第九回 高孝父整軍粛武 曹孟徳征戦四方 五段
夜が明ける前、高順は執務室の机に向かっていた。
決裁を終えた文書の山が脇に積まれ、代わりに広げられているのは天下の地図である。蝋燭の灯りが揺れる中、彼は各地から届いた報告書に目を通し、その内容を一枚の地図の上に落とし込んでいく。冀州には袁紹の駒。幽州には公孫瓚の駒と遼東公孫氏の駒。兗州と豫州には曹操の駒。江東には孫堅と孫策の駒。荊州には劉表の駒。益州には劉璋の駒。涼州には馬騰と韓遂の駒。そして并州には、黒鉄の駒。
彼はまず、幽州の状況を整理した。
公孫瓚は易京に籠城し、すでに風前の灯である。白馬義従は壊滅し、残存兵力は精々三万。兵糧は底を突き、飢えた兵士たちが野草を食み、投降する者も後を絶たない。袁紹は公孫瓚への総攻撃を開始したが、冬の攻城は難航しており、決着にはなお数ヶ月を要する。公孫瓚が滅びれば、袁紹は幽州の主要部を手中に収め、華北最大の勢力となる。それは間違いない。
しかし高順は、別の可能性を検討していた。
公孫瓚が滅びた後、袁紹が幽州を完全に掌握するまでには、なお時間がかかる。公孫瓚の残党勢力は各地に散らばっており、その鎮圧には半年以上を要する。さらに烏桓や鮮卑といった異民族との関係も、公孫瓚の死によって流動化する。袁紹が幽州全土を平定し、安定した支配を確立するまでには、少なくとも一年はかかるだろう。
その一年の間、幽州の東部、すなわち遼東・遼西・右北平・漁陽の四郡は、袁紹の支配が及ばない空白地帯となる。そしてその地には、遼東公孫氏がいる。公孫度である。彼は董卓の時代に遼東太守に任命され、以来、東方の辺境で独自の勢力を築いてきた。公孫瓚とも袁紹とも異なり、中原の争乱には介入せず、ひたすら遼東の地盤を固めている。公孫度は単なる太守ではない。楽浪郡や玄菟郡まで勢力を広げ、東方の小国を服属させ、密かに王を称しているとも聞く。彼の兵力は総勢十万。決して弱小ではない。
高順は、公孫度という男をどう評価すべきか、長く考えてきた。公孫度は野心家だが、無謀ではない。彼は自分の力量をわきまえており、中原の争乱には手を出さず、東方の辺境で着実に力を蓄えている。その点では、高順自身と似ていると言えるかもしれない。
袁紹と公孫度。この二者の間に、并州がどう割って入るか。高順はすでに答えを出していた。公孫瓚が滅びた後、袁紹が幽州西部の確保に手間取っている隙に、并州軍は代郡からさらに北上し、上谷郡、涿郡を経て、漁陽郡へと進出する。目標は、幽州を二分すること。すなわち、西部を袁紹が、東部を并州が、そして遼東を公孫度が支配する形である。
この構想の鍵は、公孫度の出方にある。公孫度は袁紹を嫌っている。袁紹は名族を笠に着て、遼東の公孫氏を辺境の土豪と見下している。公孫度が袁紹と手を結ぶ可能性は低い。むしろ、并州が袁紹の幽州進出を食い止め、遼東への圧力を緩和するならば、公孫度は并州との共存を選ぶだろう。公孫度が欲しているのは遼東の安定であり、中原への進出ではない。ならば、并州と遼東公孫氏が幽州を二分し、互いに不可侵を約束する。これが最も合理的な選択である。高順はすでに公孫度への使者の草案を脳裏に描いていた。
高順は次に、袁紹の駒を手に取った。
袁紹は現在、公孫瓚の籠もる易京への総攻撃を開始している。しかし冬の攻城は難航しており、兵士の凍傷や物資の不足に悩まされている。田豊が「冬の攻城は兵を無駄に消耗するだけ」と反対したのも当然だ。袁紹はそれを押し切って攻勢をかけたが、その決断の遅さと優柔不断さが、むしろ被害を拡大させている。
袁紹が公孫瓚を滅ぼした場合、冀州と幽州西部を合わせた総兵力は名目上四十万。しかし実際に動かせる兵力はその七割、約三十万と見積もるべきだ。なぜなら袁紹の幕僚団は一枚岩ではない。田豊、審配、沮授、許攸、郭図、逢紀。いずれも当代一流の智謀の士だが、互いに派閥を作り、足を引っ張り合っている。田豊は剛直で直言を憚らず、審配は法治を重んじて柔軟性に欠け、許攸は野心家で金銭に汚く、郭図は袁紹の長男袁譚に、逢紀は次男袁尚にそれぞれ肩入れしている。沮授だけが全体を見渡せる視野を持っているが、その発言力は徐々に弱まっている。大軍を動かすには内部の調整だけで数ヶ月を要し、さらに袁紹自身が優柔不断な決断に時間をかける男である。公孫瓚滅亡後、実際に并州へ軍を向けるまでには、さらに半年から一年の空白が生じる。その間に、こちらは幽州東部への進出を完了させる。
また、袁紹軍の兵站は脆弱である。かつて公孫瓚との戦いでも、兵站の不足が原因で決定的な勝利を逃したことが何度もあった。袁紹が幽州西部を確保したとしても、さらに東へ軍を進める余力はない。烏桓や鮮卑との関係も不安定であり、背後を脅かされる危険を抱えたままでは、漁陽郡や遼西郡まで手を伸ばすことはできない。袁紹は結局、幽州西部を固めるだけで精一杯になる。その隙に、并州は東部に楔を打ち込む。
高順は次に、曹操の駒を手に取った。
許都に天子を迎え、丞相として朝廷の実権を握った曹操は、現在、軍の再編と屯田制の拡大に忙殺されている。荀彧、荀攸、程昱、郭嘉といった優秀な参謀団を抱え、夏侯惇、夏侯淵、曹仁、曹洪、于禁、楽進、李典、典韋らが軍を率いている。曹操の総兵力は現在約二十万。豫州や徐州の黄巾残党の鎮圧に兵力を割かれており、外征の余裕はまだない。朝廷内には董承や伏完といった反曹操派の重臣たちが密かに動いており、内部の粛清が完了するまでは本格的な外征には出られない。
曹操の軍は袁紹のそれとは質が異なる。屯田制による安定した兵站、青州兵と呼ばれる精鋭、優れた指揮官たち。装備は并州には及ばないものの、戦術の柔軟さと決断の速さでは天下随一と言っていい。曹操が中原の統一を完了し、外征に出られるようになるまでには、早くとも二年。袁紹との決戦は避けられず、それはおそらく黄河の南岸で行われることになる。
問題は、曹操が并州の幽州進出をどう見るかだ。曹操は合理的な男である。并州が幽州東部に進出すれば、袁紹の背後を脅かす形になる。これは曹操にとって悪い話ではない。袁紹と并州が対峙すればするほど、曹操は中原で自由に動ける。曹操はむしろ、この状況を歓迎するだろう。もちろん曹操は、并州が強くなりすぎることも警戒している。しかし今は、袁紹という最大の敵に対処するのが先決だ。曹操は并州の幽州進出を、当面は黙認する。そう高順は読んでいた。
南方の孫堅は、江東で健在である。
董卓を洛陽から追い出した功績は大きく、その武威は今なお南方に轟いている。息子の孫策もまた、父譲りの武勇と人望で江東の地盤を固めつつあった。孫堅軍の特徴は、水戦に長けた水軍と、山岳地帯での機動戦を得意とする歩兵にある。現在、孫堅は江東の統一に専念しているが、劉表との関係が悪化しており、荊州方面との緊張が高まっている。孫堅が江東の統一を果たし、さらに荊州を攻略するには、早くとも三年はかかる。その間、并州の背後は安泰だ。
荊州の劉表は防衛に徹しており、益州の劉璋は内政すら満足にこなせていない。涼州の馬騰と韓遂は互いに争い、中原に手を出す余裕はない。張繍は宛城で曹操と対峙しており、いずれ降伏するか滅ぼされるだろう。呂布は徐州で孤立し、曹操か袁紹のいずれかに討たれる運命にある。
高順は地図の上に、それぞれの駒が動くであろう軌跡を指でなぞった。袁紹は公孫瓚を滅ぼした後、幽州西部の掌握に手間取り、東部までは手が回らない。曹操は少なくとも二年、中原の統一に費やす。孫堅と孫策は南方の統一に三年はかかる。劉表は荊州を守るのに精一杯だ。
この空白の一年を利用し、并州は幽州東部に進出する。公孫度と不可侵の約定を結び、幽州を二分する。袁紹は幽州西部を、并州は幽州東部を、公孫度は遼東を支配する。この三つ巴の均衡が、少なくとも数年間は華北の安定を保証する。その間に、并州はさらに力を蓄え、次の局面に備える。
「問題は、袁紹がこの動きを察知した時だ」
高順は地図の上に、代郡から漁陽郡へと向かう黒い駒を置いた。
袁紹は公孫瓚を滅ぼした後、当然ながら幽州全土を我が物にしようとするだろう。そこに并州が割って入れば、袁紹は激怒する。場合によっては、公孫瓚を滅ぼした勢いのまま、并州との戦端を開く可能性もある。しかしそれは、袁紹にとって不利な戦いだ。幽州東部は地形的に并州に近く、袁紹の本拠地である冀州からは遠い。太行山脈を越えて進軍する并州軍に対し、袁紹は長大な補給線を維持しながらの遠征を強いられる。袁紹が兵站を無視して攻めてくるならば、それこそ好機だ。隘路に引き込んで叩く。
高順はさらに外交の駒を検討した。曹操に対しては、天子を奉じる丞相としての立場を尊重しつつ、并州は漢室の忠臣であるという姿勢を崩さない。幽州進出に際しては、「公孫瓚の残党による混乱を収拾し、民を保護する」という大義名分を立てる。これにより、曹操が口を挟む余地を封じる。袁紹に対しては、公孫瓚が滅びるまでは静観し、滅びた後は迅速に行動する。袁紹の幕僚団が幽州の分配を巡って内輪揉めを始める間に、既成事実を積み上げる。孫堅に対しては、江東の統一を黙認し、むしろ劉表との戦いを陰ながら支援する。商会の交易網を使って孫堅に塩と鉄を流し、その代わりに江東の水軍技術や南方の物産を手に入れる。孫堅が荊州に釘付けになっている限り、并州の背後は脅かされない。公孫度に対しては、使者を送り、不可侵と交易を提案する。公孫度が遼東の安定を望むならば、并州はその望みを尊重する。互いに袁紹という共通の敵を持つ者同士、共存の道は十分にある。
高順は地図から手を離し、椅子の背に身を預けた。蝋燭の灯りが揺れ、彼の顔に深い影を落としている。
彼に残された時間は、おそらく一年。公孫瓚が滅びるまでの間。その間に、幽州東部への進出準備を整え、公孫度への使者を送り、袁紹の動きを封じる外交工作を完了させる。そのために、やるべきことは山積している。
まずは代郡の劉和に追加の指示を出す。代郡は幽州東部への進出拠点となる。街道を整備し、兵站を集積し、現地の豪族や烏桓の部族との関係を構築しろ。次に、商会の交易網を使って、遼東の公孫度に接触しろ。表向きは交易、実質的には外交交渉の布石だ。そして、張遼の第二軍に加え、郝萌の第四軍も幽州方面に転用できるよう、北境の防衛体制を見直せ。
屯田の拡大、灌漑網の完成、製鉄所の増設、塩田の増産、商会の交易路拡大、学堂の分校設立、医療寮の増強、十軍と陥陣営の訓練、官吏登用試験の継続、捕虜の自由民化。内政の課題は変わらず山積している。それらすべてを同時に進めながら、新たな戦略を実行に移す。
彼の頭の中で、数字が次々と浮かんでは消えていく。幽州進出に必要な兵力は約十万。第一軍と第四軍を主力とし、陥陣営から二万を割く。兵站は代郡に集積した穀物と塩で賄う。進軍速度は一日三十里。代郡から漁陽郡までは約四百里。天候が良ければ半月で到達できる。公孫度への使者はすでに選定してある。董昭の部下で遼東出身の若い文官がいる。彼を使え。
高順は筆を執り、白紙の竹簡に構想を書き出していった。彼の筆は淀みなく動き、次々と指示を文字に変えていく。書かれた文字は、彼の頭の中にある未来の設計図そのものだった。
朝日が完全に昇った頃、執務室の扉が叩かれた。
入ってきたのは董昭である。彼はいつもよりやや早足で高順の前に進み出ると、一通の絹布を差し出した。息遣いがわずかに乱れているところを見ると、かなり急いで来たらしい。
「将軍、急報です」
高順は絹布を受け取り、素早く目を通した。内容は、袁紹が公孫瓚の籠もる易京への総攻撃を開始したというものだった。時期は、間者たちの予測よりわずかに早い。
「袁紹は、冬のうちに決着をつけるつもりか」
「そのようです。公孫瓚の兵糧が底を突きかけているとの情報もあり、袁紹はこの機を逃すまいと全軍を動員した模様。田豊が『冬の攻城は兵を無駄に消耗するだけ』と反対したとも聞きますが、許攸と郭図が『今を逃せば公孫瓚は息を吹き返す』と強硬論を唱え、袁紹を押し切ったようです。ただ、攻城は難航しており、既に数千の損耗が出ているとのこと」
高順は絹布を机の上に置き、地図の幽州に目を向けた。易京。公孫瓚が最後の拠点として籠もる城である。かつては十万を超える兵力を誇った公孫瓚も、今ではわずかな兵と共に死に場所を待つばかりだ。
「公孫瓚は、あとどれだけもつ」
「攻城が難航しているため、長くとも三ヶ月。早ければ、春までには落城するでしょう。公孫瓚は城に火を放ち、妻子と共に自害するつもりだという噂も入っております」
「公孫瓚が滅びる前に、こちらも動かねばならぬことがある」
董昭は顔を上げ、高順の次の言葉を待った。
「まず、将軍令第九条を発する。北境の防衛体制を再編しろ。張遼の第二軍に加え、郝萌の第四軍も雁門郡に増援として派遣する。ただしこれは表向きだ。第四軍はいつでも代郡に転進できるよう、後方に予備の兵站を確保しておけ。鮮卑と烏桓への備えは維持しつつ、南方と東方のどちらにも即応できる体制を整えよ。合わせて河内郡との境界に第一軍の防衛線を増強し、曹操の動きにも備えよ」
「はっ」
「次に、州牧令第十九条を発する。代郡の劉和に、街道の整備と兵站の集積を急ぐよう通達しろ。表向きは代郡の復興支援だが、実質的には軍の進駐に備えた準備だ。劉和には、『春までに物資の集積を完了させよ』と伝えろ。また、漁陽郡や右北平郡の情報を集めろ。公孫瓚の残党勢力の分布、烏桓の部族の動向、遼東公孫氏の国境警備の状況。できる限り詳細にだ」
「将軍、ひょっとして」
「言うな。今はまだ、構想の段階だ。だが公孫瓚が滅びる時、我々は動く。幽州を袁紹一人のものにはさせぬ」
董昭は深く頷き、退出していった。彼の足音が遠ざかると、入れ替わりに袁遺が入室した。彼は手に数枚の竹簡を持っている。
「将軍、代郡の劉和から報告です。州牧令に基づく代郡の土地再分配が完了し、春の種まきに向けた準備が整ったとのこと。また、代郡の民から并州への移住希望が相次いでおり、その対応について指示を仰ぎたいと」
「移住は認める。ただし無秩序な移動は許さぬ。移住希望者は一度、代郡の役所に登録させ、行き先を指定しろ。受け入れ先の屯田拠点や工房の受け入れ準備が整い次第、順次移動させる。また、移住せず代郡に留まる者には、今年の種もみを無償で支給しろ。土地を耕し、実りを得れば、そこが故郷になる。代郡は并州の北の要衝だ。民が根づけば、それだけ防衛も固くなる。それと、劉和に伝えろ。『代郡はこれから、さらに重要な地となる。準備を怠るな』とな」
「はっ。もう一点、遼東から戻った商人が興味深い話を持ち帰っております。公孫度が遼東の南端にある旅順に港を築き、船を使って楽浪郡や三韓と交易を始めたとのこと。また、公孫度は中原の情報を熱心に集めており、特に袁紹の動きには強い警戒を示しているそうです」
「公孫度が袁紹を警戒しているか」
高順はしばらく考え込んだ。公孫度が袁紹を警戒しているならば、遼東と并州の間には共通の利害が存在する。旅順の港は、渤海を渡って河内や青州と結ばれている。将来的には、この交易路を利用して遼東との関係を強化できるかもしれない。
「その商人を、私に直接報告させろ。詳細を聞く」
袁遺が退出すると、さらに薛洪が姿を見せた。彼は兵站と糧秣の総括責任者である。
「将軍、来年度の糧秣計画がまとまりました。屯田の拡大と灌漑網の完成により、来年度の穀物収穫は今年の二倍、約四百万石を見込んでおります。しかし、一点ご相談が」
「何だ」
「代郡への兵站集積を急ぐとなると、輸送に充てる人員と馬匹が不足します。現在の輸送能力では、春までに必要な物資を代郡に集積することは困難です。工兵隊に命じて、太原から代郡へ向かう街道の拡幅工事を優先させるべきかと存じますが、そうなると今度は灌漑網の延伸工事に遅れが出ます。どちらを優先されますか」
「街道の拡幅を優先しろ。灌漑網は春の雪解けまでに間に合えばいい。だが代郡への物資集積は、公孫瓚が滅びる前に完了させねばならぬ。時間がない」
「承知いたしました。工兵隊にはすぐに指示を出します」
薛洪が退出すると、執務室に再び静寂が戻った。高順は深く息を吐き、茶を一口啜る。茶はすっかり冷め、苦味が舌に残った。
彼は立ち上がり、壁の地図の前に歩み寄った。公孫瓚は滅びる。それはもはや時間の問題だ。そして袁紹は、公孫瓚を滅ぼした後、幽州全土を手に入れたと信じて疑わないだろう。しかし袁紹は、まだ気づいていない。太行山脈の向こう側で、黒鉄の軍団が静かに牙を研ぎ、幽州の東部へと狙いを定めていることに。
高順は地図の并州に指を置き、それからゆっくりと、代郡から漁陽郡へと指を滑らせた。
「袁本初。お前が易京の城門を破る時、我々はすでに漁陽の地に立っている。お前は幽州全土を手に入れたと思い込み、我々は幽州の半分を手に入れる。どちらがより多くのものを得るか。勝負は、すでに始まっている」
それは独白であり、同時に、彼自身への決意でもあった。
高順は地図から手を離し、佩剣を手に取った。今日もまた、やるべきことは山積している。彼は執務室を出て、次の現場へと向かった。廊下には、朝の光が差し込み始めている。




