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三段

中原が血と泥の霸権争いに狂奔する中、北の大地・并州だけは異次元の進化を遂げていた。


それは「乱世に咲いた奇跡の花」のようなものだった。董卓の死を経て、高順は自らの領地で誰も見たことのない国を築き上げようとしていた。長安で見た権力の腐敗、洛陽で見た都の荒廃、そして董卓から学んだ「恐怖による支配の限界」それらすべてが、高順の国造りの原点にあった。


晋陽近郊の鉱山地帯。真っ黒な煤にまみれた張五が、怪訝な顔で黒い塊を手にしている。


「大将、こりゃ何ですかい? 燃える石だなんて、気味が悪りいや」


高順はその黒い塊を見つめ、自信満々に頷いた。


「これは『石炭』だ。并州の大地には、これが無尽蔵に眠っている」


史実においても、并州現在の山西省は中国有数の超巨大な炭鉱地帯だ。この時代でも一部で露天掘りはされており、存在自体は知られていたが、燃料としての認知度は極めて低く、単なる「燃える奇妙な石」として扱われる程度だった。高順はこれを組織的に採掘させ、并州に「燃料革命」を起こしたのである。


従来の木炭では到達しにくかった超高温を、石炭を使うことで安定して維持する。これにより、不純物の少ない鋼鉄に近い強靭な鉄の量産が可能になった。


「鉄槍、馬鐙、鎧、そして農具。……并州の武具と生産機械、その全てをこの『并州鉄』で塗り替えるぞ」


高順の号令と共に、晋陽はただの地方都市から、巨大な「重工業都市」へと変貌を遂げつつあった。街の鍛冶屋からは絶え間なく槌音が響き渡り、市場には安価で良質な燃料が山積みされ、民の生活水準は飛躍的に向上していた。


高順の并州経営は「法と経済の両輪」で成り立っていた。石炭の採掘権は国家が管理し、鍛冶師たちには品質基準を定め、検品制度を徹底させた。職人の勘だけに頼らない、誰もが同じ品質の鋼を打てる「システム」を作り上げたのである。それは董卓が最後まで築けなかった「法による統治」の具現化だった。


「公孫鍛、これが新しい品質基準だ。炎の色で温度を見極め、槌の強さを工程ごとに定め、出来映えを一本ずつ確かめる。職人の勘だけに頼っていては、大量生産はできん」


「将軍……我々三代の技が、将軍の前ではまだ未熟だったと思い知らされました」


公孫鍛は深く息を吐き、深く拱手した。長安から共にやってきたこの老鍛冶師は、今や并州の製鉄産業の中核を担う存在となっていた。


だが、并州の奇跡は工業だけではない。晋陽の城外へ馬を走らせると、そこには見渡す限りの黄金色が広がっていた。


かつては黄土の舞う荒れ果てた乾燥地帯だった平原に、網の目のように美しい水路が張り巡らされ、たわわに実った稲と麦が、秋の風に波打っている。「工兵隊」による大規模な運河・灌漑建設と、高順が導入した「鴨鯉農法」の結実である。


この風景こそが高順の真の勝利だった。水田の中を一列になって行進する数千羽の鴨と鷺鳥。彼らは害虫や雑草を根こそぎ食べ尽くし、その豊富な排泄物が天然の肥料となる。さらに水底には肥え太った鯉が泳ぎ回って泥を攪拌し、稲の根に新鮮な酸素を送っている。農薬も化学肥料もない時代における、究極の循環型農業の完成形だ。


「……壮観だな」


視察に訪れた高順は、馬上で目を細めた。農道ですれ違う農民たちが、高順の姿を認めるなり、泥だらけの手を休めて満面の笑みで手を振ってくる。


「高将軍っ! 今年も大豊作ですじゃ!」


「鴨も丸々と太りました! 今夜は村を挙げての宴会ですぞ!」


食糧自給率、驚異の二〇〇パーセント越え。中原が相次ぐ戦乱と飢饉で「人が人を食う」という阿鼻叫喚の地獄と化している中、ここ并州だけは、腹の底から笑い合える「飽食の楽園」であった。


高順は馬から降り、屯田兵として農作業に従事していた屈強な男に声をかけた。彼の腕には、かつて無法者であったことを示す古い刺青が入っている。元・黒山賊の男だ。


「どうだ。賊をやって、山で獣のように生きるよりはマシか?」


男は泥だらけの顔を粗末な手拭いで拭い、白い歯を見せて屈託なく笑った。


「へへッ、比べ物になりませんや! 怯える民から人を殺して奪い取る飯より、自分で汗水垂らして育てた米と鴨の肉の方が、百倍……いや、千倍美味いでさぁ!」


男の力強い言葉に、高順は深く頷いた。これが、彼の目指した「恒産なくして恒心なし」の実践だ。安定した財産と職業がなければ、人の心は荒み、道徳心を失う。逆に言えば、腹が満たされ、明日の生活が完全に保障されれば、人は自ら武器を捨て、鍬を持つ生き物なのだ。


高順の并州はもはや従来の「漢帝国」の枠組みでは捉えられない、全く新しい文明の萌芽だった。彼は匈奴との交易路「胡市」を開き、茶、絹、鉄鍋を与えて良馬、羊毛、毛皮を得た。「争うよりも、商売相手にした方が互いに利がある。ただし、舐められぬよう国境警備は厳重にな」この絶妙なバランス感覚こそ、高順が董卓から学んだ「力に頼らない統治」の真髄だった。


農業と経済の基盤を盤石にした上で、高順は并州軍に対し、画期的なドクトリンを導入した。プロイセン軍や現代の近代軍隊が採用する「訓令戦術」である。


従来の中華の軍隊は、総大将の細かい命令がなければ動けない、極めて硬直したトップダウン組織だった。だが、高順のやり方は違う。


「将を信じ、任務の意図を伝えれば、各隊長が現場の状況に応じて最適な戦術を取る。それが俺の軍隊だ」


執務室で試作品の鉄の鐙を撫でながら、高順の口角が暗い悦びに吊り上がった。この時代、騎兵は馬の腹を両足で挟むだけで体を固定しており、非常に不安定であった。だが、両足をかける「鐙」があれば、騎兵は馬上で完全に安定し、両手を自在に使って強力な近接攻撃や精確な騎射を行うことができる。


「これで我らの騎馬隊は、天下無双の機動力と突撃力を手にした。呂布の騎兵でさえ、この装備を持つ俺の軍には勝てない」


さらに、高順自身の武器も新調されていた。柄から穂先まで、全てが黒鉄で鋳造された「総鉄製の重槍」。重量は四十斤。常人には振り回すことすら困難な鉄塊だが、高順の異常な怪力と、現代の科学的トレーニングで鍛え上げられた体幹ならば、自在に扱うことができる。


「これで、敵の鎧ごと粉砕してやる。俺の槍は、一八〇〇年前の戦車砲だ」


そして、高順が最も心血を注いだのが、新兵器「陌刀」の開発だった。


地下の鍛冶工廠。熱気に包まれる中、張五が汗だくになりながら数本の長柄武器を運んできた。


「どうです、大将。試作品が上がってきやしたぜ」


高順はそれらを手に取り、重さやバランスを確かめる。


「うむ、悪くない。こっちは丈八蛇矛、そっちは青龍偃月刀だな」


三国志演義の代名詞とも言える張飛や関羽の武器だが、史実のこの時代にはまだ本格的な長柄の大刀は普及していない。高順は製鉄技術の向上をもって、これらをいち早く実用化させたのである。


だが、高順が最も気に入り、自らの直属部隊のために大量生産を命じたのは、それらの武器ではなかった。


「やはり、俺が一番惚れ込んだのはこれだ」


高順が愛おしそうに撫でたのは、長く分厚い両刃の刃を持つ、異形の長柄刀であった。その名を『陌刀』という。


「陌刀……ですか。こいつはまた、とんでもなく重い上に、扱いが難しそうな得物ですね」


張五が顔をしかめるのも無理はない。これは唐代になってようやく実用化される対騎兵用の決戦兵器である。全長一丈、重さ十五斤。両刃の巨大な刃を持ち、一振りで数人の敵を薙ぎ払う、まさに「歩兵が持つ大砲」のような武器だ。


高順がこの陌刀の開発を思いついたのは、奇しくもあの結婚(と言う名の束縛)を賭けた立ち合いで、妻の董媛が怒りに任せて振り回した「斬馬刀」がヒントであった。


「あの斬馬刀の破壊力を、重装歩兵の密集陣形で運用できれば、最強の騎兵キラーになる」


高順の脳裏には、前世で読んだ唐代の戦史が浮かんでいた。陌刀隊の戦場での活躍は極めてめざましい。唐の陌刀将・李嗣業の武名は特に名高く、彼は五千の陌刀隊を率いて吐蕃の十万の軍を打ち破り、タラス河畔の戦いでは、当時世界最強クラスであったアッバース朝のイスラム帝国軍十一万の進撃を、この陌刀の壁で食い止めたのだ。史書はその恐るべき破壊力をこう伝えている。


『嗣業の刀に当たる者は、人馬ともに砕ける』


(出典《資治通鑑·卷二百一十六》:人畜塞路、嗣業前驅、奮大梃擊之、人馬俱斃

《旧唐書·卷一百三十三·列傳第五十九》:當嗣業刀者、人馬俱碎)


「この陌刀を、俺の陷陣営の中でも、特に体格に優れた屈強な歩兵に持たせ、訓練を積ませる」


日々、陌刀隊による地獄の素振り。突き、払い、叩き。高順の号令により、ただでさえ「陣を陷とすこと無敵」と謳われた陷陣営は、騎兵の突撃すら正面から挽肉にしてすり潰す、文字通りの「重装歩兵のバケモノ集団」へと進化を遂げたのである。


そして、この「人馬ともに砕く」という狂気のロマン兵器に、并州で誰よりも魅了された者がいた。


「素晴らしいわ! この重さ、この刃の厚み! これこそ私の求めていた武器よ!」


魔王の娘にして、高順の妻である董媛である。彼女は高順が試作した陌刀の一振りを見るなり目を輝かせて奪い取り、自らの専用武器としてしまったのだ。


将軍府の広い中庭で、赤い武袍を翻しながら、身の丈を遥かに超える巨大な陌刀を風車のように振り回す董媛。ブンッ、ブォォンッ。空気を引き裂く恐ろしい風切り音が、屋敷中に響き渡っている。華奢な体つきのどこにそんな膂力があるのか、彼女が陌刀を振り下ろすたびに、庭の演習用の丸太が爆発したかのように木端微塵に砕け散っていく。


「……あなた、今日も精が出ますわね。庭の丸太が、また一本お亡くなりになりましたわよ」


縁側で優雅にお茶を啜りながら、もう一人の妻である蔡昭姫が呆れたようにため息をついた。


「うるさいわね! 将軍の妻たるもの、いつ賊が襲ってきても将軍の背中を守れるように鍛錬を怠らないのが当然でしょう!」


「はいはい。お顔に木屑が飛んでおりますわよ、野蛮な姫君」


知性の蔡琰と、武力の董媛。相変わらず口喧嘩は絶えないが、それでも、かつてのような殺伐とした敵意はそこにはない。奇妙な連帯感と、平和な日常がそこにはあった。


「……平和なこった」


執務室の窓から、陌刀を振り回す妻と、それにお茶を勧めるもう一人の妻の姿を眺めながら、高順は温かい茶を啜った。


この何気ない日常こそが、高順が守りたいと願う「国」の姿そのものだった。陌刀の恐るべき破壊力と、鴨の群れが行進する黄金の田園。一見矛盾するこの二つが、高順の并州では違和感なく共存していた。外敵を粉砕する暴力と、民を養う豊穣その両方を兼ね備えてこそ、乱世を生き抜く「国」たり得るのだ。


高順は并州軍の騎兵戦力をさらに増強すべく、郝萌の配下から、弓術に並びなき才能を見せていた若き将・曹性を抜擢した。


「曹性。お前に、これまでに集めた軍馬と、あの『双鐙』を全て預ける。……両手を放して馬に乗れる利点を最大限に活かした、『騎弓兵』の精鋭部隊を編成しろ。お前ならできるはずだ」


「は、ははっ! この曹性、高将軍のご期待に必ずや応えてみせます!」


かくして、并州は「無敵の陌刀重歩兵」と「精密射撃を誇る近代騎馬隊」という、攻守において隙のない最強の軍事要塞国家へと完成の域に達しようとしていた。


天下が血と泥の霸権争いに狂奔する中、高順の治める并州だけは、圧倒的な技術力と軍事力という名の「暴力装置」を内包しながらも、誰もが腹を満たし、笑い合える黄金の時代を築き上げようとしていた。それは董卓が夢見ながら決して手の届かなかった「太平の世」の、もう一つの形だった。

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