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一段

魔王・董卓の死。


その報せは、瞬く間に中華全土を駆け巡った。洛陽から長安へ、長安から鄴城へ、鄴城から徐州へ。伝令の馬蹄が各地の街道を駆け抜けるたびに、人々は立ち止まり、耳を疑い、そして確かめるように互いの顔を見合わせた。あの董卓が死んだのか、と。


長安の朝廷が期待したような「諸侯が涙を流して漢室に忠誠を誓う」などという牧歌的な展開は、ただの一つも起こらなかった。逆賊が討たれ、朝廷に安寧がもたらされたことなど、関東に割拠する諸侯たちにとっては「どうでもいいニュース」に過ぎなかったのである。彼らの視線はすでに、空席となった「天下の覇権」をいかにして掠め取るかという一点のみに注がれていた。


将軍府の執務室で、高順は各地から届く間者の報告書を広げ、冷徹に盤面を俯瞰していた。机の上には中原、河北、関中の地図が広げられ、それぞれの上に諸侯の旗印が置かれている。董卓の死から既にひと月が経過していたが、高順の情報網は休むことなく各地の動きを伝え続けていた。


この時の高順はまさに「歴史の編集者」だった。董卓の死によって生じた巨大な空白を、誰がどのように埋めるのか。その推移を、彼は北の大地から静かに見守っていたのである。彼自身は表舞台に立たず、しかしすべての情報を掌握し、次の一手を練り続けていた。


名門の御曹司・袁紹はようやく冀州の地盤を固めつつあり、北平の猛将・公孫瓚と河北の霸権を巡って血みどろの死闘を繰り広げていた。両者ともに総力戦であり、朝廷中枢の政局などに目を向けている余裕など一ミリもない。袁紹の幕僚・田豊は主君に長安への使節派遣を進言したが、袁紹は「董卓が死んだところで、長安の朝廷に何の価値がある」と一蹴したという。


「袁紹も公孫瓚も、今は互いに手一杯か」


高順は地図の上で冀州と幽州の境に朱筆で線を引きながら呟いた。彼にとって、河北の二大勢力が互いに消耗し合うことは、并州の安全を確保する上で好都合だった。両者が争っている限り、并州に手を出す余裕はない。


そんな中、公孫瓚が自らの権力基盤を固めるため、人望の厚い幽州牧・劉虞を処刑しようとする動きを見せた。劉虞は漢室の宗親であり、異民族との融和を重視する穏健な統治で幽州の民から深く慕われていた。しかし公孫瓚にとっては、その人望こそが脅威だった。


これに対し、高順は即座に動いた。


「文遠。雁門の兵、六万を動かせ。幽州の国境に布陣し、公孫瓚に圧力をかけろ」


「はっ! して、攻め込みますか?」


「いや、一歩も入るな。ただ『劉虞の命を奪えば、并州の全軍が背後から貴様を食い破る』と、意思表示しろ」


高順の規格外の軍事圧力に、公孫瓚は完全に折れた。劉虞の処刑は取りやめとなり、河北の均衡は辛うじて保たれた。高順が六万もの軍勢を「ただの脅し」として動かせるほど、并州の国力はすでに他州を圧倒していたのである。袁紹も公孫瓚も、高順という巨大な怪物の相手をしている暇など、どこにもなかった。


(公孫瓚という男は、武力には優れているが、政治感覚が致命的に欠けている。劉虞のような人望のある名士を殺せば、幽州の知識人や名士層は公孫瓚を見限り、こぞって袁紹の元へと逃げ込むだろう。歴史書の通りだ。だが今回は俺が介入した。劉虞が生き延びれば、幽州の勢力図は変わるかもしれない。何より、劉虞の子・劉和は河内で俺の庇護下にある。この縁は将来必ず活きる)


一方、高順が最も注視していたのは、中原の「東郡」であった。そこに根を張る東郡太守・曹操孟徳。


曹操は董卓の死を聞くと、かつて反董卓連合の激戦で自分を庇って戦死した鮑信の弟・鮑韜や、親友の衛茲の死を深く悼んだ。己の野望のために散っていった者たちへの、偽りなき哀悼であった。曹操は衛茲の遺児を自らの幕下に迎え、鮑信の一族には手厚い保護を与えた。その姿勢が、さらに多くの人材を曹操の下へと引き寄せていく。


そして同年、歴史を動かす大事件が起きる。兗州刺史の劉岱が、青州から雪崩れ込んできた百万の黄巾軍の残党に敗死したのだ。トップを失いパニックに陥った兗州の幕僚たちは、一縷の望みを託して曹操を迎え入れ、「兗州牧」として推戴した。曹操はこの要請を即座に受け入れ、自らの本拠を東郡から兗州全域へと拡大する好機を掴んだのである。


曹操は直ちに黄巾軍の迎撃に出る。しかし戦いは当初、曹操の想像を遥かに超える苦戦となった。黄巾軍は百万と号する大軍であり、その勢いは凄まじかった。戦いの最中、曹操にとって最も信頼する友の一人であった鮑信が、敵中に孤立して戦死するという悲劇が起きた。曹操は自ら陣頭に立ち、兵士たちを鼓舞し続けたが、鮑信の遺体を収容することすらできなかったという。


だが、曹操はここから天才的な経営手腕を見せる。正面からの武力衝突を避け、分断と懐柔を繰り返す持続的な戦略に転換したのだ。力と計略で黄巾軍をねじ伏せ、ついに兵士三十万人、その家族を含めた非戦闘員百万人を丸ごと降伏させた。そして、その中から精鋭だけを選び出し、自らの直属部隊「青州兵」として再編したのである。


「見事だ、曹操」


報告書を読みながら、高順は思わず感嘆の息を漏らした。賊徒百万を降伏させ、土地を与えて軍事力と生産力に変換する。それはまさに、高順自身が并州で黒山・白波賊を吸収して成し遂げた手法と全く同じだった。


(魏武の強、此れより始まるか…乱世において、人を殺すのではなく「資源化」できる者だけが、真の霸者となる資格を持つ。曹操はそれを理解している。そして俺もまた、同じことをしてきた。違いがあるとすれば、曹操は「力と計略」で、俺は「法と秩序」で賊徒を農民に変えたという点だけだ)


高陽の政治小説的な視点で言うならば、曹操の兗州掌握は単なる軍事的勝利ではない。それは「人材」と「経済力」という二つの資本を同時に獲得した、企業買収にも等しい高度な経営戦略だった。百万の民を手に入れた曹操は、もはや一介の地方太守ではない。中原に確固たる地盤を持つ、天下を狙える数少ない群雄の一人となったのである。


さらに、曹操の陣営には「最高の人事」の奇跡が起きていた。


袁紹の元に見切りをつけた稀代の王佐の才・荀彧が、曹操の元へ馳せ参じたのである。荀彧は潁川の名門出身であり、その名声と人脈は天下に轟いていた。袁紹は荀彧を厚遇したが、荀彧は袁紹の優柔不断さと猜疑心の強さを見抜き、見切りをつけた。そして彼が次に選んだのが、当時まだ一介の東郡太守に過ぎなかった曹操だったのである。


曹操は荀彧を迎えると、「我が子房が来た!」と大いに喜び、すぐさま幕僚の筆頭に据えた。そして荀彧の加入は、単に一人の軍師を得たというレベルの話ではなかった。荀彧の持つ巨大な人脈ネットワークにより、荀攸、鍾繇、郭嘉といった、三国志を彩る超一級の天才たちが次々と曹操の陣営に吸い寄せられていったのである。


荀攸は荀彧の同族であり、若くしてその謀略の才を謳われていた。鍾繇は潁川の名士であり、後の魏の重臣となる人物である。そして郭嘉…後に「鬼才」と称されるこの若者は、曹操の幕僚の中でも特に異彩を放っていた。彼は荀彧の推挙で曹操の陣営に加わると、その鋭い洞察力と大胆不敵な献策で、瞬く間に曹操の信頼を勝ち取った。


「最強のシンクタンクの完成か。これで曹操の飛躍は誰にも止められなくなったな」


高順は荀彧、荀攸、郭嘉の名を指でなぞりながら、静かに目を閉じた。史実でも曹操はこの三人を得て天下に覇を唱えた。高順は歴史を知っているからこそ、曹操という男の恐ろしさが骨身に染みてわかっていた。


曹操の強みは、武力だけではない。彼は人を見抜く目を持ち、その才能を最大限に活かす度量を持っていた。荀彧には政略を、荀攸には謀略を、郭嘉には戦略をそれぞれの得意分野を完璧に理解し、適材適所に配置する。それが曹操という経営者の、何よりも恐ろしい才能だった。


焦ったのは、長安の新政権である。曹操の勢力拡大を危惧した王允は、金尚という人物を新たな「兗州牧」として任命し、曹操から領地を奪おうとした。王允にとって曹操は、董卓を討った後も朝廷に恭順の意を示さない「危険な独立勢力」だったのである。


だが、血を流して兗州を手に入れた曹操が、長安から来た天下り役人にハイソウデスカと席を譲るはずがない。曹操は武力で金尚を追い返し、金尚は命からがら南陽の袁術の元へと落ち延びた。曹操はこの時、長安の朝廷と完全に決別し、自らの正統性を「天子の任命」ではなく「実力による掌握」に求める道を選んだのである。


これを好機と見た袁術は、公孫瓚に救援を求め、公孫瓚は客将の劉備や、徐州牧・陶謙を派遣して曹操を包囲しようと試みた。袁術の狙いは、曹操を叩くことで中原における自らの影響力を拡大することにあった。


しかし曹操は背後の袁紹とガッチリ手を組み、これらを各個撃破。曹操と袁紹はかつて反董卓連合で肩を並べた仲であり、この時点ではまだ互いに利用し合う関係にあった。袁紹は曹操を南の防波堤として使い、曹操は袁紹の威光を背景に中原での地盤を固めるそうした相互利益の関係が成立していたのである。


さらに本陣に侵入してきた袁術軍をコテンパンに打ち破り、背後を劉表に絶たれた袁術は、本拠地の南陽を捨てて寿春へと無様に落ち延びていった。袁術の野望は、この時点で早くも暗礁に乗り上げたのである。


「完璧だな。曹操は今、最も『買い』の銘柄だ」


高順はすべての情報を整理し終えると、執務室の扉を叩いた。


「張五、いるか」


高順の声に、廊下で待機していた張五がすぐに飛び込んできた。張五はすでに一人前の将として成長し、今や高順の副官として并州軍の実務を取り仕切る存在になっていた。


「今すぐ、信用できる精鋭を三千、選び出せ」


張五は目を丸くした。


「三千……ですか?」


「向かう先は徐州の琅邪国だ」


高順の言葉に、張五は首を傾げた。長安から東へ遠く離れた徐州に、一体何用があるというのか。張五の知る限り、徐州は陶謙の治める地であり、并州とは直接の利害関係がないはずだった。


田中芳樹の冷徹な戦略眼で言うならば、高順がここで取るべき道は一つだった。「曹操という未来の霸者に、最大限の貸しを作る」こと。


高順の目には、現代人の歴史知識に基づく「数ヶ月先の未来」がはっきりと見えていた。曹操の父である曹嵩は、戦乱を避けて徐州の琅邪に避難している。曹操は兗州の地盤が固まったため、間もなく父を呼び寄せるはずだ。だがその道中、徐州牧・陶謙の配下の兵士元黄巾賊の将・張闓が、曹嵩の持つ莫大な財産に目が眩み、彼を暗殺して財宝を奪って逃走する。激怒した曹操は「父の仇」を大義名分として徐州へ侵攻し、歴史に残る大虐殺を引き起こすことになるのだ。


(徐州の大虐殺は、曹操の生涯における最大の汚点であり、多くの人材と民心を失う痛恨のミスだ。復讐に駆られた曹操の怒りは数十万の民を巻き添えにし、泗水の河を屍で堰き止めたと史書は伝えている。この蛮行によって曹操は徐州の民心を完全に失い、後に呂布や劉備に背後を突かれる遠因ともなった。ならば、俺がその悲劇を未然に防いであげようじゃないか)


高順の口元に、冷徹な投資家としての笑みが浮かんだ。


「張五。お前は三千の兵を率いて徐州に潜入し、曹操の父親である曹嵩とその一族を極秘裏に保護しろ。そして、兗州の曹操の元まで、指一本触れさせずに完璧に護衛して送り届けるんだ」


「曹操の親父さんを? なぜまた、そんな他人の身内の世話を……」


張五の戸惑いは当然だった。并州の兵を使って、遠く徐州まで出向き、見ず知らずの老人を護衛する。それは一見、何の利益も生まない行為に思えた。


高順は静かに、しかし確信を込めて言い切った。


「天下はまだまだ乱れる。その時、中原を制するであろう曹操に『決して忘れることのできない貸し』を作っておけば、いざという時の外交の要になる。いや、それ以上の利益を必ず生むはずだ。曹操はあぁ見えて義理堅い男だ。父の命を救われた恩は、領土や金銭よりも重い借りとなる。将来、俺たちが曹操と対峙する時が来ても、この借りがあれば交渉の余地が生まれる。投資とは、そういうものだ」


高順は、乱世という名の血で血を洗う市場において、未来の霸者に対する「究極の投資」を仕掛けたのである。それは目先の利益を追うのではなく、十年後、二十年後を見据えた長期的な戦略だった。


「張五、頼んだぞ。道中の賊は容赦なく撫で斬りにしろ。曹家の人間に傷一つでもつければ、俺の投資がパアだからな」


「へい! 合点承知!」


張五が勇んで部屋を飛び出していくのを見送りながら、高順は窓の外の長安の空を見上げた。


外では、天下の趨勢など知る由もない長安の百官たちが、今日も董卓の死を祝って呑気に宴を開いている。王允は董卓を討った英雄として朝廷の賞賛を一身に浴び、呂布は貂蝉を得て満足げに酒杯を傾けているだが、その平和は長くは続かない。


(笑っていられるのも今のうちだ。王允の失政が引き金となり、賈詡に背中を押された涼州の狼たちが、もうすぐこの都に襲いかかってくる。蔡邕殿は董卓の死を嘆いて王允の逆鱗に触れ、獄中で死ぬ。そして李傕と郭汜が長安を制圧し、天子はさらに深い苦難の時代へと突入する)


高順はいつ長安が炎に包まれてもいいように、自らの撤退と并州の未来へ向けた布石を、着々と、そして冷酷に打ち続けていた。驍風の嘶きが、今日も河内の空に響いている。

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