※第45話 これは立派な領地視察だ
紙袋にレーズンパンをパンパンに詰めてもらい(別に洒落ではない)馬車通りに出ると、ウィリアムがヒィヒィと荒い息を吐きながら駆け寄ってきた。
「ウィリアム! 随分遅かったではないか! いったい何をしていたんだ?」
「何をしていたか、ではありませんよ! 旦那様が急に馬車を止めに行けとおっしゃったのでしょう? この辺りは商店街で、馬を繋ぎ止めておける場所が近くになかったのです。だから、ここからずっと先にある場所まで走らせて止めてきたのですよ」
ウィリアムは、ふぅふぅと肩で息をしながら、びしっと東方面を指さした。
「……なるほど、ご苦労。それで馬車の『荷物』はどうした?」
「持ってきておりませんよ、そんなものは」
なに……? 持ってきていないだと……!?
「なぜだ! なぜ持ってこなかった!」
「それは仕方ないでしょう!? 急いで馬車を止めて、あのパン屋の行列に並ばなければならないと思ったからです! あんな重くて大きな荷物を持って、全力で五分以上も走れるわけがありません!」
「ぐっ……」
またしても、論理的すぎる正論で言い返されてしまった。
ウィリアムは先代の頃から我が家に仕える筆頭執事。
おまけに身長は二メートル近くある大男だ。
いざとなれば、俺など赤子の手をひねるよりも簡単なのだろう。
だが……ここで舐められてたまるか!
「ウィリアム。お前……先ほど、『そんなもの』と口にしたが、『そんなもの』とは何だ! あの荷物の中には、重要な……!」
そこで、ハッと気づいて言葉を飲み込んだ。
まずい……危く言葉にしてしまうところだった。
あの中には、どうしてもウィリアムには知られたくないものが入っているというのに。
「……なんですか? 旦那様、今なにか言いかけませんでしたか?」
ぬっと、俺の前に身を乗り出してくる。
「い、いや。 なんでもない。持ってこれなかったものは、まぁ仕方がない……それよりこれを見ろ。大人気のレーズンパンを手に入れたぞ!」
ごまかすように、抱えていた紙袋の口を大きく開けて中身を見せた。
途端に、焼きたての芳醇なバターと小麦の甘い香りが辺りにフワッと広がる。
「美味しそうではありますが……それにしても、また随分と大量に買い込みましたね」
「ああ、そうだ。何しろ先に並んでいた老女が六個買って行ったのだ。領主である俺が遅れを取るわけにはいかないだろう?」
「はぁ……なるほど」
どこか呆れたような、白けた目を向けてくるウィリアム。
「よし、では一度宿屋へ戻るぞ。馬車を持ってきてくれ」
「はぁ!? また取りに行けとおっしゃるのですか? だったら一緒に参りましょう。実は馬を止めたのは宿屋にある馬繋ぎ場なのですよ。多分宿屋に行かれるのだと思い、先回りして止めてきたという次第です」
ニヤリと、ウィリアムが不敵に笑う。
「くっ……!」
慣れない変装用の木靴のせいで、足が痛むというのに……!
「……仕方ない、宿屋へ戻るぞ。ただし、その代わりこのパンの紙袋は、お前が持ってくれ」
「かしこまりました」
ウィリアムに紙袋を持たせ、痛む足を引きずりながら宿屋へ向かった――
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――それからしばらくして。
俺とウィリアムは宿屋にいた。
「ウィリアム、まずはお前から食べてみろ」
テーブルに向かい合わせに座るウィリアムにパンが入った紙袋を指さす。
「旦那様は召し上がらないのですか?」
「いいから遠慮せず、先に食べてみろ」
にこやかに促す。
「よろしいのですか?」
「ああ、もちろんらだ」
まずはお前の反応を見てからだからな。
「ふむ……ちょうど、歩き回ってお腹が空いてきたところでした。それでは、ありがたく頂戴いたします」
ウィリアムはガサッと紙袋の中に太い腕を突っ込むと、ごろんと大きめのレーズンパンを取り出し、そのまま豪快に口へと放り込んだ。
「……っ!」
「どうだ、ウィリアム? 味のほうは!」
「こ、これは……! 美味しいです、美味しすぎます旦那様! なんという旨味と甘みなんでしょうか……! 何もつけず、ただのパン生地だけでもこんなに芳醇で美味しくいただけるなんて!」
ウィリアムは紙袋を両手でしっかりと抱え込むと次から次へとパンを口へ放り込み始めた。
まるで、人間離れした凄まじいスピードの食べ方だ。
呆れて眺め……ふと我に返る。
「お、おい! ちょっと待てウィリアム! やめろ、独り占めするな! 俺にもよこせ!」
「あ。……申し訳ございません。あまりの美味しさについ……どうぞ、旦那様」
ウィリアムは名残惜しそうに、すっと紙袋をこちらに差し出してきた。
「まったく、お前という男は……」
文句を言いながら中を覗き込み、一瞬で凍りついた。
「ウィリアム……お前、これ……」
「はい?」
「一個しか、残っていないだろうがァ――ッ!!」
部屋に俺の怒声が響き渡った――
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「全く、本当にお前と言う男は……」
出掛ける準備をしながらため息をつく。
「申し訳ございません、あまりの美味しさについ……」
「仕方ない……あれ程美味だったからな……」
実際、あのフワフワの生地と甘いレーズンの組み合わせは、貴族の舌をも唸らせる最高の芸術品だった。
「サンドリー村に着いたら、真っ先にその『村長』とやらに顔合わせをしなくてはな。何しろ、彼があの素晴らしいレーズンを開発した張本人なのだから。では、行ってくる」
気を取り直してリュックサックを背負うと、部屋を出ようとした。
すると、ウィリアムが何とも言えない恨めしそうな目を向けてくる。
「なんだ? その目は……何か言いたいことでもあるのか?」
「ええ、大いにありますよ。またしても旦那様は、私にこんなに山積みの書類仕事を押し付けて、自分だけサンドリー村へ遊びに行かれるつもりですか? 本音は、奥様にこっそり会いに行くためなんでしょう?」
ウィリアムの机の上には、書類の山が置かれていた。
「なっ……何を言うか! 言うに事欠いて『遊び』だと!? 断じて違うぞ、これは立派な領地視察だ!」
確かに最初は妻の暮らしぶりをこっそり見に行く予定だったが、今や「レーズンパンの開発者への挨拶と経済視察」という大義名分ができているのだ。
「はぁ~……わかりましたよ。では、『領地視察』へ行かれるのですね? どうか道中、お気をつけて行っていらっしゃいませ」
「ああ、任せておけ! ついでに村長から『レーズン』作りを見学させてもらう。では、留守は頼んだぞ。ウィリアム!」
俺は意気揚々と宿屋を後にし、馬でサンドリー村へ向かった。
予想外の出来事が待ち受けているとも知らずに――




