第10話 猫石を、守る人。
7月13日、木曜日。
今日も珠美は、ホームルームが終わると早々に帰り支度を済ませた。
「では諸君、本日も療養に専念する私を許してくれたまえ!」
返事を待つこともなく、四人へ手を振って教室を出ていく。その背中を見送ったあと、残った四人は蓮の机の周りへ集まった。
「今日は、ちょっと提案があるんだけどさ」
蓮が言うと、隣に立っていた弥太郎と目が合った。二人はどちらからともなく、にやりと笑った。
「みんなも気づいてると思うけど、珠はたぶん、猫石が消えている理由に、俺たちより一歩近づいてるんだと思う」
「えっ?」
柑奈が目を丸くする。三咲は驚いた様子もなく、静かに頷いた。
「蓮くんも、そう思ってたんだね」
「昨日、町で珠を見かけたんだ。あのメモ帳を持って、すごく楽しそうにしてた」
「昨日?」
今度は弥太郎が驚いた顔をした。
「ああ。その様子を見て思ったんだけど、この事件の真相って、たぶん何か悪いことじゃない。むしろ、珠が内緒にしておきたくなるような、面白いことなんじゃないかな」
「確かに、何か困ったことを隠してるようには見えないよね」
三咲が、珠美の空いた席へ目を向ける。
「隠さなきゃいけないというより、内緒にしていることまで楽しんでるみたい」
「でも、なんで私たちには教えてくれないの?」
柑奈が不満そうに頬を膨らませた。
「それは分からない」
蓮は答えた。
「ただ、珠が今は内緒にしておきたいなら、無理に問い詰めるのはやめようと思う」
「じゃあ、どうするの?」
「このまま珠一人に出し抜かれたままなのも、ちょっと悔しいだろ? だから俺たちも自分で、猫石事件の真相に辿り着く」
「だな!」
蓮が言うと、弥太郎が待ってましたとばかりに身を乗り出した。
「ただし、今までみたいに全員で一緒に調べるんじゃない」
「え?」
「どういうこと?」
柑奈と三咲の声が重なった。
「珠は一人で答えを見つけたんだろ?」
弥太郎が腕を組み、得意げに笑う。
「だったら俺たちも一人で挑まないと、フェアじゃねえじゃん」
「つまり、誰が珠の次に答えへ辿り着くか、競争するってこと」
蓮が言うと、弥太郎は拳を握った。
「負けねえからな、蓮!」
「それはこっちの台詞だよ」
「競争かあ……」
柑奈は少し考えるように視線を上へ向けた。
三咲は残念そうに肩を落とす。
「えー、ずるいなあ。私、今日も家のお手伝いを頼まれてるから、ほとんど何もできないよ」
「じゃあ、私と三咲は同盟を組もう!」
柑奈が言うなり、三咲の腕へ抱きついた。
「競争だって言ってんだろ。個人競技だよ」
弥太郎がすかさず口を挟む。
「こっちはか弱い女の子なのよ? それくらいはハンデでしょ、ハンデ!」
「珠だって女だけど、一人で見つけたんだろ!」
「珠は特別!」
柑奈は三咲の腕を抱いたまま、助けを求めるように顔を見上げた。
「ねえ、三咲?」
「そうだね。私たちは同盟を組んじゃおうか」
三咲が楽しそうに笑った。
「まあいいじゃん、弥太郎。調べ方はそれぞれ自由ってことで」
「ちぇっ。仕方ねえな」
弥太郎も、口では文句を言いながら笑っていた。
「明日の放課後に、一回途中経過を持ち寄ろう。何か気になることがあったら、相談し合うのは自由」
蓮は三人を見回した。
「ただし、見つけた手掛かりを全部話す必要はない。何を話して、何を自分だけの切り札にするかも、それぞれに任せよう。最後に真相へ辿り着くのは、自分の力ってことで」
三人が力強く頷いた。
「よし!」
弥太郎が胸を張る。
「それじゃあ、みんなの健闘を祈る!」
「弥太が仕切らないでよ」
柑奈の突っ込みに、四人の笑い声が教室へ広がった。
* * *
一度家へ戻って制服から私服に着替えると、蓮はすぐに商店街へ向かった。目的は、昨日、珠美と話をしていた薫だ。
珠美が薫と一緒にいたことまで三人に話さなかったのは、少しだけ後ろめたかった。だが、あれは競争が始まる前に手に入れた情報だ。明日の情報交換で話せば、反則にはならないだろう。
かなり自分に都合のいい理屈だということは、蓮にも分かっていた。それでも今は、誰より先に答えへ辿り着きたいという気持ちの方が勝っていた。
昨日の様子からすると、珠美が薫から猫石に関する何かを聞いていたように見えた。ならば、自分も薫と話をすれば、何か手掛かりを得られるかもしれない。
香車蒲鉾店の前に着くと、蓮はガラス戸越しに店内を覗く。蒲鉾が並ぶガラスケースの奥に、薫の姿はなかった。
どうしたものかと考えていると、不意に背後から名前を呼ばれた。
「宮坂くん」
振り返ると、コンビニの袋を下げた薫が立っていた。
「こんにちは。うちに何か用?」
「あ、薫さん。今って、少し時間大丈夫ですか?」
「ちょうどこれから休憩に入るところだから、少しなら大丈夫だよ」
「ありがとうございます」
店先で立ち話をするのも邪魔になるため、二人は香車蒲鉾店の脇にある石畳の小路へ入った。路地の隅では、ウインクの猫石が、いつものようにこちらを見ていた。
蓮は、その顔を見下ろしながら考えた。今ここで、昨日、珠美と何を話していたのかと尋ねれば、おそらく一気に答えに近づける。
けれど、それでは面白くない。もっと自分で考えて、調べて、答えに辿り着きたい。
「この猫石って、ずっとここにいるんですか?」
蓮が尋ねると、薫は少し意外そうに目を瞬かせた。
「うん。私が物心ついたころには、もうこの店の横にいたよ」
「じゃあ、薫さんも子どもの頃から知ってるんですね」
「知ってるどころか、私、この子の色を塗り直したこともあるんだ」
「えっ、薫さんが?」
薫はウインクの猫石を両手でそっと持ち上げた。
「私が小さい頃、おじいちゃんが古くなった猫石の補修をしててさ。よく一緒について回って、手伝わせてもらってたの」
「猫石の補修?」
「うん。日差しや雨風に強い塗料を使っていても、何年も外にいれば、どうしても色が薄くなったり剥がれたりするでしょ?」
薫は猫石の顔を、蓮の方へ向けてみせた。
「今のこのウインクした顔は、私が塗り直したんだよ」
「そうだったんですか」
「たぶん、私が小学校に上がるかどうかって頃だったかな」
薫は猫石を眺めながら、懐かしそうに目を細めた。
「私、おじいちゃんっ子だったからさ。いつも兼吉じいちゃんのあとをついて回ってたんだ」
「兼吉じいちゃん?」
「ああ、私の祖父。天童兼吉っていうの」
その名前を、蓮は頭の中で繰り返した。
天童兼吉。
「町ぐるみの制作会は、もう二十五年以上開かれてないんですよね」
「よく調べてるね」
薫は少し驚いたように笑った。
「うん。私が生まれる前には、もう新しい猫石が作られることはなくなってたみたい。だから私がやったのは、あくまで古くなった子の塗り直しだけ」
そう言うと、薫はウインクの猫石を元の場所へそっと戻した。
蒲田桜将が作った猫石を、薫の祖父である天童兼吉が補修していた。
どうやら猫石には、それを作った人だけでなく、古くなったあとも守り続けてきた人がいるらしい。
昨夜の黒猫は、石ではなく人間を見ろと言った。猫石のことを知りたいなら、作った蒲田桜将だけでなく、猫石を守ってきた人たちにも、目を向けるべきなのかもしれない。
「薫さん、ありがとうございました」
「もういいの?」
「はい。聞きたかったことは聞けました」
薫は少し不思議そうな顔をしたあと、楽しそうに笑った。
「そっか。調査、頑張ってね」
蓮は薫へもう一度礼を言い、図書館へ向かった。
今聞いた話が、昨日、珠美が目を輝かせながら聞いていた話と同じかどうかは分からない。でも、それでいいと蓮は思った。珠美のあとをそのまま追いかけるのではなく、自分は自分のやり方で、答えへ近づけばいい。
まず調べるべきは、猫石を作った蒲田桜将。
そしてもうひとつ大切なことは、それを守り続けた人がいるということだ。




