032 目鼻が、残った口が。
春菜の告げた西暦は、衝撃的なものであった。
人工冬眠カプセルで紗良葉が眠ったのは、2005年のこと。
カヲルコの話では、目覚めるのは約五十年後、たしか、2056年の9月だということであった。
(――もう、過ぎてるじゃん……!)
いつの間にやら、「外の世界」では、長い歳月が過ぎ去っていたのだ。
(どういうこと? 何が何だか、わけが分からない……)
紗良葉の頭は混乱する。
もっとも、
(いや、何はともあれ、とりあえず、ここを出よう。何か考えるのは、それからでいいや)
長く交流した「友達」を、疑いたくはないけれど、
(春菜がウソついてる……っていうか、間違った情報を伝えてる可能性もあるんだし)
背筋を伸ばして、目の前の春菜をまっすぐ見つめ、
「貴重な情報、ありがとう。あと、今までお世話になりました。楽しかった。またね」
つい、おざなりな口調、早口になっている自分に気づいて、紗良葉は、恥ずかしくもなった。
さっさと出て行きたがっている、その浅ましい態度への自己嫌悪。今まで、散々、お世話になっておきながら。
もっとも、ここがゲームの世界だとするなら、紗良葉は、取り込まれて、洗脳されていたとも言えるのだ。長居するのは、危険かもしれない。
春菜は、少々、寂しそうな反応をしたが、物ごしはさわやかに、
「こちらこそ。また、このゲームは無人になっちゃうけど……次のお客様を待ってます」
と述べるにとどめた。
ログアウトされた以上、もう、紗良葉に手出しもできないようだ。
直後、
ジジッ、ジッ、ジジッ。バチバチッ。ジー……
春菜の外見、全身に走るノイズが、強まった。
放電のような、イナズマ状の光が、春菜を取り巻き、一瞬ずつ、光っては消え、光っては消える。
顔、スカート、靴。あちこちが、点滅を始める。
春菜の顔面から、両眼と、鼻が消える。
口だけ残して、ほとんど、のっぺらぼうである。
身震いする紗良葉。ホラーだ。
「バイバイ、サリー。バ、イ、バ、イ……」
目と鼻がない顔で、口だけがしゃべり、ニィーッと笑いかけてくる。
「ヒィッ!」
紗良葉の口もとが、ひきつる。
見回せば、辺りの風景――屋上から見渡せる町や川、線路なども、チカチカと不鮮明になり、ちらついている。屋上そのものも、ぐにゃぐにゃと揺らぎ始めていた。
春菜は――上半身が、溶けたアイスキャンデーみたいに輪郭を失って、ドロドロになっている。下半身は、砂みたいに細かく分離し、周囲へ同化し始めていた。
(ヤバ。とにかくっ! さっさと出よう!)
振り向く。
眼前のドアだけが、やけにリアルで、ハッキリしていた。まるで、カメラレンズのピントが、そこだけに合っているような。
ドアノブを、両手で握りしめて、大急ぎで回した。
勢いよく、ドアは向こう側へ開いて、紗良葉の体は、前方に倒れ込む。
「キャッ!」
つんのめる。
ドアの向こうは、光の梯子、光のジャングルジムが、一面に広がった空間であった。その外側には、暗闇が広がっている。
(わあー! また、ここかー!)
見覚えのある景色。何度か、来ている。
別のジャンルの世界へ移動する時、よく出現する。ネットワークの通路、回廊の一種であろうか。
後ろを見れば、ドアは既に消え去っていた。
自分の体を見下ろす。服装が、セーラー服から、青いワンピースに変わっていた。これも、いつものことである。自分が「ノーマルモード」に戻った感じだ。
ファサッ……と、長い金髪が、耳や首筋に垂れてくる。
スカートの前ポケットをまさぐれば、
「……ん、あった!」
指先にヘアゴムが当たった。
取り出し、指に掛けてから、その指を広げる。もう片方の手首を後ろへやり、髪をつかむ。
「行くか」
紗良葉は、後頭部へ両手を回して、ゴムを何度かくぐらせて、きつく金髪を結んだ。




