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その黒猫は、今夜も港で待っている。  作者: 幸円一
本編

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9/15

第9話 待ってろ、猫石!

 7月12日、水曜日。

 ホームルームが終わると、いつもなら真っ先に椅子ごと振り返る珠美が、今日は蓮に背を向けたまま鞄の口を閉じた。


「では諸君。本日は各自解散! 私は昨日に引き続き、夏祭りへ向けて療養に専念します!」

 蓮の机へ集まりかけていた三咲と柑奈、弥太郎の足が止まった。

「……まだ誰も、今日どうするか聞いてないけど」

 柑奈の言葉に、珠美はにこりと笑った。

「先手必勝というやつだよ、柑奈くん」

 そう言って四人へ手を振ると、そのまま足早に教室を出ていく。

「療養が必要なやつには見えねえけどな。一番元気じゃねえか」

 弥太郎が、開いたままの教室の扉を見ながら言った。

「やっぱり、何か変だよね」

 三咲が呟くと、柑奈も黙って頷いた。

「あ、そうだ。私も今日は、家のお手伝いを頼まれてて。ごめんね」

 三咲が申し訳なさそうに両手を合わせた。

「お祭りの準備で、会社のみんなが忙しいみたいなの」

「三咲もかあ」

 柑奈は窓の外へ目を向けた。真昼の日差しが、校庭を白く照らしている。

「じゃあ私も、これ以上焼けたくないし、今日は日焼け療養しようかな」

「なんだよ、日焼け療養って」

「家で大人しくしてるってこと!」

 弥太郎に言い返しながら、柑奈は鞄を肩にかけた。

「じゃあ、今日は解散にしようか。猫石のことで何か気づいたら、また明日話そう」

 蓮の言葉に、三人が頷く。


 三咲と柑奈は連れ立って教室を出ていった。二人の姿を見送り、蓮も鞄を手に取る。

「俺も帰ろうかな」

「なあ、蓮」

 弥太郎が呼び止めた。

「ちょっと飯食っていかねえ?」

 その言い方で、蓮にはなんとなく分かった。腹が減ったという以外にも、話したいことがあるのだろう。

「いいけど……お前、そんな金あるのか?」

「え?」

 弥太郎は目を瞬かせると、慌てて制服のポケットから財布を取り出した。中を開き、入っている硬貨を数える。そして、その表情が固まった。

「……コンビニでなんか買って食おうぜ」

「誘う前に確認しろよ」

 弥太郎は硬い笑顔を浮かべた。


   * * *


 二人はコンビニでパンと飲み物を買い、渡船乗り場近くのベンチへ向かった。

 海岸通りから少し外れたところにあるその場所は、昼過ぎには近くの建物の陰に入る。目の前に広がる海から風も吹いてくるため、日向を歩いているよりはずっと涼しく感じられた。


 二人は少し間を空けてベンチへ腰を下ろした。

「やっぱり珠、おかしいよな」

 弥太郎が、買ってきたパンの袋を開けながら言った。

「まあ……何かあったんだろうな、たぶん」

 蓮はペットボトルの蓋を開け、一口だけお茶を飲んだ。

「でもさ」

 弥太郎はパンにかじりつき、何度か噛んでから海の方を見た。

「具合悪そうとか、悩んでそうとか、そういう感じじゃねえんだよな」

「ああ」

「なんかむしろ、前より生き生きしてねえか?」

 蓮は、昨日の珠美を思い返した。

 猫石の調査を切り上げようと言い出したときも、落ち込んだりしているようには見えなかった。今日だって、療養すると言いながら、足取りはやけに軽かった。


「確かに。調査に張り切ってたときより、楽しそうに見えるかもしれない」

「だよな?」

 自分の感じ方が間違っていなかったことに安心したように、弥太郎が大きく頷いた。

「ほら、タイムカプセルのときさ」

 パンの袋を持つ手が止まる。

「俺、柑奈が一人で何か抱えてるなんて、全然気づかなかっただろ」

 弥太郎は、あのときの自分を悔やむように、少し顔を曇らせた。

「それは俺も同じだよ」

「蓮は最後に気づいたじゃねえか。俺は全部終わってから聞いただけだし」

 弥太郎は少しだけ気まずそうに笑うと、再びパンにかじりついた。

「だから、珠にも何かあるなら気になるんだけどさ。なーんか、深刻な感じしねえんだよな」

 蓮は思わず吹き出した。心配しているのか、していないのか分からない。けれど、弥太郎の言いたいことは伝わってきた。


 不意に、昨夜の黒猫の言葉が蘇る。


 ――人間のことは、人間を見て考えろ。


 珠美は、知らないから猫石を調べていた。

 それなら、調べなくなったのは――


「珠は、何かもっと楽しいことを見つけたんじゃないかな」

 蓮が言うと、弥太郎もパンを口に入れたまま頷いた。

「んぐ……俺も、そんな気がする」

 飲み物でパンを流し込み、弥太郎は息を吐いた。

「悩んでるんじゃないなら、別にいいんだけどさ」

「まあ、それはそうだな」

「でも、俺らに隠して楽しいことしてるんだったら……正直、めちゃくちゃ気にならねえ?」

 弥太郎が悪戯っぽく笑った。

「そうだな」

 蓮もつられて笑う。

 弥太郎は残ったパンを一気に口へ押し込むと、ペットボトルの飲み物を勢いよく飲んだ。

「よっしゃ。俺も、自分なりに考えてみるかな!」

 そう言って立ち上がり、空になった袋を丸める。

「珠が猫石失踪事件の裏にある答えを一人で見つけたんだとしたら、次は俺が見つけてやる」

「俺の方が先かもな」

 蓮が言うと、弥太郎はにかっと笑った。

「じゃあ、どっちが先か競争だな」

「俺が急に猫石のことを調べなくなったら、そのときは察してくれ」

「それ、珠の真似してるだけじゃねえか」

 二人の笑い声が、海から吹く風の中へ溶けていった。


   * * *


 弥太郎と別れたあと、蓮は一度家へ帰った。

 制服を脱いで着替え、自分の部屋で珠美のことを考えてみたものの、答えらしいものは何も浮かばなかった。

 珠美が猫石の失踪について何かを知ったことは、たぶん間違いない。

 けれど、何を知ったのか。

 どこで知ったのか。

 そして、なぜそれをみんなに共有しないのか。

 机に向かって考え続けても、同じ疑問が頭の中を回るばかりだった。


 やがて蓮は椅子から立ち上がった。珠美が答えに辿り着いたのなら、そのきっかけは、自分たちと一緒に歩いた町のどこかにあるはずだ。

 時計の針は、午後三時を少し回っていた。まだ夕方と呼ぶには早く、外へ出ると高い位置から照りつける日差しが蓮を迎えた。

 昨日、珠美と別れた後に四人で歩いた住宅地から、商店街へ続く道を一人で辿っていく。十分も歩かないうちに額へ汗が浮かび、シャツが背中へ張りついた。

 道の途中では、何匹もの猫石が目に入った。

 庭先で眠るように目を閉じた猫石。

 石垣の上から、通りを見下ろしている猫石。

 塀の隅で、二匹並んでいる猫石。

 どれも、蓮がこれまで何度も目にしてきた町の風景だった。珠美は、この景色の中に何を見つけたのだろう。


 住宅地を抜け、商店街へ入る。

 昨日までに確認した店や路地を見て回ったが、蓮の覚えている範囲では、新たに姿を消した猫石はいなかった。

 商店街を一通り歩き終えると、海岸通りへ出た。そのまま海沿いを歩き、来た方向へ戻ることにする。

 しばらく歩いたところで、香車蒲鉾店の脇へ続く石畳の小路が見えた。行きに商店街側を通ったとき、ウインクの猫石がいつもの場所にいることは確認していた。それでも念のためもう一度見ておこうと思い、その路地に足を向けた。


 そのとき、二人の人影が目に入った。

 薫と、珠美だった。

 蓮の足が止まる。反射的に、路地の入口から一歩下がり、建物の陰へ身を寄せた。二人は蓮に気づいていない。香車蒲鉾店の横に置かれた低い木箱を挟んで、何か話をしていた。

 木箱の上には、何か大きめの紙が広げられている。薫がその一点を指さす。その隣で、珠美が何かを書き留めていた。

 珠美の手にあるものを見て、蓮は目を細めた。見覚えのある、小さなメモ帳だった。日曜日までは、猫石を見つけるたびに開いていた。昨日四人で町を歩いたときには、持ってきていないと言っていた。

 それを今日は、薫の隣で再び開いている。珠美は薫の話を聞きながら、何度も木箱の上に広げられた紙とメモ帳を見比べて、時折、目を輝かせて笑っている。

 珠美は五人での調査から離れたはずなのに、今も自分たちとは別に、調査を進めているということなのだろうか。


 なぜ、それを自分たちには隠しているんだろうか?

 何より、なぜそんなに楽しそうなんだ?


 次々と浮かぶ疑問に、蓮はその場から動けなくなった。

 やがて珠美がメモ帳を閉じた。薫へ片手を上げて別れを告げる。一瞬、こちらへ歩いてくるかと身構えたが、珠美は商店街の方へ向かった。その背中が見えなくなるまで待ってから、蓮はようやく建物の陰を離れた。


 知りたい、と蓮は思った。それは、タイムカプセルのときとは違った。

 珠美は何かに苦しんでいるようには見えなかった。むしろ、夢中になっているようだった。秘密に押しつぶされているのではない。面白い遊びを、友達より先に見つけた子どものように見えた。


 だったら、それを自分も知りたい。できれば、弥太郎より先に。

 胸の奥に湧き上がったのは不安ではなく、子どもの頃に宝の地図を広げたときのような高揚だった。知らないうちに口元は緩んでいた。


 ――珠が先に見つけたかもしれない答えに、自分も辿り着いてみせる。

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