※第49話 誰が嫉妬などするものか
夕暮れ時。
空がすっかりオレンジ色に染まり、カラスがカーカーと騒がしく鳴き始める頃。
俺はようやく、カントリー町の宿屋へ到着した。
「戻ったぞ、ウィリアム!」
宿泊している部屋の扉を勢いよく開け放つと、山積みの書類を前に仕事をしていたウィリアムが、顔を上げた。
その冷ややかな目には、あきらかに恨みがましいというか、殺気すらほんのりとこめられている気がする……。
「旦那様……」
ウィリアムはカタンと椅子を鳴らしてゆっくりと席を立つと、ギシギシと床を鳴らしながらユラリとこちらへ近づいてきた。
「な、なんだ……?」
思わず背中を壁にぴったりとへばりつかせながら、目の前にそびえ立つ大男を見上げる。
「遅いではありませんかっ!! 一体いままでどこで何をされていたのです!? あんなに山のような仕事を私一人に押し付けておいて!」
ウィリアムはバッと背後を振り返ると、デスクの上にそびえ立つ書類の山を指し示した。
なんという凄まじい迫力。
その低く唸るような声は、部屋の窓ガラスをビリビリと細かく震わせている。
だが、これでも俺は当主。
ここで怯むわけにはいかない!
「し、仕方がないだろう!! なんと、我が妻があの村の『村長』になっていたのだからな!!」
「……は? 旦那様。一体なにを仰っているのか、意味がさっぱり分かりませんが」
「いいから、まずは座って話をしよう。このリュックの中身が重たくて、肩がちぎれそうなんだ」
背負っていたリュックには、妻から託された大量のお土産がパンパンに詰め込まれている。
それだけではなく、足元に置いた麻袋にも「これもどうぞ!」と笑顔で渡された特産品がぎっしり詰まっていた。
「ふぅ……疲れた」
重いリュックと麻袋をドサリと床に降ろすと、どっかりと椅子に腰掛ける。
「旦那様、随分とお疲れのようですね。もっとも、私も仕事漬けで死ぬほど疲れておりますがね」
いちいち皮肉交じりの嫌味を挟んでくる嫌な執事だ。
あえて無視を決め込んでいると、ウィリアムは呆れたように鼻を鳴らした。
「そういえば、出かけられたときよりも荷物が明らかに増えているではありませんか。一体現地で何があったのです? それに先ほど、『妻が村長になっていた』と、おっしゃっていましたが……?」
「そう、そこだ! いいか、心して聞けウィリアム! なんと妻が、あのサンドリー村の『新しい村長』に就任していたんだ! これがその動かぬ証拠だ。彼女から直接手渡されたからな」
私は胸ポケットから、妻が「名刺」と呼んでいた例のカードを取り出して机に叩きつけた。
「名刺……? えぇっ!? 『カプシーナ・サンドリー』……!? 奥様は、本気でご自分のことをカプシーナ(ピーマン)とお思いで……いや、名乗っていられたのですか!?」
「あぁ……恐ろしいことに、本人は大真面目だったぞ。だが、普段は『シーナ』と呼んでくれと言っていた。なんでも古い名前はすっぱり捨てて、新しい人生をゼロからやり直すために改名したのだそうだ……ふん、一体どういうつもりなんだか」
「新しい人生、ですか……。奥様は、そんなふうに語られていたのですね。……お気の毒に。そこまで追い詰められていたのですね。一体誰のせいでとは言いませんが……」
「ぐっ……!」
なんて奴だ。
相変わらず、サラリと鋭い嫌味を突き刺してくる。
だが……!
いや、今はそんな昔の反省をしている場合じゃない!
「そう、だよな……すべては俺の至らなさが招いたことだ……って、おい! そんな湿っぽい話をしたいわけじゃない! とにかく俺の言うことを聞け!」
バンッとテーブルを両手で強く叩いた。
その衝撃で、脇に置いてあった未処理の書類の山がバサッと舞い上がり、数枚の紙がハラハラと床に落ちていく。
「ああっ! なんてことをするのです! 他の重要書類と混ざってしまったらどうしてくれるんですか!」
裏返った声で、慌てて床の紙をかき集めるウィリアム。
「細かいことはいいから聞け! とにかく、妻はあの寂れた村でとんでもない大改革を行っていたんだ。まず、世間を騒がせているあの『レーズン』を考案したのは、ほかならぬ妻自身だった! 村全体を一丸させてレーズンパンを大量に焼き、このカントリー町にまで卸して一大ビジネスにしているのだ!」
「えっ……!? なんですって!?」
流石のウィリアムもただ事ではないと察したのか、慌てて席に座り直した。
「それだけじゃないぞ。いまや村ではワインの製造まで手がけ、さらには葡萄ビネガー作りも始めている。食品を冷やすために『ポットインポット』とかいう画期的な冷却保存容器を各家庭に配り、井戸はすべて最新のポンプ式に改良済みだ。極めつきは、洗濯の手間を劇的に省く謎の装置まで開発中していた! おまけに、何でも揃う『コンビニエンスストア』という店舗まで経営していて……そうだ、肝心なことを思い出した!」
「ちょ、ちょっと落ち着いてください旦那様! そんなに矢継ぎ早に情報を放り込まれても、こちらの脳が追いつきません! まず、肝心なことって何ですか?」
「あ、あぁ……! 妻の店で終始ベッタリと傍にへばりついていた、あの生意気な若造……ジャックとかいう奴だ! あいつは『コンビニエンスストア』の従業員だと名乗っていたが……しかし、あの村で今も妻と一緒に暮らしているかもしれない。肝心な関係性を聞き忘れてしまった! 口ではただの従業員と言い張っていたが、もしや二人はすでに……!」
「旦那様……」
「なんだ!」
荒い息を吐きながら問い返すと、ウィリアムは心底呆れ返ったような白けた目でこちらをじっと見つめていた。
「結局のところ、奥様とたっぷり三時間もお会いして、仲良くお話をされてきたのですね? その挙句、見ず知らずの若い従業員に勝手に激しい嫉妬を狂わせていると……そういうわけですか?」
「はぁっ!? だ、誰が嫉妬に狂っているだ! 馬鹿を言うな!」
「そうですか。まぁ、私の目にはどう見てもただの嫉妬深い夫にしか映りませんが……まあいいでしょう。とにかく、奥様は我々の想像を絶するほどの凄まじい変化を遂げられていた、ということですね?」
「あぁ、そうだとも。本当に、あれは俺が知っているあの妻だったのだろうか……。だが、感傷に浸っている暇はない! ウィリアム、今すぐ屋敷へ帰るぞ! 何としても、『巨大日傘』と『ミシン』という謎の機械を手に入れなければならないんだ!」
ガタンッと勢いよく席を立ち上がった。
「旦那様、どうか落ち着いてください!いったい何をそんなに焦っておられるのです? 日傘は百歩譲ってわかるとして、『ミシン』というものは一体なんですか? 初めて聞きましたよ」
「そうか、お前も『ミシン』を知らないか。ならばこれを見ろ。こういう素晴らしい代物なのだ!」
妻から譲り受けたあのメモ紙をポケットから誇らしげに取り出すと、ウィリアムの目の前に突き出した。
「……ほぅ。これは……驚きました。実に美しく、かつ極めて合理的な画期的な機械の設計図ですね……」
「ふふん、そうだろう。しかも、この精巧な設計図を描いたのは、ほかならぬ妻だ。すごくないか?」
「な、なんですって!? 奥様ご本人がこれを……? 信じられません……!」
「だが、俺はこの目でしっかりと見たのだから間違いはない! とにかく、この『ミシン』の現物を国中探し回ってでも手に入れる。もしどこにも存在しないというなら、この設計図通りに作らせるまでだ!」
「わかりましたよ、旦那様……。そこまでおっしゃるということは、さては奥様にすっかり惚れ直して……」
「いいから、すぐにでも出発するぞ!」
「駄目です! 今から出発したら、真夜中に鬱蒼とした森の中を通り抜けることになってしまいます!」
「チッ……仕方がない。ならば、夜明けとともに出発だ!」
俺は大股で窓辺に歩み寄ると、サンドリー村の方角見つめた。
待ってろよ。
お前の望むものを必ず俺が手に入れてやるからな――!
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