三段
董卓の昔語りは、反董卓連合の決起のあたりで途切れた。
彼は酒杯を握りしめたまま、長い沈黙に落ちた。庭園を吹き抜ける夜風が、池の酒の表面にさざ波を立て、木々の枝に吊るされた肉塊をゆっくりと揺らす。遠くでは宴の残骸がまだ燻り、酔いつぶれた将軍たちの寝息が聞こえていた。私はその沈黙を破ることができなかった。董卓の目には、かつての自分を裏切った者たちへの怒りと、信じていた者たちにことごとく見放された孤独が、濁った酒のように混ざり合っていた。
「孝父よ。お前は俺のことをどう思う」
不意に董卓が問いかけた。その声は、先ほどまでの激情が嘘のように静かだった。彼は玉座に深く身を沈め、天井を見上げている。
「歴史は俺を『暴君』と書くだろうな。洛陽を焼き、天子を廃し、名門を殺した魔王。そう書かれるに決まっている」
私は答えられなかった。なぜなら、董卓の言う通り、後世の歴史書はまさにそのように董卓を記録しているからだ。私はその歴史書を読んで育った現代人である。董卓が暴君であることは、私にとって疑いようのない「常識」だった。しかし今、私の目の前にいるのは、羌族と酒を酌み交わした若者であり、九千匹の絹を全て部下に分け与えた将軍であり、国を正そうと志しながら裏切られた一人の男だった。歴史書の董卓と、眼前の董卓。その二人の間には、あまりにも深い溝がある。
「だがな、孝父。俺には俺の理由があった。誰も理解してくれなかったがな」
董卓はそう言って、再び酒杯を煽った。
反董卓連合の決起後、董卓の行動は明らかに変わった。
洛陽では名士を登用し、清流派の復権を進め、朝廷の腐敗を正そうとしていた。蔡邕を招き、周毖や伍瓊を信任し、党錮の禁で傷ついた者たちを救済した。これらの施策には、辺境で育った董卓なりの正義があったはずだ。しかし長安に移ってからの董卓は、すべての人を疑い、わずかな反抗の兆候にも過剰に反応し、恐怖によって人を従わせようとした。侍御史の擾龍宗が剣を外さずに報告したという些細な理由で撲殺したのはその一例であり、かつての上司である張温を笞で打ち殺したのも、反董卓の噂を聞いたからだという。この変貌はなぜ起きたのか。
(反董卓連合の決起によって、董卓は完全に人間不信に陥った。せっかく目をかけ、抜擢してやった者たちが、次々と彼を裏切ったのだ。袁紹も、曹操も、袁術も。董卓が信じて送り出した者たちが、こぞって反旗を翻した。この経験が董卓の心を決定的に歪めた。彼はもはや誰も信じられなくなった。信じられないからこそ、恐怖によって人を従わせるしかなくなったのである)
董卓は長安に遷都した後、郿城に巨大な要塞を築いた。城壁は高く厚く、内部には三十年分の食糧が蓄えられた。彼はここに一族郎党と莫大な財宝を移し、自らの安全を確保しようとした。長安から西へ二百五十里も離れたこの地にこもることで、董卓は外部の脅威から完全に身を守れると考えたのである。
「これで、誰にも俺の命は奪えぬ」
董卓はそう言って満足げに笑ったという。しかし彼は気づいていなかった。自らを守るために築いた城壁が、むしろ彼を都の動きから遠ざけ、孤立させていることを。そして、その孤立が、彼の首を狙う者たちに好機をもたらすことを。
私は董卓の口から直接、彼が行ったとされる悪事の数々について、彼なりの釈明を聞くことができた。ここでその内容を整理しておきたい。ただし、これは董卓の側からの一方的な言い分であり、すべてを真に受けるわけにはいかない。私はあくまで歴史の記録と照らし合わせながら、董卓という人間の実像に迫ろうとしているのである。
まず、洛陽の貴族や皇族から財産を没収し、兵士に婦女を略奪することを許した件について。董卓はこう語った。
「孝父よ。洛陽の国庫は空っぽだった。霊帝の時代、宦官どもが賄賂を貪り、貴族たちが私腹を肥やした。そのツケを民衆に回していたのだ。俺はそれを正そうとした。賄賂で肥え太った者たちから財産を没収し、国庫を充実させる。それが俺のやり方だった。それから、俺の権力基盤は軍兵だけだ。反董卓連合が決起して地方からの収入が途絶えた。兵士たちをつなぎとめるには、略奪を許すしかなかった。分かるか、孝父。俺は奴らを養わねばならなかったのだ」
(董卓にとって、貴族や皇族は腐敗の象徴だった。彼らが不正に蓄財した財産を没収して国庫に充てることは、彼の正義にかなった行為だったのだろう。事実、霊帝時代には賄賂による国庫の充実が行われており、董卓は宦官誅殺と賄賂撲滅を掲げていた。間接的に民衆の負担となる賄賂によって財政再建を行うことは、彼の本意ではなかったはずだ。しかし兵士に略奪を許したことは、決して褒められた行為ではない。だが、なにも董卓だけが行った特別な残虐行為というわけでもない。この時代、戦に勝った軍が略奪を行うことは常態ですらあった。董卓は兵士たちを愛していた。羌族の頭領から千頭の牛を贈られたあの日から、彼は「自分の仲間」に対しては無償の慷慨さを示してきたのである。しかしその愛は、無辜の民を犠牲にするという歪んだ形でしか表現できなくなっていた)
侍御史・擾龍宗を撲殺した事件についても董卓は語った。
「あの男は剣を外していなかった。俺は常に暗殺の危険を感じていた。家柄も低く、世間での評判も悪い俺にとって、誰もが敵になりうる。剣を外さなかったということは、俺を殺す意志があるということだ」
(擾龍宗の撲殺は過剰な反応だが、董卓が置かれていた極限の緊張状態を考えれば理解できない行為ではない。権力の中枢に立ちながら、味方と呼べる者はわずかしかいなかった董卓の孤独が、この事件の背後には横たわっている)
さらに、村祭りの住民を虐殺したとされる事件についても、董卓はこう語った。
「あの時、各地で反董卓連合が決起していた。その最中に、許可なく祭祀を行っていた者たちがいた。法令では、三人以上集まって群飲することや、許可なく祭祀を行うことを禁じている。俺はあの者たちを賊とみなした。それが間違いだったとでも言うのか」
(『魏書』董卓伝はこの事件を反董卓連合の決起よりも前に記述しているが、時系列が混乱している可能性がある。そもそも董卓について記されている歴史書は、最終的に董卓と敵対した勢力によって編纂されている。董卓の残虐性をことさらに強調し、反董卓連合を義挙として描くための印象操作がなされているとしても、おかしくはないのだ。それに、黄巾の乱も起きている…為政者として敏感になるのも仕方がない)
五銖銭の改鋳についても、董卓は語った。
「地方からの収入が途絶えた。しかし俺は民に重税をかけることはしなかった。その代わりに貨幣を改鋳した。結果は民を苦しめた。だが俺には、あれ以外の方法が思いつかなかった」
(董卓は民衆から直接搾取することを避け、間接的な手段で財政を賄おうとした。その意図がどうあれ、結果は同じく民衆を苦しめたのだが、董卓なりの「民から直接奪わない」という原則があったことが窺える。これもまた、辺境で貧しさに苦しむ民の姿を目の当たりにしてきた彼の、歪んだ優しさの表れだったのかもしれない…少なくとも曹操のように他人の墓を暴いたり虐殺を行ったり、劉備のように貨幣の偽造をしなかった)
董卓はさらに、自ら相国の位に就いたことについても釈明した。
「少帝が即位した時に、幼い天子の代わりに政権を担う録尚書事に任命されたのは何進と袁隗だ。何進は死んだが、袁隗は健在だった。俺が天子の廃立を実現できたのも、袁隗の同意があったからだ。その袁隗の上位に立つためには、どうしても相国の位に就く必要があった」
(董卓が相国の位に就いたことは、後世の歴史家によって「権力欲の表れ」と断じられている。しかし董卓は、自分の近親者を高い官位に就けることはしなかった。もし権力欲だけで動いていたのなら、もっと露骨な身内登用を行ったはずだ。それをしなかったということは、董卓には別の動機があった証拠ではないか)
これらの「悪事」を総合すると、一つの像が浮かび上がってくる。
董卓は、不正をなくし、特権階級を解体して困窮する民衆を救うことを目指していたのではないか。彼は辺境で虐げられてきた者たちの痛みを知っていた。都の貴族たちが賄賂で私腹を肥やす一方で、農民たちが重税に苦しむ。その矛盾を、董卓は誰よりも痛感していた。だからこそ彼は、腐敗した朝廷を根本から正そうとしたのである。
(しかし、董卓の正義はあまりに純粋すぎた。彼は「自分が正しいと思ったこと」を、周囲の反対を押し切って実行する。天子の廃立も、何太后の殺害も、貴族からの財産没収も、董卓にとってはすべて「正しいこと」だった。その純粋さが、彼を暴走させた。董卓は政治の複雑さを理解していなかった。正義だけでは国は動かない。妥協も、根回しも、時には不正を見逃す寛容さも、政治には必要だ。董卓にはそれが欠けていた。彼の正義は辺境の侠客の論理のままだった。酒を酌み交わし、誠実に接すれば、相手も誠実に応える。牛を屠ってもてなせば、千頭の牛が返ってくる。そう信じて洛陽に乗り込んだ董卓は、しかし洛陽という都が「誠実さ」ではなく「利害」で動く世界であることを思い知らされたのだ)
董卓の人生は理想が現実に敗れ、正義が狂気に変わる過程そのものだった。彼は国を正そうとした。そのために少帝を廃し、献帝を立て、反対者を粛清した。しかしその一つ一つの行動が、彼を「魔王」へと変えていった。董卓は自分が何を間違えたのか、最後まで理解できなかっただろう。そして理解できないまま、彼は歴史の闇に消えていく。それが董卓という男の、誰よりも孤独な最期なのかもしれない。
董卓はやがて杯を置き、静かに言った。
「行け、孝父。媛を頼んだぞ。あやつはじゃじゃ馬だが、根は寂しがり屋だ。お前なら、彼女を幸せにできるだろう」
董卓の声は、それまでの激情が嘘のように穏やかだった。娘を託すということは、彼が私を信頼している証でもあった。天下を敵に回した魔王が、最後に信じたものの一つが、他ならぬ私だったのである。
「のぅ? 孝父。天下は……誠に忠義の士が多いのぅ」
董卓が唐突にそう言って話題を変えたのは、私の沈黙を気遣ってのことだったのかもしれない。
「はっ、我々が思っていたより多いかと」
「なぜじゃ?」
「口にする者が多く、その行いで示す者が少ないからです」
「ふっははは! その答え気に入ったぞ!」
董卓は大笑いした。その笑い声が、広い庭園にやけに響いた。それが、董卓と私の最後のゆったりとした語らいとなった。
(董卓は死ぬ。歴史の必然としてすでに定まっている。呂布の戟に喉を貫かれ、長安の市場にその首を晒される日は、もはや遠くない。しかし私は、董卓から託された項羽の刀を手に、彼の生涯を振り返り続けるだろう。歴史書の董卓と、私が見た董卓。その二人の間にある深い溝を埋めるために。そして彼の理想を継ぎ、過ちを繰り返さないために。董卓が夢見た「太平の世」は、彼の手では実現できなかった。しかし私は、この并州の地で、それを形にしてみせる。法と秩序によって民を守り、恐怖ではなく公正さによって人を従わせる。それが私の、歴史への答えだ)




