山椒の香りを見つけた人
翔太が週三日のパート先、インテリアショップに契約社員として入ってきたのは、
半年前の春だった。二十八歳。倉庫の在庫を片づけては、
休憩室でコンビニのサンドイッチをかじっていた。
「自炊はするんですけど、結局、焼くか炒めるかで。
ちゃんとした副菜とか作れる人って、すごいなと思います」
ほとんど独り言だった。だから美由紀も、軽い気持ちで、
翌日ひじきの煮物と卵焼きをタッパーに詰めて持っていった。
余りものよ、と言い添えて。
翌々日、洗われたタッパーが戻ってきた。
「卵焼き、砂糖じゃなくてみりんですよね。それと、ほんの少し山椒が入ってる。
あとから鼻に抜けて、びっくりしました」
美由紀は返事ができなかった。
山椒は、冷蔵庫の隅で粉の瓶を見つけて、ふと思いついて振っただけだった。
誰にも言わなかったし、隆も真央も気づかなかった。
気づかれることを、期待したこともなかった。
それを、この青年は舌だけで拾った。
その夜、美由紀は書店で、レシピ集ではなく、料理の理屈を書いた本を買った。
それから、台所が変わった。
昆布は水に浸けて、温度計とにらみ合う。六十度を保って、
一時間。ハンバーグの玉ねぎは、焦がさないように、
四十分、木べらを動かし続ける。最初は白く、やがて黄色く、
最後に飴色になる。その間ずっと、換気扇の下に、甘い匂いが立ちこめた。
真央が部屋から顔を出した。
「なに作ってるの?」
「ハンバーグ」
「まだ?」
「まだ。もう少し」
包丁は、物置から出した砥石で研いだ。刃を寝かせて、
水をかけ、同じ角度で五十回。翌朝、トマトは、
押さえただけで、すっと切れた。
家に翔太が来るようになったのは、それからひと月ほどしてからだ。
隆の出張や、真央の合宿で家が空く週末だけ。
翔太は食べる前に、必ず一口分を鼻先に寄せた。
そして必ず、何かを見つけた。
「今日の出汁、昨日より落ち着いてますね」
「この大根、面取りしてある。だから煮崩れてないんだ」
点数をつけられるよりも、ずっと温かかった。
美由紀は自分の手の仕事が、初めて読まれている気がした。




