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二段

高順が并州で国造りに邁進する中、中原では血みどろの勢力再編が進行していた。董卓の死から一年余り天下の版図は、かつて誰も想像しなかった速度で塗り替えられようとしている。


張五の率いる三千の精鋭が徐州へと出立してから数週間後、高順の執務室に最初の朗報が届いた。曹嵩の一族が乗る豪奢な馬車列が華県を通過する際、陶謙の配下である張闓が財宝に目が眩み、凶行に及ぼうとしたその瞬間、張五の騎兵隊が闇夜を切り裂いて突入し、曹嵩を無事に保護したというのである。張闓は山中へと逃亡したが、曹嵩一行は傷一つ負うことなく、張五の護衛のもとで曹操の支配圏である兗州・泰山郡へと送り届けられた。


報告書を読み終えた高順は、静かに息を吐いた。史実ではこの時、曹嵩は殺害され、曹操は復讐のために徐州へ侵攻し、数十万の民を虐殺することになる。しかし今回は違う。曹嵩は生きている。曹操が徐州を血の海に変える大義名分は、高順の介入によって未然に防がれたのである。


(これで曹操は、俺に決して返しきれないほどの「借り」を負った。曹操は義理堅い男だ。この恩は、将来必ず生きる)


その直後、曹操の陣営から高順のもとへ一通の書簡が届けられた。曹操直筆の礼状だった。


「高将軍。このたびは父の危急を救い、一族を無事に泰山郡へ送り届けていただき、この曹操、何とお礼を申し上げてよいか言葉もございません。将軍の御厚情、末永く胸に刻み、必ずや御恩に報いる所存にございます」


達筆な文字の端々から、曹操の偽らざる感謝の念が伝わってくるようだった。高順は書簡を文箱に丁重に収めながら、これが将来、外交交渉の場でどれほどの重みを持つか、その価値を正確に見積もっていた。


この一通の礼状こそが、曹操と高順という二人の英雄を結ぶ「見えざる糸」の始まりだった。曹操は後に天下を制する霸者となる。その曹操が、高順に対して「恩義」を感じているこの事実は、将来の外交関係において計り知れない価値を持つことになる。


曹操は徐州の陶謙に対して大規模な軍事侵攻を開始した。大義名分は「陶謙の部下が我が父・曹嵩を危うい目に遭わせたから」という、極めて強引なものであった。実際には張五の介入によって曹嵩は無事保護されていたのだが、霸業のために徐州の豊かな土地と人口を欲していた曹操にとって、理由など「父が危険に晒されたという事実」だけで十分だったのである。


曹操の徐州侵攻は、史実における残虐な大虐殺とは異なるものになった。曹嵩が生きている以上、復讐の鬼と化す理由はない。だがそれでも、曹操の軍事行動は迅速かつ苛烈を極めた。徐州の十余城は次々と曹操軍の手に落ち、陶謙は郯城に籠城して必死の防戦を強いられた。


高陽の政治小説的視点で言うならば、曹操の徐州侵攻は「感情」と「合理性」が複雑に絡み合った決断だった。父を危険に晒した者への制裁という激情、そして徐州の穀倉地帯を手に入れたいという冷徹な計算。両者が矛盾なく共存できることこそ、曹操という男の恐ろしさだった。


曹操は留守の本拠地・兗州の守備を、己の股肱の臣である陳宮や張邈に委ね、主力軍を率いて徐州へと雪崩れ込んだ。陳宮は曹操が最も信頼する参謀の一人であり、張邈は反董卓連合の頃からの盟友だった。曹操はこの二人に全幅の信頼を置き、兗州の留守を託したのである。


だが、曹操軍の大部分が兗州を留守にしたその隙を突き、留守居役の陳宮が、あろうことか曹操への大規模な叛逆を目論んだ。陳宮は陳留太守の張邈、その弟の張超、従事中郎の王楷や許汜らと密かに結託し、流浪の身であった無双の飛将・呂布を「兗州牧」として迎え入れたのである。


このクーデターの知らせは、徐州で戦っていた曹操の耳にもすぐに届いた。報告を受けた曹操は、一瞬言葉を失ったという。自分が最も信頼していた陳宮が、そして反董卓連合の頃からの盟友である張邈が、よりによって自分を裏切ったその衝撃は計り知れないものだった。


このクーデターの背景には、複雑に絡み合った「恐怖」と「怒り」があった。


張邈の反乱の動機は、極度の「不安」だった。かつて反董卓連合の盟主であった袁紹の傲慢な態度を咎めて口論になり、激怒した袁紹は当時配下であった曹操に「張邈を殺せ」と密命を下したことがあった。しかし曹操は「今は天下の大義のために身内争いをしている場合ではない」と袁紹に真っ向から反論し、親友である張邈の命を救ったのだ。張邈はその一件以来、曹操に深い恩義を感じ、無二の親友として付き合っていた。しかし現在、張邈は袁紹が最も憎悪する「呂布」と盟友になってしまった。袁紹は執念深い男だ。呂布を匿った張邈を、いつか必ず許さなくなるだろう。そして袁紹の盟友として勢力を拡大している曹操に、再び自分を攻撃するよう命じるに違いないそうした恐怖が、張邈を裏切りへと駆り立てたのである。


一方、陳宮の動機はより根深い、政治的・階級的な「怒り」であった。陳宮は兗州出身の士大夫である。曹操は先頃、盧植や蔡邕と並び称される当代一流の知識人にして兗州の顔役・辺譲を、些細な不敬を理由に容赦なく処刑してしまったのである。この辺譲殺害事件は、曹操陣営の幕僚バランスを根本から崩壊させた。当時、曹操の足元を支えていたのは戯志才や荀彧に代表される「潁川派」と、陳宮を筆頭とする地元「兗州派」の二大派閥だった。曹操がよそ者である潁川派を重用し、地元の名士を弾圧したことで、兗州の士大夫たちは「曹操は我々を使い捨てる気だ」と激怒したのである。


この陳宮の叛逆はまさに「地元エリートの反乱」だった。中央から来た権力者が、地元の名士層を軽視した結果、どのような災厄を招くか曹操は身をもってその教訓を味わうことになったのである。


地元名士の反乱の影響力は凄まじく、兗州の郡県のほとんどが雪崩を打って反乱軍に寝返った。曹操に味方し、最後まで抵抗を続けたのはわずかに鄄城・范・東阿の三城のみであった。


この絶望的な三城を、荀彧、程昱、夏侯惇、曹洪、薛悌、棗祗といった曹操陣営の超エリートたちが、血を吐くような思いで死守した。荀彧は鄄城で知略を尽くして防戦し、程昱は范と東阿を守り抜いた。特に程昱の活躍は目覚ましく、陳宮が自ら軍を率いて東阿を攻撃した際、倉亭津の渡しを断ち切って陳宮の行軍を遅らせ、その間に東阿の防備を固めて致命傷的な攻撃を防いだのである。


この兗州争奪戦の最大の犠牲者は、いつも通り名もなき民たちだった。曹操軍、呂布軍、そして黄巾の残党三つの勢力が入り乱れて戦った兗州の大地は荒廃し、農民たちは種を蒔くこともできず、飢えに苦しんだ。彼らにとって、支配者が曹操であろうと呂布であろうと、戦乱が終わり平穏な日常が戻ることだけが唯一の願いだった。


徐州で陶謙と戦っていた曹操は、本拠地でのクーデターの凶報を受け、血相を変えて軍を反転させた。ここから、中原の霸者・曹操の凄まじい逆襲が始まる。


曹操は兗州へ舞い戻るや否や、鉅野に駐屯していた呂布軍の薛蘭と李封の部隊を電光石火の如く捕捉した。怒りに燃える曹操軍の猛攻の前に二将の軍は瞬く間に粉砕され、曹操は容赦なく彼らをことごとく斬り捨てた。裏切り者への容赦のなさこれもまた、曹操という男の本質だった。


これに焦った陳宮は、最強の矛である呂布を押し立て、東緡へと出撃して曹操軍の横腹を食い破ろうと試みた。だが、戦術の天才である曹操は、陳宮の焦りを完璧に読み切っていた。陳宮と呂布の軍勢は、曹操が幾重にも張り巡らせた伏兵の網にまんまと飛び込んでしまい、大敗を喫することとなる。


「ええい! 曹操め、ちょこまかと小賢しい罠ばかり張りおって!」


武勇においては天下無双の呂布であったが、曹操の神算鬼謀と、荀彧や程昱らが指揮する鉄壁の兵站・防衛線の前に、次第にその武力を封じ込められていった。戦場で単騎無双の呂布も、兵站を断たれ、補給を絶たれれば、為す術はなかったのである。


その後も呂布軍は曹操軍の前に戦術的な敗北を重ね、ついに陳宮も呂布と共に兗州という地盤を維持することが不可能と悟った。彼らは尻尾を巻いて兗州から逃走し、東の徐州を治める劉備の元へと庇護を求めて落ち延びていった。


辛くも本拠地を奪還した曹操であったが、その直後、筆頭軍師である荀彧から大目玉を食らうこととなる。


「明公! 感情に任せて徐州へ侵攻するなど、言語道断! 先ずは己の地盤を盤石に固めるべきです!」


現代で言えば、新規事業にうつつを抜かして本社を乗っ取られかけた社長に対し、有能な最高執行責任者が「まずはコア事業を固めろ!」と激詰めしている図である。曹操はこの荀彧の厳しい叱責を素直に受け入れ、二度と足元を疎かにしないと誓ったという。


一方、徐州ではさらに劇的な展開が起きていた。


曹操の侵攻に悲鳴を上げた陶謙が四方に救援を求め、これに応じた青州の田楷は、客将であった劉備を補佐として徐州へ派遣した。高順の執務室に届いた報告書には、この時の劉備の「軍団構成」が詳細に記されていた。


「自らの私兵千余人と、幽州の烏桓族らによる騎兵。さらに、道中で拾った数千人の流民を軍に編入……か」


高順は呆れ半分、感心半分で木簡を置いた。劉備玄徳自らを中山靖王の末裔と名乗るが、実態は筵織りから身を起こした「無一文の起業家」である。金も領地もない彼は、行く先々でスポンサーを見つけては居候し、その圧倒的な「人たらし」の才能で人心を惹きつけていく。今回も、飢えた難民を「俺についてくれば飯が食える」と丸め込み、頭数だけを揃えて徐州へ乗り込んだのだ。


(相変わらず、無茶苦茶な経営をしているな、あの大耳は。資産も担保もないのに、人望だけでここまで来た。ある意味、曹操より恐ろしいかもしれん)


だが、この劉備のハッタリと人望が見事に功を奏する。徐州の陶謙は、劉備の器量に惚れ込みあるいは藁にもすがる思いで彼を厚遇して精鋭の「丹陽兵」を四千人も与えたのである。強力な軍事資本を手に入れた劉備は、あっさりと元の雇い主である田楷の元を離れ、そのまま陶謙の陣営へと鞍替えしてしまった。


その後、曹操が本拠地での呂布の反乱によって撤退を余儀なくされると、陶謙は劉備の功績を称え、彼を豫州刺史に推挙した。そしてさらに劇的な転機が訪れる。病に倒れ、死の床についた陶謙が、豊かな徐州の全権を劉備に譲ると言い出したのだ。


「ポッと出の客将に、いきなり州の牧の座を譲るだと?」


長安の陰謀を見てきた高順からすれば、正気の沙汰ではなかった。だが、これこそが劉備の恐ろしさである。劉備は最初こそ「私にはそのような器はありません」と固辞してみせたが、徐州の地元名士である陳登や、孔子の子孫である孔融らからの熱烈な説得を受ける形で、ついに徐州を領有した。


この一連の動きの中で、劉備は凄まじい勢いで「優秀な人材」を吸い寄せていく。大学者・鄭玄の推薦で北海郡からやってきた孫乾を従事として迎え、名士・陳紀との交流からその息子の陳羣を別駕従事に抜擢した。さらに、後に劉備の最強の精鋭親衛隊「白毦兵」の長を務めることとなる猛将・陳到や、同姓であるという理由で賓客として厚遇された劉琰など、以後の過酷な流浪を最後まで共にする「コアメンバー」たちが、この徐州時代に次々と劉備の元へ仕官してきたのである。


劉備の徐州入りはまさに「英雄、時を得る」場面だった。「何もない男が、人望と運だけで一州の主となり、最高の人材を揃えたか。曹操が血を流して領地を拡大する中、劉備は『情』という目に見えない無形の資産だけで、巨大な国を手に入れてしまったのだ」と高順はため息をついた。


だが、起業家・劉備の栄華は、一つの「最悪の選択」によって瞬く間に崩壊する。


曹操に敗北し、兗州を追い出されたあの無双の飛将・呂布が、行き場を失って徐州の劉備の元へ転がり込んできたのである。


「馬鹿め。あんな致死量の猛毒を、ホイホイと陣営に引き入れる奴があるか!」


并州で報告を受けた高順は、思わず頭を抱えた。呂布の戰闘力は圧倒的だが、彼は丁原、董卓と、次々と己の主君を裏切ってきた男だ。人の良さあるいは自らの器量を過信したかが仇となり、劉備は呂布を快く迎え入れ、小沛の城に駐屯させてしまった。


そして、悲劇は最悪のタイミングで起きる。南陽を追われ、揚州で勢力を盛り返していた袁術が、徐州を狙って大軍で攻め込んで来たのだ。劉備は自ら出陣し、袁術軍と対峙して一ヶ月に及ぶ睨み合いを続けた。だが、本拠地である下邳の留守を義弟の張飛と、徐州の元々の守将である曹豹に任せていたのが運の尽きであった。


酒癖の悪い張飛と、地元派閥の曹豹との間に致命的な内輪揉めが勃発。激怒した曹豹は裏切り、あろうことか小沛の呂布に密使を送り、「城門を開けるから下邳を奪ってくれ」と内通したのである。


「しめた!」とばかりに牙を剥いた呂布は、即座に下邳を急襲。不意を突かれた張飛は大敗して逃走し、城に取り残された劉備の妻子は、呂布の捕虜となってしまった。最前線で袁術と戦っていた劉備は、背後から突然「本社を乗っ取られ、家族を人質に取られる」という絶望的な凶報を受け、軍は完全に瓦解した。


「見事なまでの敵対的買収だな。呂布の奴、相変わらず恩を仇で返すことにかけては天才的だ」高順は、かつての主君の容赦のない手口に、冷たい笑みをこぼすしかなかった。


全てを失った劉備は、プライドをかなぐり捨て、這いつくばるようにして徐州へ戻り、自らの城を奪った呂布に対して「和睦」を乞うた。呂布はこれを嘲笑いながらも受け入れ、劉備の妻子を返還すると、かつて自分が与えられた小沛の城へ、今度は劉備を追いやったのである。立場は完全に逆転した。


「普通の人間なら、ここで心が折れて首を吊るか、田舎に引っ込んで一生を終えるところだがな……」


だが、劉備という男の真の恐ろしさは、この「底なしの逆境」においてこそ発揮される。全てを失い、小沛で飢えに苦しむ劉備の元へ、一人の男が巨額の私財を投げ打って駆けつけた。徐州随一の豪商にして大地主である、糜竺である。


彼は私兵二千と、莫大な金銀財宝、そして自らの妹を劉備に差し出し、「あなたこそが天下の主になるお方だ。この全財産を使って、もう一度立ち上がってくだされ」と、究極の「エンジェル投資」を行ったのである。


「ゴキブリだな。最高の褒め言葉として、あの大耳は叩き潰されても絶対に死なないゴキブリだ」


高順は、呆れを通り越して深い戦慄を覚えた。領土を奪われ、軍を失っても、劉備の「人望」という資産だけは決して目減りしない。糜竺という最強のスポンサーを得て、劉備は再び小沛の地で蘇ったのである。糜竺はその後、劉備が蜀を建国するまで彼を支え続け、最終的には蜀の最高位の一人にまで上り詰めることになる。高順はその未来も知っていた。


一方、長安では李傕と郭汜による地獄絵図が広がっていた。董卓が死に、王允が処刑され、呂布が逃亡した後の長安は、完全な無法地帯と化していた。李傕と郭汜は幼い献帝を擁して朝廷を私物化したが、二人の間にはやがて深刻な亀裂が走る。発端は郭汜の妻の嫉妬という、あまりにも愚劣な理由だった。李傕が贈った酒宴の招待状を、妻が「夫に妾をあてがう罠だ」と曲解し、二人の戦友関係は音を立てて崩れ去った。


「バカバカしすぎて反吐が出る」


并州の高順は、間者からこの顛末を聞き、冷笑すら浮かばなかった。己の器を知らぬ暴漢が権力を握ればどうなるか長安はその最も滑稽で残酷な見本を天下に示していた。


そして、この混乱はさらに深刻な事態を引き起こす。李傕と郭汜の凄惨な内輪揉めに耐えかねた皇帝・劉協が、ついに荒廃した長安を脱出し、旧都・洛陽への帰還を決死の覚悟で強行したのである。天子を守るべき董卓軍の残党徐栄、樊稠、段煨らは、皇帝を逃がすために殿として踏みとどまり、決死の遅滞戦術を展開した。この報せは、瞬く間に并州へも届けられた。


「天子が動いたか」


高順は地図を見つめ、静かに立ち上がった。長安の地獄を抜け出した天子が向かう先は洛陽。そして洛陽には、曹操がいる。史実では曹操が天子を保護し、許昌へ遷都して「天子を挟みて諸侯に令じる」覇権を確立するしかし高順は、その歴史の流れにただ乗るつもりはなかった。少なくとも、かつて自分が「坊主」と呼び、長安の街で肩車をして歩いたあの少年皇帝を見捨てることだけは、どうしてもできなかったのである。


「郝萌、曹性、成廉、魏越を呼べ。出陣の準備だ」

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