第5話:熱狂は、静かに始まる
それは、ある日突然始まったわけではない。
むしろ――
気づいた時には、もう広がっていた。
「聞いたか? 王太子殿下が、新しい政策を考えてるらしいぞ」
「なんでも、税を軽くするって話だ」
「本当か!?」
王都の市場。
パン屋の前で、いつものように交わされる世間話。
だが、その内容は少しずつ変わっていた。
「しかもよ、“民の声を直接聞く”ってさ」
「へえ、今までの貴族とは違うな」
「だろ? なんか、分かってるよな!」
笑いながら、頷き合う。
その話題の中心にいるのは――王太子レオンハルト。
「最近、城の雰囲気変わったよね」
「ああ、なんか明るくなったっていうか」
若い職人たちも、口々に言う。
「前はさ、なんか難しいことばっかでよく分かんなかったけど」
「今は“分かる言葉”で話してくれるよな」
「それそれ!」
――分かりやすい。
それは、何よりも強い武器だった。
「ねえねえ、ユイ様の話聞いた?」
「聞いた聞いた! 異世界から来たんでしょ!?」
「すごくない!? 物語みたい!」
噂は、あっという間に広がった。
黒髪の少女。
不思議な知識。
王太子に見初められた存在。
「なんかさ、“もっと自由な世界”なんだって!」
「いいなあ、それ!」
「私たちの国も、そうなったらいいのにね!」
夢のような話。
だからこそ――疑われない。
一方、その頃。
「……随分と、持ち上げられておりますな」
王城の一室で、宰相が書類から顔を上げた。
「ええ」
エリシアは、淡々と答える。
「噂の広がりが、異常に早いですわね」
「意図的なものか?」
「半分は自然、半分は“誰か”が流しているでしょうね」
「……なるほど」
宰相はお腹を押さえた。
「胃が痛い」
「いつものことですわね」
「いつも以上だ」
それもまた事実だった。
「ですが、お嬢様」
侍女が小声で言う。
「民の反応は、悪くないようです」
「ええ、でしょうね」
エリシアは窓の外を見た。
遠くに広がる王都。
「“楽になる”と言われて、嫌がる者はいませんもの」
問題は――
(その“楽”が、何で支えられているかですわ)
◇◆◇◆◇◆◇◆
広場では、即席の演説が行われていた。
「皆さん!」
壇上に立つのは、王太子の側近――文官の青年フェリクス。
「今の政治は、難しすぎるのです!」
集まった民衆が頷く。
「もっとシンプルに考えましょう!」
「おおー!」
「税は減らすべきです!」
「そうだー!」
「民が助け合えばいいのです!」
「その通り!」
拍手が起こる。
熱が広がる。
「我々は、新しい時代を作ります!」
歓声。
その様子を、少し離れた場所から見ていた商人が呟いた。
「……あれ、大丈夫か?」
「何がだ?」
「いや、話はいいんだけどよ。具体的にどうやるんだ?」
「細けえことはいいんだよ」
隣の男が笑う。
「今より良くなるなら、それでいいだろ?」
「まあ……そうか」
違和感は、あった。
だが――
それを深く考える者は、少ない。
「最近、仕事が楽になりそうって話で持ちきりだな」
「税が減るならありがたいしな」
「役人も減るって聞いたぞ」
「無駄が多いって話だしなあ」
兵士たちも、どこか浮かれていた。
「でも、それで給料どうなるんだ?」
「さあ?」
「まあ、なんとかなるだろ」
――なんとかなる。
その言葉が、やけに軽く使われ始めていた。
「……止めるか?」
騎士団長が、低く問うた。
場所は城の回廊。
隣にはエリシア。
「止める、とは?」
「演説やら噂やらだ。このままでは――」
「止められませんわ」
即答だった。
「なぜだ」
「理由は簡単です」
エリシアは、遠くの広場を見た。
「皆様が、“望んでいる”からです」
歓声が、風に乗って届く。
「……」
「楽になりたい。自由になりたい。認められたい」
淡々と並べる。
「それ自体は、間違いではありません」
「だが」
「ええ」
小さく頷く。
「“現実を伴わない願い”は――止めようとすると、敵になります」
騎士団長は、黙り込んだ。
「では、どうする」
「見守るしかありませんわね」
「……それでいいのか」
その問いに。
エリシアは、少しだけ考えた。
そして。
「いいえ」
はっきりと答える。
「良くはありません」
「なら――」
「ですが」
言葉を切る。
「“自分で選ばせる”ことには、意味があります」
静かな声だった。
「選ばなければ、理解できませんもの」
その言葉の重さに。
騎士団長は、それ以上何も言えなかった。
その頃、広場では。
「新しい時代だ!」
「王太子殿下万歳!」
「ユイ様万歳!」
歓声が、さらに大きくなっていた。
誰もが笑っている。
誰もが期待している。
そして――
誰も、疑っていない。
熱狂は、燃え上がる時は派手だ。
だが。
その始まりは、いつだって静かだ。
少しずつ。
違和感を飲み込みながら。
「きっと良くなる」と信じながら。
そうして気づいた時には――
もう、後戻りできないところまで来ている。




