※第62話 私たち、もう一度やり直さない?
「まぁ、侯爵。お久しぶりね? ……たぶん、二年ぶりかしら?」
エリザベスは上目遣いに俺を見つめてきた。
だが不思議なことに、あれほど愛していたはずの彼女を目の前にしても、今の俺の胸の内には何の感情も湧いてこない。
お互いに愛を誓い合い、かつては結婚さえ約束した仲だというのに。
「あら? なに? そんなにじっと私を見つめて……フフッ、あまりの懐かしさに驚いて声も出なくなっちゃったのかしら?」
細められた瞳のままで、口元に得意げな笑みを浮かべる。
以前の俺なら、その仕草や表情に心底胸をときめかせていたはずなのだが……。
「あぁ、そうだな。驚いたよ。……元気そうだな、何よりだ」
俺は彼女の肩にそっと手を置き、引きはがすように自然な距離を取った。
「……? いったいどうしたのよ? 急にそんなによそよそしくして」
「いや、なんでもないさ」
「あ、もしかして周囲を気にして気を使っているのかしら? でも、そんな心配はもういらないのよ。安心してちょうだい」
「安心?」
一体、何に安心しろと言うのだろうか。
「私ね、前の恋人とはきっぱり別れたのよ。半年ほど前にね」
「そうだったのか? それは意外だったな」
てっきり、どこかの貴族とでも結婚して幸せに暮らしているものだと思っていたが。
「あの人とは、やっぱりどうにもそりが合わなかったのね。はじめのうちは『なんて素敵な人なんだろう』って思っていたのだけれど、付き合っていくうちに段々熱が冷めていってしまって。だって、あの人って本当にユーモアのかけらもないんですもの」
「ふ~ん。そうか」
頼むから、いい加減にしてこの話を終わらせてくれないだろうか。
さっきから喉がカラカラに渇いているし、そろそろ何か口に入れようと思っていたところなのだ。
いや、それ以前の問題として、俺とエリザベスはかつての恋人同士だ。
しかも俺は結婚している。
ここで変な勘違いをされて、つまらない噂を立てられるのだけは絶対に避けたかった。
「ねぇ、ちょっと。私の話、ちゃんと聞いてる? どうも先ほどから、なんだか心ここにあらずって感じだけど」
「あ、すまない。実はさっきから喉が渇いて仕方なくてね。これから飲み物を取りに行こうとしていたところだったんだ」
「まぁ、それはちょうどいいわ。実は私も、先ほどから喉が渇いて仕方がなかったのよ。一緒に飲み物を取りに行きましょう」
何だって……? 冗談じゃない!
サンドリー村の宣伝と、妻の偉大な功績を熱く伝えようと計画していたのに。
エリザベスがぴったり張り付いていたら、営業活動すら満足にできないじゃないか!
「ほら、突っ立ってないで早く行きましょうよ」
楽しげにウキウキとした様子で、エリザベスが手招きをしてくる。
彼女とて、名門伯爵家の令嬢だ。
ここで下手に邪険にして問題を起こし、周囲の注目を集めて騒ぎになるのだけは避けなければならない。
何しろ今の俺は、毎日の激務で猛烈に忙しくてたまらない中、わざわざ時間を割いてこの夜会へやってきているのだ。
その目的はすべて我が妻の手助けをするべく、新たな商談をまとめて帰ることなのだから!
こうなったら、適当にあしらって相手をしておき、隙を見て姿をくらますことにしよう。
うん、それが一番賢いやり方だ。
「あ、あぁ……分かったよ」
渋々うなずくと、エリザベスは首を傾げた。
「なんだか、返事をするまでにやけに長い間があったわね? まあいいわ。私、冷たいワインが飲みたい気分なの」
「ワインか……うん、いいな」
そういえば、サンドリー村でも本格的なワインの製造に向けて動き出していたはずだ。
今、あの村での醸造計画は一体どのあたりまで完成に近づいているのだろうか?
エリザベスの後ろを歩きながら、頭の中はサンドリー村と妻のことで完全に一杯になっていた――
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「美味しいわね、ここの宮廷ワインは。お料理もさすがの味だわ」
エリザベスは俺の顔をしっかりと見据えながら、グラスのワインを優雅に口に含んだ。
「あぁ。そうだな」
適当に相槌を打つものの、いい加減に彼女の相手をするのにも辟易してきた。
誰か他の貴族が俺たちに話しかけてくれれば、その隙にうまく逃げ出せると思っていたのに、なぜか近くに寄ってくる者は誰もいない。
それどころか、なんだか周囲から遠巻きにジロジロと観察されているような気がしないでもなかった。
「ふふ、私たち、すっかり注目されているみたいね」
ワインのせいでほのかに顔を赤らめながら、エリザベスがクスクスと笑う。
「なにっ……!? そうなのか!?」
やはり、俺の気のせいではなかったということか?
「あら? そんなに驚くことかしら? でも当然じゃない。以前の私たちは、この社交界でも誰もが知る有名な恋人同士だったんだもの。みんな、私たちがまた寄りを戻したんだって思って見つめているのよ」
「……そうだな」
本気で言ってるのだろうか?
俺は既に結婚している。
確かに妻を疎ましく思っていたのは社交界では知れ渡っていた。
当然エリザベスの耳にも届いているに違いない。
(だが……あいにくだったな。今は全くそんなつもりはないんだよ)
「それでね、あの人ったら私にこんなこと言ってたのよ……」
「ふ~ん、なるほど」
もういい加減、エリザベスの話に付き合っているだけでも疲れてくる。
いや、はっきり言って完全に時間の無駄だ。
昔は彼女のことを、知的で素晴らしい女性だと心から尊敬していたはずなのに。
不思議なことに、今の彼女を見ているとなんだか物凄く物足りなく感じてしまう。
(こんなにエリザベスは愚かな女性だったか?)
妻の圧倒的な知性と行動力に比べて、エリザベスは随分とこう……知能が劣っているように思えて仕方がなかった。
「あ、そうそう。最近ちょっと面白い噂を耳にしたのだけど。あなたの領地にある、ずっと放置されて管理されていなかった『サンドリー村』……あそこ、最近急にすごく栄えてきているそうじゃない? なんでも移住者がどんどん増えているって聞いたけれど。もしかして大掛かりな開拓でも行っているの?」
「なにっ……!? 知っているのか!?」
前言撤回させてもらおう。
やはり、エリザベスはそこらの女性よりはずっと情報通で知的だ!
「ええ、もちろんよ。ふ~ん、だから最近、あなたはすっかり忙しくして社交界にも全然顔を出さなかったわけね?」
「えっ……どうしてそれを……?」
なぜ俺が最近、社交界にまったく姿を見せていないことまで知っているんだ?
今だって、こんなにも大勢の貴族たちが所狭しとひしめき合っているというのに。
「どうしてかって? そんな決まっているじゃない。私、恋人と別れてからずっと、あなたのことが忘れらなかったの。……ねぇ、侯爵。私たち、もう一度やり直せないかしら?」
エリザベスは近づいてくると、寄りかかってきた――




