※第30話 今、笑っただろう!?
カチコチカチコチ……
午前九時――
静まり返る執務室に、時計を刻む音だけが静かに響いている。
先ほどから書類の束に目を通していたが、集中することができずに仕事が停滞していた。
「……くそっ!」
苛立ち紛れにペンを握りしめたとき。
――コンコン
『旦那様、使用人たちを連れて参りました』
執事の声が扉越しに聞こえた。
ついに来たか!
「入れ!」
カチャリとノブが回る音が聞こえ、「失礼いたします」と執事が姿を現した。
「旦那様、いかがいたしましょう。一人一人中へ入れますか? それとも……」
「全員入れろ、一斉に尋問する」
「かしこまりました」
執事は会釈すると後ろを振り返る。
「旦那様の御命令だ。全員中へ入れ」
「は、はい……」
震える声が聞こえ、ぞろぞろとメイドたちが執務室へ入ってきた。
一番先頭にいるのは、メイド長のハンナだ。
(メイドの数は五人か……少なすぎないか?)
「俺は妻の世話をしている使用人をここへ連れてくるように命じたつもりだ。他の者たちはどうした?」
メイド長ハンナに尋ねた。
「恐れながら、これで全員でございます」
胸を張り、堂々と返事をしてくる。
「嘘だろう? たった五名なのか? 侍女はどうした?」
「侍女ですか? そのような者は初めからつけておりませんでしたよ?」
「何?」
侍女をつけていなかった……?
「その話……本当なのか……?」
尋ねる声が震える。
「ええ、本当です。嘘などついておりません」
ハンナは悪びれることもなく頷いた。
「……ハンナ。それはお前の独断で決めたことなのか?」
「ええ、さようでございます」
「何だと……?」
彼女が嫁いできたのは、今から一年半前。
その頃から侍女もなし、メイドも五名だけだっただと!?
無言で立っているメイドたちをジロリと睨みつけると、全員がビクリと肩を浮かせて俯く。
中には小刻みに震えている者もいる。
「ハンナ、分かっているのか? 彼女は仮にも公爵家の令嬢だぞ! 何故そのような真似をした!」
「それは旦那様が私に全て任せるとおっしゃったからではありませんか」
「何……?」
俺が彼女の世話を全てハンナに丸投げしただと?
執事に視線を送ると、ゆっくり頷く。
つまり、その通りだと。
だが……そんなことはどうでもいい。
「確かに、妻の世話は全てハンナに任せると言ったかもしれないが、やっていいことと悪いことがあるだろう! 一体公爵家からどれ程の持参金を渡されたと思っている!」
声を荒げると、さらに大きな声で言い返してきた。
「あの女が悪いのですよ! おぼっちゃまを苦しめるから、だからそれに見合った対応をしたまでです!」
「やめろ! おぼっちゃまと言うな!」
なんて奴だ。
まさか執事やメイドたちの前で俺を「お坊ちゃま」と呼ぶなんて。
「お坊ちゃまとお呼びして何がおかしいのですか? 私はこの屋敷で勤続三十五年。お坊ちゃまが生まれた日のことは今でも昨日のことのように思い出されます。おしめを替えた出来事、私の方へ向かって笑顔でハイハイをしたあの日……」
「もういい! やめろ!」
「それから初めて立ち上がった日には、お坊ちゃまは――」
「だからもういいと言っているだろう!」
ついに我慢できず、机を叩いて立ち上がった。
「そうそう。たしかあれは、まだ二歳の頃のお話ですが――」
「うるさい! 黙れ! これ以上余計なことを話すな!」
あり得ない!
よりにもよって、俺が幼児だった頃のプライベートなことを口にするとは……!!
怒りと羞恥でハンナを鋭い目で睨みつけたとき。
ふと気配を感じて周囲を見渡すと、メイドたちが一様に俯いている。
「……お前たち、何をしている?」
「い、いえ……何も……」
返事をしたメイドの肩が、小刻みに震えている。
その隣では、執事まで口元を手で覆っている。
「お前もか?」
「も、申し訳ございません……」
そう答えながら、執事の肩も明らかに震えている。
「笑っているのか!?」
「と、とんでもございません!」
即座に否定したものの、執事は必死に唇を噛みしめている。
「今、笑っただろう!」
「笑ってなどおりません!」
「だったら顔を上げろ!」
「クッ! そ、それだけは……!」
絶対執事は笑っているに違いない。
くそっ! なんて奴らだ!
なのに肝心のハンナはツンとした表情で立っている。
もう我慢の限界だ――!!
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