表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
社畜が目覚めたら将軍!? 史実(未来予知)で成り上がり、乱世を生き抜く  作者: 八月河
第十五回 諸侯連合討遼東 高順孤軍戦黎陽
PR
115/118

第十五回 諸侯連合討遼東 高順孤軍戦黎陽 五段

黎陽の大地に、長く尾を引く冬がようやく終わろうとしていた。


城壁の上に立つ高順の吐く息は、もう白くはならない。黄河の対岸に広がる連合軍の陣地を眺めながら、彼は静かに時を数えていた。開戦から、すでに三月が過ぎている。


あの初日の激突以来、両軍の間に大規模な会戦は起きていなかった。互いに塁壁を重ね、睨み合い、小競り合いを繰り返すだけの日々が続いている。三十五万の連合軍は黄河を挟んで幾重にも陣を構え、対する黎陽城には高順直轄の陥陣営十万を中核とする六十万の大軍が集結していた。両軍合わせて百万近い兵力が、この狭い地域で身動きも取れずにいるのである。


高順はゆっくりと城壁を歩きながら、各部隊の様子を検分していた。左翼には張遼、張郃、張燕の三将が騎兵を率いて遊軍として控え、馬の手入れに余念がない。右翼では華雄、徐栄、郝萌が歩兵を指揮し、退屈そうに武具の点検を繰り返している。中央本陣の陥陣営は、今日も変わらぬ規律のもとで鍛錬を続けていた。侯成、宋憲、魏続は城壁の上で弩兵の指揮を執り、孫観、尹礼、徐翕、毛暉、張白騎、昌豨、呉敦らは城外の陣地で兵たちとともに食事を取っている。恵衢、秦翊、張勲、萇奴、祖郎といったかつて敵対した将たちも、今は高順の軍旗の下で屈託のない笑顔を見せていた。


誰一人として死んでいない。それが、高順にとって何よりの誇りだった。


開戦以来、両軍の損害は驚くほど少なかった。初日の激突でさえ、負傷者は出たものの戦死者はごくわずかである。その後の小競り合いでも、互いに深追いを避け、無用な流血を厭うような戦い方が続いていた。曹操もまた、同じ思いなのかもしれないと、高順は思うことがある。互いに相手を討たねばならぬと知りながら、本気で殺し合うことをためらっている。それが曹操という男の矛盾であり、高順自身の矛盾でもあった。


城内の政庁に戻ると、文官たちが今日も黙々と仕事を続けていた。沮授、田豊、賈詡、董昭の四名は卓を囲んで敵陣の分析に余念がなく、審配、辛毗、荀諶、逢紀は積み上げられた書簡を手分けして処理している。耿包、王修、沐並、韓珩は城内の民の暮らしを支えるための施策を練り、徐勲、劉献、張景明は六十万の将兵を養う糧秣の在庫を確認して回る。郭図と辛評は敵陣の内情分析を続け、張邈、張超の兄弟や金尚、閻象、張炯、李孚は文書行政を担い、許汜、王楷、畢諶、楊弘、袁嗣、舒邵、韓胤、諸葛玄、師宜官といった面々も、それぞれの持ち場で無数の仕事をこなしていた。


「将軍、本日も敵に大きな動きはありませぬ」


賈詡が顔を上げ、淡々と報告する。その声には緊張感よりも、むしろ退屈さが滲んでいた。三月もの間、毎日同じ報告を繰り返しているのだ。無理もない、と高順は苦笑する。


「曹操も手をこまねいているわけではあるまい。何か策を練っているはずだ」


「無論でございましょう。ですが、こちらが動かねば、あちらも動きようがありませぬ。我々は十分な兵糧と堅固な城塞を持ち、六十万の兵が疲弊することなく待機しております。対する連合軍は、黄河を越えての補給に苦しみ、諸侯の足並みも揃わぬ。時間は我々の味方でございます」


田豊がそれに続いた。


「賈詡殿の言われる通りです。ただ一つ懸念があるとすれば、兵たちの士気でございます。長引く睨み合いに、さすがに倦み疲れが見え始めております。何か目標を与えねば、緩みが生じるやもしれませぬ」


高順は頷いた。六十万の大軍を遊ばせておくことは、指揮官として避けねばならない失策である。だが、かといって無謀な攻勢に出るわけにもいかない。この微妙な均衡こそが、高順の戦略そのものなのだから。


「兵たちには、定期的に演習を行わせろ。ただ待つのではなく、常に戦う準備を整えているのだと、自覚させるのだ。張遼と華雄に競わせてもよい。功を競う相手がいれば、兵は弛まぬ」


「はっ」


董昭が筆を執り、すぐさま命令書を認め始めた。


政庁の片隅では、耿包と王修が民の代表と面会していた。三月に及ぶ対峙の中で、城下の民たちもまた不安を募らせている。商売は滞り、田畑は荒れ、若者は兵として駆り出されたまま戻らない。耿包は粘り強く民の声に耳を傾け、王修は一つ一つの訴えを記録して回った。


「上将軍におかれましては、必ずやこの戦を終わらせ、皆が平和に暮らせる世をお約束くださいます。どうか今しばらくのご辛抱を」


耿包の誠実な言葉に、民たちは深く頷いて帰っていく。高順はその様子を遠くから見守りながら、胸の奥で何かが疼くのを感じていた。彼が目指す天下は、まだ遠い。その理想を実現するためには、まずこの戦いに勝たねばならない。だが、勝つとは何か。曹操の首を取ることか。それとも


「将軍」


不意に声をかけられ、高順は物思いから引き戻された。振り返ると、荀諶が立っている。


「袁紹の陣に動きがございました。白馬津の袁譚が、ついに兵を動かした模様です」


「何だと」


「ただし、南下ではなく、北へつまり、袁紹の本隊との合流を図っているようです。攻めるのではなく、退く構えと見てよろしいかと」


高順はしばし考え込んだ。袁譚が白馬津を放棄して北へ戻る。それは袁紹がこの戦いから手を引き始めたことを意味する。袁紹にとって、黎陽の戦いは「冀州奪回」の大義名分のもとに参戦したものの、三月もの間なんの戦果も上げられず、兵糧ばかりが消耗していく現状に業を煮やしていたのだろう。何より袁紹は、高順と曹操のどちらが勝っても、自分の利益にはならないことに気づき始めている。曹操が勝てば朝廷を掌握され、高順が勝てば冀州は永久に戻らない。どちらに転んでも、袁家の未来は暗い。ならば、これ以上の損耗を避け、次の機会を待つべきだ。それが袁紹の結論だったのである。


「袁紹が動けば、孫堅も動くでしょう」


賈詡が地図を指さした。


「孫堅は江東の防衛を気にかけております。もともとこの戦いに積極的だったわけではありませぬ。袁紹が脱落すれば、孫堅も兵を引き揚げる公算が高い」


「馬騰はどうだ」


「馬騰は西涼の誇りを懸けて参戦しておりますゆえ、簡単には退かぬでしょう。しかし、韓遂の援軍が遅れていると聞きます。単独では攻められず、結局は曹操と運命を共にするほかありますまい」


「劉備は」


田豊が答えた。


「劉備は曹操に従っているように見えて、常に独自の行動を模索しております。関羽、張飛、趙雲の三将を擁しながら、これまで大きな戦闘に参加していないのは、曹操に利用されるだけの戦は避けたいという意思の表れでしょう」


高順は深く息を吐いた。連合軍の結束は、すでに綻び始めている。曹操はそれを誰よりもよく理解しているはずだ。だからこそ、曹操は焦っている。荀彧から「耐えよ」と言われながらも、耐えきれずに何かを仕掛けてくる。高順はそう読んでいた。


「曹操の次の一手は何だと思う」


高順の問いに、幕僚たちは一様に沈黙した。しばらくして口を開いたのは、沮授だった。


「曹操は、将軍の心を揺さぶる策を打ってくるでしょう。正面からの戦いでは勝機がないと悟れば、人の心の隙を突く。それが曹操という男です。そして、将軍にとって最大の弱点は……」


「妻子、か」


高順は自ら言葉を継いだ。沮授は無言で頷く。


「曹操は必ず、遼東と薊県の情報を使う。鮮卑の侵入。蔡琰の危機。そうした情報を流して私を動揺させ、冷静さを失わせようとするだろう」


「将軍はそれに耐えられますか」


沮授の問いは、単なる確認ではなかった。それは主君の心の強さを試す、腹の底からの問いかけだった。高順は真っ直ぐに沮授を見つめ返した。


「耐えてみせる。私は上将軍だ。六十万の将兵の命を預かる者として、私情で判断を誤るわけにはいかぬ。昭姫も媛も、それをわかっている。わかっていて、私の妻でいてくれているのだ」


高順の声には、確かな強さがあった。だが同時に、その強さの裏には、言いようのない孤独が滲んでいた。六十万の大軍を率いながら、妻を案じることさえ許されない立場。それが上将軍・遼東郡王という孤独だった。


その夜、高順は久しぶりに深い眠りについた。夢を見た。それは薊県の政庁で、蔡琰が一人書物を読んでいる姿だった。傍らには董媛がいて、二人で何かを話し合っている。高順は声をかけようとしたが、声が出ない。二人は高順の存在に気づかず、ただ穏やかに笑っている。それだけで、不思議と心が安らいだ。高順は夢の中で、久しぶりに笑っていた。


明け方、目を覚ました高順は、自分の頬が濡れているのに気づいた。涙の跡だった。彼は誰にも見つからぬよう、そっとそれを拭い、いつもの上将軍の顔を取り戻した。


「将軍、おはようございます。昨夜はよくお休みになられたようで」


政庁に入ると、董昭が笑顔で迎えた。高順も笑みを返す。


「ああ、久しぶりによく眠れた。夢を見たよ。昭姫と媛の夢だ」


「それは何よりでございます。して、どのような夢を」


「ただ、二人が笑っている夢だ。それだけで十分だ」


董昭はそれ以上何も聞かなかった。彼は主君の心の機微を察するだけの経験を積んでいたのである。


午前の軍議が始まる前、城外の陣地から早馬が届いた。張遼からの報告である。


「上将軍、袁譚の軍、完全に白馬津より撤退いたしました。現在、袁紹の本隊と合流し、全軍が北へ引き揚げる準備を整えている模様です」


広間にどよめきが走った。ついに袁紹が脱落したのである。高順は静かに頷いた。


「よし、張遼には引き続き監視を続けさせよ。ただし、追撃は無用だ。袁紹が退くならば、無理に討つ必要はない」


「将軍、袁紹が退けば孫堅も動きます。ここが勝負の分かれ目です」


賈詡が素早く地図を広げた。連合軍の陣地を示す駒のうち、袁紹のものが外され、新たな布陣が描かれていく。


「曹操は袁紹の脱落を知れば、二つの選択を迫られます。一つは全軍を撤退させ、許都に戻ること。もう一つは、袁紹が抜けた穴を埋めるべく、最後の賭けに出ること。曹操の性格からすれば、おそらく後者でしょう。ここで退けば、二度と高順を討つ機会は訪れない。それを曹操は誰よりもよく知っている」


「ならば、曹操はどう動く」


「おそらく、今夜か明晩にも、何らかの策を仕掛けてくるはずです。我々が袁紹の撤退に気を取られている隙を突いて」


その言葉が終わらぬうちに、城外から再び早馬が駆け込んできた。今度は曹操の本陣からの使者である。


「上将軍、曹操丞相よりの親書にございます!」


高順は竹簡を受け取り、紐を解いた。広間の誰もが息を呑んで見守る中、高順はゆっくりと書状を読み進めた。その表情は、驚くほど穏やかだった。


「やはり来たか」


高順は書状を賈詡に手渡した。賈詡が音読する。


「『孝父殿、久闊を叙す。時に春暖の候、益々御清祥の段、大慶に存じ候。さて、この度の干戈、互いに兵を損ずること既に三月、民の疲弊甚だしく、これ以上の戦を続けるは天下の為にならず。ついては和睦を請う。つきましては明晩、黄河の中洲にて両者一騎にて会見し、今後の天下の在り方を話し合いたく候。場所は黎陽の渡しより三里下流の中洲。互いに随行者は二名までとし、軍勢は遠くに控えさせることを条件と致す。ついては御返事を賜りたく』」


賈詡が読み終えると、広間は騒然となった。田豊が即座に反対の声を上げる。


「罠です! 和睦などと称して、将軍を誘き出すつもりに違いありませぬ!」


審配もそれに同調した。


「田豊殿の言われる通りです。曹操が和睦を申し出るなど、信じられぬ。何か企みがあるはず」


辛毗と荀諶も慎重論を唱え、逢紀に至っては「使者を斬るべし」とまで言い出した。郭図と辛評は顔を見合わせ、かつての主君・袁紹が同じような和睦の罠にかけられた故事を思い出しているのか、難しい表情で黙り込んでいる。


しかし、高順は静かに首を横に振った。


「いや、曹操は本気だ。曹操は袁紹が抜けたことを受け、もはやこれ以上の戦継続は無理だと判断した。だから和睦を申し出たのだ。もちろん、裏はあるだろう。だが、それを承知の上で、私はこの申し出を受ける」


「将軍!」


「聞け、諸君。私はな、曹操という男をよく知っている。奴は嘘をつく時、必ず本当のことを混ぜる。和睦を請うていることは本心だ。本当に兵を退きたいのだ。だが、その上で奴は最後の賭けに出る。それがどのような形かはわからぬが、私が会見に応じなければ、奴は『高順は臆した』と天下に喧伝し、連合軍の士気を回復させることができる。つまり、この申し出は私にとっても拒否できぬのだ」


高順は立ち上がり、壁に掛けられた地図を見つめた。


「明晩、黄河の中洲で曹操と会見する。随行者は董媛ともう一人は張遼を呼び戻せ。張郃と張燕には白馬津の監視を続けさせ、華雄、徐栄、郝萌には城の守りを固めさせよ。曹性、成廉、魏越は渡しの周辺を警戒。侯成、宋憲、魏続は弩兵を配置し、いざという時に備えさせろ。孫観、尹礼、徐翕、毛暉、張白騎、昌豨、呉敦は城外の各部隊を指揮し、敵の不意打ちに備えよ。恵衢、秦翊、張勲、萇奴、祖郎は予備兵力として待機。そして」


高順は言葉を切り、幕僚たちを見渡した。


「私がもし戻らなかった場合、全軍の指揮は張遼に託す。賈詡、沮授、田豊、董昭の四名がこれを補佐し、決して無謀な復讐戦を挑んではならぬ。速やかに薊県へ撤退し、昭姫と合流せよ。よいな」


「将軍、そのようなことを」


「これは命令だ。聞き入れよ」


高順の声は静かだが、抗うことを許さぬ重みがあった。幕僚たちは深く頭を垂れ、主君の決断を受け入れた。


張邈と張超は曹操への返書を認め、金尚と閻象が文案を最終確認する。張炯と李孚が清書し、許汜、王楷が使者に手渡した。畢諶、楊弘は会見の場の安全を確保するための手配を急ぎ、袁嗣、舒邵、韓胤は各部隊への伝令に走る。諸葛玄と師宜官は、この歴史的な会見の記録を取る準備を始めた。耿包、王修、沐並、韓珩は城内の動揺を鎮めるため、民への説明に追われている。徐勲、劉献、張景明は、万が一に備えて糧秣の移動を開始した。


政庁の片隅で、董媛が高順に歩み寄った。


「夫君、本当によろしいのですか。曹操と会うのは危険すぎます」


「危険は承知している。だが、曹操も同じ危険を冒しているのだ。互いに随行者は二名。軍勢は遠くに控えさせる。この条件ならば、曹操も簡単には手を出せまい。それに」


高順は董媛の手を取った。


「私は曹操と話がしたい。戦うだけが将軍の役目ではない。天下の在り方を語り合い、もし可能ならば、武力によらぬ道を探りたい。それは私の我儘かもしれぬ。だが、私は天下を変えるために戦ってきた。そのためには、曹操という男と正面から向き合わねばならぬのだ」


董媛は夫の眼をじっと見つめ、やがて小さく頷いた。


「わかりました。ですが、私も必ずお側に参ります。何があっても、夫君をお守りします」


「心強い。媛は私の誇りだ」


高順は董媛を抱き寄せ、その額に口づけした。政庁にいた誰もが、そっと目を逸らす。上将軍としての顔ではなく、一人の夫としての顔を見せる主君を、誰もが静かに見守っていた。


明晩、決戦の地は、黄河の中洲である。


高順は深く息を吸い込み、窓の外を見つめた。黎陽の空に、春の月が白く輝いている。曹操と高順、当代きっての二人の英雄が、ついに直接向き合う時が来たのである。


曹操が和睦を申し出た本心は何か。裏があるとすれば、どのような策を仕掛けてくるのか。そして高順は、それに対してどう応じるつもりなのか。すべての答えは、明晩の黄河の上に出る。


六十万の将兵と三十五万の将兵が、固唾を呑んでその瞬間を見守っている。戦国の世に生きた誰もが、この会見の行方に自らの命運を賭けていた。


夜が明ける。長きにわたる睨み合いの末に訪れた、静かで、しかし決定的な夜明けであった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ