※第44話 とりあえず、十個いただこう
カントリー町に入ると、俺はすぐにただならぬ異変に気付いた。
二週間前に訪れたときよりも、町全体がやけに活気づいているのだ。
「……ウィリアム」
御者台にいる彼に声をかけた。
「はい、旦那様」
「気づいているか?」
「はい、ばっちり気付いております。なんだか妙に町が活気づいていますね。明らかに人が増え、辺りにいい匂いまで立ち込めています。それに、先ほどチラッと見えたのですが……今まで桶で汲み上げるのが当たり前だった井戸が、あちこちポンプ式に変わっていましたね」
「何っ!? そこまで変わっていたのか!?」
なんてことだ。
俺はこの町の領主でありながら、執事よりも町の変化に遅れをとっていたとは。
だが……。
「ふっふっふ……だがな、ウィリアム。まだ他にも大きな変化が見て取れるぞ」
「え? まだ何かありましたか?」
背中を見せたままのウィリアムに、馬車の座席から身を乗り出す格好で言葉を続けた。
「あぁ。それは、ずばり……『笑顔』だ」
「……は?」
「この町の人々は、以前訪れたときよりも明らかに生き生きと笑っている。前はどこかどんよりと辛気臭いところがあったが……今は皆、幸せそうじゃないか」
町を行き交う人々は、大人も子供も皆、自然な笑顔を浮かべていた。
領主として、これほど嬉しいことはない。
「……で?」
ウィリアムが、ひどく間の抜けた声を出す。
「で? とはなんだ」
「いえ、それだけですか?」
「それだけとはなんだ! 相変わらず失礼な奴だな、お前は」
「『相変わらず』だけは余計です。それに今の発言は明らかに旦那様の主観ですよね? そんな風に堂々とご自分の主観を語られても……ほら、あの家の角をご覧ください。小さな子供が盛大に泣いているではありませんか」
ウィリアムが指し示した先では、母親に何か叱られたのか、小さな子供が顔を真っ赤にして泣きじゃくっていた。
「お、お前という男は……! 子供が泣くことくらい、当たり前だろうが!」
「おや? 旦那様。あそこのお店、物凄い行列ですよ」
俺の怒りを無視し、ウィリアムが呑気に告げる。
「おい、人の話を聞いているのか!」
「あっ、看板が出てますよ! 『サンドリー村特産品、レーズンパンの店』と書いてあります!」
「何だと……!? 馬車を止めろ!」
「はい、ドウドウッ!」
「痛てっ……!」
急停車した拍子に、ゴンッと勢いよく頭を打ち付けてしまった。
くっそ……なんて荒い馬車の止め方をするんだ。
小言の一つでも言ってやろうかと思ったが、それどころではない。
「旦那様、あのパン屋に人が殺到していますよ!」
ウィリアムがガチャッと馬車の扉を開けた。
「そうだな! あの人数では、すぐに売り切れてしまうかもしれない!」
慌てて馬車から飛び降りて馬車の面倒をウィリアムに押し付けると、猛然と行列の最後尾へと並んだ。
もちろん、貴族としての誇りがある。
決して横入りするような真似はしない。俺は良識ある誇り高き領主なんだからな。
行列に大人しく並んでいると、前に並んでいた人の良さそうな老女が振り返って話しかけてきた。
「お兄さんも、ここのレーズンパンを買いに並んだのかい?」
「えっ? は、はぁ……まぁ、そんなところです」
「ここのレーズンパンは本当に絶品なんじゃよ。初めて食べたときは、あまりの美味しさにほっぺたが落ちるかと思ったわい」
「なるほど……。ところで、その『レーズン』とは一体何です?」
目の前のパン屋よりも、なぜかその「レーズン」という聞き慣れない響きが気になって仕方がなかった。
「おやまぁ! お兄さん、レーズンをご存知ないのかい!?」
老女が目を丸くして驚く。
「え、ええ……まあ、そうですね……」
「これは驚いたねぇ。あんなに有名で美味しい食べ物なのに……」
なんだか、会話の主導権を握られてこっちがすっかり田舎者扱いされているような気がする。
「はぁ、お恥ずかしながら……それで、レーズンとはいったいどのような食べ物なのですか?」
「レーズンというのはね、あの酸っぱい葡萄を干して作ったドライフルーツのことだよ」
「ドライフルーツ……?」
干し肉のような保存食の一種だろうか?
だが、この辺りの葡萄といえばワインの原料にするか、そのままでは酸っぱすぎて捨てるしかないはずなのに……。
「それがねぇ、驚くほど甘みが出て本当においしいんだよぉ。粒だって、トウモロコシの粒くらいの大きさになるんじゃからねぇ」
「なんと……! あの酸っぱい葡萄が、そこまで……!?」
俺はすっかり老女の話に引き込まれ、前のめりになって食いついていた。
まさか、この村の老婆が俺より最先端の情報を握っているとは……!
「それで、そのレーズンという画期的な代物を考案したのは、このパン屋の店主なのですか?」
ビシッと目の前の店を指さした。
「いいえ、考案したのはサンドリー村の村長さんだよ」
「村長……?」
いったい、どんな凄腕の人物なのだろうか。
だが、相当な切れ者に違いない。
(あいつもレーズンパンを食べたことがあるのだろうか?)
脳裏に妻の顔がふと浮かびかけたその時――
「ほらほら、おしゃべりしている間に順番が回ってきたよ」
老女に声をかけられ、ハッと現実に戻された。
見ると、店のカウンターはもう目の前だった。
「なるほど……面白い売り方だ。だが、画期的だ」
店の中に客を入れるのではなく、外のカウンター越しにパンを売り買いする……。まるで、屋台のようだった。
老女はレーズンパンを六個買い、「じゃあね」と満面の笑みで去っていった。
そして、ついに俺の順番が回ってきた。
ふくよかな女性店員が、満面の笑みで話しかけてくる。
「お待たせいたしました! 本日はいくつご入用ですか?」
ガラスケースの向こう側に並ぶ焼き立てのテーブルパンには、レーズンと思しき黒い粒々が美味しそうに覗いている。
(周囲に漂うこの芳醇で甘い匂いは何だ……堪らないぞ)
「あの……お客様?」
(しかし、俺はいくつかの町や村を統治する一国の侯爵。見ず知らずの怪しげな新商品を、よく確かめもせずに口にするような軽率な主義ではない……)
「……とりあえず、十個いただこう!」
気付けば自分の意思とは裏腹に、勝手に注文していた――
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