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三段

陽人城内に設置された胡軫の本陣は、さながら爆発寸前の火薬庫のような静寂に包まれていた。


中央に据えられた巨木を削り出した机を囲む男たちの間には、敵である孫堅への警戒よりも、隣り合う味方への憎悪が濃く立ち込めている。天幕の布地は分厚く、外の風を遮っているが、そのぶん内部の空気は淀み、男たちの吐く息と体臭が籠もっていた。


上座にどっしりと腰を下ろしているのは、大督護・胡軫である。


(呂布の言う通り、本当に豚のように肥えているな。ただのデブじゃない。お相撲さんのような筋肉の塊って言った方が早いな。贅肉に見えて筋肉だからな)


俺は、その末席で気配を消していた。俺の席は、并州出身の将たちの最も端。胡軫の視線が直接届かない、微妙な位置だ。こういう席取りは、どの時代でも重要である。目立たず、しかし存在を忘れられず。中間管理職の基本スキルだ。


胡軫は涼州以来、董卓が手塩にかけて育ててきた子飼いの猛将だ。その顔には、長年辺境で異民族を屠ってきた自負と、主君が朝廷の頂点に立ったことで増長した傲慢さが、どす黒い鬚となって張り付いている。鬚の一本一本が、まるで鋼線のように硬そうだった。


その斜め前、一段低い席に呂布が座っている。足を組んでいる。態度は不遜そのものだ。肘をつき、頬杖までついている。二人の間には、目に見える火花が散っていた。周囲の武将たちが小さくなっている。誰もが、この二人の間に入って火の粉を浴びたくないのだ。


(ああ、この空気。前の職場の重役会議と同じだ。胃に穴が開く)


「高順、参りました」


俺は空気のように気配を消して入室し、末席に座った。隣には、生真面目そうな青年がいる。張遼だ。のちの魏の名将。若いながらも、その目には聡明さと誠実さが宿っている。その隣には、嫌味な笑みを浮かべた男。郝萌だ。こいつは後に裏切る男だ。


(張遼は良い。でも郝萌は信用できない。目が笑ってない。俺と同じ種類の人間だ。つまり腹黒い)


郝萌の目は常に周囲を窺っており、口元には薄ら笑いを浮かべているが、それがまったく目に届いていない。俺は営業部にいた頃、こういうタイプを何人も見てきた。愛想は良いが、決して信用してはいけない種類の人間だ。


「遅いぞ、高順」


胡軫がギロリと睨んできた。その声は、広間の空気を震わせるほどの重みがあった。


「貴様、病み上がりだそうだな? 戦力にならんのなら、後ろで寝ていてもいいのだぞ?」


嫌味だ。先制の平手打ちのような言葉。これもまた、どこでも変わらない光景だった。力のある上司が、体調を崩して休んでいた部下に対して見せる、古典的な嫌味だ。


(え、怒られた。でもここで謝ったら舐められる。どうしようか)


俺が口を開く前に、呂布が冷たく言い放った。


「フン。寝ていても勝てる戦なら、苦労はせんな。そうであろう、胡将軍」


ピキッ。


胡軫の額に青筋が浮かんだ音が聞こえた気がした。実際には聞こえるはずがないが、それほどまでに、その怒りは目に見えるものだった。


「なんだと? 呂布、貴様!」


「事実だろう? 相手は『江東の虎』孫堅だ。貴様のその鈍重な頭で、勝算はあるのか?」


(将軍!? 挑発してどうするんですか!? 馬鹿なの? アホなの? 死ぬの? うん、こいつはバカでありアホでもある。そして確実に死ぬ。うん、人の事言えないが完全に煽ってる! ここで殺し合い始まったら俺も巻き込まれて死ぬ!)


俺は心の中で悲鳴を上げた。このままだと軍議どころか、ここで殺し合いが始まる。呂布の手が、無意識に腰の剣の柄に伸びている。胡軫の顔は茹で上がった蛸のように真っ赤だ。


「おやめください、お二方」


誰かが割って入った。


華雄だ。身長二メートル近い巨漢だが、今は二人の板挟みで胃が痛そうな顔をしている。彼が今回の先鋒だ。そして、史実では今回死ぬ予定の人だ。


(華雄さん。胃が痛そうなのわかる。俺も今めっちゃ胃痛い)


華雄の額にはうっすらと汗が浮かんでいる。それは暑さのせいではない。純粋なストレスだ。彼は武人であり、政治的な駆け引きを得意としない。ただ命令に従い、戦場で敵を打ち倒すことだけを生き甲斐としてきた男だ。その彼が、味方同士の醜い争いを仲裁しなければならない立場に立たされている。


「今は敵が目前です。言い争いをしている場合ではございません」


その声には、必死の響きがあった。


「ふん」


胡軫が鼻を鳴らした。


「ならば華雄、貴様が行け。孫堅の先鋒を蹴散らしてこい」


「はっ!」


華雄が勇ましく答える。


ああ、行ってはいけない、華雄。それは死地だ。史実では程普の罠に嵌まって死ぬ。彼は今、死刑執行書に自ら判を押したようなものだ。


(どうしようどうしよう。このままじゃ華雄が死ぬ。華雄が死んだら俺の生存確率も下がる。でもどうすれば)


その時、呂布が俺を見た。その目は、これまでの不遜な態度とは違い、どこか試すような色を帯びていた。


「高順。貴様はどう思う?」


(えっ!? なんで!? なんでここで俺に振るの!? 空気読めてない!? いや読んだ上で振ってる!? 最悪!)


全員の視線が俺に集まる。胡軫の「余計なこと言ったら殺す」という視線。呂布の「退屈なこと言ったら殺す」という視線。張遼の「高順殿なら何か考えがあるはず」という期待の視線。華雄の「助けてくれ」という視線。


(おい文遠! 期待するな! 俺の能力は組織の歯車止まりだ! エクセルとパワポなら任せろ! でも戦争は無理!)


だが、口は動いた。生存本能が、脳味噌をフル回転させる。ここで何も言わなければ、華雄は死ぬ。華雄が死ねば、次は俺だ。つまり、沈黙は死だ。ならば、言うしかない。


「……恐れながら、申し上げます」


俺は覚悟を決めた。ここで何も言わずに死ぬより、言って死ぬ方がマシだ。いや、死にたくはないが!


「孫堅は猛将ですが、遠征軍ゆえに兵糧に不安があるはずです。正面からぶつかるのは下策。華雄将軍には堅く守っていただき、その間に別動隊が」


「軟弱な!」


胡軫が机を叩き割った。物理的に割れた。厚い木板が真っ二つだ。木片が飛び散り、近くにいた将校たちが慌てて身を引いた。


(うぉっ!? 机割れた!? この人腕力おかしい! 怖い! 俺にも出来るかな?)


自分の手を見る。この高順の身体なら、あるいは。いや、そんなことを考えている場合ではない。


「守れだと!? わしに、あの野盗ごときを恐れて引きこもれと言うのか!?」


(そうそう! だって怖いじゃん! でも言えない!空気を読んで言えない)


「……いえ、そうではございません」


俺は必死に取り繕う。心臓バクバク。手汗すごい。でも顔は無表情。これが俺の唯一の特技。ポーカーフェイス。どんな修羅場でも、顔だけは平静を保つ。前世で何千回と繰り返してきた技術だ。


「胡将軍の武勇を恐れぬ者はおりません。ですが、あえて敵を引きつけ、疲弊したところを一網打尽にするのが、相国の威厳を高められる戦いかと」


おだてた。心にもない美辞麗句を並べた。前世で上司にゴマをするのに使っていたテクニックだ。こんなところで役立つとは。


胡軫の表情が少し和らぐ。豚のような顔が、少しだけ緩んだ。


「ふむ。相国の威厳、か」


よし、いけるか? と思った瞬間、呂布が欠伸をした。大げさに、口を大きく開けて。


「くだらん」


(ちょっと!? この脳筋好色腐れゴキブリがァ! 今いいとこまで持ってったのに! 邪魔しやがって! 覚えてろィ)


呂布は冷たい目で俺と胡軫を見比べた。その目には、失望とも侮蔑ともつかない色が浮かんでいる。


「孝父、貴様も焼きが回ったか。小細工など不要。まあよい。胡文才、貴様が華雄を使い潰したいなら勝手にしろ。俺は知らん」


呂布は立ち上がった。軍議放棄だ。職務放棄だ。その長身が立ち上がると、天幕の中がいっそう狭く感じられた。


「おい待て呂奉先!」


「うるさい。高順、お前は俺の隊についてこい。遊撃隊として動く」


呂布が出て行く。その背中に向かって、胡軫が何か叫んでいるが、呂布は振り返りもしない。俺は胡軫に頭を下げ(胡軫は顔を真っ赤にして震えている)、慌てて呂布の後を追った。


天幕の外へ出ると、冷たい風が吹いていた。先ほどまでの淀んだ空気が嘘のように、清冽な空気が肺を満たす。


俺は深いため息をついた。


最悪の幕開けだ。部隊は分裂。総大将は激怒。エースはやる気なし。先鋒は死地へ向かう。


(無理。詰んだ。帰りたい。布団に包まりたい)


「張五! 陷陣営を集めろ! 出撃準備だ!」


「へい! 大将、顔色悪いっすよ?」


「うるさい! それどころではない!」


俺は叫んだ。これはハッタリでも何でもない。本当に胃が焼けるように痛いのだ。胃のあたりがキリキリと痛み、冷や汗が背中を伝っている。これが「ストレス性胃炎」というやつか。現代でも悩まされたが、まさか古代に来ても胃痛に悩まされるとは。


俺は自陣に戻り、直属の部下たちを見渡した。


「陷陣営」。


その名の通り、「陣を陥れる」ことを生業とする特攻部隊だ。総勢七百名。全員が重装備。全身を鉄と革の鎧で覆い、手には巨大な盾と長槍、あるいは大斧を持っている。


そして何より、目つきが鋭い。全員が「早く戦わせろ」「命令はまだか」という飢えた獣のような目をしている。前世の職場で死んだ魚のような目をしていた俺とは対照的だ。彼らの目には、恐怖や迷いが微塵もない。ただ、敵を倒すことだけを考えている。


(え、この人たち頭おかしいんじゃないの? そんなに戦争好きなんだ。理解できん。俺は帰りたい)


「将軍! 準備は万端であります!」


巨漢の呉資が鼻息荒く報告してくる。その手には、巨大な斧が握られている。斧の刃は丹念に研がれ、陽光を反射して白く輝いていた。


「我ら陷陣営の刃、錆びついてはおりません!」


章誼が剣を撫でながら薄ら笑いを浮かべる。その指先は、愛おしそうに刃の表面をなぞっている。


(ひぇ。章誼さん目がマジでヤバい。殺人鬼の目)


だが、彼らは俺を崇拝している。「高順将軍こそが最強」と信じて疑わない。その期待の重圧が、鎧よりも重くのしかかる。俺の一挙手一投足が、彼らの生死を左右する。その重圧は、かつて経験したどんなプレッシャーよりも重い。


(なんで!? なんで俺が最強扱いィ? 頭おかしいんじゃないの? あっ!中身違うんだって!そうだよな、俺と本人丸っきりちげぇし、こいつら知らねぇんだ! 俺ビビリだよ!? そして本人じゃないぜ!)


俺は震える膝を鎧の中に隠し、努めて低い声を出した。顔は無表情。これが俺の鎧だ。鉄の鎧よりも厚く、鋼の盾よりも固い、ポーカーフェイスという名の鎧。


「うむ。良い面構えだ」


(何言ってんだ俺。面構えとか時代劇かよ)


「これより我々は、呂将軍の左翼に展開する。だが、忘れるな。今回の戦、一筋縄ではいかん」


俺は声を潜めた。周囲に聞き耳を立てる者がいないことを確認してから、続ける。


「総大将と呂布将軍の連携は最悪だ。おそらく、先鋒の華雄将軍は孤立する」


部下たちがざわめく。その顔に、ようやく緊張の色が走った。


「いいか? 今回は勝つ為の戦に非ず、生き残る為の戦である。よって、我らは敵を攪乱し味方を多く生かす事にある!」


俺は断言した。心臓バクバク。でも言うしかない。これが俺の生存戦略だ。正々堂々と戦って勝てる相手ではない。ならば、勝たずして生き残る方法を選ぶ。臆病者だからこそ、その道を選べる。


「そして何よりも大事な事は『生き残ること』だ。なぜなら、戦だろうがなんだろうが死ぬのが一番みっともないからだ!」


(だって怖いんだもん。味方が死ぬのも、自分が死ぬのも嫌なんだもん)


「皆、死ぬなよ。死んで花実は咲かん!枯れちまうからな!」


一瞬の沈黙。


そして、部下たちの目に、狂気とは違う、熱い光が宿った。それは、死を恐れぬ戦士たちの目ではなく、生きることを誓った男たちの目だった。


(えっ? 今のそんなに良いこと言った? ただのビビリの発言だよ?)


「出撃だ!」


俺は驍風の腹を蹴った。本当は蹴りたくなかった。だって落ちたら死ぬから。でもやるしかない。これが俺の選んだ道だ。臆病者が生き残るための、唯一の道。


陽人の荒野に、二つの軍勢が対峙していた。


風が強い。砂塵が舞い、視界が黄色く霞む。空は鉛色に曇り、今にも雪が降り出しそうな気配だった。


前方には、孫堅軍。整然としている。旗指物が風にはためき、槍の穂先が波のように揃っている。「江東の虎」の異名は伊達じゃない。兵士たちの顔には、規律と自信が満ち溢れている。


(あれが孫堅軍。強そう。めっちゃ強そう。帰りたい)


対する我ら董卓軍。数は多い。だが、空気が悪い。兵士たちの顔には、不安と疑心暗鬼が渦巻いている。


そして、俺たちがいる左翼の呂布隊。


「あくびが出るな」


呂布がつまらなそうに呟いた。彼は馬上で頬杖をついている。やる気がない。これから生死を賭けた戦いが始まるというのに、その態度はまるで退屈な会議に出席している中間管理職のようだ。


(おいクソ上司、その体勢で落馬しないの? すんごい体幹。でもやる気出して。俺は死にたくないから)


「将軍、華雄殿が突撃を開始しました」


伝令兵が報告する。


「ほう。勝手に死なせておけ」


(ひどっ!? 嫌いでも味方でしょ!?)


前線では、華雄の部隊が孫堅軍の先鋒に突っ込んでいく。華雄は強い。身の丈九尺の大男が、大刀を振り回して敵兵を薙ぎ払う様は圧巻だ。彼の大刀が弧を描くたびに、敵兵が麦のように刈り倒されていく。


だが。


「罠だ」


俺は呟いた。孫堅軍の中央が、柔らかすぎる。華雄の突撃を受け流すように、ズルズルと後退している。まるで、最初からそのつもりだったかのように、整然と、秩序を保ったまま下がっていく。


(あれは誘引策だ。引き込んで包囲する気だ。やばい。華雄死ぬ)


「高将軍! 敵の右翼が動きました!」


張遼が鋭く叫ぶ。その指さす方角を見れば、孫堅軍の右翼から、一団の騎兵が砂煙を上げて飛び出してきた。先頭を行くのは、立派な髭を蓄えた敵将。程普だ。孫堅配下の四天王の一人。


程普の怒号が戦場に響く。側面を突かれた華雄隊は、一瞬で隊列を崩された。さらに、後退していたはずの中央軍が反転攻勢に出る。あっという間に、華雄は袋の鼠になった。三方を敵に囲まれ、退路を断たれた。


チラリと呂布を見る。呂布は、笑っていた。


「ククッ。無様なものよ」


(最低だこのゴキブリ野郎! でも怖いから何も言わないでおく! 何でかって? 死にたくねぇからだ!)


だが、ここで華雄を見殺しにすれば、次は俺たちの番だ。それに、華雄に恩を売っておけば、今後の軍内での立場を有利にできるはず。董卓軍内の派閥抗争を生き抜くためには、一人でも多くの味方が必要だ。


(やるしかないのか。俺が? 嫌だに決まってんだろ。怖いもん。逃げ出したい。あの中に入っていくのか? 刃物の嵐の中に? バッカじゃないの? くだらん事やりやがって!)


体中の血が騒いでいる。高順の肉体が「行け」と叫んでいる。でも心は「逃げろ」と叫んでいる。二つの相反する衝動が、俺の中で激しくぶつかり合う。


(ふざけんな! 俺はビビリだ! 戦いたくない! でもこのままじゃ死ぬ! だったら!)


俺は深呼吸をした。肺に砂の味が満ちる。冷たい空気が、気道を刺した。


「全軍、聞け!!」


俺は腹の底から声を張り上げた。心臓の音がうるさい。手が震えている。でも、それを隠すために、俺はいつもより大きな声を出した。いつもより偉そうに。いつもより冷酷に。それが俺のハッタリだ。臆病者の俺が、戦場で生き残るための、唯一の鎧。


「友軍を見殺しにするのは、陷陣営の恥だ! 我らで風穴を開ける! 狙うは程普の横腹! 私に続けえええッ!!」


「「応ッ!!」」


七百の野獣が咆哮した。大地を震わせるような、その雄叫びは、戦場の喧騒を一瞬でかき消した。


(うわあああん! このクソバーサーカー共め、みんなノリノリだよ! 怖いよ!)


俺は驍風の手綱を緩め、踵を打ち付けた。


馬が加速する。地面が飛ぶように後ろへ流れる。鐙がない? 関係ない。太ももが鞍に食い込み、体は馬と完全に一体化している。風が耳元で唸りを上げ、視界の端で砂塵が舞い上がる。


(速い! 怖い! 暴走する車のようだ! ブレーキどこ!? あっ、無かったわ、哺乳類生物の馬だもん、四輪駆動の機械じゃねぇもん。忘れてた)


前方、程普軍の側面が迫る。敵兵がこちらに気づき、槍を構える。槍の森。無数の穂先が、陽光を反射して不気味に光っている。刺されれば死ぬ。確実に死ぬ。


(やっぱり帰りたいいいい!)


でも止まれない。俺の体が勝手に動く。右手の長槍を小脇に抱え、重心を低くする。体が、戦いの姿勢を取る。魂とは裏腹に、肉体は完全な戦闘態勢に入っていた。


「邪魔だアッ!!」


ドオオオン!!


衝撃音。俺の槍が、敵の盾兵を吹き飛ばした。敵兵が紙人形のように舞う。盾が砕け、鎧が裂け、身体が宙を飛ぶ。


その時、俺は見た。


跳ね上がる血飛沫。槍の穂先が、敵兵の頸骨を砕き、そこから白い骨の断面が覗く。鮮血が噴水のように噴き出し、俺の鎧を赤く染める。断末魔の叫びが耳をつんざき、すぐに血の泡に変わって消える。


これが戦場か。これが、人を殺すということか。


俺の腿には、名も知らぬ敵兵の最後の抵抗が残した歯型が刻まれていた。


「うおおおおおおおお!」


敵兵の悲鳴が聞こえる。混乱が、程普軍の側面を飲み込んでいく。


俺の後ろに続く七百の精鋭たちもまた、重戦車のように敵陣を蹂躙していた。彼らは「止まらない」。矢が当たろうが、槍で突かれようが、痛みを無視して前進してくる。その姿は、まさに「陷陣」の名にふさわしい。


敵の陣形が、メリメリと音を立てて裂けていく。


その先に、血まみれになって戦う巨漢が見えた。華雄だ。もう限界だ。兜は飛び、ざんばら髪になり、全身から血を流している。それでもなお、大刀を振るって戦い続けている。


「華将軍ッ!」


「華雄、覚悟!」


程普が矛を振り上げる。その切っ先が、華雄の心臓を狙って一直線に突き出された。


(華雄が死ぬのは史実通りだけど…俺にもデメリットあるよね?ん⁉︎死なせるかアッ! 華雄が死んだら俺の生存確率も下がるんだよ!ボケカスぅ!)


俺は驍風の尻を蹴りつけた。馬が最後の加速をする。手綱を離し、矛を投げる構えを取る。肩の筋肉が悲鳴を上げる。


「せいやあああッ!!」


俺は槍を投擲した。矢のような速度で放たれた長槍が、唸りを上げて空を裂く。


ガギィンッ!


程普の蛇矛が、俺の槍を弾く。金属と金属が激しくぶつかり合い、火花が散った。


「なにやつ!?」


程普が驚愕の声を上げる。その視線が、こちらに向けられた。

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