第十一回 論功行賞高順封公 白門楼呂布帰順 五段
高順が大軍を率いて徐州に到着した時、すでに下邳城は陥落し、状況は最終局面を迎えていた。
呂布の運命を決する白門楼の場に、高順は間に合ったのである。曹操の幕舎に通された高順は、まず目に入った光景に思わず足を止めた。縄でがんじがらめに縛られた呂布が、曹操の前に座らされている。その傍らには、同じく捕縛された陳宮の姿もあった。かつて天下無双と謳われた飛将軍と、その軍師は、今や見る影もなく打ちひしがれていた。
高順はこの場に至るまで、自分の心の内を幾度も反芻していた。なぜ自分は呂布を助けようとしているのか。半分は本心から、旧主を救いたいという思いだった。呂布は確かに欠点の多い男だ。猪突猛進で、短気で、誰彼構わず牙を剥く。
しかし高順は知っている。呂布という男は、裏切られるたびに傷つき、その傷を隠すためにまた誰かを傷つけてきた。その孤独を、高順は誰よりもよく理解していた。だからこそ、見捨てることができなかった。
しかしもう半分は、まったく別の計算だった。高順はこの乱世を生き抜くために、単なる武力以上のものが必要だと考えていた。それは「信義」という名の鎧である。旧主を見捨てない男。困っている者を救う男。そういう評判が立てば、人は自然と高順のもとに集まる。呂布を救うことは、高順自身の名分を天下に示す行為でもあった。半分は本心、半分は計算。その両方が、高順をこの場に立たせていた。
「縛り方がきつすぎる。少し緩めてくれ」
呂布が言うと、曹操は冷徹な目で答えた。
「虎を縛るのにきつくしないわけにはいかない」
呂布はなおも食い下がった。彼は生きるために、最後の言葉を絞り出した。
「明公の悩みの種はこの私だけであり、それが服した今、天下に憂うことはない。明公が歩兵の指揮を執り、私が騎兵の指揮を執れば、天下は定まるというものだ」
曹操は一瞬、心を動かされた。呂布の騎兵指揮官としての才は本物であり、もしこれを味方にできれば確かに心強い。しかし、その時、傍らに控えていた劉備が進み出て言った。
「明公は、呂布が丁建陽や董太師になしたことをご覧にならなかったのですか」
この一言で、曹操の迷いは断ち切られた。丁原を殺し、董卓を殺した男を信用することなどできはしない。曹操が刑の執行を命じようとした、まさにその時だった。
「お待ちください」
陣営の外から、凛とした声が響いた。高順だった。
高順は幕舎の中に入ると、曹操と劉備の前に立ち、静かに言った。
「孟徳、先日の約束を覚えているか?」
曹操は高順の顔を見ると、微かに口元を歪めた。
「忘れるはずがない。呂布の助命だな。孝父、お前は本当にこれを引き取るつもりか。この男は誰にも飼いならせぬ虎だぞ」
「承知の上だ。河内郡太守として、我が并州の監視下に置く。もし牙を剥けば、その時は私が責任を持って処分する。お前には迷惑をかけない」
「しかし、なぜそこまでする。お前が旧主に情けをかけるような男とは思えんが」
高順は少しだけ間を置いてから、静かに答えた。
「私は信義を重んじる。旧主を見捨てるような男だと思われては、これからの乱世を生き抜けぬ。半分は本心だ。呂布を救いたい。そしてもう半分は、私自身の名分のためだ。これで満足か?」
曹操はしばらく高順の顔を見つめていたが、やがて短く笑いそして深く息を吐いた。
「ふっ、正直な男だ。そこまで正直に言われては、断れるはずがない。わかった。約束だ。吕布の身柄はお前に引き渡す。だが、それだけではあるまい。お前のことだ、陳宮の助命も願い出るつもりだろう」
高順はわずかに笑みを浮かべた。
「さすがは孟徳、話が早い。陳宮はお前を裏切った。しかし、彼が裏切らざるを得なかった理由を、お前は誰よりもよく知っているはずだ」
曹操は陳宮に視線を向けた。陳宮は縛につきながらも、その目には一片の悔いもなかった。かつて曹操が董卓を討とうと決起した時、最初に手を差し伸べたのは陳宮だった。曹操が東郡太守に過ぎなかった頃、兗州牧の座を曹操に与えたのも陳宮である。しかし曹操はその後、荀彧や郭嘉といった穎川の名士たちを重用するようになり、兗州の旧臣たちは次第に疎外されていった。陳宮はそれでも我慢した。しかし曹操が名士の辺譲を一族諸共虐殺した時、陳宮の中で何かが完全に切れた。そして呂布を盟主に据え、曹操への反旗を翻したのである。
曹操は陳宮の目を見つめながら、静かに言った。
「公台。私は今でも、そなたがなぜ私を裏切ったのか、心のどこかで理解している。荀彧や郭嘉を重用し、穎川の名士ばかりを優遇した。そなたたち兗州の旧臣を、私は疎かにしたのかもしれん」
陳宮は曹操の言葉を聞くと、静かに笑った。それは嘲りでもなく、怒りでもなく、ただ全てを吹っ切った者の持つ穏やかな笑みだった。
「孟徳、今さらそんな話を蒸し返すつもりはない。あなたはあなたの道を選んだ。私は私の道を選んだ。それだけのことだ。私は呂布様と共に戦い、そして敗れた。潔く斬れ」
曹操は陳宮のその言葉に、何か言いかけた。しかし言葉にはならなかった。まるで、かつて愛した者にきっぱりと別れを告げられた男のように、曹操は一瞬だけ沈黙した。その沈黙の奥には、陳宮に対する未練が、かすかに揺らめいていた。最初に自分を支えてくれた男。兗州という地盤を与えてくれた男。その男が今、完全に自分のもとを去ろうとしている。曹操は陳宮を殺したくはなかった。しかし、陳宮はもはや曹操のもとには決めて戻らない。そのことが、曹操の心に深い影を落とした。
陳宮はそんな曹操の姿を見ても、その決意が揺らぐことはなかった。彼の心はとうの昔に曹操から離れ、呂布という新たな主君に捧げられていたからである。曹操への未練は欠片もない。ただ、かつて志を共にした日々が、遠い過去として胸の奥に沈んでいるだけだ。
「公台、そなたは変わらんな。相変わらず、己の信義にのみ忠実だ」
曹操は深く息を吐き、それから高順に向き直った。
「孝父、公台もお前に預ける。私は彼を許す。だが、許すことが必ずしも和解ではない。それはお前もわかっているな」
高順は静かに頷いた。曹操と陳宮の間にある深い裂け目は、もはや埋めようがない。曹操が陳宮を許すと言ったのは、自分の過去を受け入れるためであり、陳宮がそれを受け入れたのは、もはや曹操に対して何の感情も持っていないからだ。そのことを高順は誰よりもよく理解していた。
こうして高順は、呂布の身柄だけでなく、陳宮を含む配下たちをも纏めて引き取ることになった。捕虜となっていた将兵たちも、高順が引き取ることになったのである。高順は彼らを一人ひとり呼び寄せ、短く言った。
「お前たちはこれから河内郡に行く。呂布の配下として、呂布と共にな。私は旧主を見捨てるような男ではない。そして、旧主に忠義を尽くした者たちも、見捨てはしない。ただし、二度と主君を裏切るな。次に裏切れば、その時は俺が斬る」
陳宮が代表して気持ちを伝えた。
「高将軍、あなたは旧主を救うために十万の軍を動かした。その信義、天下に並ぶ者はおりません。私はかつてあなたの誘いを断った身ですが、今度こそ、この命を我が主のために使わせていただきます」
高順は陳宮の言葉に短く頷き、それから呂布に向き直った。
「将軍、貴方はこれから河内郡太守として新たな道を歩む。お前の配下たちも、皆お前と共に河内郡へ行く。心機一転、励れよ」
「孝父……礼は言わぬぞ。お前は俺を見捨てなかった。俺を裏切った者たちでさえ、見捨てなかった。お前という男は、どこまでも甘い。しかしその甘さに、俺は二度も救われた」
呂布の声は震えていた。彼はこれまで、誰かに見捨てられ続けてきた。丁原にも、董卓にも、袁紹にも、そして曹操にも。しかし高順だけは違った。二度までも、高順は呂布を見捨てなかった。そのことが、呂布の心を深く揺さぶったのである。
曹操はこの一連のやり取りを終えると、高順に向かって微かに苦笑した。
「孝父、お前は俺に借りを作るのがうまいな。父と弟たちを救い、息子を救い、今度は俺に敵を許させた。おかげでお前は『旧主を救った信義の将』として、天下に名を轟かせるだろう」
「私はただ、自分にできることをしただけだ」
「それで天下が動くのだから、お前という男は恐ろしい」
曹操はそう言って笑った。二人の間には、奇妙な友情とも呼べるものが確かに存在していた。それは打算や利害を超えた、乱世に生きる者同士の独特の絆だった。
その後、高順は許昌に戻ると、董卓誅殺の功績を持って呂布を河内郡太守に任命するよう上奏した。献帝はこれを裁可し、呂布は正式に河内郡太守となった。呂布は妻の樊氏、魏氏、曹氏、娘の呂玲綺、呂驍月、息子の呂仁、呂義、そして陳宮を筆頭とする配下たち全員を伴い、河内郡へと向かった。
河内郡は高順の支配地域に隣接しており、もし呂布が再び野心を抱けば、すぐにでも対処できる位置にあった。これも高順の計算の一つだった。陳宮は河内郡の政務を担当し、呂布を補佐することになった。
命を救われた呂布は、高順に対して並々ならぬ恩義を感じていた。彼は高順に言った。
「孝父、この恩は必ず返す。俺は借りを返さねば気が済まない。俺にできることなら何でも言ってくれ」
高順が何か答えるより早く、呂布は自分の言葉に自ら答えを見出したように、ぽんと手を打った。
「そうだ、騎射だ! 俺に教えられることと言えば騎射しかない! お前は確かに強い。槍も軍の指揮も一流だ。だが騎射はまだこれからだろう。俺がみっちり叩き込んでやる。断っても無理矢理にでも教えるからな。これは俺の借りを返すためだ。お前の都合は関係ない。いいな!」
高順は思わず苦笑した。なるほど、これは確かに呂布なりの恩返しなのだろう。
呂布は不器用な男だ。感謝の言葉を長々と述べるより、自分にできることを力技で押し通す。その方が彼の性分に合っている。高順とて、騎射を学べることは願ってもない機会だ。戦場における生存率が格段に上がる。断る理由はどこにもなかった。
「わかった。そこまで言うなら、教えてもらおう」
「よし、決まりだ! 俺の弓術を惜しみなく教えてやる。覚悟しろよ。俺の教えは厳しいぞ」
こうして高順は、呂布から騎射と弓術をみっちりと教わることになった。それは高順にとって、決してありがた迷惑などではなかった。呂布が本気で恩を返そうとしている。その不器用な真心が、高順にはむしろ心地よかった。そして何より、騎射と弓術を身につければ戦場における生存率が格段に上がる。それは高順の行動原理である「死にたくない」という根源的な欲求に合致するものだった。
呂布は高順を草原に連れ出し、馬上から矢を射る技術を一から叩き込んだ。
「鐙の位置をもっと前にずらせ。そうすれば馬上で立ち上がった時の安定感が増す。弓は引き絞るな。軽く引いて放つんだ。騎射は正確さより速さが命だ」
「こうか」
「違う! 腰が浮いている! もっと太腿で馬を挟め! 馬と一体になれ! お前は槍の時はあれだけ体が動くのに、なぜ弓を持つと固まるんだ!」
呂布の教えは苛烈を極めた。しかし高順は文句一つ言わずにそれに従った。彼は常に生き残るための術を求めている。そのためならば、かつての主君に叱られることも厭わなかった。むしろ、これほど真剣に教えてくれることに、内心では感謝すらしていた。
数日後、高順は見違えるほどに騎射の腕を上げていた。もともと武芸の才に恵まれている彼は、呂布の指導を瞬く間に吸収したのである。呂布もまた、高順の成長の速さに舌を巻いた。
「お前は本当に飲み込みが早いな。俺が十年かけて会得した技術を、たった数日で自分のものにしおった」
「教え方が上手かっただけだ」
「ふん、お世辞はいい。だが、これで借りは返したぞ。お前は戦場でますます手強くなった。これで俺もようやく胸を張ってお前に顔向けできる」
呂布はそう言うと、照れくさそうに笑った。高順もまた、口元をわずかに緩める。
「ああ。これでお前は俺に借りがない。だが、俺がお前に教えを乞うた借りは残っている。その借りは、河内郡を立派に治めることで返してもらう」
「わかっている。俺はもう二度と、お前に心配をかけたりはしない。河内郡は俺が必ず守り抜く。それがお前への恩返しだ」
二人は草原の上で、しばし無言で夕日を眺めた。かつては主従だった二人が、今は借りを返し合い、認め合う対等な関係へと変わっている。河内郡の草原を渡る風が、二人の間を静かに吹き抜けていった。




