※第67話 まさか、覚えていないのか!?
「実は、アイ……い、いや! シーナさんが以前からずっと欲しがっていた品物を、ついに手に入れたので、こうして届けにきたのだ!」
「え? 以前、欲しがっていた物ですか? ……私、何か欲しがっていましたっけ?」
「なっ……何だって!?」
予想の斜め上をいく妻の言葉に、俺の脳内は一瞬にして真っ白になり、思考が完全に停止してしまった。
「あ……ま、まさか覚えていない……?」
「はぁ……。申し訳ありません。何しろ最近は、毎日が目の回るような忙しさだったので」
「くっ……!」
思わずその場で両手の拳をぎっと強く握りしめ、空を見上げる。
何ということだ……!
あの日。
お前が「ミシンが欲しい」と口にしたからこそ!
領地に帰った後、俺は執事のウィリアムを巻き込んで国中をひっくり返す勢いで探し回ったというのに。
結局、どこの市場を探しても「ミシン」という品物を見つけ出すことはできなかった。
だからこそ、わざわざ腕利きの職人たちを屋敷に呼びつけて「ミシン」を一から作り上げさせ、さらに自分自身で血の滲むような猛特訓をして、あの複雑な操作方法をようやく完璧に習得した。
なのに……!
お前は自分がミシンを欲しがっていたことすら、すっかり忘れていたというのか!?
ドサッ!
あまりの強烈なショックに膝はガクリと折れ、そのまま地面へ崩れ落ちてしまった。
「えっ……!? カイルさん!? 一体どうしたんですか、しっかりしてください!」
「ハハハ……いや、あまり大丈夫ではないが、とりあえず精神力でどうにか大丈夫だ……」
「でも、なんだか顔色がものすごく青いですよ? もしかして、疲れがかなりたまっているのではありませんか?」
「疲れ……か。確かに肉体的というよりは、精神的な極度の疲労がたまっているかも……な」
それもこれも……お前が俺の心をかき乱すからだ。
「そうですか。それなら、よかったら私の屋敷……ではなく、今度新しくオープンさせたばかりの宿屋でゆっくり休んでいかれませんか? 実は、この村に新しい宿屋をオープンさせたのですよ」
「なにっ……!? この村に宿屋をオープンさせただって!?」
「はい、そうです。かつてこの場所は、旅人たちが集う宿場村としてとっても賑わっていたんです。一時はすっかり寂れてしまいましたが、村のみんなの頑張りのおかげでこうして活気を取り戻しつつあります。だからこそ、さらにこのサンドリー村に本格的な宿屋を新しく開業することにしたのです」
「オープン」という言葉が何を意味するのか、正確な定義は分からない。
だが流れる文脈から意味を推測することは十分にできる。
おそらく、宿泊施設としての経営を新たに始めたということだろう。
「なるほど……それはまた、実に素晴らしい経営手腕だな」
「本当ですか? ありがとうございます。あ、そうだ! カイルさんは旅商人としてあちこちを飛び回っていらっしゃるから、色々な地域の宿屋に泊まったご経験がありますよね? もしお急ぎでなければ、今夜はこの村に泊まっていかれませんか? もしよければ、記念すべき『サンドリー村の宿屋第一号のお客様』になっていただけたら嬉しいのですが」
その言葉に耳を疑う。
「なんだとっ……!? 今夜、この村の宿屋に宿泊していくかだって!?」
「はい。あ、でも、ご商売でお忙しいスケジュールでしたら、無理にとは言いませんけれど……」
スケジュールという言葉も聞きなれないが、大丈夫!
意味はちゃんと通じているからな。
新しく開店したばかりの記念すべき宿屋の客、その栄えある第一号……そんなの、断る理由などどこにもない!
「あぁっ! もちろん是非とも、泊まらせてもらおう! 何なら一泊と言わず、連泊したっていいくらいだ!」
「仕事があるので、絶対早く帰ってきてくださいね」と訴えてきたウィリアムが、一瞬脳裏に浮かぶが……。
だが! そんなことはどうでもいい!
「本当ですか? では、さっそくご案内しますね」
「そうですね! ついでに届けに来た品を披露させていただこう。きっと度肝を抜くこと間違いなしだ!」
「本当ですか? それはとっても楽しみですね」
「……っ!」
クスクス笑うメイド服姿の妻に、つい見惚れてしまう。
彼女はこんなに魅力的な笑顔をする女性だっただろうか……?
「どうかしましたか、カイルさん?」
「どうかしましたか?」
「い、いえ。それでは俺の荷馬車に一緒に乗ろう」
御者台に乗り込むと手を差し伸べた。
「ありがとうございます」
妻は笑顔で俺の手を掴むと、隣に座る。
「では、行こう」
「はい」
「ハイヨ!」
手綱を握り、小さく掛け声をかけるとガラガラと音を立てながら、馬はゆっくり進み始めた。
(それにしても、二人で初めて乗る馬車が荷馬車とはな。しかも俺は農夫姿で、妻はメイド服姿とは……)
妻を隣に乗せながら、思わず苦笑する。
「どうかしましたか?」
「いや、何でもない」
お互い、貴族とは言えない身なりをしているが……。
うん、こういうのも悪くない――!




