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社畜が目覚めたら将軍!? 史実(未来予知)で成り上がり、乱世を生き抜く  作者: 八月河
第十五回 諸侯連合討遼東 高順孤軍戦黎陽
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第十五回 諸侯連合討遼東 高順孤軍戦黎陽 一段

薊県の遼東郡王府には、連日のように各地の視察から戻った官吏たちが訪れ、改革の進捗を報告していた。襄平では張遼が中尉府を開き、府兵の編成と訓練に着手している。平郭では塩田の直轄化が進み、すでに最初の塩が市場に出回り始めた。小遼水の流域では屯田が開始され、流民たちが次々と土地を与えられて農耕に励んでいる。かつて黄巾の乱で故郷を追われ、食うや食わずで流浪していた者たちが、今では自らの土地を耕し、家族を養い、子供を学堂に通わせている。高順の改革は、まさに民の生活を根底から変えつつあった。


遼東郡王となった高順の改革は、遼東に留まらず、并州、冀州、幽州の三州に着実に浸透しつつあった。学堂の設立、官吏登用試験の実施、戸籍の再調査、税制の公平化、四民平等の理念。これらの改革は民衆に広く支持され、三州の人口は増加の一途を辿り、農業生産量は年々向上していた。


かつて袁紹の重税に苦しんだ冀州の農民たちは、今では自らの土地で自らの作物を育て、その収穫の大半を自分のものにできるようになった。秋の収穫期には、村々で収穫を祝う祭りが開かれ、老若男女が麦の山を囲んで歌い踊る光景が見られた。ある村の古老は、涙を流しながらこう言ったという。


「わしは桓帝の時代から生きてきたが、こんなに腹いっぱい飯を食えたことはなかった。驃騎将軍様は、まこと天が遣わしたお方じゃ」


并州で培われた製鉄と製塩の技術は冀州と幽州にも広がり、各地に新たな工房が建ち並んでいる。洛陽と晋陽を結ぶ官道は整備され、商人たちの往来が絶えることはなかった。かつて戦乱で荒れ果てた道々には、今や荷車を引く牛馬の列が続き、街道沿いには茶店や宿屋が次々と建てられていた。


高順の改革は、目に見える形で民の生活を変えていた。しかし、その陰で既得権益を奪われた名門世家たちは深く反発していた。代々受け継いできた特権を失い、官吏への登用も試験の成績次第となった彼らは、もはやこの地に留まる意味を見出せず、徐々に南へと移り住んでいった。


弘農の楊氏は代々太尉や司徒を輩出してきた名門だが、高順の官吏登用試験によって子弟がことごとく不合格となり、その威信は地に堕ちた。楊家の長男は幼い頃から四書五経を暗誦し、孝廉に推挙されることを当然と思って育った。しかし試験の結果は不合格。答案は無記名で審査され、彼の家柄は一切考慮されなかった。楊家の当主は怒りに震え、こう言い放ったという。


「草鞋売りや屠殺者が官吏になる世の中など、もはや漢ではない。蛮族の国だ」


汝南の袁氏は袁紹の敗北と共に冀州での影響力を失い、一族の多くが江南へと去った。袁家の分家の一つは、冀州で広大な土地を所有していたが、戸籍の再調査によって隠していた土地がすべて明るみに出され、追徴課税を受けた。彼らは代々、戸籍を偽って税を逃れてきたのである。それが露見し、彼らは巨額の罰金を科せられ、土地の大半を没収された。袁家の者は高順を呪った。


「董卓ですら、ここまで袁家を辱めはしなかった。高順は袁家の仇敵だ」


潁川の荀氏の一部もまた、高順の法家思想に反発して曹操の許昌へと戻っていった。荀氏は代々儒学を家学としてきた名門であり、法を重んじる高順の改革は彼らの学問的信念に反するものだった。彼らは学堂で法学が重視されることに我慢ならず、荀氏の長老は学堂の門前でこう叫んだという。


「聖人の教えを蔑ろにする国に未来はない! 高順は儒教を滅ぼすつもりか!」


これらの名門世家は、江南に移り住むと、その地で高順への憎悪を撒き散らした。彼らは宴席のたびに高順の悪口を並べ立て、その改革を「聖人の教えを蔑ろにする暴政」と罵った。江南の酒席で語られる高順批判は次第に激しさを増し、やがてそれは単なる愚痴ではなく、具体的な行動を求める声へと変わっていった。


「高順は董卓に次ぐ国賊である。三州を不法に支配し、朝廷の権威を蔑ろにし、名門の誇りを踏みにじった。このまま奴を野放しにすれば、漢室は滅びる。諸侯よ、立ち上がれ」


この声は、江南に留まらず、各地に伝播していった。高順の改革は確かに民を豊かにしたが、その急進性は旧来の秩序を守ろうとする者たちにとって、まさに脅威以外の何物でもなかったのである。


この情勢を見た青州の袁紹が、ついに立ち上がった。彼は官渡の大敗以来、鄴城に逼塞していたが、なおも青州には袁譚が刺史として健在であり、数万の兵力を擁している。袁紹にとって高順は、冀州を奪い取った憎むべき敵だった。かつて自分が支配していた土地を掠め取り、自分の配下だった沮授や田豊を奪い、今や遼東郡王として朝廷からも認められている。その屈辱は、袁紹の心を常に苛んでいた。


鄴城の宮殿で、袁紹は久しぶりに重臣たちを集めた。田豊も沮授も、審配も郭図も、もはや彼の側にはいない。代わりに集まったのは、若い幕僚たちと、かつての名門の残党だった。袁紹は彼らを前にして、静かに、しかし力強く宣言した。


「わしは決断した。高順を討つ。かつて官渡で敗れた時、わしはすべてを失った。冀州を奪われ、幕僚を奪われ、名門としての誇りも踏みにじられた。しかしわしはまだ生きている。青州には袁譚がいる。数万の兵がいる。これを率いて、高順に一矢報いる時が来たのだ」


袁紹は諸侯に檄を飛ばし、高順討伐の連合軍を結成するよう呼びかけた。彼の檄文は、高順の改革に苦しむ名門世家たちの心を激しく揺さぶった。


「高順は董卓に次ぐ国賊である。三州を不法に支配し、朝廷の権威を蔑ろにし、名門の誇りを踏みにじった。このまま奴を野放しにすれば、漢室は滅びる。諸侯よ、立ち上がれ。我々は共に高順を討ち、天下に正義を示すのだ」


揚州の孫堅もまた、この呼びかけに応じた。彼は江東の虎として知られ、董卓討伐の先鋒を務めた勇将である。高順の勢力拡大は、彼にとっても見過ごせぬ脅威だった。もし高順がこのまま河北を完全に掌握すれば、次に標的になるのは江南かもしれない。孫堅はただちに軍を動員し、長江を渡って北上する準備を整えた。


孫堅は自らの幕僚たちに、こう語ったという。


「高順の北伐は確かに見事だった。草原を平定し、呂布を単于に据え、遼東まで制圧した。その武功は認めよう。だが、あの男の理想は行き過ぎている。法と秩序で天下を変えようなどと、人間のやることではない。天下は人が治めるものだ。法が治めるものではない。わしは高順という男を恐れてはいない。しかし、あの男が作ろうとしている『法の国』というものが、どうしても理解できぬ。理解できぬからこそ、危険なのだ」


この二大勢力の呼びかけに、さらに曹操も加わった。曹操にとって、高順は最も信頼できる友であり、同時に最も警戒すべき敵だった。彼は高順の理想を理解しながらも、その勢力が朝廷をも凌駕するに至った現実を見据えていた。高順が遼東郡王となり、名目上の領地は一郡に限定されたとはいえ、三州に及ぶ影響力は変わらない。むしろ、遼東郡王という新爵位が、高順の独立勢力としての地位を正式に認めさせたとも言える。


曹操は荀彧を呼び、自らの決断を伝えた。


「文若、私は高順を討つことにした」


荀彧は驚きの表情を見せたが、すぐに静かな表情に戻った。


「丞相、高順殿はあなたの友ではありませんか」


「友だからこそだ。孝父は自分の理想に忠実すぎる。あのまま行けば、いずれ漢室そのものを変えてしまうだろう。いや、すでに変えつつある。私はあの男の理想を止めねばならぬ。友として、そして漢室の丞相として」


荀彧はそれ以上何も言わなかった。彼は曹操が高順に対して抱く複雑な感情を、誰よりもよく理解していたからである。


曹操は西涼の馬騰、荊州の劉表、劉備にも使者を送り、連合軍への参加を呼びかけた。馬騰は西涼の雄として知られ、韓遂と共に十万の軍を動員できる。劉表は荊州の牧として豊かな物資と兵力を有していた。劉備は曹操のもとを離れてから各地を流浪し、今は劉表の庇護下で新野に駐屯している。それぞれが高順の勢力拡大を警戒し、連合軍への参加を決断した。


かくして、袁紹、曹操、孫堅、馬騰、劉表、劉備という、天下の主要諸侯が結集したのである。彼らはそれぞれの思惑を胸に秘めながらも、「高順討伐」という一点において一致していた。袁紹は失地回復のため、曹操は友を止めるため、孫堅は江南を守るため、馬騰は西涼の誇りのため、劉表は荊州の安寧のため、そして劉備は漢室再興のため——それぞれの正義が、高順という一人の男に向かって刃を突きつけようとしていた。


洛陽に集結した連合軍の兵力は、総勢四十万を超えた。曹操が全兵力二十万を率い、劉備は持ちうる三万に劉表から預かった五万を加えた八万、孫堅が七万、馬騰と韓遂が大小の軍閥を合わせて十万を動員したのである。これに袁紹の青州軍が加われば、さらに膨れ上がる。


洛陽の城外には無数の天幕が立ち並び、篝火の煙が空を覆った。四十万の兵士たちの喧騒は、洛陽の城壁を越えて遠くまで響き渡っていた。それはまさに、天下の命運を決する大会戦の幕開けだった。各軍の旗印が風に翻り、曹操の「曹」、劉備の「劉」、孫堅の「孫」、馬騰の「馬」——天下の名だたる旗が一つところに集う光景は、後漢末の動乱の中でも前代未聞のことだった。


高順はこの動きを、洛陽に駐屯する張五からの報告で知った。まだ諸侯が洛陽に集結する前のことであり、高順は即座に行動を起こした。


「将軍、連合軍の兵力は四十万を超えます。曹操が二十万、劉備が八万、孫堅が七万、馬騰と韓遂が十万。さらに袁紹の青州軍も動き始めております。洛陽に留まれば、包囲されるのは時間の問題です」


張五の声には、かすかな震えが混じっていた。彼は洛陽に駐屯しながら、連合軍の集結を目の当たりにしていたのである。


高順は静かに頷いた。彼は献帝に短く挨拶を済ませると、洛陽を脱出し、黄河を渡って黎陽城に入った。もし洛陽に留まれば、曹操の人質となるか、あるいは洛陽の民を巻き込んでの市街戦に発展しかねない。高順はそれを避けるため、あえて黎陽に拠点を定めたのである。


黎陽は黄河の北岸に位置する要衝であり、ここを押さえれば連合軍の北上を防ぐことができる。高順はただちに十万の兵を黎陽に配置し、全軍に防衛戦の構築を命じた。城壁の補強、塹壕の掘削、弩兵の配置、補給線の確保——すべてを自らの目で確認しながら、矢継ぎ早に指示を飛ばしていく。


しかし高順の内心は、これまでにないほど重く沈んでいた。連合軍の兵力は四十万を超え、対する黎陽の兵力は十万。しかも、敵には曹操がいる。高順が最も信頼し、最も恐れていた男が、今や自らを討つべき敵として立ちはだかっているのである。袁紹、孫堅、馬騰、劉表、劉備——天下の名だたる諸侯が、こぞって高順を討たんとしている。高順はこれまで数多の戦場を潜り抜けてきたが、これほどまでの大軍を相手にしたことはなかった。


彼は自らの天幕で一人、地図を見つめながら、初めて己の命運の尽きる時を意識した。四十万の軍勢が黎陽に押し寄せれば、十万の兵ではどれだけ持ちこたえられるかわからない。いや、持ちこたえることすら奇跡に近い。高順は自分の死を覚悟した。しかし、その表情を誰にも見せることはなかった。高順は常に冷静沈着な上将軍として、将兵たちの前に立ち続けた。彼が弱音を吐けば、十万の兵は一瞬で戦意を失う。彼が怯えれば、この戦いは始まる前に終わる。高順はそのことを誰よりもよく理解していた。


夜の黎陽城を、冷たい北風が吹き抜けていく。高順は城壁の上に立ち、黄河の対岸に見える連合軍の篝火をじっと見つめていた。無数の火が闇の中に揺らめき、まるで天の川が地上に落ちたかのようだった。その光景は美しくもあり、同時に恐ろしくもあった。あの一つひとつの火が、自分を討とうとする兵士たちの命なのだ。


「孝父、なぜここまで追い詰められねばならぬのか」


高順は誰にも聞こえぬ声で呟いた。彼はただ、法と秩序を作りたかっただけだ。民が安心して暮らせる国を作りたかっただけだ。それがなぜ、天下の敵とならねばならないのか。彼はその答えを知っていた。自分が正しすぎたのだ。正しすぎて、現実が追いつかぬほどに。


それでも、高順は退くつもりはなかった。彼は城壁の上から降りると、再び執務室に戻り、地図と向き合った。まだ手はある。まだ勝機はある。高順は自分にそう言い聞かせながら、夜通しで作戦を練り続けた。

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