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遥かなる Wonderful World — from Tokyo  作者: march


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第二話 善意の行方 — It’s My Life

修二は、人の役に立つことが好きだった。


頼まれれば断らない。相談されれば親身になる。誰かが困っていると、放っておけない。


もっとも、相手が何に困っているのかを理解する前に、助けようとすることもあった。


「まあ、そこは経験だからね」


修二はよくそう言った。


経験は確かにあった。


ただ、経験というものは、長く生きていれば自然に知恵へ変わるわけではない。


そのことについて、修二はあまり考えたことがなかった。


若い頃、修二は小さな町で働いていた。


昨日と同じことを今日も続ける。大きな変化はなく、長く勤めれば、それなりに人から頼られるようになった。


後輩もできた。


「修二さん、これってどうしたらいいですか?」


「うん。まずは全体を見ることが大事だね」


修二は少し椅子に深く腰掛けた。


「全体ですか?」


「そう。目先のことばかり考えても駄目なんだよ」


後輩は頷いた。


修二も頷いた。


二人はしばらく考えた。


問題は解決しなかったが、修二は悪い時間ではなかったと思った。


人から頼られるのは嬉しい。


自分にも、誰かに教えられることがある。


そう思える時間が、修二は好きだった。


やがて、仕事の環境が変わった。


新しい職場には、物事を驚くほど速く進める人間がいた。


話を聞き、問題を整理し、判断し、行動する。


修二は彼らを尊敬した。


そして、少しだけ苦手だった。


「修二さん、この件、どうなっていますか?」


「はい、今進めています」


「いつ終わりますか?」


「もう少しだと思います」


「もう少しって、いつですか?」


修二は考えた。


「そこは状況にもよると思うんですよ」


「何が残っているんですか?」


「まあ、いろいろと」


相手は黙った。


修二は、その沈黙が嫌いだった。


何か言わなければと思った。


「でも、僕としては前向きにやっているつもりなんです」


相手はため息をついた。


修二には、なぜ怒られたのかがよく分からなかった。


自分は仕事をしたいのだ。


逃げたいわけではない。


それなのに、なぜかいつも、最後には相手を苛立たせてしまう。


分からないことを聞けば、もっと自分で考えろと言われる。


自分で考えて答えると、根拠は何だと聞かれる。


根拠を探しているうちに、時間が過ぎる。


そして、また怒られる。


どうしてだろう。


自分より若い人間が、自分よりも仕事を理解している。


自分より後から来た人間が、自分よりも頼りにされている。


彼らが悪いわけではない。


むしろ、すごいと思う。


それでも、悔しかった。


負けたくない。


何に負けたくないのかは、よく分からなかった。


ある日の昼休み、若い社員が相談に来た。


「修二さん、ちょっと聞いてもいいですか?」


「もちろん。何でも聞いて」


修二は嬉しかった。


「上司に出す資料が、うまくまとまらなくて」


「なるほどね。仕事っていうのは、相手の立場になって考えることが大切だから」


「はい」


「自分が伝えたいことじゃなくて、相手が知りたいことを書くんだよ」


なかなか良いことを言った。


修二自身も、そう思った。


その日の午後、修二も上司から資料の修正を求められた。


「これ、結局何を伝えたいんですか?」


「いや、全体を見てもらえれば分かると思うんですけどね」


上司はしばらく資料を見つめた。


修二も資料を見つめた。


二人が見ているものは同じだった。


ただ、見えているものは少し違った。


家に帰ると、妻が話し始めた。


今日あったこと。職場の人間関係。誰が何を言ったか。誰の態度が気に入らなかったか。


修二は頷いた。


「それは大変だったね」


「そうなのよ。それでね、もっとひどいのが……」


話は続いた。


修二は上着を脱ぎ、椅子に腰を下ろした。


「あなたはどう思う?」


「うん、まあ、相手にも事情があるんじゃないかな」


「そういうことじゃないのよ」


修二は黙った。


何を答えるのが正解だったのか、よく分からなかった。


その時、妻の携帯電話が鳴った。


「あ、ちょっと待って」


妻は立ち上がり、別の部屋へ移った。


楽しそうな声が聞こえてきた。


三十分が過ぎた。


四十分が過ぎた。


やがて一時間ほどして、妻が戻ってきた。


「もう、本当に信じられない」


先ほどの話の続きだった。


修二は頷いた。


「そうだね」


妻はまた話し始めた。


修二は、何も聞かれなかった。


彼も、何も話さなかった。


それが夫婦の会話だった。


修二には話したいことがなかったわけではない。


今日、仕事で少し褒められたこと。


また失敗してしまったこと。


本当は悔しかったこと。


自分なりに頑張っているつもりなのに、なかなか認めてもらえないこと。


しかし、そんな話を始める機会は、いつの間にかなくなっていた。


妻が悪いのだろうか。


修二には分からなかった。


自分だって、妻の話を本当に理解しているのかと聞かれれば、自信はなかった。


ただ、聞いていればよかった。


頷いていれば、そのうち話は終わる。


それは仕事でも家庭でも、修二が長い時間をかけて覚えた生き方だった。


けれど、本当は違う。


本当は、自分の考えを言いたかった。


間違っているなら、どこが間違っているのかを知りたかった。


誰かに認めてほしかった。


自分にもできることがあると、証明したかった。


その年、修二は思いがけない出来事に直面した。


自分の言動が、他人にはまったく違う意味で受け止められていたのである。


修二には、理解できない部分があった。


自分はそんなつもりではなかった。


けれど、相手がそう感じたということも、無視することはできなかった。


自分の記憶と、他人の言葉。


その間にあるものを、修二はうまく説明できなかった。


「そんなつもりじゃなかったんです」


彼は言った。


それは本心だった。


しかし、そんなつもりではなかったことと、何も起きなかったことは同じではない。


会社は調査を始めた。


修二は待った。


一週間。


二週間。


一か月。


結論は出なかった。


仕事を失ったらどうしよう。


生活はどうなるのだろう。


これまで積み重ねてきたものは、全部なくなってしまうのだろうか。


そもそも、自分は何を積み重ねてきたのだろう。


ある日、知人に相談した。


「もう、どうなるか分からなくて」


「まだ何も決まっていないんだろう?」


「そうなんですけど」


「だったら、決まってから考えればいいじゃないか」


修二は黙った。


理屈は分かる。


しかし、それができるなら苦労はしない。


「最悪のことばかり考えてしまうんですよ」


「最悪になったら、その時に考えればいい」


修二は頷いた。


その夜、また最悪のことを考えた。


やがて、会社の判断が出た。


職を失うことはなかった。


ただし、一定の責任を負うことになった。


修二は安堵した。


これで終わった。


そう思った。


ところが、翌日になると別の不安が生まれた。


周囲は自分をどう見るだろう。


誰かが陰で笑うのではないか。


今まで通りに話しかけてくれるだろうか。


もう、以前の自分には戻れないのだろうか。


修二は再び知人に連絡した。


「ようやく終わりました」


「よかったじゃないか」


「でも、これから会社に行くのが憂鬱なんです」


「どうして?」


「みんなに、何か言われるんじゃないかと思って」


知人は少し笑った。


「お前は、まだ起きていないことに随分と忙しいな」


修二も笑った。


「そうなんですよね」


少し沈黙があった。


「今まで通りでいてくれて、ありがとうございます」


知人は答えた。


「じゃあ、今度飲みに行こう」


「いいですね」


「奢ってね」


「分かりました」


電話を切った。


修二は久しぶりに、何も考えずに笑った。


翌朝、いつもより早く目が覚めた。


出勤の準備をしながら、鏡を見た。


特別な顔ではなかった。


仕事が急にうまく進められるようになったわけでもない。


家庭が変わったわけでもない。


昨日までの自分と、何も変わっていない。


ただ、会社へ行くことはできる。


修二はネクタイを締め直した。


今日は何をすればいいのだろう。


少し考えた。


そして、いつものように思った。


誰かに聞いてみよう。


修二は玄関を出た。


まだ、答えはなかった。

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