第61話 カプシーナ妻だと!?
ミシンが完成してから、三日後。
俺は建国記念日を盛大に祝う、宮廷の夜会に出席していた。
本来なら、山積みの仕事に追われているこの状態で夜会など出席している暇はない。
冗談ではなく、今すぐ執務室に戻りたいところだった。
だが、国内のほとんどの貴族が一堂に会するこの夜会をすっぽかすわけにはいかない。
ここで顔を出さなければ、代々続く侯爵家の面目を完全に潰しかねないからだ。
それに、俺がこの場に参加するには、もう一つ重要な目的があったからなのだが――
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豪華絢爛なシャンデリアの下、大勢の貴族たちが華やかにひしめき合う夜会の会場。
「ふぁあ……」
俺は会場の隅っこで、欠伸を必死にかみ殺していた。
ここ数日は、ミシンの操作を覚えるための地獄のような訓練。
さらに山のような領政仕事の処理のせいで、疲労と睡眠不足が限界まで貯まっていたのだ。
「もう一杯、ワインはいかがでしょうか?」
スッと上品な身のこなしでフットマンが近づき、小声で声をかけてくる。
「いや、結構だ」
「かしこまりました。失礼いたします」
軽く会釈すると、フットマンは静かに去っていった。
うう……それにしても、たまらなく眠い。
「ふわぁああ……」
片手で口元を隠しながら、二度目の大きな欠伸をもらしたその時。
「よぉ! 久しぶりだな!」
背後から、軽い調子で声がかけられた。
「ん? あ……ハリス! お前だったのか?」
そこに立っていたのは、学生時代からの悪友であるハリス。
「どうしたんだよ、お前。最近まったく社交界に顔を現さなかったかと思えば、今度はこんな隅っこで」
「あ、あぁ……色々とな、というか、死ぬほど忙しかったからな」
「ふ~ん、まあ、そうか。それより何で飲み物を持っていないんだ?フットマンからワインでも貰えばいいだろ」
ワインを飲むだと? 冗談じゃない。そんなアルコールを流し込んだら、一気に睡魔が襲ってきてそのまま気絶してしまうじゃないか。
それに今夜はワインを楽しむために来たわけではない。
夜会は表向き、本当は営業に来たのだ。
もう既にこの会場で二十人以上の貴族たちに名刺を渡している。
「ワインは結構だ。眠くなるからな」
「は? いま、何て言った?」
「い、いや、何でもない。気にしないでくれ。それより、ちょうどいいところに現れたなハリス。お前にこれを渡しておこう」
俺は上着の内ポケットから一枚のカードを取り出すと、素早くハリスの目の前に差し出した。
「ん? なんだ、これ?」
ハリスはカードを受け取ると、怪訝そうに首を傾げた。
「これは『名刺』というものだ。表には俺の正式な肩書が書いてあるだろう?」
俺は少しだけ自慢げに胸を張る。 なにせ、この「名刺」という文化は、我が妻が考案した画期的な代物なのだからな。
「へぇ……これはなかなか面白い代物だが……一体なんだこれ? なんか色々変な肩書が書いてあるじゃないか。『ドライフルーツ営業担当』? 『サンドリー村広報担当』? 『洗濯機、及びミシン開発部門担当』……って、おい、なんだよこれ!? この『カイル』って……お前の名前じゃないだろ、これ」
「あぁ。これはあくまで裏の名刺だからな。まだ表向きの正式な肩書が入った名刺は出来上がっていないんだ」
「なんだそりゃ、訳が分かんないな。いや、それよりもだ。今夜はお前のあの奥方は、この夜会に出てきていないのか? あの、ほら、カプシーナの妻はさ」
ハリスはどこかからかうように口元に笑みを浮かべた。
カプシーナ(ピーマン)だと……!?
我が妻を侮辱する言葉に、全身の血がカッとなる。
「……ハリス。いま、何て言った?」
一段とドスの効いた低い声で、睨みつける。
「だからさぁ、その、カプシーナ妻は、何で今日は来てないんだって聞いて……っ、お、おい、なんだよその目は? な、なんでそんなに本気で怒ってんだよ? ほ、ほんの冗談だろ、冗談!」
「何が冗談だ! ふざけるな!」
ハリスの服の胸倉を掴み上げると、グイッと有無を言わさず引き寄せた。
「ちょ、ちょっと待てって……お、落ち着けってば……」
ハリスは青ざめ、引きつった笑みを浮かべる。
「これで落ち着いていられるか! いいか? 俺はただでさえ日々の激務で寝不足だ! 今すごく機嫌が悪い。それなのによくも妻の悪口をぬけぬけと吐いてくれたな!」
「は……? ほ、本気で怒ってるのかよ……だってお前、以前はあんなに『あいつは煩わしい』だとか『もううんざりだ』って散々言ってたじゃないか……!」
「なら、今ここで尋ねてやろう。お前、最近世間で大人気の『レーズン』を知っているか?」
「あ、あぁ……も、勿論知ってるさ……知ってるに決まってるだろ、最近国中で急激に話題になってる爆売れの食べ物で……!」
「そうだ、いいか? 心してよーく聞け! その『レーズン』をゼロから開発した天才こそ、ほかでもない俺の妻なのだ! どうだ、思い知ったか!」
俺はガクガクとハリスの体を強く揺さぶった。
「ひっ! わ、分かった、分かったから! だからその手を離してくれ!」
酒が入っているせいか、ハリスの顔はみるみるうちに真っ赤に染まっていく。
「ふっ。これに懲りたら二度と口にするなよ」
パッと乱暴に手を離すと、ハリスは情けない悲鳴を上げながらバタバタと走り去っていった。
「ふん! 口ほどにもない。妻を侮辱するから当然の報いだ!」
だが、盛大に興奮してしまったせいで、さっきまでの眠気が一気にどこかへ吹き飛んでしまった。
「こうなったら、本当にワインでも一杯引っ掛けてやるか……」
そう呟きながら、目の前の立食テーブルへ向かおうとした、その時。
ドンッ!!
歩いてきた正面に現れた誰かと、激しくぶつかってしまった。
「きゃっ……!」
「っと、危ない!」
バランスを崩して転びそうになった女性の腰に反射的に手を回し、しっかりと引き寄せる。
「あ、申し訳ない……っ!」
「いえ、私こそ……って、あら……? あなたは……!」
「君は……! エリザベス……なのか!?」
抱き寄せた女性は、別れてから丸二年が経つ元恋人だった――




