表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
社畜が目覚めたら将軍!? 史実(未来予知)で成り上がり、乱世を生き抜く  作者: 八月河
第八回 高孝父励経図治 諸侯皆爾虞我詐 二段
PR
46/119

第八回 高孝父励経図治 諸侯皆爾虞我詐 一段

天下は、まさに戦国に戻ろうとしている。


高順は政庁の執務室で、北壁に掛けられた巨大な羊皮紙の地図を前にそう呟いた。地図には黄河の流れが墨色の蛇のようにうねり、并州の山脈が黒々とした影を落としている。窓の外では、晋陽の夜風が白楊の葉を揺らしていた。


もっとも、その呟きが漏れたのは、つい先ほどまで続いていた長い報告と議論がようやく終わったからである。


執務室には、并州の行政と軍事を支える官僚たちが居並んでいた。董昭が戸籍と徴税の進捗を読み上げ、繆尚が水利工事の現状を報告し、薛洪が兵站と糧秣の集計を述べ、袁遺が法曹整備の草案を提出し、韓馥が冀州方面の情報を淡々と伝え、諸葛玄が戸籍編纂の最終数字を差し出した。


高順はそれらを一つ一つ裁いていった。


まず内政である。高順は并州牧としての州牧令を発し、屯田制の拡大を指示した。汾水流域の開墾地をさらに南へ広げ、新たに三万畝の農地を確保すること。その労働力には、投降した黒山賊と白波賊の徒を充てること。


ここで高順は言葉を区切り、全員を見渡した。


「州牧令としてすでに発布した通り、我が領は今、賊軍二百萬とその家族を収容している。これは無限の労働力だ。だが、食う者が多ければ飢え、働かざる者は乱を為す。それゆえ、捕虜の再編成は家族単位で崩さず行え。五十の生産兵団に分割し、各兵団に常備軍から振り分けた監察師団を専属で付けよ。兵士は武器を取る前に、まず鍬の持ち方を教えろ。これは州牧令第三条、捕虜再編成指針に基づく」


董昭が「すでに配布済みの州牧令に基づき、各兵団への練炭十個と塩一升の即日支給を完了しております」と応じる。高順は頷き、さらに続けた。


「同じく州牧令第九条に定めた三交代制の徹底も怠るな。製鉄所、窯、塩田、練炭工房、すべての火を使う現場に昼夜三交代を強制しろ。違反した工房長は太守令により即座に更迭だ。生産量を理論上の三倍に引き上げよ」


次に農業と工業の改革である。


「灌漑網の掘削を急げ。州牧令第五条に基づき、捕虜の半数百萬人を掘削隊に編成し、三ヶ月以内に全長五百里の水路を完成させろ。労働者には一日あたり練炭三個、塩一合、菜種油一勺を現物支給しろ。これを怠れば反乱を招く」


繆尚が「すでに掘削隊の編成は完了しております。煉瓦窯も各兵団に二基ずつ、計百基の建設に着手しました。規格は州牧令第七条の通り、長さ一尺二寸、幅六寸、厚さ三寸で統一してございます」と報告する。


「よし。煉瓦は城壁、倉庫、高炉の建材とし、余剰分は現物通貨として活用しろ。塩田についても州牧令第八条に定めた通り、揚浜式は禁止だ。海水を直接引き込む入浜式を採用し、練炭の消費を抑えよ」


高順は立ち上がり、壁の地図に歩み寄った。


「屯田制は第二期から本格稼働させる。州牧令第十一条により、三圃式の交代耕作を強制し、鯉鴨農法を全農場に導入しろ。ただし稲が実る前までに必ず鴨を引き揚げること。稲穂を食い荒らされては元も子もない」


「畜産についても州牧令第十二条の循環規則を厳守。糞尿は堆肥に、羊毛はフェルトに、豚脂は石鹸の試作に回せ。死骸も無駄にするな。革は軍靴などに加工しろ」


ここで高順は一拍置き、声の調子を変えた。


「次に軍政に関わる将軍令を発する」


董昭が新たな竹簡を広げる。将軍令は州牧令とは別系統の命令書であり、記録する吏も軍事行政を担当する者が別に控えている。


「将軍令第一条。全生産兵団の成人男性約百萬人を第二予備役に指定する。冬の三ヶ月間、毎月十日間の軍事訓練を義務化しろ。訓練修了者は家族の税を一年間全額免除する。優秀者は常備軍に昇格させよ。これにより常備軍五十萬と予備役百萬、即時動員可能な百五十萬の防衛軍を養成する。これは将軍令による軍政事項であり、州牧令の税制とは別に扱え」


「将軍令第二条。全農具を鋼製に置き換え、余剰分は対外輸出に回せ。羌や鮮卑との交易で軍馬、硝石、銅を買い漁れ。交易に関する州牧令の規定と齟齬があれば、軍需に関わる部分は将軍令を優先する」


次に高順は袁遺に向き直った。


「商業と教育については、引き続き州牧令で統制する。州牧令第十五条の通り、銅銭の使用は全面禁止。すべての取引は公定価格に統一し、全市場に官製の枡と秤を設置せよ」


「州牧令第十六条に基づき、子弟の義務教育も開始する。対象は七歳から十五歳まで。不就学の家庭は練炭支給を停止しろ。読み書き算盤に加え、水車や高炉の分解図を暗記させ、午後は全員を工房見習いとして働かせろ。儒学の暗記教育は州牧令に明文をもって禁止する。空理空論は時間の無駄である」


袁遺がわずかに眉を動かしたが、高順は構わず続けた。


「卒業者には修了証を発行し、太守令により税を一割永久減免する。優秀者は官営工房の職人に抜擢しろ」


一通り裁可を終えると、高順はわずかに目を閉じ、それから静かに言った。


「以上だ。各部署、明日から実行に移せ。なお、州牧令附則により、蒸気機関や化学肥料の研究に人材を割くことを禁ずる。この時代の素材では再現不能だ。同じく州牧令附則により、飲用蒸留酒の製造販売も厳禁。医療用に限り、将軍令に基づく軍医寮の管理下で厳重に扱え」


官僚たちが退出していく。足音が遠ざかり、重い扉が閉じられると、執務室には静寂が戻った。


その静寂を破ったのは、茶を運んでくる足音だった。


「お疲れさまでした」


蔡昭姫が盆を手に現れた。湯気を立てる茶碗を卓の上に置き、彼女は高順の隣に腰を下ろす。窓の外では、白楊の葉がなおも風に揺れている。


「学堂の報告では、学生が三百人を超えたそうですね」


「ああ。教員が足りん。お前一人に任せるには大きくなりすぎた」


「それだけ并州が安定してきた証拠です。あなたの治世が、民に信頼されているということです」


昭姫は静かに微笑んだ。その笑みを見るたび、高順は微かな罪悪感を覚える。彼女は自分を「民のための為政者」と信じている。だが高順自身は、自らの政策の根底にあるものが「生き残りたい」という生存本能であることを知っていた。民のための政策は、結局のところ、自分の生存確率を高めるための合理的選択に過ぎない。その冷めた自己認識が、昭姫の無垢な信頼に触れるたび、胸の奥で小さな棘となって疼くのだった。


文武両道を装いながら、こうして妻と穏やかな時間を過ごすこともまた、彼にとっては計算の一部だった。家庭の安定は精神の安定をもたらし、精神の安定は判断力を鈍らせない。だからこそ彼は昭姫と董媛を大切にしている。それは嘘ではない。だが、純粋な愛情と呼べるかどうかは、自分でもわからなかった。


「どうかなさいましたか」


「いや。少し考え事をしていた」


高順は茶を一口啜り、話題を変えることにした。


「昭姫、岳父に相談したいことがある」


「父に、ですか」


「ああ。晋陽に学堂を開設したい。州牧令第十六条で義務教育の制度化は決めたが、高等教育の場が足りない。先ほどお前から報告があったように、学生は増えている。本格的な学堂を設立し、単なる読み書き算術だけでなく、経学や法学、医学まで教えられる場所を作りたい。これは太守令ではなく、州牧直轄の学堂として位置づける」


「それはまた、大きなお考えですね」


「文章は国家の不朽の大事である。人の栄華は一代限りだが、文章は千年の後までも残る」


高順はそこで言葉を切った。今の言葉は彼のものではない。はるか後世、魏の文帝となる曹丕が著した『典論』の一節である。まだ生まれてもいない曹操の息子の言葉を借りることに、一瞬、奇妙な感覚を覚えたが、昭姫は素直に感嘆の声を上げた。


「文章は国家の不朽の大事…なんと深いお言葉でしょう。あなたは本当に、武だけでなく文にも通じておられるのですね」


「大したことではない。ただ、岳父の協力が不可欠だ。当代随一の学者である蔡邕が学堂の長となれば、天下の知識人が并州を無視できなくなる」


「父に話してみます。学問の場を求める志は、父も同じはずですから」


昭姫は深く頷き、茶碗を片付けるために立ち上がった。その背中を見送りながら、高順は密かに安堵する。話をそらすことに成功した、という安堵である。彼女に嘘をついているわけではない。しかし、すべてを語っているわけでもない。その微妙な欺瞞が、高順の胸に小さな棘のように刺さっていた。


翌朝、高順は蔡邕を訪ねた。晋陽の城壁のほど近く、静かな路地の奥にある小さな屋敷である。蔡邕は董卓に取り立てられ、董卓が死んだ後は流浪の末に并州へ辿り着いた。今は書物の整理と、時折の講義で日々を過ごしている。


「学堂の開設か」


高順の提案を聞いた蔡邕は、長い沈黙の後、一言だけこう言った。


「書物だけでは人は育たぬ。されど書物なくしては、人は獣に戻る。やってみよ」


「岳父のお力添えがあれば、天下の学者が并州に集まります」


「力を貸すのではない。場を借りるのだ。老いたこの身に、まだできることがあるならな」


蔡邕はそう言って、書架に向き直った。彼はそれ以上、何も語らなかった。しかし、その背中は何かを決意した者のように、静かにまっすぐ伸びていた。


午後、高順は晋陽の城壁の東側、人里離れた場所に建てられた秘密工房へと向かった。同行したのは張五と数人の近衛騎兵だけである。工房の周囲には厳重な警備が敷かれ、近衛兵が二十人以上常駐していた。


扉を押し開けると、熱気と石炭の煙が肌に張り付く。鉄を打つ規則正しい槌音。時折散る火花が、薄暗い室内を一瞬だけ明るく照らす。


「将軍、お待ちしておりました」


老工匠の張伯が、煤けた作業着で出迎えた。その隣には、若い工匠の公孫鍛が控えている。公孫鍛は元は洛陽の官営工房で腕を振るっていたが、董卓の乱を機に并州へ流れてきた男である。小柄だが腕は確かで、張伯も一目置く存在だった。


「双鐙の量産は順調です。現在一日に二十対の生産が可能ですが、来月中には三十対に増やせる見込みです」


公孫鍛が手近な棚から取り出した双鐙を、高順は手に取って重さと造りを確認した。鞍の両側から下げる鉄の輪。これがあれば騎兵は馬上で安定し、長柄の武器を両手で扱える。高順は静かに頷いてそれを返した。


「州牧令第十条に基づき、各師団管内への総合工房の設置を急げ。瓦房荘モデルを全国展開する。大型堅炉、炒鋼炉、鍛炉、退火窯を併設した形式だ。絶対遵守事項は三つ。炉温は鉄が桜色になるまで送風し水排を利用すること。攪拌は必ず百回行い、折り返し鍛造は七回、すなわち百二十八層を基準とすること。焼き入れには菜種油を使用すること。水焼き入れより割れにくい。これらの技術基準は州牧令の附則として全工房に通達済みのはずだ」


張伯が深く頷き、傍らの竹簡に筆を走らせる。


「将軍、隕石の使用についてですが」


公孫鍛がおずおずと尋ねた。


「隕石は一振りの神剣にのみ使用し、残りは研究用に保管しろ。実用は普通の砂鉄に徹しろ。それから、高精度の歯車の研究も州牧令附則により禁止だ。木製は摩耗し、鉄製は切削工具が足りない。動力伝達は上下運動と螺子に限定しろ。蒸気機関の研究に人材を割くことも、同じく州牧令附則で禁じてある。この時代の素材では再現不能だからな」


「承知いたしました」


高順は工房の奥にある秘密の部屋へと通された。そこには、すでに完成した高純度の鋼を用いた試作品である総鉄製の重槍が保管されていた。布を剥ぐと漆黒の槍が姿を現す。柄まで全てが鉄で作られており、表面には幾重にも折り返し鍛造された独特の紋様が浮かび上がっている。全体の重さは八十斤。常人には持ち上げることすら困難な鉄塊だ。


高順は片手でそれを軽々と持ち上げると、数回、素振りをした。空気が唸りをあげる。


「悪くない。これで、敵の鎧ごと粉砕できる。将軍令第三条に基づき、この重槍の量産準備に入れ。陥陣営の全将兵に配備する」


高順が槍を床に突き立てると、床の石版が鈍い音を立てて、わずかにひび割れた。彼の頭の中では、すでに次の計画が動き始めている。水排の増設による動力の確保。大型高炉の建設による生産能力の飛躍的向上。鉱石選別と純度向上の標準化による品質の安定。そして、これらすべてを支える人材の育成。すべては州牧令で枠組みを定め、将軍令で軍需を優先し、太守令で現場に落とし込む。その指示系統の整理こそが、統治の要であった。


高順は工房を後にした。外はすでに日が傾きかけていた。并州の大地は夕日に照らされて黄金色に輝いている。彼は馬に跨がりながら、遠くに見える高炉の煙突から立ち上る煙を見つめた。あの煙が、やがて并州全土を覆い、この地を鉄の国へと変貌させるだろう。それは、彼がこの乱世を生き抜くために選んだ最も確かな道であった。


夕刻、高順は晋陽の軍営に足を運んだ。ここには并州軍の中核を担う将たちが集まっている。


徐栄。かつて董卓の下で曹操を破り、汴水の戦いでは反董卓連合軍を壊滅させた歴戦の将である。李傕の追撃から天子を守って深手を負い、高順に救出されて以来、并州で副将として軍の再編に携わっている。


張遼。元は呂布の麾下にあったが、高順の人柄と志に惹かれて并州に留まった。冷静沈着で戦術眼に優れ、かつ兵を愛する良将である。


郝萌。同じく呂布の旧臣で、軍の副将を務める。河内の出身で、高順が流民から這い上がった頃からの付き合いである。


高順は三人を前に、一枚の図面を広げた。


「将軍令第四条を発する。今日から、新しい訓令戦術の訓練を開始する」


「訓令戦術、でございますか」


徐栄が図面に目を落とす。そこには、複数の部隊が同時に異なる動きをするための手旗信号と、太鼓の打音による命令伝達の体系が記されていた。


「従来の戦は、一度ぶつかれば指揮官の号令が届かなくなる。だが、手旗と太鼓の組み合わせで、離れた部隊にも同時に命令を伝えることができる。これができれば、戦場での連携が格段に向上する」


「つまり、戦場全体を一つの生き物のように動かす、ということでありますか」


張遼が静かに尋ねた。


「そうだ。各隊が自分の判断で動くのではなく、全体の意図を理解した上で、指示通りに動く。それができれば、五十萬の常備軍は烏合の衆ではなく、一つの意志を持った軍隊になる。この訓練を、将軍令により来月から全軍に拡大しろ。冬の農閑期には予備役百萬人も加わる。その時までに、訓練の骨格を完成させておけ」


「承知いたしました」


三人の将が深く頭を下げ、軍営を辞していく。


高順はしばらくその場に残り、机の上の図面をじっと見つめていた。頭の中では、三年後の目標が数字となって回っている。食料は八百萬人分の年間備蓄。常備軍五十萬と予備役百萬を合わせた百五十萬の防衛軍。全農具の鋼製への置き換えと、余剰分の対外輸出。そして捕虜に対しては、州牧令第十八条により三年後に全員を自由民とするという竹簡を各世帯に配布済みである。


希望を与えよ。それが最も強力な統治の道具だと、高順は知っていた。


夜になった。


高順は政庁に戻り、簡単な晩餐を済ませた。麦の粥に塩漬けの野菜、少量の干し肉。贅沢とは程遠いが、腹を満たすには十分な食事である。并州の民が飢えをしのいでいる中で、これ以上のものを口にする気にはなれなかった。


食事を終えると、彼は仮眠を取るために私室へと向かった。董媛と蔡昭姫が待っている。


「遅かったわね」


「明日も早い。少し眠る」


高順は簡素な褥に横たわり、目を閉じた。


眠りは浅く、夢は見なかった。いつもそうである。明日すべきことが多すぎて、夢を見る余裕すらなかった。


闇の中で、昭姫の手がそっと彼の肩に触れた。


「お休みなさいませ」


「……ああ」


窓の外では、相変わらず白楊の葉が風に揺れている。


天下は、まだ動乱の中にある。曹操は天子を許都に迎え、丞相として朝廷の実権を握った。袁紹は公孫瓚と戦い、南方では孫堅が健在であり、その息子の孫策が江東で地歩を固めつつある。曹操と高順は、形式上は同じ朝廷に仕える臣であるが、実質的にはすでに別の道を歩み始めていた。曹操は天子を奉じて天下に号令し、高順は并州で民を養い、法と秩序の国を築きつつある。


そのすべての動きを、高順は頭の中で整理しながら、静かに眠りに落ちていった。


彼は知っている。この静寂は永遠には続かない。戦乱は必ず并州にも及ぶ。


だが、その日のために彼は準備をしている。一歩ずつ、確実に。生き残るために。


晋陽の夜は、深く静かに更けていく。


後世、ある歴史家はこの夜のことをこう記した。


「この時高順は、この静謐な夜にこそ、最も鋭く牙を研いでいた」と。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ