第六話 拓哉 — Whatever Happens
「ねぇ、それってプラグマティズムじゃない」
紗英は問う。
あまりにも短絡的な拓哉の意見に対して。
プラグマティズム。
19世紀の終わりにアメリカで「真理はその実用性や効果に基づいて判断されるべき」と提唱された哲学である。
拓哉はリアリストなのだ。
人のプロセスではなく、アクチュアルを見る。
どれだけ努力したか、どれだけ苦労したか。そんなものは結果を保証しない。
「でも、そこに至るまでの気持ちだってあるでしょう?」
「気持ちは分かるよ。でも、それで何が変わるの?」
拓哉は悪気なく答えた。
彼にとっては、ごく自然な問いだった。
「何かが変わらなければ、意味がないの?」
「そういうことじゃない。現実的に考えようってことだよ」
現実的。
拓哉はその言葉を好んだ。
問題があれば原因を探し、対策を考える。結果が出なければ、別の方法を試す。
それは仕事においても、人間関係においても同じだった。
しかし、紗英は仕事ではなかった。
「ねぇ、今日はもう、その話やめない?」
「でも、まだ結論が出てないよ」
「結論なんて、出なくてもいいじゃない」
拓哉は少し考えた。
「それだと、また同じ話になると思うけど」
紗英は黙った。
拓哉は、話し合いが終わったのだと思った。
⸻
三年後。
紗英は同僚である直人とのハネムーンでパリを訪れた。
シャルル・ド・ゴール空港。
日本の梅雨よりも不快だった。
パリにおける熱中症の死者は、数年前のパンデミックよりも多いと、外務省のホームページに書いてあった。
少なくとも、紗英はそう記憶していた。
ロマンチックな都市にも、現実というものは存在する。
本当は、拓哉と訪れるはずだった。
現実はそうならなかった。
考え方の相違はあったものの、私は寄り添ったつもりであるし、根底にある今の気持ちも変わらない。
ただ、主義なんて大層な小難しい論点を毎日語り、時には罵り合うことに、いったい何の意味があるのか。
拓哉は、どんなことにも正しさを求めた。
紗英は、正しいかどうかなんて、どうでもいい日が欲しかった。
「暑いね。少し休もうか」
直人が言った。
「うん、そうしよう」
それだけだった。
なぜ休むのか、休むことで何を失うのか、明日の予定にどのような影響があるのか。
そんな議論は必要なかった。
直人は優しかった。
拓哉の荒波よりも、初夏の湖畔に映る水面のような彼を選んだ。
直人は紗英の荷物を持ち、空港の出口へ向かった。
紗英は少しだけ振り返った。
そこに拓哉がいるはずもなかった。
⸻
Hey、hey、hey、girl。
どんなときーもー♪
拓哉は暗がりの首都高で奏でた。
リアリストである。
一方で、そのスタイルが本当の僕ではないかもしれない。
紗英に理解は得られなかった。
自分は間違ったことを言っていない。
少なくとも、そう思っていた。
ただ、間違っていないことと、相手が幸せであることは、どうやら別の話らしい。
拓哉はハンドルを握り直した。
正しい道を選んできたつもりだった。
それでも、目的地には辿り着かなかった。
首都高の標識には、行き先が明確に示されていた。
人生もそうであればいいのに。
そんなことを考える自分が、少し馬鹿らしかった。
「頑張りましょう。。。」
一人呟き、堀切ジャンクションを通り過ぎた。




