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第十回 高順幽州收遺將 呂奉先轅門射戟 三段

高順が并州と幽州の経営に追われている頃、北の国境では異変が起きていた。鮮卑、烏桓、匈奴がほぼ同時に国境を越えて襲来したのである。これら三つの部族は普段は互いに争っているが、今回はまるで示し合わせたかのように連携して動いていた。高順が公孫瓚を滅ぼし、幽州を支配下に置いたことで、彼らは自分たちの生存圏が脅かされると感じたのだった。


発端は烏桓の蹋頓だった。彼は公孫瓚と長年にわたって抗争を繰り広げてきたが、その公孫瓚が滅んだことで、次に標的になるのは自分たちだと察したのである。蹋頓はただちに鮮卑の歩度根と匈奴の呼廚泉に使者を送り、共に并州と幽州を攻めるよう呼びかけた。歩度根は弟の扶羅韓と共にこの誘いに乗り、呼廚泉もまた、于夫羅の死後に弱体化した匈奴の力を示す好機と見て参戦を決めた。こうして三つの部族が合計八万の騎兵を動員し、同時に国境を越えて押し寄せたのである。


幽州では、新たに徐栄の軍に組み込まれた田豫と田楷が烏桓を迎え撃った。


田豫はまだ弱冠二十歳の若者だったが、公孫瓚の下で県令を務めていた頃から民政と軍略の両方に長じていると評判だった。彼は蹋頓の騎兵隊が平地での決戦を望んでいることを見抜き、あえて峡谷の隘路に敵を誘い込む作戦をとった。騎兵の機動力を殺すには、狭い地形で動きを封じるのが最も効果的だからである。


「田将軍、烏桓の先鋒が峡谷に入りました」


「よし、今だ。左右の崖の上から矢を浴びせろ。逃げ道を塞ぐんだ」


田豫の指示は的確だった。烏桓の騎兵が狭い谷間で立ち往生しているところに、上から無数の矢が降り注ぐ。さらに田楷が率いる伏兵が背後から襲いかかり、烏桓軍は大混乱に陥った。田楷は公孫瓚の下で長く青州刺史を務めた歴戦の将であり、騎兵の扱いには特に長けている。彼が率いる騎兵隊は峡谷の出口を塞ぐように展開し、逃げ場を失った烏桓軍を次々と討ち取っていった。


蹋頓は必死に軍を立て直そうとしたが、谷間では騎兵の機動力をまったく活かせない。結局、烏桓軍は多くの損害を出して撤退を余儀なくされた。しかし蹋頓は完全に諦めたわけではなかった。彼は後方に軍を下げ、機会を窺いながらなおも幽州の北辺に圧力をかけ続けた。


田豫は深追いを禁じた。彼は高順の方針をよく理解していた。今は敵を殲滅することよりも、自軍の損害を最小限に抑え、戦力を温存することが優先されるべきだと判断したのである。元は公孫瓚の配下として異民族と戦い続けてきた田豫と田楷にとって、この戦いは慣れたものだった。むしろ、今までのように公孫瓚の無謀な突撃に付き合わされることなく、自分たちの判断で戦えることが、彼らにとっては新鮮ですらあった。


一方、鮮卑は并州方面に主力を向けてきた。歩度根と扶羅韓の兄弟は二万五千の騎兵を率いて雁門郡に殺到した。扶羅韓は兄よりも武勇に優れ、自ら先陣に立って敵陣を切り裂く豪の者である。歩度根は弟の武勇を頼みとしつつ、自らは冷静に全体の指揮を執っていた。この兄弟の組み合わせは、鮮卑の中でも最も恐るべき戦力だった。


しかし、そこには張遼が待ち構えていた。


張遼は高順が事前に指示していた通り、烽火台の連絡網を駆使していち早く敵の動きを察知した。狼煙が上がってから半日も経たぬうちに、全軍が配置についていた。張遼は鮮卑の騎兵が必ず通るであろう隘路を三ヶ所に絞り込み、そこに強弩を集中配備した。并州で生産された新しい踏張弩は、従来のものより射程が五割も長い。鮮卑の騎兵が弓の射程に入るよりもはるか手前から、并州軍の矢は敵を射抜くことができた。


「撃て」


張遼の静かな号令と共に、弩兵たちが一斉に矢を放つ。一人が三丁の弩を使い、撃っては交代し、撃っては交代する。この連続射撃の前には、騎兵の機動力も数を活かした突撃も無力だった。狭い谷間で足を止めた鮮卑騎兵に、并州軍の矢が雨あられと降り注ぐ。先頭の騎兵が次々と倒れ、後続の馬がそれに躓いて将棋倒しになる。鮮卑軍は進むことも退くこともできず、ただ矢の餌食となっていった。


扶羅韓は自ら先陣に立って突破口を開こうとしたが、弩兵の集中射撃の前にはいかに剛勇を誇る彼も手が出せない。何度か突撃を試みたものの、そのたびに馬を射抜かれ、側近を失い、やむなく後退を繰り返した。


さらに張楊と華雄が援軍として駆けつけ、鮮卑軍の側面を突いた。張楊はかつて呂布と共に丁原に仕えた武将で、今は并州軍の一将として河内郡の守備を担っている。華雄は元董卓配下の猛将であり、その武勇は今も健在だった。身の丈九尺を超える巨漢が馬上で振るう長刀は、鮮卑の騎兵を鎧ごと真っ二つに斬り裂いていく。華雄が率いる騎兵隊が鮮卑の遊撃隊を次々と撃破し、戦線は雁門で小康状態となった。


歩度根はこの戦いで多くの兵を失い、一時的に軍を退かざるを得なくなった。しかし彼もまた、正面からの攻めが通じないことを学び、次の機会を虎視眈々と狙っていた。


この隙を好機と見たのが匈奴だった。呼廚泉は并州軍の主力が雁門に集中している間に、雲中郡に攻め込もうとしたのである。匈奴の騎兵一万は、手薄になった雲中郡の防衛線を易々と突破し、郡内の村落を次々と焼き払った。


しかしこの動きは高順自身が察知していた。彼はもともと、匈奴が動くことを予想しており、あえて雁門に主力を向けさせた上で、自らは匈奴を迎え撃つ準備を進めていたのである。高順はただちに晋陽の軍営で出陣の準備を整えた。


「将軍、我らもお供いたします」


高順が軍営で装束を整えていると、三人の男が進み出た。曹昂、典韋、曹定である。


高順は三人の姿を見ると、わずかに眉を動かした。彼らは宛城での戦い以来、并州で療養していたのである。典韋は数十もの傷を負い、当初は命が危ぶまれたほどだった。曹昂と曹定も、初陣での敗戦の衝撃から立ち直るのに時間がかかった。しかし今、三人は甲冑を身につけ、武器を携え、戦場に立つ意志を高順に示していた。


典韋はまだ傷が完治しておらず、右腕と左肩に包帯が巻かれたままだったが、その巨体は以前と変わらず、両手には愛用の長戟が握られている。彼は深く頭を下げると、静かに言った。


「将軍、この程度のかすり傷、戦に支障はありませぬ。それに、いつまでも寝ているわけにはまいりません。私は将軍に命を救われた身。この命、将軍のために使わせていただきたい」


曹昂もまた、真剣な表情で高順に願い出た。彼の面差しには父親である曹操の面影があるが、その目は父親のような鋭さではなく、むしろ静かな決意を湛えていた。


「高将軍、私は父上の期待に応えられず、宛城で何もできませんでした。私は父に馬を差し出し、自らは殿を務めると誓いながら、結局は敵に囲まれて何もできなかった。このままでは、私はただの役立たずです。どうか私にも戦う機会を与えてください」


曹定もまた、初陣で負った傷がまだ癒えぬ身でありながら、先陣を志願した。彼は三人の中で最も若く、まだ十代半ばの少年だったが、その目は戦場の厳しさをすでに知る者の目だった。


「高将軍、私は初陣で何もできず、ただ敵に囲まれて震えているだけでした。次は違います。私にも戦わせてください」


高順はしばらく三人の顔を見比べていた。やがて、静かに、しかし有無を言わせぬ声で言った。


「曹公子、お前の同行は許す。後方支援に徹し、俺の傍を離れるな。典韋、曹定、お前たちは残れ」


典韋の表情が変わった。


「将軍、なぜです。私はもう戦えます。この程度の傷、戦場ではかすり傷にも入りませぬ」


「違うな。お前はまだ戦える体ではない。医官からも絶対動くなと言われているはずだ。それだけではない。お前たちの生存は、曹操に対して秘匿されている。もし戦場でお前たちが死ねば、俺は曹操に対して顔向けができなくなる」


高順は典韋の目をまっすぐに見据えた。


「典韋、お前は曹操の護衛だった。お前が生きていることを曹操が知れば、あの男は必ずお前を取り戻そうとする。それはそれで構わない。だが、その前に戦場で死なれては困るのだ。お前は剛の者だ。その武勇を失うことは、俺にとっても痛手だ。だからこそ、無理をさせて二度と戦えなくなるような真似はできん。それに、お前たちを死なせるわけにはいかない理由がもう一つある。お前たちは、いつか必ず曹操のもとに帰す。その時のために、生きていてもらわねば困る」


典韋はしばらく高順の顔を見つめていた。高順の言葉は理にかなっていた。典韋が戦場で死ねば、曹操との間に埋めようのない溝ができる。それは高順が最も避けたい事態だった。典韋は深く頭を下げた。


「……御意。将軍のご配慮、痛み入ります。しかし、私が戦えぬことを、どうか恥とは思わないでいただきたい」


「恥などと思うものか。お前は宛城で曹操を守るために満身創痍となり、それでもなお戦い続けた。その忠義と武勇は誰もが認めるところだ。だが今は休め。いつか必ず、お前の戟が必要になる時が来る」


「……御意」


曹定も唇を噛みしめながら、素直に頷いた。彼は高順の言葉の裏にある深い配慮を、まだ完全には理解できていなかったが、少なくとも自分を思っての言葉であることは感じ取っていた。


「曹定、お前もだ。お前はまだ若い。戦場はこれからいくらでも経験できる。焦るな。典韋の傍で学び、体を鍛え、次の戦いに備えろ。お前の父・曹疾は、今頃許都でお前の死を嘆いている。その父に、いずれ元気な姿を見せるためにも、今は死ねない」


曹定は父の名を出されて、ハッと顔を上げた。彼の目に涙が浮かぶ。高順は曹定の肩に手を置き、静かに言った。


「お前は必ず父のもとに帰る。その日まで、俺がお前を守る。いいな」


「……はい。ありがとうございます、高将軍」


「子脩、お前だけだ。準備を整えろ。お前には戦場で学んでもらう。ただし、自ら武器を振るうな。お前の役目は戦場を見渡し、状況を判断し、俺に報告することだ。いいな」


こうして高順は曹昂のみを帯同し、五千の兵を率いて雲中へと向かった。典韋と曹定は晋陽に留め置かれ、傷の療養に専念することとなった。


高順の行軍は迅速を極めた。途中で遭遇した匈奴の遊撃隊を次々と撃破しながら、わずか三日で雲中郡の中心部に到達した。


匈奴の呼廚泉は、高順が自ら出陣してきたことを知ると驚愕した。彼は并州軍の主力が雁門に張り付いていると信じていたのである。しかし実際には、高順は最初から匈奴の動きを予測しており、雁門には張遼を残して自らは精鋭を率いて雲中へ向かっていた。


両軍は雲中郡の北部、黄河の支流が流れる広野で対峙した。匈奴軍は一万の騎兵、高順軍は五千。数だけを見れば匈奴が有利だった。しかし高順の軍には、陥陣営を中核とする精鋭が揃っている。呼廚泉は高順の軍が少数であることを見て、正面からの騎兵突撃で一気に勝負をつけようとした。


「全軍、突撃!」


呼廚泉の号令一下、一万の匈奴騎兵が一斉に大地を蹴った。草原を揺るがす蹄の轟きが戦場全体に響き渡り、土煙が空を覆う。一万の騎兵が一斉に駆ける様は、まさに圧倒的な暴力の塊だった。


高順は静かに戦場を見渡していた。匈奴の騎兵が徐々に距離を詰めてくる。五百歩、三百歩、二百歩。敵の矢が届く距離になっても、高順は動かなかった。匈奴の騎兵たちは弓を構え、一斉に矢を放った。無数の矢が弧を描いて降り注ぐが、陥陣営の重装歩兵は大型盾を掲げてそれを防いだ。


「弩兵、構え」


高順の声が戦場の騒音の中でも驚くほど明瞭に響いた。弩兵たちが一斉に踏張弩を構える。


「撃て」


号令一下、弩兵たちが矢を放つ。并州の踏張弩は、匈奴の騎兵が弓を射るよりもはるか手前から敵を射抜いた。先頭を駆ける騎兵が次々と落馬し、後続の馬がそれに躓いて倒れる。しかし匈奴も数に物を言わせて突撃を止めない。


二射、三射と続く弩兵の連続射撃が匈奴の先鋒を削り取っていく。それでもなお、匈奴の騎兵は突撃の勢いを緩めなかった。数に勝る彼らは、先鋒が倒れても後続がその屍を乗り越えて前進する。やがて両軍の距離が五十歩まで縮まった。


「陌刀隊、前へ」


高順が次の号令をかける。重装歩兵たちが大型盾を脇に置き、代わりに長大な陌刀を構えて前進した。彼らは密集陣形を組み、その刀身を揃えて敵騎兵を迎え撃つ。その様は、まるで鋼鉄の壁が動き出したかのようだった。


両軍が激突した。陥陣営の重装歩兵が、匈奴の騎兵を陌刀で迎え撃つ。馬の首が跳ね、騎手の胴体が宙を舞い、落ちた先で臓物が零れた。馬の嘶きと兵の悲鳴が入り混じり、血の匂いが草原を覆った。


曹昂は高順の傍らで、戦場全体の動きを追っていた。彼は自ら槍を振るうことを禁じられていたが、その代わりに戦況を冷静に分析し、必要な情報を高順に伝える役目を担っていた。彼は初めて見る対異民族戦の激しさに、一瞬息を呑んだ。草原を埋め尽くす騎兵の大群、降り注ぐ矢の雨、陌刀で馬ごと敵を斬り裂く重装歩兵の力技。そのすべてが、彼にとっては初めての経験だった。


「将軍、敵の左翼が崩れかけています。あそこに騎兵を回せば、敵は総崩れになるかと」


曹昂は必死に声を絞り出した。高順は一瞬、曹昂の顔を見た。その顔は緊張で青ざめていたが、その目は戦場を正確に捉えていた。


「わかった。魏越、左翼に回り込め」


高順が短く命じると、魏越が騎兵を率いて動いた。曹昂はその動きを見ながら、自分の判断が正しかったことを確信した。彼は戦術の才に恵まれている。それは曹操から受け継いだ血なのかもしれなかった。


「よく見えている。そのまま戦場を見渡せ。焦るな。戦場では冷静さが何よりも重要だ」


「はい!」


高順は曹昂の才能を認めつつも、それを過信させることはなかった。曹昂はまだ経験が浅い。戦術眼はあっても、それを実戦で活かす胆力はこれから養っていかねばならない。しかし、この若者がいずれ曹操のもとに戻った時、彼は単なる敗残兵ではなく、戦場を理解する指揮官として成長しているだろう。それが高順の狙いでもあった。


匈奴軍は次第に押され始めた。高順はこの機を逃さず、全軍に総攻撃を命じた。高順自らが黒鉄の重槍を手に先頭に立ち、敵陣の中央を突破する。八十斤の鉄塊が唸りを上げ、匈奴の騎兵を鎧ごと粉砕した。曹昂はその後方から的確に状況を報告し続けた。


呼廚泉は敗北を悟り、撤退の角笛を吹かせた。しかし高順は深追いを禁じた。彼の目的は匈奴を全滅させることではなく、北方の安全を確保することだった。敵を追い詰めすぎれば、かえって反撃の機会を与える。今はまだ、その時ではない。


戦いが終わった後、高順は戦場を見渡した。あたりには倒れた馬と兵の遺体が散乱し、血の匂いが風に乗って運ばれてくる。高順はその光景を一瞥すると、傍らの曹昂を振り返った。


「曹昂、初めての対異民族戦はどうだった」


「……言葉になりません。騎兵の突撃があれほどまでに凄まじいものだとは、書物で読んだだけでは到底わかりませんでした。それを見事に防ぎきった将軍の采配は、まさに神業です」


「それは違う。采配だけでは勝てない。あれは兵たち一人ひとりが日々の訓練で培った力だ。俺はただ、その力を最も効果的に使える場所に配置しただけに過ぎない」


高順は曹昂の目をまっすぐに見た。


「お前の判断は正確だった。戦術眼がある。これからもそれを磨け。ただし、今日の戦いでお前はまだ何もしていない。お前は戦場を見ていただけだ。それでいい。今はそれでいい。お前が槍を振るうのは、もっと強くなってからだ」


曹昂は深く頭を下げた。彼はこの戦いで、自分がまだ何もできないことを痛感していた。しかし同時に、高順という将軍がどのように戦場を動かしているのかを、間近で学ぶことができた。それは書物や講義では決して得られない、血肉となる経験だった。


雲中での匈奴に対する勝利は、すぐに鮮卑と烏桓のもとにも届いた。歩度根と扶羅韓は、匈奴が敗れたことを知ると、これ以上の戦闘継続は無意味と判断し、軍を退いた。蹋頓もまた、単独では并州軍に対抗できないことを悟り、停戦を申し入れてきた。


高順はこの停戦の申し出を受諾する代わりに、異民族の軍馬の九割を差し出すよう要求した。交渉の場には陌刀隊を配置し、無言の威圧を加えながらの停戦交渉となったが、それについてはまた別の話である。

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