第十一回 論功行賞高順封公 白門楼呂布帰順 四段
呂布が徐州で曹操に追い詰められているという報せは、高順が晋陽で軍馬の分配を終えた直後にもたらされた。曹操はすでに徐州に向けて出陣しており、呂布は下邳城に籠城しているとのことだった。高順はこの報せを聞くと、すぐさま軍議を開いた。
「呂布が危ない。曹操は本気で呂布を討つつもりだ。このままでは呂布は滅びる」
賈詡が静かに言った。
「しかし将軍、曹操は呂布の助命を約束したのでは」
「曹操は約束を守る男だ。だが、約束を守るのは自分に利益がある時だけだ。呂布を滅ぼせば徐州が手に入る。その利益を前にして、曹操がどこまで約束を守るかはわからん。最悪の場合、曹操は呂布を処刑し、『やむを得なかった』と私に詫びるだろう。そうなってからでは遅い」
高順は曹操という男をよく知っていた。曹操は決して無意味な残酷さを振るう男ではないが、必要な残酷さをためらう男でもない。呂布を生かしておくことの利益よりも、徐州を完全に掌握することの利益が勝ると判断すれば、曹操は迷わず呂布を斬るだろう。だからこそ、約束を取り付けただけでは不十分なのだ。高順は自ら徐州に赴き、呂布の身柄を直接引き取らねばならなかった。
「文遠、徐栄はそれぞれの任地を守れ。并州と幽州の留守はお前たちに任せる。私は十万の兵を率いて徐州に向かう」
「十万とはまた大軍ですな。呂布を救うだけならば、そこまでの兵力は必要ないのでは」
賈詡の指摘に、高順は小さく首を振った。
「これは曹操への圧力だ。十万の軍勢を率いて徐州に現れれば、曹操も簡単には手出しができなくなる。曹操との約束は信じているが、それ以上に物理的な抑止力が必要だ」
高順は十万の陥陣営を率いて出陣した。行軍は迅速を極め、并州の大地を南下していく。彼がこれほど大軍を動かすのは、公孫瓚を滅ぼして以来のことである。十万という数は、単に呂布を救うためだけならば過剰だったが、高順は曹操に圧力をかけると同時に、もう一つの危険に備えていた。彼が并州を留守にする隙を、袁紹が狙わないはずがないからである。
果たして、その危険は現実のものとなった。
高順が并州を留守にしている隙を狙ったのが袁紹だった。李粛は高順に追い返された後、流浪の末に袁紹の陣営に身を寄せていた。彼は高順の軍事情報を袁紹に売り込み、并州侵攻を進言したのである。
「高順は今、十万の軍を率いて徐州に向かっております。并州の兵力は手薄になっております。今こそ攻める好機です」
袁紹はこの機を逃さず、三人の息子をそれぞれ主将として并州と幽州に侵攻させた。長男の袁譚と三男の袁尚が并州方面に、次男の袁熙が幽州方面に向かった。袁紹の狙いは、高順が不在の間に并州か幽州のいずれかを陥落させることだった。しかし袁紹は、三人の息子たちだけを送り出したわけではなかった。それぞれの軍には、河北が誇る名将たちが副将として同行していたのである。
袁譚の軍には顔良と麹義が、袁尚の軍には文醜と高覧が、袁熙の軍には朱霊が副将として付けられていた。いずれも袁紹軍の中核を担う猛将たちであり、彼らが同行しているという事実が、袁紹の本気度を物語っていた。高順を甘く見てはいけない。三人の息子たちだけでは荷が重いと判断した袁紹は、自慢の将軍たちを総動員したのである。
顔良は袁紹軍の筆頭格とも言うべき猛将だった。彼の武勇は河北に鳴り響き、その剛力は一騎当千と称された。戦場では常に先陣を切り、敵将を次々と討ち取るその姿は、まさに鬼神の如くだった。しかし顔良の真価は単なる個人の武勇だけではない。彼は兵を率いる将としても優れており、特に騎兵の指揮においては袁紹軍の中でも群を抜いていた。彼が率いる騎兵隊は、疾風の如く戦場を駆け抜け、敵陣を寸断する。その機動力と突破力は、河北のどの将軍も一目置くところだった。
麹義は顔良とは対照的に、知略にも長けた将だった。彼はもともと韓馥の配下だったが、袁紹が冀州を手に入れた際にその麾下に加わった。麹義の最も有名な戦功は界橋の戦いである。公孫瓚の白馬義従を打ち破ったこの戦いで、麹義は巧みな陣形と伏兵を用いて、騎兵の突撃を粉砕した。彼は騎兵に対抗するための歩兵戦術を熟知しており、弩兵と重装歩兵を組み合わせた防御陣形は、袁紹軍の中でも屈指の堅さを誇った。感情に流されず、常に冷静に戦況を分析するその姿勢は、高順の戦い方にも通じるものがあった。
文醜は顔良と並び称される袁紹軍の双璧だった。彼もまた一騎打ちを得意とする猛将であり、その武勇は顔良に勝るとも劣らない。しかし文醜の真の恐ろしさは、その執念深さにあった。彼は一度狙いを定めた敵は決して逃さず、戦場のどこまでも追いかけて討ち取る。その執拗さは、敵にとってはまさに悪夢だった。文醜はまた、顔良との連携を最も得意とする将でもあった。二人が組めば、袁紹軍の攻撃力は倍増する。顔良が正面から敵陣を粉砕し、文醜が側面から敵の退路を断つ。この連携を破ることは至難の業だった。
高覧は、顔良や文醜に比べるとやや地味な存在だが、その堅実な戦いぶりは袁紹から高く評価されていた。彼は決して無理をせず、与えられた任務を確実にこなす。防衛戦においては右に出る者がなく、高覧が守る陣地は容易には崩せないと言われていた。彼はまた、若い袁尚の補佐役として理想的な人物でもあった。血気にはやる袁尚を、高覧が冷静に諫める。この組み合わせは袁紹の深謀遠慮によるものだった。
朱霊はもともと袁紹の配下だったが、後に曹操のもとに降ることになる将である。しかしこの時点ではまだ袁紹に仕えており、その有能さは袁紹も認めるところだった。彼は騎兵と歩兵の両方を巧みに指揮できる万能型の将であり、袁熙の副将として幽州方面に派遣された。朱霊は公孫瓚との戦いで功績を重ね、特に騎兵の運用においては袁紹軍の中でも五指に入る実力者だった。
これらの名将たちが副将として同行している以上、袁紹の息子たちの軍は決して弱いはずがなかった。実際、正史において袁紹は曹操を官渡で追い詰めた最強の諸侯であり、彼の軍が弱いはずがないのである。
幽州では、袁熙と朱霊が遼東の公孫度と手を結び、徐栄を攻めた。
公孫度は遼東太守として半ば独立勢力を築いていたが、袁熙の誘いに乗って参戦したのである。公孫度はもともと遼東の豪族であり、後漢末の混乱に乗じて独自の勢力を築き上げた。彼は東方の異民族を討伐し、遼東半島一帯に強固な地盤を持っていた。その軍勢は決して多くはないが、地の利を知り尽くした手強い相手だった。
朱霊は袁熙の副将として、公孫度との連携役を務めた。彼は公孫度の軍と合流すると、まず幽州の地図を広げ、綿密な作戦を練った。
「徐栄は董卓の下で曹操を汴水で破った歴戦の将です。正面から攻めても、簡単には崩せません。まずは陽動で注意を引き、その隙に本隊が側面を突く。公孫度殿、あなたの軍には北から回り込んでいただきたい」
朱霊の指示は的確だった。彼は袁紹軍の中でも指折りの戦術家であり、その冷静な判断力は袁熙も深く信頼していた。
しかし徐栄もまた百戦錬磨の将だった。彼は自ら袁熙と朱霊の軍に対処し、田豫、田楷、季雍の三名に公孫度を任せた。朱霊の陽動作戦を見抜いた徐栄は、あえて正面に兵力を集中させず、機動力を活かした防御戦を展開した。
「公孫度は地の利を知っているが、大軍を動かす経験に乏しい。田豫、お前の手腕で公孫度を抑え込め。田楷は騎兵を率いて敵の背後を突け。季雍は兵站を死守しろ」
田豫は弱冠二十歳ながら、公孫瓚の下で県令を務めていた頃から軍略と民政の両方に長じていると評判だった。彼は公孫度の大軍を前にしても冷静に戦況を分析し、あえて正面からは戦わず、夜襲と兵站破壊によって敵を消耗させる戦法をとった。公孫度の軍は地の利を活かして進軍したが、田豫はそれを上回る情報戦で対抗した。
「公孫度の軍は確かに地の利を知っている。しかし彼らは烏桓との戦いで培った戦法に慣れきっている。漢の正規軍との戦いには不慣れなのだ。その隙を突け」
田豫は公孫度の軍の動きを徹底的に分析し、彼らが夜間に移動する際の弱点を見抜いた。そして闇夜に乗じて小部隊を送り込み、兵糧庫を焼き払ったのである。公孫度は兵糧不足に陥り、進軍の速度を大幅に削がれることになった。
「田将軍、公孫度の軍が兵糧不足で立ち往生しております。この機に攻め込んでは」
「いや、まだだ。公孫度は退き際を探している。深追いして兵力を損なうより、このまま圧力をかけ続けて自然撤退を待つ方が得策だ。我々の役目は敵を撃滅することではなく、幽州を守ることだ」
田豫は冷静に状況を判断し、深追いを禁じた。彼は高順の方針をよく理解していたのである。田楷は騎兵を率いて敵の背後を突き、補給線を断つ遊撃戦を展開した。季雍は行政手腕を活かして兵站を完璧に整え、長期戦を可能にした。袁熙と朱霊の軍は、徐栄の堅固な防御と田豫たちの巧みな連携の前に身動きが取れず、結局、大きな戦果を挙げられぬまま軍を退かざるを得なかった。朱霊は撤退戦においてもその手腕を発揮し、追撃してきた徐栄軍に対して巧みに伏兵を配置して損害を最小限に抑えた。
一方、并州方面ではさらに激しい戦いが繰り広げられていた。
袁譚の軍には顔良と麹義が、袁尚の軍には文醜と高覧が副将として付いていた。袁譚は河内郡方面から、袁尚は上党郡方面から、それぞれ并州に侵攻した。
上党郡では、文醜が率いる先鋒隊が電撃的な進軍を見せた。文醜は自ら先陣に立ち、その剛勇を存分に発揮した。彼が一振りするたびに、并州軍の兵士が次々と討ち倒されていく。文醜の執念深さはこの戦いでも遺憾なく発揮され、彼は一度狙いを定めた敵将を決して逃さなかった。文醜の猛攻の前に、并州軍の前線は一時大きく後退を余儀なくされた。
「文将軍、深追いは危険です。ここは一旦軍を整え、高将軍の本隊と合流すべきです」
副将の一人が進言したが、文醜は首を振った。
「敵は今、怯んでいる。ここで畳み掛ければ、一気に上党郡を抜ける。高覧が来るまで待っていては、好機を逃す」
文醜はそのまま追撃を続けた。しかしこれが罠だった。郝萌はあえて退却するふりをして文醜を誘い込み、隘路で弩兵の集中射撃を浴びせるという巧みな戦術を用意していたのである。
「今だ、撃て!」
郝萌の号令一下、伏せていた弩兵たちが一斉に矢を放った。隘路の両側の崖の上から降り注ぐ矢の雨に、文醜の先鋒隊は大混乱に陥った。この戦いで功績を挙げたのが、郝萌の軍に所属する曹性という将だった。彼は郝萌の副将として冷静な戦術判断を見せ、文醜の先鋒を正確に捕捉して撃退することに成功したのである。曹性はもともと郝萌の軍で一介の騎兵隊長を務めていたが、この戦いでの功績が認められて副将に抜擢された。彼の弓術は正確無比であり、この時も崖の上から文醜の側近を次々と射抜き、文醜自身も危うく矢を受けるところだった。
文醜は多勢に無勢を悟り、すぐさま軍を退いた。彼は決して無謀な猪突猛進型の将ではなかった。退くべき時をわきまえ、退く時は素早く、そして再び攻める機会を虎視眈々と狙う。文醜は一時後退したが、すぐに高覧の本隊と合流し、体勢を立て直した。その迅速な再編成は、まさに歴戦の将のなせる業だった。
高覧は文醜の報告を受けると、すぐさま冷静に戦況を分析した。
「郝萌は手強い。無理に正面から攻めても、あの隘路でまた同じ目に遭う。ここは陽動を使い、敵の注意を別の方面に逸らすべきだ。袁尚様、いかがなさいますか」
袁尚は若く血気盛んだったが、高覧の進言に耳を貸さなかったわけではない。彼は高覧の策を容れ、一部の軍を陽動として郝萌の正面に張り付け、本隊は別の峠道から迂回して上党郡の内部に侵入しようと試みた。
しかし、郝萌はこの動きも読んでいた。迂回した袁尚の本隊を待ち構えていたのは、張燕が率いる遊軍だった。張燕はもともと黒山賊の頭領として十万の軍勢を率いていた男であり、遊撃戦においては并州軍随一の手腕を持つ。彼は山岳地帯を熟知しており、袁尚の軍が通るであろう峠道を事前に封鎖し、退路を断ってから側面から襲いかかった。
「袁尚の軍は山道に不慣れだ。今こそ叩け!」
張燕の遊軍は、山岳戦に不慣れな袁尚軍を散々に打ち破った。高覧は必死に軍を立て直そうとしたが、張燕の巧妙な遊撃戦術の前には手の打ちようがなかった。袁尚は敗走し、かろうじて命からがら逃げ延びた。
河内郡方面では、顔良と麹義が袁譚の軍を率いて侵攻した。
顔良は自ら先陣に立ち、その剛勇を存分に発揮した。彼の一振りで、并州軍の兵士が数人まとめて吹き飛ばされる。顔良が率いる騎兵隊は、疾風の如く戦場を駆け抜け、并州軍の前線を寸断していった。顔良の騎兵指揮は見事の一言に尽き、その機動力と突破力は張楊の防御陣形すらも脅かした。
「顔良将軍、左翼が崩れかけています。このまま一気に中央を突破すべきです」
「いや、待て。敵の中央はまだ崩れていない。ここで無理に突っ込めば、側面から反撃を受ける。まずは左翼を完全に粉砕し、それから中央に回り込む。麹義、お前の歩兵隊で右翼を抑えろ。俺が左翼を片付ける」
顔良の戦術判断は的確だった。彼は単なる猛将ではなく、戦場全体を見渡す視野を持っていたのである。顔良の騎兵隊は左翼の并州軍を粉砕し、そのまま中央の側面に回り込もうとした。
しかし、ここで立ちはだかったのが麹義だった。いや、麹義は顔良の味方である。顔良が左翼を粉砕している間、麹義は自慢の歩兵隊を率いて右翼を抑えていた。麹義の歩兵戦術は界橋の戦いで証明済みである。彼は弩兵と重装歩兵を巧みに組み合わせ、并州軍の反撃を完璧に封じ込めた。
「騎兵が来るなら矢を浴びせ、歩兵が来るなら槍衾で迎え撃つ。陣形を崩すな。焦らず、冷静に対処しろ」
麹義の指揮は実に冷静だった。彼の歩兵隊は鉄壁の防御を誇り、并州軍の騎兵の突撃も、弩兵の射撃も、すべて完璧に防ぎ切った。彼は公孫瓚の白馬義従を打ち破った時と同じ戦術を、今度は并州軍相手に再現してみせたのである。
顔良と麹義の連携は見事だった。顔良が騎兵で敵陣を切り裂き、麹義が歩兵で敵の反撃を封じる。この二人が組めば、袁紹軍の攻撃力は計り知れないものがあった。
しかし張楊もまた、高順が築き上げた防御システムを完璧に運用する古強者だった。彼は顔良と麹義の連携を前にしても、決して動じなかった。むしろ、敵の動きを冷静に分析し、最も効果的な反撃の機会を待った。彼は董卓の時代から戦場を渡り歩いてきた歴戦の将であり、敵の勢いに押されて無駄に兵を動かすような真似は決してしなかった。
「顔良と麹義は手強い。だが、彼らの連携にも隙はある。顔良は攻めに回れば鬼神の如く強いが、守りに回るとその力は半減する。麹義は守りは堅いが、攻めに転じるのは得意ではない。今は耐える時だ。敵が攻めあぐねて疲弊するのを待つ」
張楊は決して無理をせず、顔良と麹義の攻勢を粘り強く防ぎ続けた。顔良が何度も騎兵で突撃を仕掛け、麹義が弩兵で援護する。しかし張楊の防御はそれをすべて吸収し、決定的な突破を許さなかった。一進一退の攻防が続き、戦線は膠着状態に陥った。
袁譚はこの膠着を打破しようと、顔良に決死の突撃を命じた。しかし顔良はこれに反対した。
「袁譚様、今は退くべきです。郝萌が文醜を破り、張燕が袁尚様を破ったという報せが届きました。上党方面が崩れた以上、我々だけが深入りすれば孤立します。ここは一旦軍を退き、体勢を立て直すべきです」
麹義も顔良の意見に同意した。
「顔良の言う通りです。我々はまだ十分な戦力を保っています。今退けば、また攻めることができます。しかしここで無理に攻めて兵力を損なえば、次はありません。戦とは勝つことよりも、負けないことの方が難しい。今は負けないことを優先すべきです」
袁譚は二人の進言を受け入れ、軍を退かせた。撤退戦においても顔良と麹義の手腕は冴え渡り、張楊は深追いを避けて静かに彼らを見送った。袁譚は并州から軍を退かせたが、その撤退は整然としており、追撃の隙を一切与えなかった。
こうして袁紹の息子たちと名将たちによる侵攻は、最終的には失敗に終わった。しかし高順が晋陽に戻った時、彼は戦況の報告を聞いて深く考え込んだという。特に顔良、麹義、文醜、高覧、朱霊といった将軍たちの有能さは、報告を聞くだけでも十分に伝わってきた。袁紹軍がこれだけの名将を擁している以上、次の戦いはこれまでのようにはいかないだろう。顔良の騎兵指揮、麹義の歩兵戦術、文醜の執念深さと顔良との連携、高覧の堅実な防御、朱霊の冷静な判断力。いずれも一筋縄ではいかない相手だった。
「袁紹は強い。正面から戦えば、かなりの犠牲を覚悟せねばなるまい」
賈詡が静かに言うと、高順は地図を見つめながら答えた。
「ああ。袁紹は現状において最強の諸侯だ。顔良、文醜、麹義、高覧、朱霊。これだけの将を揃えている以上、弱いはずがない。しかし今回は、袁紹は本気ではなかった。これは威力偵察だ。我々の戦力を測り、次の本格的な侵攻に備えている。次はもっと大規模な軍勢で来るだろう」
「その時はどうされますか」
「決まっている。守り抜く。ただし、ただ守るだけではない。袁紹の軍が強いなら、それを上回る準備をするだけだ。顔良の騎兵には弩兵の連続射撃で対抗し、麹義の歩兵には騎兵の機動力を活かして側面を突く。文醜には深追いを許さず、高覧には揺さぶりをかける。幸い、今回はこちらの将たちもよく戦ってくれた。張楊、郝萌、曹性、張燕、田豫、田楷。皆、それぞれの持ち場で最善を尽くした。この経験を次に活かせば、必ず勝てる」
高順の声には確信があった。袁紹の強大さを認めながらも、それを上回る策をすでに練り始めている。その冷静な分析力こそが、高順の最も恐ろしい武器だった。




