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外伝 児郎嫁禍棄紅顔 高順大罵王司徒 一段

董卓が郿塢へ帰ることを命じた日、長安の街路には朝から砂塵が舞っていた。


百官はみな拝礼して見送った。長安の街路という街路に、ひれ伏す官吏たちの姿が延々と続く。誰もが額を地面に擦りつけ、董卓の車が通り過ぎるのをじっと待っていた。顔を上げる者は一人もいない。顔を上げて董卓の目に留まれば、その日のうちに牢獄行きになる。それを皆知っていた。


董卓の車列は三百騎の護衛に囲まれ、鈍い金色の飾りをつけた車がゆっくりと進んでいく。


その車上で、貂蝉は顔を覆い、ひどく泣き悲しんでいるようなふりをしながら、人だかりの中に呂布の姿を探していた。彼女は肩を激しく震わせている。泣いているのではない。これは芝居である。董卓という男を破滅させるための、王允が仕組んだ精巧な芝居。彼女はこの芝居の主役でありながら、誰よりも冷静に、自分の動きが呂布の心をどれだけ掻き乱しているかを計算していた。


顔を覆う指の隙間から、呂布の表情を盗み見る。


いた。群衆の後方、土埃に霞む騎馬の上である。呂布がじっとこちらを見つめている。その手は馬の手綱を握りしめ、指の関節が白くなっていた。目は血走り、唇は震えている。今にも馬を駆って車列に突っ込んでいきそうな気配だったが、それを必死に堪えていた。董卓という義父への恐れと、奪われた女への執着が、彼の中で激しく鬩ぎ合っている。


あの男は今、自分が奪われたと思い込んでいる。董卓という義父に、最愛の女を奪われたと。


貂蝉はそれを確認すると、さらに大げさに身をよじらせ、嗚咽を漏らした。その声が風に乗って呂布の耳に届いたかどうかはわからない。しかし、その仕草だけで十分だった。


この連環の計は、すべてが思い込みの上に成り立っている。呂布は貂蝉が自分を愛していると思い込んでいる。董卓は貂蝉が自分に靡いたと思い込んでいる。そして貂蝉は、その両方に真実を隠し通している。思い込みが思い込みを呼び、やがてそれは取り返しのつかない亀裂となる。王允はそう仕組んだのだった。


車が遠ざかると、呂布は土の丘の上で馬の歩みを緩めた。車の立てる土埃を見つめながら、嘆き悲しみ、激しく恨んだ。その顔は、もはや将軍のそれではなかった。董卓の義子として恐れられた飛将軍はそこにおらず、ただ一人の女に心を奪われ、その女を義父に奪われたみじめな男がいるだけだった。


貂蝉が董卓に抱かれた。その想像だけで、彼の理性は音を立てて崩れていく。董卓の脂ぎった手が貂蝉の肌に触れ、酒臭い息が彼女の首筋にかかり、巨体が彼女を組み敷く。その光景がありありと脳裏に浮かび、呂布は吐き気を覚えた。


突然、背後から声がかかった。


「将軍はどうして太師に随行せず、ここで遠くを見つめてため息をついておられるのかな」


呂布が振り返ると、司徒の王允が立っていた。六十を過ぎた老臣である。痩せた体を朝服に包み、痩せた顔に穏やかな微笑みを浮かべている。その微笑みは春の陽だまりのように柔らかく、誰もが警戒心を解いてしまうような温かさがあった。だが、その目だけは老人のものではなかった。獲物を狙う鷹のような、鋭く冷たい光が奥に宿っている。それはほんの一瞬のことで、すぐにまた柔和な老人の目に戻るのだが、もし誰かがその瞬間を見逃さなかったなら、この老人の正体に気づいたかもしれない。


「司徒か」


呂布は短く答えた。声には警戒心が滲んでいた。王允は董卓の信任厚い文官であり、朝廷では董卓に最も近い位置にいる男である。そんな相手に心の内を知られるのは危険だ。しかし同時に、王允の穏やかな物腰には、つい心を許してしまいそうになる不思議な引力があった。王允は董卓を除くための策を十年も練り続けてきた男である。人の心を掴む術を、誰よりも熟知していた。


「老いぼれの私はここ数日軽い病にかかり、門を閉ざして外出していなかったため、久しく将軍にお会いできなかった。今日、太師が郿塢へ帰られるということで、無理を押して見送りに来たのだが、思いがけず将軍にお会いできて嬉しい。失礼だが将軍、なぜここで長いため息をついておられるのか」


この時、王允の声には一片の演技もなかった。いや、すべてが演技だったと言うべきか。王允という男は、董卓を討つと決意してからの十年間、常に仮面を被り続けてきた。董卓の前では恭順な臣下を装い、呂布の前では理解ある年長者を演じ、朝廷では無能な老臣のふりをしてきた。その演技はもはや彼の血肉となり、どこからが本心でどこからが演技なのか、王允自身にもわからなくなっているほどだった。


彼は太原郡祁県の出身で、若い頃から才名を轟かせた。十九で郡の役人となり、悪徳官吏を容赦なく摘発しては処刑した。その剛直さは民衆に「王青天」と慕われたが、同時に多くの敵も作った。宦官の専横に抗って投獄されたこともある。拷問を受けても口を割らず、死を覚悟したことも三度あった。そのたびに、彼は生き延びた。生き延びて、いつかこの腐りきった世を正すと心に誓ったのである。


董卓が洛陽を支配した時、王允は他の多くの官僚と同じく、董卓に屈服したふりをした。だが心の中では、董卓を倒すための策を練り続けていた。その執念が、今まさに実を結ぼうとしている。


呂布は言った。「あなたのお嬢さんのためですよ」


この一言で、すべてが動き始める。


王允は驚いたふりをした。眉をひそめ、口を半開きにし、信じられないといった表情を作る。彼は役者のように、一瞬で顔の筋肉を動かし、驚きの表情を完璧に作り出した。長年の鍛錬の賜物である。


「あれからまだ将軍の元へ嫁がせていなかったのですか」


「あの老賊めが、とうの昔に自分のものにしてしまったのだ」


呂布の声は低く、怒りに震えていた。彼は王允にすべてを話した。鳳儀亭での出来事。董卓が自分に戟を投げつけたこと。貂蝉が泣きながら「将軍に会いたかった」と言ったこと。話しているうちに、呂布の声は次第に大きくなり、やがて怒りのあまり馬の手綱を引きちぎりそうになった。


王允はそれを聞きながら、さらに大げさに驚き、「そんな事があるなど信じられん」と言った。


ここで重要なのは、王允が「そんな事があるなど」と言ったことだ。彼は知っていた。すべては王允が仕組んだことだからである。董卓に貂蝉を献じたのも、呂布に貂蝉を紹介したのも、鳳儀亭で二人を引き合わせたのも、すべては王允の連環の計の一幕に過ぎない。だが彼は今、何も知らぬ純真な老人の顔をしている。この老練な演技こそが、王允の真骨頂だった。


王允は天を仰いで地団駄を踏み、しばらく言葉を発しなかった。長い沈黙の後、かすれた声で言った。


「太師がこのような獣のごとき振る舞いをするとは思いもよらなかった。ひとまず拙宅へ参って相談しましょう」


呂布は王允に従って司徒府へ向かった。


司徒府は長安の東側、太液池のほど近くにあった。かつては漢の名臣たちが住んだ屋敷だが、董卓が長安に遷都してからは、多くの官僚が洛陽を追われ、このあたりに仮住まいを構えていた。王允の屋敷もその一つだったが、庭の松は手入れが行き届き、室内の調度品も質素ながら品が良かった。派手な装飾は一切なく、しかし一つ一つの品が落ち着いた美しさを持っている。それは王允の生き方を表しているようだった。表向きは質素で控えめ、しかし内には確かな気骨が秘められている。


王允は呂布を密室に招き入れ、自ら酒を注いでもてなした。


密室と言っても、実際は王允の書斎だった。壁には『春秋左氏伝』や『史記』の写本が並び、机上には筆と硯が整然と置かれている。その中に、董卓から賜ったという金の印綬だけが異様に輝いていた。王允はこれを毎日見るたびに、董卓への憎しみを新たにしていたという。董卓はこれを「忠誠の証」として王允に与えたが、王允にとっては屈辱の証でしかなかった。この金の印綬を目にするたびに、彼は董卓にへつらい、笑顔を見せ、お世辞を言わねばならなかった自分を思い出す。その屈辱が、彼の決意をより強固なものにしていた。


呂布は鳳儀亭での出来事を改めて詳しく語った。董卓が自分に戟を投げつけたこと。その戟が自分の首筋をかすめて柱に突き刺さったこと。貂蝉が泣きながら「将軍に会いたかった」と言ったこと。董卓が「この女は俺のものだ」と叫んで自分を追い出したこと。すべてを話し終えた時、呂布の目には涙が浮かんでいた。天下無双の飛将軍が、一人の女を奪われたことで、ここまで打ちひしがれている。


王允はそれをじっと聞いていた。


彼はここで、自分の言葉を慎重に選ばねばならなかった。急いてはならない。押してはならない。呂布は董卓の義子であり、董卓に殺されかけたとはいえ、まだ「父子の情」に縛られている。その箍を外すには、呂布自身の口から「殺す」と言わせる必要があった。王允が直接「殺せ」と言ってはいけない。あくまで呂布が自発的に決断した、という形を作らねばならない。


「太師が私の娘を犯し、将軍の妻を横取りしたとなれば、まさに天下の物笑いの種です。太師が笑われるのではなく、私と将軍が笑われるのですよ。私のような無能な老いぼれは取るに足らないが、世に並ぶ者のない英雄である将軍までもがこのような屈辱を受けるとは痛ましい」


これは巧みな言葉だった。王允は自分の娘が辱められたと言いながら、同時に呂布の誇りを刺激している。天下の英雄たる者が、女一人守れぬのか、と。しかも「私のような老いぼれはともかく」と自分を卑下することで、呂布の自尊心を相対的に高めている。言葉の一つ一つが、呂布の心の弱点を狙い撃ちにしていた。


呂布は怒り心頭に発し、机を叩いて大声で叫んだ。酒杯が跳ね、酒が机にこぼれる。その音に、屋敷の召使たちが慌てふためく気配が廊下から伝わってきた。


王允は慌てて言った。「老いぼれの失言でした、将軍、どうかお怒りをお鎮めください」


この慌てたふりこそが、王允の真骨頂である。彼は呂布の怒りを煽りながら、同時に自分は無害な老人に過ぎないと装う。これによって呂布は「自分が自発的に決断した」と思い込む。王允に操られているとは、露ほども気づかない。むしろ、この老臣を巻き込んではならない、自分の手で決着をつけねば、とすら思うだろう。


呂布は言った。「必ずやあの老賊を殺し、この恥をすすいでみせる」


王允は急いで彼の口を塞ぎ、「将軍、滅多なことを仰るな、私にまで累が及びかねない」と言った。これも計算である。呂布が口にした以上、王允は共犯者になる。共犯者になることで、呂布は王允を裏切れなくなる。もし呂布が心変わりして董卓にこのことを告げれば、王允は即座に殺される。その事実が、呂布を縛る枷となる。


連環の計の真髄はここにある。貂蝉の美貌でも、呂布の武力でもない。王允の言葉の一つ一つが、呂布の心に鎖をかけていくことこそが、この策の核心だった。美貌はきっかけに過ぎず、武力は手段に過ぎない。相手の心を読み、思い込みを強化し、逃げ道を塞ぎ、行動を誘導する。それこそが王允の真の武器だった。


「立派な男子として天地の間に生まれながら、どうして鬱々として長く他人の下にいられようか」


呂布のこの言葉に、王允は内心でほくそ笑んだ。ここまで来れば、あと一押しである。これは呂布自身の言葉でありながら、王允が誘導した言葉でもある。王允は十年間、この瞬間のために生きてきた。


「将軍ほどの才能があれば、董太師などに制限されるような器ではないでしょう」


これは呂布の自尊心に直接訴えかける言葉だ。自分は董卓の下にいるべき器ではない。自分はもっと大きな存在だ。そう思わせることで、董卓を殺すことへの罪悪感を薄めさせる。王允はそれを知り尽くしていた。悪を討つという大義だけでは、人は動かない。そこに自尊心や欲望、嫉妬や恨みといった、人間の根源的な感情を結びつけて初めて、人は本気で動くのである。


「あの老賊を殺したいのは山々だが、父子の情というものがあり、後世の批判を浴びるのが恐ろしいのだ」


呂布の最後の抵抗だった。彼は董卓を殺すことに、まだためらいを感じている。それは倫理的な葛藤というより、世間体への恐れだった。天下無双の英雄が、義父を殺したとなれば、後世の人々は自分を何と言うだろうか。呂布はそこに、最後の引っかかりを感じていた。


王允はここで、とどめの一撃を加える。


「将軍の本来の姓は呂であり、太師の姓は董です。あなたに戟を投げつけた時、そこに父子の情などあったでしょうか」


これで呂布の箍が外れた。そうだ、董卓は自分を殺そうとした。そんな男に父子の情などない。むしろ、あれは偽りの父子関係だったのだ。自分は騙されていただけである。戟を投げつけられたあの瞬間、董卓の目には一片の躊躇もなかった。あの目は、息子に向ける目ではなかった。敵に向ける目だった。


呂布はそう思い込んだ。王允の言葉は、彼が信じたいように信じさせるための、精巧な鏡だった。人は誰でも、自分の行動を正当化したい生き物である。呂布は董卓を殺したい。しかし「義父殺し」の汚名は避けたい。その矛盾を解決するために、王允は「董卓との父子関係は偽りだった」という理屈を提供した。呂布はそれに飛びついた。


呂布は奮い立って言った。「司徒のお言葉がなければ、私は危うく過ちを犯すところでした」


王允は彼の決意が固まったのを見て、さらに説く。


「将軍が漢室を助ければ忠臣となり、歴史に名を残し、万代まで芳名を伝えるでしょう。もし董卓を助ければ逆臣となり、歴史に悪名を記され、万代まで汚名を残すことになります」


ここで王允は、初めて「漢室」という言葉を持ち出した。これまでは呂布個人の感情、貂蝉への恋慕、董卓への怒り、自分の誇りだけを刺激してきたが、最後に「大義」で締めくくる。これで呂布の行動は、単なる私怨ではなく、漢室を救う義挙という意味を与えられる。自分は女を奪われたから董卓を殺すのではない。漢室を救うために董卓を討つのだ。その大義名分があれば、後世の評価も変わるだろう。


呂布はこれで完全に、王允の掌中に落ちた。


王允はさらに言を重ねた。董卓の悪逆非道の数々。幼い皇帝を廃そうとしていること。朝廷の忠臣たちを次々と陥れていること。民衆を苦しめていること。それらを語りながら、王允の声は次第に熱を帯びていった。これは演技ではなかった。王允は本当に董卓を憎んでいた。その憎しみは本物だった。


呂布は席を立って拝礼し、「私の決意は固まりました、司徒、どうかお疑いなきよう」と言った。


王允は「しかし、事が成らず、かえって大禍を招くことにならないか恐ろしい」と言った。これも計算である。王允は最後まで「慎重な老人」を演じる。自分が首謀者ではなく、むしろ呂布に引きずられて仕方なく協力している、という構図を作るのだ。


呂布は帯びていた刀を抜き、自分の腕を刺して血を流し、誓いを立てた。血がしたたり落ち、机の上に赤い染みを作る。呂布の顔には一片の迷いもなかった。


王允は跪いて感謝した。


「漢の祭祀が絶えないのは、すべて将軍の賜物です。絶対に漏らしてはなりませぬ。時期が来れば計略があり、必ずやご恩に報いましょう」


呂布は快諾して去っていった。


足音が遠ざかると、王允はゆっくりと立ち上がった。


その顔からは、先ほどの老人の仮面が消えていた。代わりに現れたのは、十年の歳月をかけて董卓を追い詰めてきた策士の素顔だった。冷たく、鋭く、そしてどこか疲れ切った目。その目は、深い井戸の底を覗き込むような暗さを持っていた。


王允は書斎の奥に控えていた二人の側近を呼んだ。


僕射の士孫瑞。司隷校尉の黄琬。


士孫瑞は四十代半ばの、精悍な顔立ちの文官だった。王允の片腕として、董卓の監視や情報収集を担当してきた。冷静沈着で、王允の策を現実のものとする実務能力に長けている。


黄琬は五十代の武官で、司隷校尉として長安の治安を預かっていた。表向きは董卓に従っていたが、内心では董卓を深く憎んでおり、王允の計画に最初から加わっていた。


「決まった」


王允は短く言った。その声には、十年の重みが込められていた。


士孫瑞が膝を進める。


「今、主上はご病気から回復されたばかりです。弁の立つ者を郿塢へ遣わし、議事があると称して董卓を呼び寄せるのが良いでしょう。一方で天子の密詔を呂布に託し、朝廷の門内に甲兵を潜ませ、董卓を誘い込んで誅殺するのです。これが上策です」


黄琬が「誰があえて行くというのか」と尋ねた。


董卓の元へ行き、偽の詔を伝える役目である。もし董卓に怪しまれれば、その場で斬り捨てられる。命がけの役割だった。


士孫瑞は即座に答えた。


「呂布と同郷の騎都尉・李肅です。彼は董卓が自分を昇進させないことに深く怨みを抱いています。この者を行かせれば、董卓も疑わないでしょう」


李肅は并州五原郡の出身で、呂布とは同郷の間柄だった。かつて董卓が洛陽を掌握した際、呂布に「丁原を殺して董卓に投降せよ」と勧めたのが李肅である。その功績で騎都尉に取り立てられたが、それ以上の昇進はなく、内心では董卓を恨んでいた。彼は武人というより、鋭い目つきをした商人のような男で、損得勘定で動く人間だった。士孫瑞はその性格を見抜いていた。


王允は言った。「善し」


彼の頭の中では、すでにすべての手順が組み上がっていた。あとは駒を動かすだけである。連環の計は、ここで最終段階に入る。貂蝉という美貌の毒で董卓と呂布の間に亀裂を入れ、呂布の武力を手に入れ、李肅という囮で董卓を宮殿に誘い込む。すべての駒がぴたりと噛み合い、董卓という巨象を倒すための罠が完成しつつあった。


呂布を呼んで共に相談すると、呂布は言った。


「昔、私に丁建陽を殺すよう勧めたのもこの男だ。もし今回行かないと言うなら、私が先に斬ってやる」


丁建陽とは、并州刺史の丁原のことである。呂布がかつて仕えていた主君であり、義父だった。その丁原を殺して董卓に投降するよう勧めたのが李肅だった。董卓への投降を勧めたのも李肅である。その李肅が今度は董卓を裏切るという。呂布はそのことについて、何の感慨も持たなかった。彼にとって他人は、利用できるかどうかでしかなかった。その冷たさが、王允にとっては好都合だった。


人を遣わして密かに李肅を呼び寄せた。


李肅は背の高い、頬のこけた男だった。武人というより、商人のような鋭い目つきをしている。彼は董卓に取り入って騎都尉にまでなったが、中郎将にしてほしいと願い出たところ、董卓は「まだ功績が足りぬ」と取り合わなかった。そのことが、李肅のプライドを深く傷つけていた。


呂布が言った。


「昔、あなたは私を説得して建陽を殺させ、董卓に投降させた。だが今、董卓は上は天子を欺き、下は民草を虐げ、罪悪は満ち溢れ、人神共に怒り果てている。あなたは天子の詔を携えて郿塢へ赴き、董卓に朝廷に出向くよう伝えよ。そして伏兵によって彼を誅殺し、漢室を力強く扶け、共に忠臣となろうではないか。あなたの考えはどうだ」


呂布の言葉には、不思議な説得力があった。それは彼の武力への信頼から来るものである。この男がやると言えば、本当にやるだろう。李肅はそう感じた。そして同時に、これは好機だとも思った。董卓を裏切れば、新政権での出世が約束される。今のまま燻っていても、未来はない。ならば、賭けてみる価値はある。


「私も久しくあの賊を除きたいと思っていたが、同心する者がいないのを恨んでいたのです。今、将軍がそのようにお考えなら、これは天の賜物です。私にどうして二心がありましょうか」


李肅は矢を折って誓いを立てた。矢を折るのは、誓いを破った時はこの矢のように砕かれる、という意味の儀式である。


王允は言った。「あなたがこの事を成し遂げれば、高官になれないことなど心配いりませんぞ」


その言葉に一片の誠意はなかったが、李肅は喜んでそれを受け取った。王允は内心で、李肅のような男を軽蔑していた。己の利益でしか動かない男は、いつか必ず裏切る。しかし今は、その利益欲が役に立つ。


これで駒は揃った。


呂布という武力。李肅という囮。貂蝉という毒。そして王允自身の頭脳。すべてが一つの目的――董卓の死に向かって収束していく。


王允は書斎の窓から外を見た。太液池の水面が夕日に照らされて金色に輝いている。その光景は美しかったが、王允の心は少しも動かなかった。彼の心を占めているのは、ただ董卓の死だけだった。


「士孫瑞、黄琬」


王允は静かに言った。


「これで長安は、漢室は、救われるのだ」


士孫瑞と黄琬は深く頷いた。しかし二人の表情は、王允ほどには晴れていなかった。彼らは知っていた。董卓を倒した後が、本当の戦いだと。董卓という共通の敵が消えれば、今度は誰が政権を握るかで争いが始まる。しかし今は、まず董卓を倒すことが先決だった。未来の不安は、未来に考えるしかない。


「明朝、李肅を郿塢へ出立させよ」


王允の声が、静まり返った書斎に響いた。彼はそのまま椅子に腰を下ろし、目を閉じた。十年間、この日のために耐え抜いてきたのである。宦官に投獄され、拷問を受け、董卓に阿り、同僚から蔑まれ、時には自らも悪事に手を染めた。そのすべてが、明日、報われる。


王允の顔には、疲労と安堵と、そしてわずかな不安が入り混じっていた。

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