を結べ。魏郡は諦める。その代わり、全軍を曹操に集中させる。まずは曹操を叩き、その後で高順と決着をつける。曹操さえ倒せば、高順も孤立する。そうなれば、いずれ我が軍の兵力で押し潰せる」
田豊が激しく反対した。
「なりませぬ! 高順は一時の和睦に応じても、必ず背後を突きます。あの男は決して約束を違えぬが、約束の範囲内で最大限の利益を得る術を熟知しております。魏郡を渡せば、冀州の過半は高順の手に落ちる。そうなれば、我々の兵站は根本から断たれ、官渡での持久戦など不可能になります。むしろ今こそ全軍で高順を叩くべきです!」
しかし沮授はこれに賛成した。
「田豊の言うことももっともです。しかし、もはや冀州を守りながら曹操と戦うことは不可能です。高順が冀州の大部分を制圧した以上、我々の補給線は細り、兵站は逼迫しております。このままでは曹操と戦う前に兵が飢えます。ならば魏郡を捨てても、曹操を倒してから高順に備える方が得策です。曹操さえ倒せば、中原の富を手中に収められる。その富をもって、高順と再び戦えばよい」
袁紹は沮授の策を容れ、高順に和睦の使者を送った。使者が携えた書簡には、魏郡を高順に割譲し、両軍がこれ以上の戦闘を停止するという内容が記されていた。
高順はこの申し出を受諾した。魏郡以外の地を瞬く間に制圧した高順にとって、これ以上の深入りは曹操との密約にも反する。袁紹が全軍で曹操に当たるというなら、高順はしばらく静観するのが得策だった。冀州の大部分を実効支配し、袁紹を鄴城の周辺だけに押し込めたことで、すでに戦略的な目的は達していたのである。
和睦が成立すると、高順はただちに占領地の統治に着手した。董昭を冀州に派遣して戸籍の再調査を行わせ、并州で成功を収めた税制と法制を導入した。張遼には魏郡の守備を任せ、田豫には中山郡と常山郡の統治を委ねた。わずか数ヶ月の間に、高順の支配地域は并州、幽州、河内郡、河東郡に加え、冀州の過半にまで及ぶことになった。この時点で高順の版図は、曹操や袁紹を凌ぐ天下最大のものとなっていた。
建安五年、春。官渡の決戦が幕を開けた。
袁紹は全軍を挙げて官渡に迫り、曹操はその堅陣に籠もって迎え撃った。数では袁紹が圧倒的に勝り、兵站でも優位に立っていた。袁紹の軍勢は十万を超え、曹操の兵力は三万に満たない。正面から戦えば勝ち目は薄い。曹操は荀彧の「守り抜け」という言葉を胸に、決して退かなかった。荀攸は「敵の兵站を断て」と献策し、曹操は徐晃と史渙を派遣して袁紹の輸送隊を襲撃させ、数千台の糧車を焼き払った。郭嘉は「袁紹は必ず内部分裂を起こす」と予言し、程昱は「持久戦に持ち込めば勝機はある」と冷静に分析した。
両軍の睨み合いは数ヶ月に及び、戦線は膠着状態に陥った。袁紹は土山を築いて曹操の陣地に矢を降り注がせ、曹操は霹靂車を造ってこれに対抗した。袁紹は地下道を掘って陣地に侵入しようとし、曹操は塹壕を掘ってこれを防いだ。互いに一歩も譲らぬ攻防が続く中、兵糧の枯渇が曹操を追い詰めていった。陣中の兵士たちは日に日に痩せ細り、曹操自身もまた、荀彧に「もう退こうかと思う」と弱音を吐くほどだった。しかし荀彧は「ここで退けば、すべてが終わります。あと一歩、耐え抜いてください」と励まし、曹操は再び決意を固めた。
この膠着を破ったのは、関羽だった。
曹操に降っていた関羽は、袁紹軍の先鋒を務める顔良の陣に単騎で突入した。顔良は河北最強の猛将として知られ、その武勇は天下に轟いている。彼は白馬の陣頭に立ち、麾下の精鋭たちを従えて曹操軍を威圧していた。関羽は顔良の麾下に立ち並ぶ旗や矛をものともせず、馬を駆って一直線に顔良の本陣へと突き進んだ。赤兎馬の蹄が大地を蹴り、青龍偃月刀が陽光を反射して煌めく。顔良が自ら大刀を振るって迎え撃とうとした瞬間、関羽の一刀が閃き、顔良の首は宙を舞った。あれほどまでに強かった河北の双璧が、関羽の一撃の前に呆気なく討たれたのである。主将を失った袁紹軍は総崩れとなり、関羽は顔良の首級を手に曹操の本営へと帰還した。
曹操は関羽の功績を称え、偏将軍に任じ、漢寿亭侯の爵位を授けた。この時、曹操は内心で関羽を手放したくないと思っていた。彼は関羽に黄金を与え、邸宅を賜り、数々の恩賞を惜しみなく与えた。しかし関羽の心は、すでに曹操のもとにはなかった。彼は劉備が袁紹のもとにいることを知り、主君のもとへ帰る決意を固めていた。
さらに文醜が延津で曹操軍を迎え撃った。文醜は顔良の仇を討たんと勇み立ち、自ら軍の先頭に立って突撃した。しかし関羽とその僚友である張遼の前に敗れ、ついに討ち取られた。河北の双璧と謳われた顔良と文醜が相次いで討たれたことで、袁紹軍の士気は大きく揺らいだ。袁紹はこの報に接し、しばらく言葉を失ったという。
関羽は曹操のもとを去る決意を固め、漢寿亭侯の印綬をすべて封じて館に残し、劉備への手紙を一通だけ残して旅立った。彼は曹操から賜った黄金も、邸宅も、すべてを置き去りにした。ただ一振りの青龍偃月刀と、愛馬の赤兎馬だけを携えて、主君のもとへと向かったのである。
曹操の配下たちは激怒した。夏侯惇は「関羽は我々を裏切りました。このまま逃がせば、袁紹に与するか、あるいは再び劉備のもとに戻り、いずれ我々の敵となるでしょう。今のうちに討つべきです」と進言した。曹洪もまた、「これまで与えてきた恩賞をすべて無駄にした関羽を、なぜ見逃すのか」と詰め寄った。
しかし曹操はこれを退けた。彼は窓の外を見つめながら、静かに言った。
「彼は主君に忠義を尽くしただけだ。あれこそが、この乱世で最も尊ぶべき道義だ。追ってはならぬ」
この言葉に、幕僚たちは誰もが押し黙った。荀彧は深く頷き、程昱は複雑な表情で曹操を見つめた。郭嘉だけが、いつもの飄々とした笑みを浮かべながら言った。
「丞相は本当に関羽がお好きですな」
「ああ。だが、あの男は決して私のものにはならぬ。だからこそ、美しいのだ。黄金も官位も、あの男の忠義には勝てなかった。それを悔しいとは思う。しかし同時に、その忠義を美しいと思う自分もいる」
曹操はそれ以上何も言わなかった。彼は窓の外に広がる官渡の野を見つめながら、遠く去りゆく関羽の背中を、心の中で見送っていた。主君のためにすべてを捨てて旅立つ一人の男の姿が、曹操の心に深く刻まれた。
これが史実でも演義でも、この高順がいるこの世界でも変わらぬ、この乱世における最も美しい瞬間だった。
遠く并州でこの報せを聞いた高順は、賈詡と共に地図を前にしていた。
「曹操は関羽を見逃した。今頃、許昌の幕僚たちは口々に不満を述べているだろう。しかし曹操は追わなかった。あの男は、時に驚くほど道義を重んじる。自分の利益を損なうとわかっていながら、美しいものを見逃すことができない。それが曹操という男の、最も恐ろしいところであり、最も愛すべきところでもある」
賈詡は微かに笑った。
「将軍は曹操をどう思われますか」
「奸雄だ。しかし、ただの奸雄ではない。自分が決して手に入れられないものを、美しいと認めることができる男だ。その器の大きさこそが、曹操の曹操たる所以だ。関羽という男は、曹操にすらそう言わしめるだけの何かを持っているのだろう。人を惹きつけずにはおかない、不思議な魅力だ。曹操はそれを最もよく理解していた。だからこそ、見逃した」
高順は窓の外を見た。春の雪解けが始まり、晋陽の街には新しい季節の息吹が満ちている。官渡の決戦はまだ続いている。袁紹はなおも大軍を擁し、曹操は必死に持ちこたえている。自分は冀州の大部分を制圧し、袁紹を鄴城の周辺だけに押し込めたが、まだ決着はついていない。
しかし高順にはわかっていた。顔良と文醜を失い、冀州の大部分を奪われた袁紹は、もはや長くは持たない。曹操はいずれ、決定的な一撃を加えるだろう。その時、天下の勢力図は大きく塗り変わる。自分はその時、どのように動くべきか。曹操と共に新しい時代を築くのか。それとも、曹操と決別し、自分の信じる道を一人で進むのか。その答えは、まだ出ていなかった。




