第72話 カイルさんて、こんな髪色だったっけ?
「うーんっ……!」
私は何とかカイルさんを水中から引っ張り上げ、川岸へと辿り着いた。
ザブッと水音を立てて川から上がると、ぐったりとしているカイルさんの両腕を抱え上げ、必死の思いで岸の上へと引きずり上げる。
「うぅっ……お、重い……っ!」
相手は私よりも頭一つ分以上は背の高い成人男性だ。
しかもお互いにすっかりずぶ濡れになっているため、服に含まれた水分のせいでその重量は普段以上になっていた。
「うーん……っ! よい、しょ……っ!」
ズルズルと川岸の草むらにカイルさんの身体を何とか這い上がらせると、私は息を弾ませながら声をかけた。
「カイルさん? カイルさんっ?」
しかし、青ざめた顔をしたまま、カイルさんはピクリとも返事をしない。
「カイルさんってば!」
ペチペチと両頬を軽く引っぱたいてみるも、まったく反応はなかった。
「まさか……」
胸元にそっと手を当ててみる。
――動いていない。
「やっぱり……!」
呼吸もしていない。
けれど、ここで慌ててパニックを起こしている暇はない。
不思議と、こういう緊急事態のときには、どう動けばいいのかが明確に分かっていた。
「一刻も早く、蘇生処置を始めなきゃ……っ!」
自分自身に強く言い聞かせると、私は迷うことなく処置を開始した。
「まずは気道確保から。失礼します!」
カイルさんの顎をぐっと持ち上げて頭を後ろへそらせ、その鼻を指でしっかりとつまむ。
「ス~……」
大きく息を吸い込むと、私はカイルさんの口の中に「ふーっ」と力強く自分の息を吹き込んだ。
何度か繰り返し息を送り込んでも、まだ自発的な呼吸は戻らない。
「なら、次は胸骨圧迫です!」
カイルさんの胸の中央に両手を重ね、強く、そして速いテンポで三十回ほど圧迫してから、再び人工呼吸を繰り返す。
もちろん、呼びかけの手も緩めない。
「カイルさん! 目を覚ましてください! カイルさんっ!」
「うっ……ごほっ……!」
――その瞬間。
カイルさんが激しくむせび、口からゴプッと大量の水を吐き出した。
やった……! 大成功だ!
「うぅ……」
やがて、カイルさんがゆっくりと薄目を開けた。
「よかった……! 意識が戻ったんですね?」
ぽたぽたと髪から水滴を垂らしながら、私は心からの笑顔を浮かべてカイルさんを見つめ……ふと首を傾げた。
(あれ……? カイルさんって、こんな髪色だったっけ? ……もっと真っ黒な髪だと思い込んでいたけれど……もしかして、どこかで染めていたのかな? 眼鏡も外れちゃってるし)
「あ……お、俺は……助かったのか……?」
カイルさんの青ざめた唇が、か細く震えながら動いた。
「はい、そうです。でも、本当に危ないところでしたよ。一時は息が止まっていたんですから。でも、もうこれで大丈夫です!」
「うっ……」
カイルさんが自力で上半身を起こそうとする。
「あ、いきなり無理をして一人で起き上がろうとしちゃダメですよ」
背中にそっと手を添え、身体を起こすのを支えてあげた。
「あ、ありがとう……ところで、ここは……一体どこだ……?」
カイルさんはフラフラする頭を押さえつつ、辺りを見回した。
「はい、先ほど私たちが流された場所よりも、だいぶ川下に当たりますね。二人仲良く流されてしまったようですから」
「ははっ……笑えないな……。助けに行ったつもりが……まさか、自分が助けられる側になるとは……」
カイルさんはガックリと肩を落とし、乾いた笑いを漏らした。
「そんなこと、気にしないでください。もとはと言えば、私が油断して川に足を滑らせたせいなんです。カイルさんまで危険な目に遭わせてしまって、本当に申し訳ありませんでした」
私はびしょ濡れの服の裾を絞りながら、深々と頭を下げた。
「いや……だが、結局俺は何もできなくて……役立たずだった……。それにしても、もの凄く泳ぎがうまかったんだな……」
「はい。何しろ私は水泳選手……い、いえっ! なんでもありません!」
あわてて言葉を濁したが、カイルさんは私の失言を突っ込んでくる様子もない。
遠くを見るような目で、ぽつりと呟いた。
「水の中に沈んでいくとき……お前が俺の方へ向かって泳いでくる姿が見えたんだ。まるで、本物の人魚みたいだったな……」
カイルさんがふっと切なげな笑みを浮かべる。
「えっ? 人魚ですか? あははは、大袈裟ですよ~!」
軽く手を振って笑ってみせたものの、自分の命を顧みずに助けに飛び込んできてくれたカイルさんのその言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。
(やっぱり、ちゃんとお礼を言わないといけないよね)
「カイルさん、本当にありがとうございました」
「はっ……? どうして礼なんて……」
「だって、川に落ちた私を、必死に助けようとしてくれたからです」
「っ……!」
その言葉を聞いた瞬間、カイルさんは息を呑み――次の瞬間。
「頼むっ! アイシャッ! もう一度、俺とやり直してくれ……っ! 俺はお前を愛しているんだ!! 俺たちは、まだ離婚なんかしていないんだっ!!」
カイルさんは勢いよくその場に崩れ落ち、私に向かって土下座した――




