第12話 誰がために、猫石は。
7月15日、土曜日。
この日は、尾之浦町の夏祭りの日だった。蓮たちが午前授業を終えて学校を出る頃には、商店街や海岸通りに出店や屋台が並び、町は夏の暑さにも負けない賑わいに包まれていた。
軒先には紅白の提灯が吊るされ、通りのあちこちから食べ物を焼く匂いが漂ってくる。まだ昼を過ぎたばかりだというのに、浴衣姿で歩く子どもたちの姿もあった。
祭りの最後には、海上から花火が打ち上げられる。町外からも大勢の客が訪れる、尾之浦町では年に一度の大きな催しだった。
「じゃあ、今日は五時に駅前で待ち合わせね!」
帰りのホームルームが終わると、珠美はそう言い残して、鞄を抱えるようにして教室を出ていった。ここ数日と同じ、走り出しそうなほど慌ただしい足取りだった。
「……珠、今日も早いね」
柑奈が、閉じたばかりの教室の扉を見つめる。
「もう療養じゃないってこと、隠す気もないよね」
柑奈が笑った。
「それより蓮」
弥太郎が蓮へ顔を向ける。
「昨日、明日には答え合わせができるかもしれないって言ってたよな?」
「言ってたね」
三咲も、蓮の顔をのぞきこむようにして言った。
「何か分かったんだよね?」
「ちょっとくらい教えてくれてもいいじゃん」
柑奈まで加わり、三人が蓮の机を囲む。
「まだ、確かめてないことがあるんだよ」
「いつ確かめられるんだよ」
「たぶん、祭りが終わる頃には」
「たぶんって何よ」
三人の不満そうな声と視線を受けて、この視線を平然と受け流して教室を出ていく珠美を少しだけ尊敬しつつ、蓮は鞄を手に取った。
夕方五時に駅前で待ち合わせすることを改めて確認し、蓮もいったん家へ帰った。
母親が用意してくれていた昼食を食べ終えても、時刻はまだ午後二時前だった。待ち合わせまでは、三時間以上ある。
確かめたいことを済ませてからでも、待ち合わせには十分間に合うはずだ。食器を流しへ運ぶと、早々に家を出た。
向かった先は、商店街にある香車蒲鉾店だった。
店の前には普段置かれていない簡素な屋台が組まれ、揚げたての蒲鉾が串に刺されて並べられている。祭り客が片手で食べ歩けるようにしたものらしい。
屋台に立っていたのは薫ではなく、蓮もよく知る女性店員だった。
「こんにちは」
「あら。いらっしゃい」
蓮が挨拶すると、女性店員はにこりと笑った。
「薫さん、いますか?」
「いるよ。ちょっと待っててね」
そう答えると、店内を振り返って大きな声を上げる。
「薫ちゃーん! 彼氏が来たよ!」
「違います!」
蓮が慌てて否定すると、女性店員は楽しそうに笑った。
「あれ? 違ったっけ?」
顔を合わせれば挨拶を交わす程度の仲ではあるが、こんなふうにからかわれたことはない。祭りの浮かれた空気が、店員にも伝染しているらしい。
やがて、店の奥からエプロンで手を拭いながら、薫が姿を見せた。
「宮坂くんか。どうしたの?」
「すみません、忙しいときに」
「ううん。今日は店の中は開店休業みたいなものだから。もう少し遅くなったら、私も祭りの手伝いに出るけど、今は暇だよ」
「じゃあ、ちょっとだけいいですか」
蓮が店舗脇の小路へ目を向けると、薫は何も聞かずについてきた。二人で、建物の間にある細い道へ入る。
そこには、いつもいたはずのウインクの猫石がいなかった。いつもの場所に、丸い跡だけが残されている。
「それで?」
薫が壁に背を預けた。
「何の話かな?」
どう切り出そうか、ほんの少しだけ迷った。けれど、ここまで来て遠回しに尋ねても仕方がない。
「俺、気づいちゃいました」
薫は、きょとんと目を瞬かせた。それから、ゆっくりと口元に笑みを浮かべる。
「どこまで?」
否定ではなかった。
その言葉に加え、ウインクの猫石がいなくなっている事実も、蓮の中で組み上がっていた筋書きへの自信を深めた。
「町の猫石を動かしてるの、薫さんですよね?」
「私が?」
薫は驚いたように自分を指さした。
「町中から猫石を集めて、一人で運んでるってこと?」
「いえ。一人じゃないです。協力者がいますよね」
「どうでしょう?」
「あ、ほら」
蓮は商店街の方へ顔を向けた。つられるように、薫も小路の外を見る。
ちょうど、小学生くらいの男の子が三人、楽しそうに話しながら通り過ぎていった。祭りを楽しんでいるのか、弾むような足取りで商店街の奥へ向かっていく。
「小学生たちが協力者です。それも、たぶんたくさんいる」
蓮は子どもたちの背中を見送りながら言った。
「薫さん、町の子どもに人気がありますから」
「それだけで?」
薫の表情は変わらない。けれど、やはり否定もしなかった。
「それだけじゃありません。全部を確認できたわけじゃないですけど、俺たちが知っている範囲では、消えた猫石には偏りがありました」
「偏り?」
「消えた猫石のほとんどは、小学生くらいの子どもがいる家か、この商店街にいたものだったんです」
「ふうん」
「それに、前に小学生の男の子が言っていました。猫石は消えたんじゃなくて、神社に向かってるんだって」
「そんなこと言ってたんだ」
「あのときは、子どもたちの間で広まってる噂のことを言ってるんだと思ってました。でも、今考えると違う。楽しい計画に夢中になって、つい自分たちの秘密を漏らしちゃったんじゃないかって」
薫は何も答えなかったが、あはは、と小さく笑った。
「それに、猫石がいなくなった店の人は、『今日はお出かけしてる』『そのうち帰ってくる』って言いました。あのときは冗談だと思ったけど、今思うと、事情を知っていたんじゃないかって」
「ほう?」
薫は、楽しげに蓮の話を聞いている。
「猫石は盗まれたんじゃない。持ち主に話を通して、しばらく借りているんですよね。子どものいる家では、その家の子が家族に頼んで、商店街の店には、たぶん薫さんが話を通した」
「でもそれ、予想だよね?」
いたずらな笑顔で、薫は些細な反撃を繰り出した。
「はい、予想です。ここまでの話は全部、俺たちが集めた情報から組み立てた予想です」
蓮はその反撃にも怯まず、切り返す。
「でも、そう考えた根拠はあります。三咲が家の手伝いで丑寅守神社へ行ったとき、社務所には何匹もの猫石がいたそうです。そのうちの一匹の底には、『ヨイチ』と書かれたマスキングテープが貼ってあった」
一瞬、薫は「しまった」とでも言いたげな顔をした。
「三咲は猫石の名前だと思ったみたいです。でも、町に残っている猫石を調べても、同じようなテープは見つからなかった。それもそのはずです。あれは、猫石の名前を書いたものじゃなくて、ラーメン店『与一』から借りた猫石だという印だったんです」
蓮は続けた。
「たぶん、ほかの猫石にも、それぞれ元いた店や家の名前が書かれている。たくさんの猫石を一か所に集めても、あとで元の場所へ返せるように」
薫の笑みが、ほんの少しだけ深くなった。
「小学生たちが家から借りた猫石も、薫さんが商店街から借りた猫石も、何度かに分けて丑寅守神社へ運んだ。三咲が見た『ヨイチ』と書かれた猫石も、その一匹だったんです」
「どうして、丑寅守神社に?」
「夜になると、猫石たちが神社に集まって会議をするっていう噂と、猫石が夏祭りの日に丑寅守神社で祈祷されたっていう由来を結びつけて、今日、猫石たちを神社へ里帰りさせようとしてるんじゃないかと、そう思ったんです」
小路の外から、祭りの準備をする人々の声が聞こえてくる。遠くで、太鼓を叩く音がした。
「これが、俺の考えた真相です」
薫はしばらく、何も言わずに蓮を見つめていた。
「すごいね、宮坂くん」
やがて、感心したように息を吐く。
「本当に探偵みたい」
「俺一人で分かったわけじゃないです。みんなが見つけてきたことを、繋げただけですから」
「それができるのが、探偵なんじゃない?」
「それに、薫さんもヒントをくれました」
「私が?」
「薫さんのおじいさんが、猫石を補修していたって話です」
薫の目が、わずかに細くなった。
「上手く濁したつもりだったんだけどな」
「そのときは、俺も意味が分かりませんでした。でも、図書館でもう一度、蒲田桜将について調べたら、薫さんが猫石に詳しい理由が分かりました」
「……そっか」
「でも、まだ分からないことがあります」
「何?」
「理由です」
蓮は頭をかいた。
「誰が、どうやって猫石を動かし、何をしようとしているのか。それは分かりました。でも、薫さんがどうしてそんなことをしようと思ったのか、その理由だけが分からないんです」
「ふうん」
薫は、少しいたずらっぽく笑った。
「惜しかったね、探偵くん」
両手を腰に当て、わざとらしく胸を張る。
「探偵くんは、今日のお祭りにも来るんでしょ?」
「はい。いつものみんなと一緒に」
「じゃあ、ちょうどいいね」
薫は小路の先、商店街の向こうにある山の方角へ目を向けた。
「花火が終わったら、丑寅守神社においで。みんなも一緒にね」
「……そこで、答えを教えてくれるんですか?」
「宮坂くんの推理が合っていたらね」
「分かりました。花火のあとですね」
「うん。待ってる」
薫が店へ戻ろうとしたところで、蓮はもう一つだけ尋ねた。
「珠も、もう全部知ってるんですよね?」
薫は足を止め、肩越しに振り返った。
「それは今夜、珠美ちゃん本人に聞いた方がいいんじゃない?」
笑顔だけを残し、今度こそ店の中へ戻っていく。
やはり珠美は、蓮たちよりも先に真相へ辿り着いていたらしい。そしてたぶん、調べる側から、いつの間にか薫たちに協力する側へ回っている。
「珠美らしいな」
蓮は小さく呟いた。
商店街へ戻り、通りに掛けられた時計を見上げる。時刻は、まだ午後二時半を過ぎたところ。五人の待ち合わせまで、あと二時間半近くもある。普段なら、あっという間に過ぎるはずの時間だった。
けれど今日に限っては、それがひどく長く、もどかしく思えた。




