第十二回 青梅煮酒論英雄 献策改革推憲制 三段
曹操はこの年、三公制度を廃止し、自ら丞相に就任した。これにより名実ともに朝廷の全権を掌握した曹操に対し、董承や伏完ら漢室の旧臣たちの反発は日増しに強まっていた。そんな中、袁紹の包囲網が静かに迫りつつあるという報せが、許昌の朝廷に緊迫感をもたらしていた。
この御前会議は、表向き「曹操の専横を糾弾する」という議題で招集された。董承と伏完はこの機を逃さず、曹操への批判を密かに焚きつけていた。献帝が自ら「退位させよ」とまで言ったという事実は、すでに朝廷中に知れ渡っている。天子の怒りを大義名分に、曹操の権力を削ごうと彼らは画策した。広間の空気は、曹操にとって明らかに不利なものとなっていた。
しかし誰も知らなかった。この御前会議そのものが、曹操と高順によって仕組まれた壮大な芝居であることを。
会議の前夜、高順は曹操の丞相府を密かに訪れていた。丞相就任後に改修されたばかりのこの屋敷は、かつての司空府とは比べ物にならぬほど壮大である。二人は書斎の奥で酒を酌み交わしながら、明日の段取りを確認し合った。
「孟徳、明日の御前会議では、私がお前を弾劾する。董承と伏完は必ずこれに乗ってくる。あの二人は私がお前の敵だと思い込んでいるからな」
「わかっている。私は大げさに反論し、お前に食ってかかる。陛下が仲裁に入る手はずになっている。これで董承たちは、お前が曹操に敵対する勢力の旗頭になったと信じるだろう。しかし孝父、お前は本当にそれでいいのか。お前が私を弾劾すれば、お前の評判にも傷がつくぞ」
曹操の声には、珍しく気遣いの色が滲んでいた。高順は微かに笑った。
「構わん。私の評判など、もともと董卓の女婿だの呂布の元配下だのと、ろくなものではない。それに、私がお前を弾劾することで、董承たちの動きを封じることができる。彼らが私を旗頭にしようとすれば、それだけ彼ら自身の陰謀は遅れる。その間に、我々は袁紹に備えることができる」
「相変わらず、お前の頭の中は計算でできているな。わかった。明日は存分に演じよう。一つ気をつけろ。董承は目が節穴だが、賈詡だけは油断ならん。お前の腹心とはいえ、どこでどう見られているかわからんからな」
「賈詡ならば最初からすべてを見抜いている。だが心配はいらん。あの男は私の意図を理解した上で、なお私に従っている。むしろ、この茶番を誰よりも楽しんでいるだろうよ」
二人は杯を合わせ、静かに笑った。
翌朝、未央宮の前殿には重臣たちが勢揃いした。玉座には献帝が座し、その左右には曹操と高順が控えている。広間には荀彧、荀攸、程昱、郭嘉、賈詡、董昭、孔融、楊彪、董承、伏完らが居並び、誰もがこの異様な空気に緊張を隠せずにいた。夏だというのに、広間の空気は肌寒いほどに張り詰めている。
献帝が口を開いた。その声はまだ若く、しかし確かな威厳を帯びていた。長安で震えていた少年は、今や自分の言葉で朝廷を動かそうとしている。
「今日、この場を設けたのは他でもない。丞相・曹操の近来の振る舞いについて、朝臣たちの間に憂慮の声が上がっている。朕もまた、その声を無視することはできぬ。ここに直言を許す。遠慮なく意見を述べよ」
献帝の言葉が終わらぬうちに、董承が立ち上がった。彼は老臣としての威厳を漂わせながら、まず玉座に深く一礼し、それから曹操に向き直った。
「陛下、長く朝廷を見てまいりましたが、近年の曹丞相の専横は目に余るものがございます。陛下の側近は次々と遠ざけられ、代わって曹氏の息のかかった者ばかりが要職に就いております。三公を廃して丞相に就かれたのも、権力の一極集中を図るものに他なりません。これは漢室を守る者の振る舞いではございませぬ」
伏完も続いた。彼は董承ほど激してはいないが、その静かな口調がかえって言葉に重みを与えていた。
「同感です。曹丞相は陛下を守ると言いながら、その実、朝廷を私物化しておられます。このままでは、董卓の二の舞になりかねませぬ。どうか陛下には、厳正な御裁断を賜りたく存じます」
曹操は無表情のまま、彼らの言葉を聞いていた。内心では笑いを堪えるのに必死だったが、それを微塵も表に出さない。そこへ、高順がゆっくりと立ち上がった。彼は玉座に向かって深く一礼してから、曹操に向き直った。その目は冷たく、声は広間の隅々まで響き渡る。
「孟徳、私は今日、この場でお前に問いたいことがある」
高順の声が広間に響いた瞬間、董承と伏完の顔に期待の色が走った。高順が曹操を弾劾する。それは彼らにとって、これ以上ない援軍だった。
「お前は天子を奉戴すると言いながら、なぜ陛下の側近たちを次々と遠ざけたのか。なぜ朝廷の要職にお前の息のかかった者ばかりを据えるのか。なぜ三公を廃して丞相に就任し、あらゆる権力を一身に集めたのか。これは漢室を守る者の振る舞いではない。これは漢室を私物化する者の振る舞いだ。董卓の専横と何が違うというのか!」
高順の声は静かだったが、その言葉は刃のように鋭く広間を切り裂いた。董承と伏完は思わず顔を見合わせ、荀彧と程昱は眉をひそめた。賈詡だけが、微かに口元を歪めて成り行きを見守っている。
曹操は高順の言葉を聞くと、大げさに驚いた顔を作って立ち上がった。彼は両手を広げ、天を仰ぐような仕草を見せてから、声高に反論した。
「孝父、お前は何を言っているのだ! 私が天子を私物化しているだと? 濡れ衣も甚だしい! 私は天子をお守りするために、必要な人事を行っているに過ぎぬ。陛下の側近たちが遠ざけられたのは、彼らが職務に怠慢だったからだ。私が登用した者たちは、みな才幹があるからこそ要職に就いている。三公を廃して丞相となったのも、朝廷の意思決定を迅速にし、この乱世に対応するためのやむを得ぬ措置だ。それを私物化とは、あまりに心外である!」
「ではなぜ、お前は宮中への参内を控えるようになった! 陛下があの言葉を発せられて以来、お前はまるで逃げるように朝廷から遠ざかっているではないか。それは己の後ろめたさの証拠ではないのか!」
「違う! 私は陛下のお言葉に恐懼し、しばし身を慎んでいただけだ。天子の前に立てば、誰でも畏れ多くなるものだ。それをお前は後ろめたさだと決めつけるのか。私はただ、陛下に対して不敬があってはならぬと思い、自ら謹慎していたのだ!」
「ならばなぜ、謹慎の期間中に丞相府の権限を拡大した。それは謹慎ではない。権力の強化ではないか!」
「丞相府の権限拡大は、朝廷の運営を円滑にするために必要な措置だったのだ。お前はそれを権力の強化と呼ぶが、私にとっては責務の拡大に過ぎぬ! 孝父、お前こそ并州で勝手な振る舞いをしているではないか。朝廷に断りもなく異民族と戦い、軍馬を奪い、幽州を占領した。そのことをまず釈明すべきはお前の方だ!」
「私の行動はすべて、天子の勅命に基づくものだ。異民族を退け、北方の秩序を回復したことは、朝廷も認めるところ。お前はその功績を妬んで、私を逆賊のように言うのか」
「功績を妬むだと? 笑わせるな。私はお前の功績を認めている。だからこそ、お前が私を不当に貶めることを見過ごせぬのだ。私は天子のために尽くしている。それを私物化とは、断じて承服できぬ!」
二人の応酬は激しさを増し、広間の空気は張り詰めていった。曹操は顔を真っ赤にして怒りを露わにし、高順はあくまで冷静に、しかし鋭く言葉を返す。董承と伏完はこの展開に内心で快哉を叫んでいた。高順が曹操を弾劾してくれれば、これほど心強いことはない。高順の兵力と曹操の権力がぶつかれば、どちらかが必ず傷つく。どちらが傷ついても、彼らにとっては好都合だった。
「ではなぜ、お前は地方の州牧たちを勝手に任免したのか。徐州牧に劉備を、揚州牧に孫堅を、河内郡太守に呂布を。これらはすべて朝廷の承認を得ずに行った人事ではないか! これは丞相の権限を越えた専横だ!」
「それらはすべて、袁術討伐の功績に基づく正当な論功行賞だ! 朝廷の承認は事後であれ得ている。緊急を要する戦時において、迅速な人事がなぜ悪い! お前は戦場の現実を知らぬ文官のようなことを言う!」
「私は戦場を知っている。だからこそ、戦時を口実にした権力の濫用が最も危険だと知っているのだ! 董卓もまた、戦時を口実に権力を握り、そして天下を混乱に陥れた。お前はその轍を踏むつもりか!」
「董卓と私を一緒にするな! 董卓は天子を廃そうとした。私は天子を守っている。董卓は民を虐げた。私は民を安んじている。その違いがわからぬお前ではないはずだ、孝父!」
二人の口論は、もはやどちらが止めなければ永遠に続くかのようだった。群臣たちは息を呑んで成り行きを見守り、誰もがこの二人の関係は完全に決裂したと思い込んだ。董承は興奮で手が震えるのを必死に抑えていた。高順がここまで曹操を追及するとは予想以上だった。これならば高順を旗頭にして、曹操を排除できるかもしれない。
しかし彼らは気づいていなかった。高順の口調は鋭くとも、その目は曹操と何かを共有しているかのように、かすかに光っていたことを。曹操の大げさな身振りもまた、どこか芝居がかっていたことを。賈詡だけは、最初からすべてを見抜いていた。彼は微かに笑みを浮かべながら、この茶番を楽しむかのように成り行きを見守っていた。
十分に論じ合ったところで、献帝が仲裁に入った。これもまた、事前に打ち合わせた通りだった。献帝は玉座から身を乗り出し、二人に向かって手を差し伸べた。
「両者、そのくらいでよい。高順、そなたの忠義はよくわかった。そなたが朕を思う心は、この場にいる誰もが感じたであろう。曹操、そなたの言い分も聞いた。そなたが朕のために尽くしていることも、朕は承知している。朕は、そなたたち二人が漢室のために力を合わせてくれることを望んでいる。今日のことは、これで終いとしよう」
高順は深く平伏し、曹操もそれに倣った。二人は顔を伏せながら、必死に笑いを堪えていた。肩が微かに震えていたのは、怒りのせいではなかった。芝居は成功だった。董承や伏完に高順が曹操の敵であると印象づけること。それがこの御前会議の真の目的だったのである。
董承はこの結果に満足していた。高順が曹操を公然と弾劾したことで、曹操の権威は確かに傷ついた。そして高順が自分たちの味方になる可能性が、大きく開けた。彼は伏完に目配せし、小さく頷いた。伏完もまた、同様の思いだった。彼らはこの芝居にまんまと乗せられたことに、最後まで気づかなかった。
御前会議が終わると、曹操と高順はそれぞれ別々に朝廷を退出した。董承や伏完の目を欺くために、二人は互いに冷たい視線を交わしながら、別々の方向へと歩き去ったのである。




