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第10話:責任の外側で

 馬車は、ゆっくりと街道を進んでいた。

 揺れは穏やかで、速度も急がない。

 護衛はいるが、緊張感は薄い。

 ――久しく、なかった空気だった。


「……静かですね」

 元王妃クラリスが、窓の外を見ながら呟く。

「そうだな」

 元国王アルベルトもまた、同じように外を見ていた。


 遠くに広がる田園。

 風に揺れる草。

 何の変哲もない風景。

 だが、それがどこか新鮮に感じられる。


「こんなにも、音が少なかったでしょうか」

「いや」

 アルベルトは小さく笑った。

「我々の周りが、うるさすぎただけだ」

「まあ」

 クラリスは、くすりと笑う。

「それは否定できませんね」

 しばし、沈黙。


 だが、それは気まずいものではない。

 むしろ――

(穏やかですわね)

 クラリスは、内心でそう思った。

 報告もない。

 決裁もない。

 判断も、責任も、求められない。

 そんな時間が、どれほど久しかったか。


「……陛下……いえ、あなた」

「なんだ」

「私たち」

 一拍置いて。

「今、何をすればよろしいのでしょう?」

 真面目な声だった。

 だが。

「何もせんでいい」

 アルベルトは即答した。

「……何も?」

「ああ」

 頷く。

「すべて、任せたのだからな」

 それは、あまりにもあっさりとした言葉だった。


 だが――

「……そう、でしたね」

 クラリスは、ふっと肩の力を抜いた。

「では」

 少しだけ、いたずらっぽく。

「本当に、何もしなくてよろしいのですね?」

「構わん」

「後で叱られませんか?」

「誰にだ」

「……確かに」

 くすり、と笑う。


 その笑いは、どこか軽かった。

「では」

 クラリスは、わずかに身を寄せる。

「少しだけ、休ませていただきますね」

「……ああ」

 アルベルトは、ほんの一瞬だけ驚いた顔をして。

 すぐに、表情を緩めた。

「好きにするといい」


 そう言いながらも。

 さりげなく、肩の位置を調整する。

 寄りかかりやすいように。

「……優しいですね」

「今さらだな」

「ええ、本当に」

 クラリスは目を閉じた。

 そのまま、静かに体重を預ける。

 それを、国王は何も言わずに受け止めた。



 少し離れた馬車。

「……」

 エリシアは、窓の外を見ながら沈黙していた。

「……見ましたか」

 リディアが、小声で言う。

「ええ」

 短く答える。

「見なかったことにして差し上げましょう」

「そうね……」

 だが。

「……あんな顔、初めて見たかもしれません」

 ぽつりと呟く。


 クラリス様の、あの穏やかな表情。

 王城では、決して見せなかったもの。


「当然ですわ」

 エリシアは、わずかに微笑んだ。

「“休んでいらっしゃる”のですから」



 別の馬車では。

「……あれは反則だろう」

 元騎士団長レオンが、腕を組んで唸っていた。

「何がですか」

 元宰相ガイウスが気だるげに返す。

「いや、その……雰囲気がだな」


「見ましたか」

「見てしまった」

 短いやり取り。


 そして。

「……まあ」

 ガイウスはため息をつきながらも、口元を緩めた。

「よろしいのではありませんか」

「よろしい、のか?」

「長年、あのお二人は働き詰めでしたからな」

「それは……そうだが」

「少しくらい、浮かれても罰は当たりません」

「……浮かれているのか?」

「ええ」

 即答だった。

「かなり」

「……そうか」


 レオンは、しばし考え。

「……なら、見なかったことにするか」

「それが賢明です」


「それにしても」

 ガイウスは、窓の外を眺めながら言う。

「静かですな」

「だな」

「報告が来ない」

「来ないな」

「呼び出しもない」

「ないな」


 一拍。

「……」

「……」

「……楽だな」

「……楽だな」

 二人同時に、ぽつりと呟いた。



「お嬢様」

 侍女が、そっと声をかける。

「はい」

「皆様、どこか……」

「ええ」

 言葉を引き取る。

「穏やかですわね」


 その言葉通り。

 どの馬車も、どこか空気が柔らかい。

 誰も急いでいない。

 誰も追われていない。

 ただ、進んでいるだけ。


「……少しだけ」

 エリシアは、小さく息を吐いた。

「良い時間ですわね」

 その言葉に。

 誰も異論はなかった。


 こうして。

 国の中枢だった者たちは――

 初めて、“責任の外側”に出た。


 それは逃避ではなく。

 放棄でもなく。

 ただの、結果だ。


 そして彼らは、まだ知らない。

 この穏やかな時間が――

 どれほど貴重なものになるのかを。

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