第11話 猫石の、名前?
7月14日、金曜日。
蓮たちの予想どおり、珠美は今日もホームルームが終わるとすぐ、いそいそと鞄を肩にかけた。
「それでは諸君、本日も各々の健闘を祈る!」
まるで自分も競争に参加しているかのような言葉を残し、四人の返事を待たずに教室を出ていく。その背中を見送ったあと、蓮たちは昨日と同じように、窓際にある蓮の机を囲んだ。
「じゃあ、昨日見つけたことを話そうか」
蓮が言うと、三咲が小さく手を上げた。
「私たちからでいいかな。正直に言うと、これといったものは見つけられなかったんだけど……ちょっとだけ気になったことがあって」
「気になったこと?」
「名前のある猫石がいるって、みんな知ってる?」
唐突な質問に、蓮は首を傾げた。
「『丸目』みたいな、呼び名じゃなくて?」
「うん。もっと、一匹ずつに決められた名前みたいなもの」
三咲は昨日、家の手伝いで丑寅守神社へ行ったのだという。先日、西浦造園が境内で行った剪定作業に関する書類を届けるためだった。
境内にいた宮司に書類を渡すと、暑い中わざわざ届けてくれたからと、宮司が冷たいお茶を出してくれることになり、そのあいだ社務所で待たせてもらったらしい。
「それでね、部屋の机に、浅い段ボール箱が置いてあったの。底に布が敷いてあって、中には猫石が6匹くらい並んでた」
箱の中には、三咲がどこかで見たような気のする猫石がいた。けれど、猫石には似た顔や模様も多い。どこで見たものなのかは、思い出せなかったという。
「それで、つい手に取って見てみたの。勝手に触るのはよくなかったんだけどね」
三咲は少し気まずそうに笑った。
「その猫石のお腹に、白いテープが貼ってあったの」
「お腹?」
弥太郎が聞き返す。
「地面に接してる、底の部分。そこに白いマスキングテープみたいなのが貼ってあって、文字が書いてあったの」
三咲は指先で、机の上へ文字を書くような仕草をした。
「『ヨイチ』って」
「ヨイチ?」
蓮はその言葉を繰り返した。
「その猫石、どんな模様だった?」
「白っぽい身体だったかな。背中に、薄い赤色の花びらみたいな模様があったと思う」
花びらのような模様に、白いマスキングテープ、『ヨイチ』の文字。
蓮は頭の中に、その猫石をイメージした。
「それで?」
「もう少し見ようと思ったところで、宮司さんが戻ってきたの。猫石を触ってるところを見られちゃって、ちょっと焦ったんだけど」
宮司は特に気にした様子もなく、箱の中を見て笑ったという。
「『ちょっと汚れを落としてあげているところなんです。猫石も、この暑さでは参っているでしょうからね』って」
「神社にいる猫石の掃除をしてた、って感じなのかね?」
「うん。だから、失踪事件とは関係ないかもしれないんだけど、その『ヨイチ』が猫石の名前なのかなって思って」
三咲はそう言うと、隣にいる柑奈へ目を向けた。
「その帰りに、道端にいた猫石を何匹か見てみたんだけど、同じようなテープは貼ってなかったの。だから、名前があるのは丑寅守神社にいる猫石だけなのかなって」
「私も、昨日のうちに三咲から聞いたから調べてみた」
柑奈が引き継いだ。
「昨日の夕方は家の近所で、今朝は登校中に、見かけた猫石を持ち上げて確かめてみたんだけど、どの子にも名前なんて書いてなかったよ」
「今日もこのあと、二人でもう少し見て回るつもりなの」
三咲と柑奈は、目を合わせて頷いた。
「ふうん。猫石に名前ねえ」
弥太郎は腕を組み、首を捻った。
「事件に関係あるかは分からないけど、気になったから報告」
三咲がそう締めくくると、弥太郎が柑奈へ目を向けた。
「なんだ。柑奈は猫石の裏を見て回っただけか」
「うっさい! あんたこそ、何か見つけたの?」
柑奈が口を尖らせて言い返す。
「俺はな、珠を見かけたぜ」
「珠を?」
「ああ。やっぱりあいつ、療養なんてしてねえよ」
弥太郎が少し得意げに笑った。
「昨日の帰り、勇斗と一緒に歩いてた。ほかにも、勇斗の友達っぽい小学生が二人いたな」
「小学生と?」
蓮が尋ねる。
「ああ。勇斗たちが先を歩いて、珠はなんか楽しそうにしながら、そのあとをついていってた」
「どこへ向かってたの?」
三咲が尋ねた。
「方向的には、住宅地の方だな」
「……それで?」
柑奈が先を待つ。
「それでって?」
弥太郎の答えに、柑奈はじとっとした目を向けた。
「それだけなの?」
「だって、珠のあとをこっそりつけて、それで答えを見つけても違うだろ!」
「なんだ。弥太も大したことしてないじゃん」
「ぐ……言い返せねえ」
悔しそうに顔を歪める弥太郎を見て、三人は笑った。
「じゃあ、最後は俺から」
笑いが収まったところで、蓮が口を開いた。
「まず、実は俺も珠を見かけてる。それも昨日じゃなくて、一昨日」
「一昨日?」
「ああ。香車蒲鉾店の脇で、薫さんと話してた。あのメモ帳を開いて、何かを書き込んでたよ」
「珠が、薫さんと?」
三咲が珠美の空いた席へ目を向けた。
「ちょっと待て」
弥太郎が眉を寄せる。
「お前、なんで昨日そのことを言わなかったんだよ」
「悪い。でも、あれを見たときには、まだ競争を始めてなかっただろ。それに今、ちゃんと報告してる」
「なんか納得いかねえな」
「昨日の時点で言う必要はないと思ったんだよ」
蓮は少しだけ気まずくなって、視線をそらして無理矢理話を進めた。
「それで昨日、俺も薫さんに話を聞きに行った」
「珠が何を聞いてたか、教えてもらったのか?」
「いや。それをそのまま聞くのは、答えを教えてもらうみたいで違うと思ったから」
蓮は首を振った。
「香車蒲鉾店の横にいる、ウインクした猫石について話を聞いたんだ。そしたら、失踪事件に直接関係あるかは分からないけど、調べてみたいことができた」
「調べてみたいこと?」
「猫石を作った人って、誰だったか覚えてる?」
「えーっと……」
柑奈と弥太郎がそろって考え込む。
「蒲田桜将さんだよね」
三咲が答えた。
「尾之浦にゆかりのある芸術家さん」
「うん。猫石の制作会が最後に開かれたのは27年前。それから、新しい猫石はほとんど増えてない」
蓮は続けた。
「でも、外にいる猫石は、日差しや雨風でどうしても色が薄くなったり、塗料が剥がれたりする。だから、古くなった猫石を塗り直したり、補修したりしてきた人がいるんだって」
「誰がやってたの?」
柑奈が身を乗り出す。
「それを調べようと思って、昨日、図書館へ行った」
三人の視線が蓮へ集まった。
蓮は、昨日の図書館でのことを思い返した。
薫と別れたあと、図書館へ向かい、以前にも読んだ町政だよりや観光協会の記念誌をもう一度開いた。
蒲田桜将が猫石を作り始めた経緯や、町の人たちが彩色に参加したこと、完成した猫石が丑寅守神社で祈祷されたことは、いくつもの資料に残されていた。
しかし、古くなった猫石の補修について書かれたものは見つからなかった。
薫が幼い頃に手伝ったという作業は、町の行事ではなく、薫の祖父が個人的にやっていたものだったのかもしれない。
新しい情報を得られないまま、蓮は何冊目かの資料を閉じようとした。そのとき、開いていたページの人物紹介が目に入った。蒲田桜将について、後年に書かれた短い記事だった。その末尾に記された一行を読み、蓮の指が止まった。
思わずもう一度、同じ一文を目で追った。
「……ということで、俺の報告はここまで」
蓮がにやりと笑うと、三人は一瞬、意味が分からないという顔をした。やがて、ほとんど同時に声を上げる。
「えー、気になる!」
「図書館で何を見つけたの?」
「なんだよ! お前だけ一歩先に行ってる感じ出しやがって!」
「見つけた手掛かりを全部話す必要はないってルールだろ?」
「自分が隠すために、あのルールにしたんじゃねえだろうな」
「違うよ」
即座に否定したものの、弥太郎はまだ疑わしそうに蓮を見ていた。
「まあ、いいじゃん。蓮くんが何を見つけたのかも含めて競争なんだから」
三咲がなだめるように言う。
「私たちだって、まだ全部話してないかもしれないよ?」
「えっ、そうなの?」
柑奈が驚いて三咲を見る。
「たとえばの話だよ」
「だめだからね、三咲と私は同盟なんだから!」
三咲はくすくすと笑った。
三人が言い合っている間にも、蓮の頭の中では、これまでに見聞きしたものがひとつの物語を形作り始めていた。
この尾之浦町の景色に溶け込んだ来福猫石。
その猫石が、姿を消す。
制作者の蒲田桜将。
夏祭りの前に開催された制作会。
夏祭りの日の、丑寅守神社での祈祷。
小学生が言った「猫石は神社に向かっている」という言葉。
急に五人での調査を離れた珠美。
その珠美と話す薫。
猫石の補修をしていた薫の祖父。
昨日図書館で見つけた、あの一行。
そして今、三咲と柑奈、弥太郎から聞いた情報。
ばらばらだった情報が、少しずつ同じ方向を向いていく。
――明日は、尾之浦町の夏祭りだ。
その瞬間、一つの筋書きが頭の中に浮かんだ。
蓮は、はっと顔を上げた。
「どうしたの?」
柑奈が尋ねる。
「何か気づいたのか?」
弥太郎も身を乗り出した。
三咲は何も言わず、蓮の返事を待っている。
話してしまいたい気持ちが、喉元まで込み上げた。まだ思いついたばかりの考えだ。細かいところまでは、蓮自身にも説明できない。それでも、この方向で間違っていないような気がした。
すべてを話して、三人の意見を聞きたい。
けれど、それでは競争にならない。
蓮は、口元が緩みそうになるのを抑えながら答えた。
「……明日、かも」
「明日?」
弥太郎がきょとんとした顔で聞き返した。
「明日といえば……お祭り?」
柑奈が言った。
「ああ」
蓮は頷いた。
「明日、答え合わせができるかもしれない」




