第8章:新しい時代は、もう始まっている
婚約破棄は――
“事件”ではなかった。
“革命”だった。
「聞いたか!?」
「聞いた聞いた!!」
「すげえよなあれ!!」
王都の広場は、まるで祭りのような熱気に包まれていた。
「王太子殿下が、あの公爵令嬢に堂々と宣言したんだってよ!?」
「古い体制をぶっ壊すってよ!」
「やっと変わるんだな、この国も!」
笑い声と歓声が混ざり合う。
誰もが興奮していた。
誰もが――“勝った側”にいるつもりで。
「ユイ様、すごいよね……!」
「うん……あんなふうに選ばれるなんて、憧れる……」
「新しい時代の象徴って感じ!」
若い娘たちは、夢を見るように語り合う。
黒髪の少女。
異世界の知識。
王に選ばれた存在。
「なんかさ、私たちにもチャンスが来そうじゃない?」
「分かる! 身分とか関係なくなるんでしょ!?」
「最高じゃん!」
“もし自分だったら”。
その想像が、現実感を奪っていく。
「いやあ、あの決断は見事だった」
酒場では、男たちが杯を掲げていた。
「公爵令嬢だろうがなんだろうが、関係ねえってのがいい!」
「実力主義ってやつだな!」
「違いねえ!」
(……本当にそうか?)
一人の年配の男が、ぽつりと呟く。
だが。
「細けえことはいいんだよ!」
すぐに笑い飛ばされる。
「今までが堅苦しすぎたんだ!」
「これくらい思い切らねえとな!」
その一言で、違和感は飲み込まれた。
王城でもまた――
熱狂は続いていた。
「やりましたね、殿下!」
文官の青年が興奮気味に言う。
「これで、ようやく前に進めます!」
「ああ!」
レオンハルトは大きく頷いた。
「我々は、過去と決別したのだ!」
その顔に、もはや迷いはない。
「これからは、我々の時代だ!」
「はい!」
周囲も力強く応じる。
誰一人として、不安を口にしない。
「みんな、すごいです……!」
ユイは、目を輝かせていた。
「本当に変わろうとしてる……!」
その声は、心からのものだった。
「私の世界みたいに、きっとなりますよ!」
「そうだな!」
王太子は笑う。
「いや、それ以上だ!」
「ええ!」
側近たちも頷く。
「もっと自由で!」
「もっと平等で!」
「もっと優しい国に!」
言葉は、どんどん大きくなる。
そして――
どんどん、具体性を失っていく。
「では、まず何から始めましょうか?」
誰かが言った。
一瞬の沈黙。
「……税の見直し、でしょうか」
「規制の撤廃も必要だな」
「人員整理もやるべきだ」
それらしい言葉が並ぶ。
だが。
「いいですね!」
ユイが笑う。
「一気にやっちゃいましょう!」
「その通りだ!」
王太子が頷く。
「中途半端はいけない!」
方向性は決まる。
だが――
順序も、影響も、誰も気にしていない。
◇◆◇◆◇◆
一方、その頃。
城門の外では。
静かに、馬車が並んでいた。
豪奢ではない。
だが、無駄のない実用的な造り。
「準備は整っております」
従者が、淡々と報告する。
「そう」
エリシアは、小さく頷いた。
振り返ることはない。
城の方からは、かすかに歓声が聞こえてくる。
(賑やかですわね)
それだけを思う。
その隣で。
「……あんなに喜んでるのね」
リディアが、ぽつりと呟いた。
「ええ」
エリシアは、否定しない。
「よろしいのですか?」
別の令嬢が問う。
「このままでは――」
「ええ」
言葉を遮る。
「“このまま”ですわね」
それ以上は言わない。
必要がないからだ。
◇◆◇◆◇◆
再び、王城。
「民の支持も高いようです!」
報告が上がる。
「当然だ!」
レオンハルトは胸を張る。
「我々は正しいことをしたのだからな!」
「はい!」
誰も疑わない。
「これで、すべてがうまくいく!」
その言葉に。
誰も、異を唱えない。
王都の空には、紙吹雪が舞っていた。
誰かが始めた祝いが、いつの間にか広がったのだ。
「新しい時代だ!」
「万歳!」
「これからが楽しみだ!」
笑顔が溢れる。
希望が満ちる。
そして――
誰一人として。
“これから何が起きるのか”を、想像していない。
新しい時代は、確かに始まった。
誰もが望んだ形で。
誰もが納得した形で。
誰もが、自分の選択だと信じて。
だからこそ――
まだ、誰も気づいていない。
それが、どれほど危うい均衡の上に成り立っているのかを。




