※第60話 その服を脱げ!
カチコチ
カチコチ……。
俺はいつものように静まり返った書斎で、山積み仕事を必死にこなしていた。
目の前の机の上には処理すべき書類が、山のように積み上がっている。
(くそっ……! それにしても、この凄まじい忙しさは何なのだ。それもこれも、すべてはあのサンドリー村の収益が一気に跳ね上がったせいで……!)
「いや、待て! 彼女を責めては駄目だ。彼女は本当によくやってくれている。今では村の人口は当時の三倍にまで膨れ上がっているし、特産品のレーズンやドライブルーベリーは絶大な利益を叩き出している。そもそも俺にはもったいない、出来過ぎた妻なのだから……!」
「なるほど。それが旦那様の本心、というわけですか?」
「おわぁあっ!?」
すぐ傍で執事――ウィリアムの声が聞こえ、俺は情けない程大きな声で悲鳴を上げてしまった。
そのはずみで、机の上に広げていた書類が数枚ハラハラと床へと舞い落ちていく。
「な、何だ! お前、いつからそこにいた!?」
「そうですね……『彼女を責めては駄目だ』というあたりからでしょうか?」
ウィリアムは落ちた書類を淡々と拾い上げながら、「おや?」とわざとらしく目を細めた。
「な、な、何だと……!? 前から言っているだろう? 部屋に入るときはちゃんとノックをしろと!」
なんて奴だ!
一番聞かれたくない独り言を聞かれてしまうとは!
「ええ。こちらも何度も何度もノックをし、お声がけさせていただいたのですがね。ですが一向にお返事がなかったので、『失礼いたします』とお部屋に入らせていただいた次第ですが?」
まるで何か問題でもあるのかと言わんばかりに、ウィリアムは見下ろしてくる。
「くっ……」
執事のくせに、当主である俺よりも圧を感じさせるとは……。
「そ、それでウィリアム。いったい何の用でここへ来た?」
「はい。例の職人が、旦那様にお目通りを願いたいと参っております」
「何だって!? あの職人がついに来たのか!?」
ガタンッ!
勢いよく椅子を鳴らして立ち上がった。
「ええ、そうです。今、屋敷の前で待たせているのですが……」
「すぐにこちらへ通せ!」
「かしこまりました。あ、そうそう旦那様、先ほど床に落ちたこちらの書類ですが……」
ウィリアムはしれっと机の上に書類を置くと、部屋を出て行った。
「書類……? うっ!」
それを見た途端、いやな気持が込み上げてくる。
あの忌々しいハンナからの嘆願書だったからだ。
「まったく、何という厚かましい女だ……罪人のくせに、よりにもよって俺に釈放を訴えてくるとは」
思い出すだけでも吐き気がしてくる。
あの日―― 縛り上げたハンナをカントリー町の保安官に引き渡すと、俺は早々にその場を去った。
本来なら王都まで連行し、本局の保安官に突き出すべきだったのだろうが……。
あんな奴と一緒にこれ以上長旅などしたくなかったので、とっとと一番手近な町の保安官事務所の片隅に放り込んできたのだった。
「まったく、こんな薄汚いものを見るだけ時間の無駄だ!」
くしゃくしゃに丸めて、足元のゴミ箱に放り込んだとき。
――コンコン
ノック音が部屋に響き渡った。
「入れ!」
力強く声をかけると扉が開き、ウィリアムが再び姿を現す。
「旦那様、お待たせいたしました。例の職人を連れてまいりました。入って来い」
ウィリアムに促されて入ってきたのは、口ひげを生やした気弱そうな職人の男だった。
男は大きな荷馬車のような台車を引きずっており、その上には大きな布がかけられた謎の物体が乗せられている。
「おおっ……! ついに完成したのか!?」
込み上げる興奮を抑えきれず、身を乗り出した。
「はい、侯爵様! 我らの血と汗と涙の結晶が、ついにここに完成いたしました!」
職人はハッと気合を入れ、上にかかっていた大きな布を勢いよくめくった。
「おおっ! こ、これは……!」
そこには妻が描いた精密で設計図通りの「ミシン」が、美しい金属の輝きを放って鎮座していた。
「でかしたぞ! よくぞここまでやり遂げてくれた!」
「はい、本当に命がけで頑張りました……! 初めてあの設計図を渡されたときは、我が人生で一度も見たことのない謎の機械を作らされることになって、あまりの途方もなさに本気で夜逃げまで考えたのですが……」
「そんな裏話は聞かせなくていい! それで? 本当にこれで布が縫えるのだろうな?」
「ええ、もちろんですとも! 実際にこれで何着か服を縫って試してみましたから。ちなみに、今私が着ているこのシャツは、すべてこのミシンを使って製作したものなのです! 手縫いとは比べものにならないほど作業スピードが段違いで……しかも縫い目が驚くほど小さくて美しいんです」
「なんだと……!? 見せてみろ!」
俺はズカズカと職人の目の前まで歩み寄り、命じた。
「その服を脱げ!」
「「……は?」」
職人と、控えていたウィリアムが全く同じタイミングで首を傾げた。
「なにをしている。今すぐその服を脱げと言っているんだ。聞こえなかったのか?」
「え? あ、あの……侯爵様、本気で仰っているのですか……?」
「くっ……!」
傍らで、ウィリアムは口を真一文字に堅く結び、顔を真っ赤に染めながら震えている。
相変わらず気に入らない態度を取る執事だが……そんなことはどうでもいい。
「ぐずぐずするな! さっさと脱げ! なんなら、いまここで俺が自らその服を剥ぎ取ってやろうか!?」
「ひぃっ……! ぬ、脱ぎます! 自分で脱ぎますから!」
恐怖に駆られた職人は情けない悲鳴を上げながら、あわててボタンを外し始めた。
「……」
俺はその様子を腕組みしながら、じっと厳しく見つめる。
上半身の服をすべて脱ぎ捨てると、職人は青い顔をしながら震えた手でそのシャツを私に差し出してきた。
「あ、あの……侯爵様……こ、この調子ですと、下も脱ぐのでしょうか……?」
「そうだな、その方が縫製を隅々まで確認するには望ましいが……俺も鬼ではない。今回はシャツだけで許してやろう」
受け取ったシャツを、手にとってしげしげと眺めてみた。
「ふむ……」
正直に言って俺には、これがどれほど凄いものなのかさっぱり分からなかった。
なにせ、普段から自分で服を縫ったことなど人生で一度すらないのだから、分かるはずもなかった。
「まぁいいだろう。よし! では次に、このミシンの使い方のすべてを……この執事にしっかりと叩き込んで教えてくれ」
背後で控えていたウィリアムをビシッと指名した。
「はぁっ……!? いま、何とおっしゃいましたか! 嘘ですよね、旦那様!」
案の定、不平タラタラといった声を上げてきたが……残念だったな!
「ウィリアム! 俺は見ての通り、領政の仕事で手一杯、つまり忙しいのだ! この圧倒的な書類の山を見ろ! 俺がこのミシンの使い方をゼロから覚えるか、それともお前が代わりに俺の執務の代行をするか……さあ、二択だ! 好きな方を選ばせてやる!」
「仕事が良いに決まっています!!」
よりにもよって、ウィリアムは予想外の返事をしたのだった――




