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社畜が目覚めたら将軍!? 史実(未来予知)で成り上がり、乱世を生き抜く  作者: 八月河
第十五回 諸侯連合討遼東 高順孤軍戦黎陽
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三段

洛陽の正殿で行われた論功行賞の儀は、恙なく終わった。


学堂の設立、諸侯の封爵、北辺の征伐権、朝廷人事の陛下裁可。高順と曹操が連名で奏上した四つの提案は、献帝によってすべて裁可された。劉虞は燕王、劉表は楚王、劉備は梁王、孫堅は呉侯、袁紹は斉侯。漢室の宗族を王とし、異姓を侯とする。高祖以来の「異姓を王とせず」の遺訓は、こうして守られたのである。


儀式が終わると、献帝は参列した諸将や文官たちを労うため、大広間で宴を開くことを宣言した。すでに夕刻が近づいており、宮中の厨房では朝から料理の準備が進められていたという。手際の良さに、高順は思わず苦笑した。献帝は最初から和睦が成ると信じて、宴の準備を整えていたのだろう。


広間には数十の卓が並べられ、参列者たちが次々と席に着く。上座には献帝が座り、その左右に曹操と高順が控えた。さらにその下に劉虞、楊彪、蔡邕、荀彧、そして諸侯を代表して孫堅と馬騰が席を占める。


酒が注がれ、料理が運ばれてくると、広間の空気は次第に和やかさを増していった。献帝が杯を掲げる。


「此度の和睦、まことに慶ばしい。丞相、驃騎将軍、両名の尽力に感謝する。そして戦に参加した諸侯、将兵の労を、朕は決して忘れぬ。今夜は無礼講とする。みな、心ゆくまで飲み、語らい、明日への力を養ってほしい」


献帝の言葉に、広間からは大きな拍手が沸き起こった。


高順は杯を手に取り、静かに酒を啜った。薊県の酒とは違う、洛陽の宮廷で出される酒は、米を原料とした淡い味わいだった。悪くはない。だが、やはり少し物足りないとも思う。北の地で生きるには、もっと強い酒が必要だった。


「孝父、難しい顔をしているぞ」


声をかけてきたのは曹操だった。彼はすでに杯を重ねているらしく、頬がほんのりと赤い。


「俺はいつもこんな顔だ」


「そうだったな。だが、今夜ばかりは少しは笑ったらどうだ。せっかくの宴だぞ」


「お前こそ、飲み過ぎるなよ。明日は朝廷の会議が控えている」


「堅いことを言うな。陛下が無礼講と仰せなのだ。たまには酔うのも悪くない」


曹操はそう言って、高順の杯に自ら酒を注いだ。高順は少し驚いた顔をしたが、黙ってそれを受ける。敵の大将から注がれた酒を飲む日が来るとは、数ヶ月前には想像もしなかった。


「孝父」


「何だ」


「お前とこうして酒を酌み交わす日が来るとはな。黄河の中洲で会う前は、互いの首を取り合っていたというのにな」


「それが戦というものだ。だが、終わってみれば、お前と俺の間に決定的な違いなどなかったのかもしれぬ」


「ほう?」


「お前は天下を平定したい。俺は民を守りたい。それは同じことだ。ただ、手段が違っただけだ」


曹操はしばらく高順の言葉をかみしめるように黙り込み、それから低く笑った。


「手段が違っただけ、か。その手段のために、俺たちは三月も睨み合い、何万もの兵糧を浪費した。それが無駄だったとは言わぬが、いささか遠回りをしすぎたな」


「遠回りも悪くはない。遠回りをしたからこそ、こうして酒を飲んでいる」


「違いない」


二人は杯を掲げ、静かに酌み交わした。


宴がたけなわになった頃、孫堅が高順の席に歩み寄ってきた。


「高将軍! 陽人の戦い以来であるな!」


孫堅はすでにかなり酒が入っているらしく、その声は広間に響き渡るほど大きい。高順は苦笑しながら立ち上がり、孫堅を迎えた。


「文台兄、ようこそいらした。酒は強いか」


「強いも弱いもない! 今日は飲むぞ! 陽人の戦いでお前と戦ってから、もう十年になるか。あの時は互いに死力を尽くしたものだ」


「あの時は俺も若かった。文台兄の剛剣には、肝を冷やしたものだ」


「ははは! お前にそう言われると、悪い気はせぬな!」


孫堅は高順の肩をばんばんと叩きながら、上機嫌で笑った。かつて陽人の戦いで董卓軍の将として孫堅と激突した高順は、その剛勇を身をもって知っている。古錠刀を振るう孫堅の姿は、まさに猛虎の如しだった。今ではその孫堅と、同じ漢の臣として酒を酌み交わしている。乱世の縁とは、まことに不思議なものだった。


「文台兄、これからはどうされる」


「どうするも何も、俺は天子に代わって江南を統べる侯だ。まずは百越を従え、南の海に出て貿易をせねばならぬ。お前が言った通りにな」


「覚えておられたか」


「当然だ。あの言葉がなければ、俺はまだ中原の争いにしがみついていたかもしれぬ。感謝している」


孫堅は杯を掲げ、高順に向かって深く一礼した。その目には涙にも似た光が浮かんでいる。


「文台兄、頭を上げてくれ。俺はただ、思ったことを言っただけだ」


「その思ったことを言える男が、どれほど少ないか。孝父、お前はこれからも、そのままでいてくれ。誰に対しても、はっきりと物を言える男でいてくれ」


「善処する」


高順が静かに頷くと、孫堅は満足げに笑い、自分の席へと戻っていった。その背中を見送りながら、高順は孫堅の未来に思いを馳せた。元の歴史では、孫堅は荊州遠征の途中で命を落とし、その志は子の孫策、孫権へと受け継がれた。しかし今、この世界では孫堅はまだ生きている。呉侯として江東を治め、百越を従え、南海貿易に乗り出すだろう。それがどのような未来をもたらすのか、高順にも正確にはわからなかった。ただ、少なくとも悪い方向には向かうまいと思えた。


孫堅が席に戻ったのを見計らい、今度は馬騰が高順の前に姿を現した。西涼の騎馬民族を率いる将は、宴の席でも鎧こそ外しているものの、腰には短剣を佩いたままだ。武人らしい無骨な風貌に、高順は親しみを覚えた。


「高将軍、少しよろしいか」


「馬騰どの。改まった話か」


「いや、改まるほどのことではない。ただ、礼を言いたかったのだ」


馬騰は杯を手に、静かに言った。


「此度の和睦で、西涼に帰ることができる。韓遂とのいざこざは続いておるが、それでも朝廷が安定すれば、西涼も少しは静まるだろう。高将軍、そなたのおかげだ」


「礼には及ばぬ。馬騰どのこそ、よくぞこの戦に加わってくださった。西涼の騎兵は、曹操も恐れる精鋭だと聞く」


「精鋭かどうかはともかく、馬だけはいいのが揃っておる。だがな、高将軍」


馬騰は声を潜めた。


「西涼は広い。そして荒れておる。羌や氐との戦いは、これからも続くだろう。私はそのたびに兵を出し、戦い、死なせる。いつか自分も死ぬだろう。それは武将の定めだ。だが、息子たちだけは違う道を歩ませたい」


「馬騰どのには、ご子息が」


「ああ。馬超という。まだ若いが、すでに一騎当千の剛の者だ。それに馬休、馬鉄もおる。皆、武芸は達者だが、それだけでは西涼を出られぬ。高将軍、もし朝廷が学堂を西涼にも建ててくれるなら、いつか息子たちを学ばせたい」


高順は馬騰の目を見つめた。その目には、武人としての覚悟と、父親としての切実な願いが同居している。馬騰は羌族との混血と言われ、そのせいか肌は浅黒く、目つきも鋭い。しかし彼の心は、子供の未来を案じる一人の父親そのものだった。


「馬騰どの、学堂の件はまだ緒に就いたばかりで、西涼にまで手が回るのは先のことになるでしょう。だが、約束しよう。いずれ必ず、西涼にも学堂を建てる。あなたのご子息が学べる場を、必ず用意する」


「本当か」


「俺は約束を違えたことはない」


馬騰はしばらく高順の顔を見つめ、それから深く頷いた。


「信じよう。高将軍、そなたは不思議な男だ。敵でもなく、味方でもない。だが、妙に信頼できる」


「孫堅どのにも同じことを言われました」


「そうか。ならばきっと、そういうことなのだろう」


馬騰は杯を掲げ、高順と静かに酌み交わした。その顔には、わずかながら安堵の色が浮かんでいる。西涼の荒馬と恐れられる男が、今この瞬間は、ただの父親の顔をしていた。


宴が終わりに近づいた頃、高順は蔡邕の席に歩み寄った。蔡邕は宴の喧騒の中でも静かに杯を傾けており、高順の姿を認めると穏やかな笑みを浮かべた。


「お義父さま、今宵はゆっくりお話しする時間もなく、失礼いたしました」


「よいよい。そなたは今日、大任を果たしたのだ。わしのことなど気にする必要はない」


蔡邕はそう言って、高順の手を取った。


「孝父や、昭姫は元気にしておるか」


「はい。薊県で政務を補佐しながら、遼東の学堂の運営にも関わっております。手紙には、いつも『そちらは寒うございませんか』と。洛陽の寒さを案じております」


「あの子は、わしが洛陽に来た頃からずっと手紙をくれる。親孝行な娘だ。孝父、そなたは良い妻を持った。そして董媛どのもまた、そなたにとってかけがえのない伴侶だ。二人の妻を大切にな」


「はい。肝に銘じております」


「それと、学堂の件だが」


蔡邕は少し声を潜めた。


「各州に学堂を設立するという案、これはまことに素晴らしい。しかし同時に、大きな困難も伴うだろう。教える者が足りぬ。学ぶ者の身分をどう扱うか。何より、戦が終わったばかりの土地で、民に学問の必要性をどう説くか」


「お義父さまのおっしゃる通りです。遼東でも最初は苦労しました。民はまず食うことが先で、学問など後回しだと。しかし、学んだ者が村に戻り、用水路を引き、病気を治し、租税の計算を正しく行うようになると、民の考えも少しずつ変わってまいりました」


「そうか。実を以て示す。それがそなたのやり方なのだな」


蔡邕は満足げに頷いた。


「わしも洛陽の太学で、学問の灯を絶やさぬよう尽力する。そなたは北で、わしは洛陽で、それぞれに種を蒔こう。それがいつか、大きな実を結ぶことを信じて」


「はい。必ずや」


高順は深く一礼し、蔡邕の手を握り返した。


宴が終わり、参列者たちが退出を始めると、高順は董媛と張五が待つ控えの間へと向かった。


「夫君、お疲れさまでした」


「ああ。媛も疲れただろう。今日はゆっくり休め」


「はい。ですが、その前に一つご報告が」


董媛は表情を少しだけ曇らせた。


「鄴から早馬が届きました。袁紹どのの病状が、かなり思わしくないとのことです」


高順は眉をひそめた。袁紹の病は、黎陽の戦いが始まる前から聞いていた。和睦が成立した後、彼は代理人の袁譚を洛陽に残し、自身は鄴に帰還していたのである。洛陽での論功行賞にも顔を見せなかったのは、すでに病床にあったからだろう。


「袁譚は」


「まだ洛陽におります。ですが、鄴からの報せを受けて、明朝にも出立するのではないかと」


「そうか。袁紹も、もう長くはないかもしれぬな」


高順は窓の外を見つめた。春の夜の空には、半月が白く輝いている。河北の雄と呼ばれ、天下に名を轟かせた袁紹。かつては曹操と天下を二分する勢力を誇りながら、今は病床に伏し、その最期を待つばかり。人の世の栄枯盛衰は、まことに儚いものだった。


「袁紹が死ねば、袁家はどうなる」


「おそらく、三人の子息が爵位を巡って争うことになるでしょう。袁譚、袁煕、袁尚。誰が跡を継ぐかで、家臣団も分裂するはずです」


「曹操はそれを見越して動くだろうな」


「はい。丞相はおそらく、この隙に袁家の勢力を削ごうとするでしょう」


董媛の声は冷静だった。彼女は董卓の娘として育ち、権力の興亡を間近に見てきた。袁家の内紛も、彼女にとっては予想の範囲内の出来事なのだろう。


「媛、お前は袁家に対して、何か思うところはあるか」


「特にございません。父が生きていた頃、袁紹とは敵対しておりましたし、私自身は袁家と直接の関わりはありませぬ。ただ」


「ただ?」


「袁紹の妻、劉氏はなかなか気性の激しい方と聞いております。彼女が袁尚を後継に推せば、袁譚との間に深い確執が生まれるでしょう。そこに曹操がつけ込む。袁家の没落は、おそらく目前です」


高順は静かに頷いた。董媛の読みは鋭い。董卓の娘として朝廷の権力闘争を間近で見てきた彼女だからこそ、袁家の末路も冷静に見通せるのだろう。高順はあらためて、董媛という伴侶の得難さを思った。


「だが、もし袁家の争いが民を苦しめるようなことになれば」


「その時は、俺が動く」


高順の声には、確かな決意が込められていた。


翌朝、洛陽の東門では、帰還する諸侯たちの見送りが行われていた。


孫堅は江南へ、馬騰は西涼へ。それぞれがそれぞれの地へと帰ってゆく。高順は城門の上に立ち、その隊列を見下ろしていた。


孫堅の隊列が城門を出る時、彼は馬上から振り返り、高順に向かって手を振った。高順もまた、静かに手を上げて応える。あの剛勇の将が、これから江南で何を成すのか。高順は心の中で、彼の武運を祈った。


馬騰の隊列は、孫堅よりも少し遅れて出立した。彼は西涼の騎兵たちを従え、静かに馬を進めている。城門の下を通り過ぎる時、馬騰は一度だけ馬上から高順を見上げ、小さく頷いた。その目には、昨夜の宴で見せたものと同じ、父親としての穏やかな光が宿っていた。


「西涼の荒馬も、これでしばらくは静かだろう」


高順の隣に立った曹操が、低く呟いた。


「馬騰はお前が思うより、ずっと分別のある男だ。息子たちの未来を真剣に考えている。西涼にもいつか学堂を建ててやりたい」


「ほう。学堂か。お前は本当に、どこまでも学問が好きだな」


「学問が人を変える。それは遼東で証明済みだ」


「ならば期待しておこう。西涼の馬どもが漢字を覚え、論語を唱える日をな」


曹操は皮肉っぽく笑ったが、その目には微かな期待も混じっていた。高順が遼東で成し遂げたことを、曹操は誰よりも正確に評価している。異民族を武力で従えるだけなら、他の将軍にもできる。しかし彼らに文字を教え、法を理解させ、交易で結びつける。それは高順にしかできないことだった。


洛陽の王府に戻ると、董昭が書簡を抱えて待っていた。


「高将軍、遼東と薊県からの書簡が届いております。蔡琰さまからのお手紙も」


「ありがとう、董昭どの」


高順は書簡を受け取り、封を切った。蔡琰からの手紙は、彼女らしい端正な筆跡で綴られている。


「夫君へ。薊県はようやく春を迎え、桃の花が咲き始めました。遼東の学堂では、新たに鮮卑の若者十名が入学し、漢字を学び始めております。彼らの目は、希望に輝いております。どうか洛陽での務めを恙なく終えられ、早くお戻りくださいますよう」


高順は手紙を読み終えると、そっと胸に押し当てた。


「媛、昭姫が待っている。だが、俺はまだ洛陽を離れるわけにはいかぬ」


「はい。袁家の件が片付くまでは、夫君はここに留まるべきでしょう。昭姫には、私から手紙を書いておきます」


「すまぬな」


「お気になさらないでください。昭姫もきっと、同じことを仰るはずです」


董媛はそう言って微笑んだ。彼女は蔡琰を深く尊敬しており、蔡琰もまた董媛を実の妹のように大切にしている。二人の妻の間に、嫉妬や確執は一切なかった。それもまた、高順にとっては何よりの幸運だった。


「高将軍、今後の予定ですが」


董昭が一歩進み出た。


「学堂設立の準備は、陛下の裁可を得て進んでおります。洛陽の太学を中心に、各州へ展開する手筈は整いました。ただし、先に申し上げた通り、西涼と益州は当面見送りとなります」


「それでよい。まずは安定した州から始めよう。冀州、并州、幽州、青州、徐州、兗州、豫州、荊州北部。これらの地に、順次学堂を建てる。急ぐ必要はない。十年かけて、少しずつ広げていけばよい」


「承知いたしました。つきましては、各州の長官に書状を送り、学堂の用地と教師の手配を依頼いたします」


「頼む。それと、遼東の学堂で学んだ者たちの中から、教師として派遣できる者を選んでおいてほしい。鮮卑や高句麗の出身者でも構わぬ。むしろ、異民族の若者が漢字を学び、教える側に立つことに意味がある」


「なるほど。異民族が教える側に立つことで、偏見を取り除くというわけですな」


「ああ。学問に民族の壁は不要だ。知を求める者すべてに、学びの場を与える。それが俺の理想だ」


董昭は深く一礼し、書類を抱えて退出していった。


それから数日が過ぎた。


洛陽の春は穏やかで、街には活気が溢れている。高順は曹操や献帝と共に、朝廷の政務をこなしながら、学堂設立の準備を進めていた。


そんなある日の午後、鄴から悲報が届いた。


袁紹が没したのである。


享年は五十に届かなかったという。河北の雄と呼ばれ、名門袁家の四代三公の血を引き、天下に号令した男の最期は、病床での孤独なものだった。長子の袁譚は洛陽から鄴へと急行したが、間に合わなかったらしい。


袁紹の死とともに、斉侯の爵位を巡る争いが始まった。長子の袁譚が当然の如く跡を継ごうとしたが、劉氏が推す末子の袁尚がこれに異を唱えた。次男の袁煕はどちらにもつかず、静観を決め込んでいる。鄴の袁家は、早くも分裂の様相を呈していた。


「孝父、どう見る」


曹操が王府を訪ねてきて、高順に問うた。


「袁譚と袁尚の争いは長引くだろう。どちらが勝っても、袁家は弱体化する。そこをお前がつつくかどうかだ」


「俺は静観するつもりだ。手を出せば、かえって面倒なことになる。それに、袁家の領地や民は、いずれ朝廷が接収すればよい」


「賢明だな。だが、民が戦に巻き込まれぬよう、見極めは必要だ」


「ああ。そこは俺に任せておけ。お前はお前で、北の備えを固めておくがいい。この機に乗じて鮮卑や烏桓が動くかもしれぬ」


「わかっている。遼東にはすでに連絡を入れた。昭姫が指揮を執ってくれているはずだ」


高順の声には、蔡琰への揺るぎない信頼が込められていた。


袁尚が新たな斉侯として認められたのは、それからひと月ほど後のことだった。


献帝の裁断によるものである。袁譚はこれに強く反発したが、朝廷の決定は覆らなかった。袁煕は病没し、その未亡人である甄氏は、曹操の子息・曹丕の妻となった。この婚姻は洛陽でも大きな噂となり、曹操が袁家の残した地盤を取り込もうとしている証左だと囁かれた。


高順はこの一連の騒動を、洛陽の王府で静かに見守っていた。


袁紹の死。袁家の分裂。甄氏の再嫁。それらはすべて、元の歴史でも起こったことだ。しかし細部は異なっている。袁譚がここまで強硬に抵抗するとは、高順も予想していなかった。袁煕の死も、元の歴史より早い。何より、献帝が自らの裁断で袁尚を斉侯に決めたことは、大きな意味を持っていた。これまでは曹操の傀儡でしかなかった天子が、確かに自分の意思で動き始めている。


「孝父、まだ洛陽に留まるのか」


曹操が尋ねたのは、袁尚の継承が正式に決まった日の夕刻だった。


「ああ。もうしばらくはな。学堂の準備もあるし、朝廷の再編もまだ道半ばだ」


「そうか。お前が洛陽にいてくれると、俺としても助かる。陛下も喜んでおられる。なにせ、お前がいると陛下の顔つきが違う」


「買い被りだ」


「いや、本心だ。陛下はお前を兄のように慕っておられる。それは俺にもわかる」


曹操は珍しく真剣な表情でそう言った。


「孝父、これからの朝廷は、俺一人で動かすものではない。陛下が中心に立ち、お前と俺が支える。そういう形が、理想だと俺は思う」


「孟徳、お前がそこまで言うとはな」


「俺も歳を取ったということだ。若い頃は、天下は俺一人で取れると思っていた。だが今は違う。お前という友を得て、少しは賢くなった」


二人は顔を見合わせ、それから同時に笑った。


洛陽の春は、まだ続いている。戦は終わり、朝廷は動き始め、民は日常を取り戻しつつあった。しかしそれは、新たな歴史の始まりに過ぎない。袁家の没落、曹操の台頭、献帝の成長、そして高順の北辺防衛。それらすべてが絡み合いながら、天下は次の局面へと向かおうとしていた。


高順は洛陽の王府の窓から、暮れゆく空を眺めた。北には蔡琰がいる。東には遼東がある。しかし今、彼が立つべき場所は洛陽だった。天子の傍らで、新しい国のかたちを作ること。それもまた、高順の選んだ道の一つだった。

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