第十回 高順幽州收遺將 呂奉先轅門射戟 一段
并州に着くなり、高順は賈詡と董昭に幽州の戦後処理を迫られた。
公孫瓚が滅んだ以上、その遺臣たちをどう処遇するかは喫緊の課題だった。彼らを放っておけば、いずれ幽州の地で反乱の芽となる。かといって、全員を処刑すれば幽州の民心を失う。誰を生かし、誰を殺すか。その判断を誤れば、せっかく手に入れた幽州が再び戦火に包まれることになる。
賈詡と董昭は、高順が許昌から戻るのを待っていた。いや、待たざるを得なかった。これだけの大勢を一度に処遇する権限は、并州において高順以外には誰も持っていない。驃騎将軍、晋陽侯、開府儀同三司。その三つの称号が、高順にこの上なく重い決断を迫っていた。
政庁の執務室には、賈詡と董昭の二人が控えている。賈詡は相変わらずの読めない表情で、卓の上に広げられた名簿に目を落としていた。董昭は几帳面な性格そのままに、一人ひとりの名の横に、その経歴や評価を細かく書き込んでいる。
「まず、処刑した者たちから報告します」
董昭が淡々と口を開いた。
「公孫範、劉緯台、李移子、楽何当の四名です。公孫範は公孫瓚の弟であり、最後まで降伏を拒みました。捕縛後も『兄の仇』と叫び続け、獄中で自害を図ったため、やむなく処刑いたしました」
「そうか」
高順は短く答えた。公孫範の最期については、すでに報告を受けている。公孫瓚の弟として、兄と同じ道を選んだ男である。敵ながら、その意地は評価すべきだろう。
「劉緯台、李移子、楽何当の三名は公孫瓚の側近として、彼の暴走を支えた金主であり参謀格でした。劉緯台は占卜師として公孫瓚の決断を左右し、李移子は布商人として軍資金を調達し、楽何当は大商人として物資を提供していた。いずれも公孫瓚の死後も郷里に戻って財力を背景に影響力を行使しようと画策しておりました。生かしておけば必ず禍根を残すと判断し、処刑いたしました」
「妥当だ。あの三人は公孫瓚の狂気を金で支えていた。彼らがいなければ、公孫瓚もあそこまで暴走しなかっただろう」
高順は静かに言った。劉緯台、李移子、楽何当の三人は、単なる商人や占い師ではない。彼らは公孫瓚の恐怖政治を経済面から支え、その見返りとして莫大な利益を得ていた。民を搾取し、公孫瓚に取り入り、幽州の富を私腹に収めた者たちである。生かしておく理由はどこにもなかった。
「次に、戦死した者たちです」
董昭は名簿の次の頁をめくった。
「王門、関靖、厳綱、鄒丹、孫伉、張吉、范方の七名です。王門は公孫瓚の騎兵隊を率いて最後まで抗戦し、陥陣営の包囲の中で討たれました。関靖は易京の楼観に立て籠もり、公孫瓚の妻子を守って戦死。厳綱は界橋の戦いで袁紹軍と戦った古参の将でしたが、代郡の戦いで我が軍の強弩の射撃を受けて討死しました。鄒丹は漁陽郡の守将でしたが、烏桓の援軍を待つ間に城内の反乱に遭い、味方に殺されたとのことです。孫伉、張吉、范方はいずれも公孫瓚直属の将として、最後の突撃に参加し、いずれも討死しました」
「七名か」
高順は目を閉じた。王門、関靖、厳綱、鄒丹、孫伉、張吉、范方。いずれも有能な将たちだった。彼らは公孫瓚という主君に最後まで忠義を尽くし、戦場で命を落とした。その生き様は、敵ながら敬意に値する。
「冥福を祈ろう。彼らは敵ではあったが、最後まで主君を見捨てなかった。その忠義だけは、我々も認めるべきだ」
「はい。遺体はそれぞれの郷里に送り、手厚く葬るよう手配いたしました」
「よし。家族にも十分な扶助を出せ。戦で父を失った子に、これ以上の苦労をさせるな」
董昭は深く頷き、その旨を記録した。
「問題は残る者たちです」
ここで賈詡が初めて口を開いた。彼は名簿から顔を上げ、その細い目を高順に向ける。
「公孫続、趙雲、単経の三名は捕虜となりましたが、いずれも若く、才幹があります。公孫続は公孫瓚の遺児です。まだ二十歳にもなりませんが、父の遺志を継いで幽州の復興を志す者たちにとっては、格好の旗頭となるでしょう。生かしておけば、いずれ幽州復興の旗頭に担がれるかもしれません」
高順は賈詡の目を見返した。賈詡は「殺せ」とは言わない。しかし、生かしておく危険性を正確に指摘している。これが毒士のやり方だった。結論は主君に委ね、自分は可能性の提示だけを行う。高順はしばらく考えてから言った。
「見逃せ」
「よろしいのですか」
「公孫続はまだ若い。それにあの男には、父親のような野心はない。殺す必要はない。趙雲と単経も、公孫続を守りたいという一心で投降したのだろう。主君に忠義を尽くす者を殺しては、幽州の民心を失う。公孫瓚の遺児を寛大に扱ったという評判が立てば、まだ降伏をためらっている者たちも心を開くだろう」
賈詡はそれ以上何も言わなかった。高順の判断は、冷酷な現実主義と寛大さの奇妙な混合だった。公孫範や劉緯台のような再起を企てる者は容赦なく処刑し、公孫続や趙雲のような忠義の者は寛大に扱う。この一貫しないようでいて筋の通った方針が、賈詡にはむしろ好ましく思えた。毒士と呼ばれた彼は、打算だけで生きてきた。しかし高順は違う。打算と情けの間で、自分なりの筋を通そうとしている。その姿勢が、賈詡の心を奇妙な形で捉えていた。
「田豫、田楷、季雍はどうする」
董昭が次の名を読み上げた。
「この三名はいずれも生きております。田豫は弱冠二十歳ながら、軍略と民政の両方に長けております。公孫瓚の下では県令を務め、異民族を退ける事もしばしばあり民からの信望も厚い。田楷は公孫瓚の下で青州刺史を務めたこともある実力者です。実戦経験が豊富で、特に騎兵の運用に長けております。季雍は行政手腕があり、軍略もそこそこ、何れにしても有能な人材です」
「全員、配下に収めろ」
高順は即座に答えた。
「彼らは徐栄の軍に組み込む。配置は徐栄に一任する。俺からは深入りしない」
「御意」
董昭が記録を取る。賈詡は微かに目を細めた。
「よろしいのですか。通常、降将は直属に置くものでしょう。信賞必罰を明確にし、忠誠心を試すためにも」
「理屈はそうだ。だが、今回は事情が違う。徐栄は董卓のもとで長く軍を率いてきた歴戦の将であり、降将の扱いにも慣れている。彼に任せておけば間違いはない。それに、降将を私の直属にすれば、古参の将兵との間に必ず軋轢が生じる。今はそれを避けるべきだ」
「なるほど。将軍は彼らを信用していないのですか」
「信用も何も、まだ会ってもいない。だが、田豫という男は噂に聞いている。公孫瓚の下で県令を務めながら、民から『田青天』と呼ばれるほどの善政を行った若者だそうだな」
「はい。漁陽郡雍奴県の県令として、わずか一年で県の租税収入を倍増させながら、民の負担を三割減らしたと聞きます」
「そんな男が、公孫瓚のような猜疑心の強い主君の下でよく生き延びられたものだ」
「おそらくは、公孫瓚も彼の才を惜しんだのでしょう。田豫は決して権力に阿らず、かといって正面から逆らうこともせず、ただひたすらに職務を全うした。公孫瓚ほどの猜疑心の強い男でも、そういう者には手を出しにくかったのではないかと」
「ならばなおさら、徐栄に預けるのが良い。徐栄はああ見えて人使いがうまい。有能な者を決して無駄にしない。田豫も田楷も季雍も、徐栄の下でならばその才を存分に発揮できるだろう」
高順はこの件について、それ以上深く立ち入らなかった。彼は自分の判断に自信を持っていたが、同時に自分の限界も知っていた。戦場で兵を率いることはできても、降将一人ひとりの心を掌握するような細やかな配慮は、自分には向いていない。それならば、その道の達人に任せるのが最も効率的だ。
「ところで、公孫続たちの処遇ですが」
董昭が顔を上げた。
「彼らは釈放後、三千の白馬義従を率いて徐州へ向かったとのことです」
「はい。公孫続は当初、袁紹か曹操のもとで再起を図ろうと考えていたようですが、趙雲と単経がこれに反対しました。趙雲は『袁紹も曹操も高順に近い。どちらに頼ろうと、結局は高順の手の内だ』と冷静に分析し、代わりに徐州の劉備を頼るよう進言したとのことです。単経も趙雲に同調し、『劉備は配下が少なく人材を欲しがっている』と補足したようです。公孫続も最終的にはこれを了承し、三人は揃って徐州へ向かいました」
「劉備か」
高順は少しだけ考え込んだ。劉備は公孫瓚の同門であり、かつて盧植に学んだ仲である。公孫瓚が存命の頃は、劉備も公孫瓚のもとに身を寄せていた時期があった。縁がないわけではない。趙雲はその縁を頼ったのだろう。それに劉備は曹操とも袁紹とも距離を置いている。現時点では、高順の影響力が最も及びにくい場所だった。
「趙雲という男、なかなかの慧眼だな。公孫続を守るためには、どこが最も安全かを見極めている」
「はい。趙雲は常山郡真定県の出身で、もともと公孫瓚に仕えていましたが、その武勇と人柄は敵味方を問わず高く評価されております。寡黙ですが、一度決断すれば決して揺るがない性格のようです。惜しい人材を逃しましたな」
賈詡がわずかに口元を歪めた。彼にしてみれば、趙雲のような有能な将をみすみす逃がすことは、合理的な選択とは思えなかったのだろう。
「仕方あるまい。主君を守りたいという男の忠義を無理に奪えば、かえって禍根を残す。それに、公孫続が劉備のもとに行けば、それはそれで利用できる。劉備は今、呂布と徐州で勢力争いをしている。そこに公孫瓚の遺児が加われば、徐州の勢力図はさらに複雑になる。曹操はこれを黙って見てはいまい。我々が手を出さずとも、徐州は勝手に動いてくれる」
「なるほど。将軍はすでにそこまで見越しておられるのですか」
「見越しているわけではない。ただ、人は放っておいても勝手に動く。我々はその流れを見極め、必要な時に必要な手を打てばいい」
賈詡は微かに笑った。高順という男は、時に冷酷なまでに合理的でありながら、時に驚くほど寛容だった。公孫続を見逃したのも、単なる情けではない。そこには、将来的な利用価値を見越した冷静な計算がある。しかし同時に、趙雲の忠義を認めるだけの度量もある。この矛盾した二面性が、賈詡には何よりも興味深かった。
「それで、残る問題ですが」
董昭が次の議題に移ろうとした時、執務室の外がにわかに騒がしくなった。高順が顔を上げると、張五が入ってきて耳打ちする。
「袁紹から書簡が届きました」
高順は黙って書簡を受け取った。絹の封を切り、中を開く。書簡を一目読んだ高順は、小さく鼻で笑った。
「どういう内容ですか」
賈詡が尋ねると、高順は書簡を卓の上に放り投げた。
「幽州を手に入れたことへの祝辞だ。ただし、文章の端々に嫌味が込められている。要するに、公孫瓚と長年戦ってきた袁家が手に入れるはずだった幽州を、火事場泥棒のように掠め取った成り上がり者への皮肉だな」
「なんと無礼な」
董昭が眉をひそめた。しかし高順は涼しい顔で茶を啜っている。
「書いたのは陳琳だろう。袁紹の幕下には、ああいう嫌味な美文を書かせたら天下一品の男がいる」
「いかがなさいますか。このような侮辱を黙って見過ごすわけにはまいりません」
「その通りだ! 今すぐ冀州に攻め込んで、思い知らせてやりましょう!」
いつの間にか執務室の外に集まっていた諸将たちが、口々に怒りの声を上げた。成廉が「袁紹ごときが何を偉そうに!」と叫び、魏越が「我らが并州の力を思い知らせてやる!」と息巻く。張五もまた、普段は冷静な彼にしては珍しく、額に青筋を浮かべていた。しかし高順は、以上に落ち着いていた。
「落ち着け。袁紹は口でしか戦えないのだ。あの男が本当に恐ろしいのは、兵を動かす時だ。今は違う。今の袁紹は、ただの負け惜しみを言っているに過ぎない。それに『たかが袁紹如きに我が精兵良将達を消耗する訳にも行くまい?』と思うが如何か?」
高順はそう言って諸将を笑わせると、書簡を卓の上に放り投げた。
「公孫瓚との戦いで、袁紹は莫大な兵糧と兵力を消耗している。その隙に幽州を掠め取られたことが、よほど悔しいのだろう。だが、あの男が本気で幽州を奪い返そうとするなら、こんな書簡は送ってこない。無言で兵を動かす。今は違う。今の袁紹は、ただ口先だけで悔しがっているだけだ」
「しかし、このまま黙っていては我々が袁紹を恐れていると思われるのでは」
「そうだな。だから返書は出す。ただし、こちらも言葉で応戦するだけだ。戦はしない。今はまだ、その時ではない」
諸将たちはなおも不満げだったが、高順の静かな声には有無を言わせぬものがあった。彼らは渋々ながらも退出していった。
その夜、高順が邸宅に帰ると、蔡琰が書簡の写しを読んで憤慨していた。彼女は普段は穏やかで滅多に怒りを表に出さない女性だが、この時ばかりは違った。夫が天下の名族から嘲弄されたことが、彼女の誇りを深く傷つけたのである。
「このような無礼な書簡を送りつけるとは、袁本初という男は名族の風上にも置けませぬ。どうか私に返書を書かせてください。陳琳ごときの駄文など、論理と典故で完膚なきまでに叩き潰してご覧に入れます」
「いや、結構だ」
「しかし……!」
「昭姫、お前の文才は誰もが認めるところだ。しかし、これは戦だ。戦は言葉ではなく、結果で決着をつける」
蔡琰はなおも食い下がろうとしたが、高順が静かに首を振ったので、しぶしぶ引き下がった。
そこへ董媛がやってきた。彼女は蔡琰とは対照的に、最初から怒り心頭に発していた。卓の上の書簡を一読するなり、顔を真っ赤にして高順に詰め寄る。
「夫君、これで黙ってるのか! 袁紹の奴がここまで馬鹿にしてるんだぞ! あたしが殴り込みに行ってやろうか!」
「やめておけ。お前が行けば戦になる」
「戦になってもいいじゃないか! あんな奴、あたしの陌刀で真っ二つにしてやる! 父上の娘だってことを思い知らせてやる!」
「董媛」
高順が静かに名を呼ぶと、董媛は口を噤んだ。高順は彼女の目をまっすぐに見て言った。その声は、戦場で指示を出す時と同じように静かで、しかし有無を言わせぬ重みを持っていた。
「お前の父上なら、こんな挑発には乗らなかったはずだ。岳父は暴虐だったかもしれないが、無駄な戦はしなかった。袁紹に挑発されて兵を動かせば、それは袁紹の思う壺だ。向こうは公孫瓚との戦いで疲弊している。こちらを挑発して戦争に引きずり込み、疲弊を共有させようとしているのだ。今戦えば、こちらの被害も大きい。我々はまだ并州と幽州を固めきっていない。今は耐える時だ」
董媛は唇を噛みしめた。父の名前を出されては、それ以上言い返すことができなかったのである。彼女は董卓の娘として、父の短所も長所も誰よりもよく知っていた。董卓は確かに暴君だった。しかし戦においては常に冷静で、挑発に乗って無駄な戦をしたことは一度もない。高順の言う通りだった。
「……わかった。夫君がそう言うなら、あたしは何も言わない。でも、いつか必ず、あの袁紹って奴をぎゃふんと言わせてやって。約束して」
「約束しよう」
高順は静かに微笑んだ。董媛はそれを見て、ようやく少しだけ表情を和らげた。
蔡琰がそっと高順の手に自分の手を重ねた。
「夫君はいつもそうですね。誰よりも怒っているはずなのに、誰よりも冷静でいようとする」
「怒っていないと言ったら嘘になる。袁紹の物言いは確かに不快だ。しかし、怒りに任せて動くほど、私は若くない」
「あなたはまだ若いではありませんか」
「少なくとも、お前たちよりは年上だ」
高順がそう言うと、蔡琰は小さく笑った。董媛もつられて吹き出す。三人の間を、晋陽の夜風がそっと吹き抜けていった。
翌日、高順は自ら返書を認めた。蔡琰のような華麗な文才はないが、その代わりに実に簡潔で、しかも痛烈な皮肉を込めた内容だった。
「袁大将軍。ご丁寧な祝辞、痛み入る。幽州を得たのは私の手柄ではない。公孫瓚が自ら滅び、たまたまその屍の傍らに私が居合わせたに過ぎない。名門の御曹司は腰が重いゆえ、成り上がりの野盗崩れに先を越されたとのご不満はごもっとも。しかし、腰が重いのは生まれつきであれば致し方あるまい。次は足を動かされることをお勧めする」
高順はこの返書を張五に手渡すと、短く言った。
「これを袁紹に届けろ。ただし、あちらから何か言ってきても取り合うな。よいな」
「承知」
この返書が袁紹のもとに届いた時、どのような反応が返ってきたかは伝わっていない。ただ、陳琳がこの返書を読んで一言も発しなかったことだけは、後に鄴の政庁から漏れ伝わってきた。名門の御曹司と成り上がりの野盗崩れ。二人の間の溝は、この短い書簡の応酬によって、ますます深まったのである。




