第12話:肩書きのない国
馬車は、ゆっくりと止まった。
「到着でございます」
御者の声。
それだけで、誰もが理解する。
――ここが、目的地だ。
扉が開く。
まず外に出たのは、レオンだった。
視線を巡らせる。
警戒。確認。異常なし。
「……問題ない」
短く告げる。
それを聞いてから、次々と人が降りていく。
「……綺麗ですわね」
リディアが、小さく呟いた。
広がる街並みは、落ち着いた色合いで統一されている。
華美ではないが、整っている。
どこか――余裕のある国の空気。
「ええ」
エリシアも頷く。
「無理をしていない国、という印象ですわ」
「分かります……!」
令嬢たちは、どこか安心したように息を吐いた。
「ようこそお越しくださいました」
出迎えたのは、この国の高官だった。
丁寧だが、過剰ではない礼。
「長旅、お疲れでしょう。まずはゆっくりお休みください」
「お気遣い、感謝いたします」
エリシアが一歩前に出て、応じる。
自然な所作。
だが――
「……」
ほんの一瞬だけ、言葉が止まった。
“どう名乗るか”。
その一瞬の迷い。
だがすぐに。
「エリシアと申します」
静かに告げた。
それだけ。
爵位も、肩書きも、何も付けない。
「……」
周囲の者たちも、それに続く。
「リディアです」
「マリアです」
短く、簡潔に。
だが、それで十分だった。
「……よろしいのですか?」
小声で、ガイウスが問う。
「ええ」
エリシアは頷く。
「ここでは、それでよろしいでしょう」
それ以上の説明は、いらない。
一方。
「……あなた」
「ああ」
元国王アルベルトと元王妃クラリスが、並んで立っていた。
「ここが、これからの場所ですのね」
「そうだな」
短い会話。
そして。
「……お前は、どう思う」
「……悪くありませんわ」
自然なやり取り。
あまりにも自然すぎて――
「……」
「……」
「……」
少し離れた位置で。
エリシア、ガイウス、レオンが、無言で視線を逸らした。
「……慣れませんな」
ガイウスがぼそりと呟く。
「慣れたくもないがな」
レオンが返す。
「ですが」
エリシアが小さく息を吐いた。
「よろしいのではありませんか」
その声は、穏やかだった。
「……そう、ですな」
ガイウスも頷く。
少しだけ、諦めたように。
「滞在先はこちらでございます」
案内されたのは、広すぎず、しかし快適な邸宅だった。
「必要なものはすでに揃えております。足りないものがあれば、遠慮なくお申し付けください」
「十分すぎる配慮ですわ」
エリシアは、素直に礼を述べる。
中に入ると。
「……広いですわね」
「ええ……」
令嬢たちが、きょろきょろと見回す。
「しかも静か……」
「落ち着きますわ……」
どこか、ほっとした空気が流れる。
「……さて」
ガイウスが、ひとつ息をついた。
「これで、ようやく――」
「ええ」
エリシアが頷く。
「少しは、休めますわね」
その言葉に。
全員が、わずかに肩の力を抜いた。
「どれくらい、休めるのだ?」
レオンが問う。
「先方のご厚意で、しばらくは自由にしてよいとのことです」
「しばらく、か」
「ええ」
一拍。
「……三日ほどは」
「短いな」
「十分ですわ」
即答だった。
「三日もあれば」
エリシアは、静かに言う。
「状況の把握はできます」
「……やはり休む気はないのだな」
ガイウスが、遠い目をした。
「“完全に”は無理ですわね」
「でしょうな」
二人、同時にため息をつく。
一方、その奥では。
「……あなた」
「なんだ」
「少し、庭を見てきませんか?」
「いいな」
即決だった。
「空気が良さそうですし」
「ああ」
自然に並んで歩き出す。
距離が近い。
やはり近い。
「……」
「……」
「……」
再び。
三人は無言になった。
「……」
「……」
「……胸焼けが」
レオンが、ぽつりと呟く。
「同感です」
ガイウスが即答する。
「ですが」
エリシアは、ほんの少しだけ微笑んだ。
「しばらくは、見守って差し上げましょう」
「……そうですな」
「……ああ」
庭の方からは、微かな笑い声が聞こえてくる。
それは、これまで決して聞くことのなかった種類のものだった。
こうして。
彼らは“肩書きのない場所”に辿り着いた。
命令も、義務も、責任も。
すべてを一度、置いて。
まだ、何も始まってはいない。
だが――
確実に、次は始まる。
その前の、わずかな静寂。
それを、彼らはそれぞれの形で受け取っていた。




