第13話 猫石が見た、夏祭り。
午後五時を少し回った頃。
尾之浦駅の前は、地元の人と、電車で祭りへやってきた人々でごった返していた。駅舎からは次々に人が吐き出され、商店街へ続く道には、すでにいくつもの人の流れができている。
浴衣姿の家族連れ。はしゃぎながら走る子どもたち。屋台から漂ってくる甘辛い匂い。いつもの駅前とは、まるで別の場所のようだった。
蓮たち四人も、その一角で最後の一人を待っていた。
「悪い、遅くなっちまった!」
人混みの向こうから、弥太郎が片手を上げながら駆けてくる。
「遅いよ、弥太」
弥太郎は息を整えながら四人の前まで来ると、珠美、三咲、柑奈の三人を順番に眺めた。
三人とも、今日は浴衣姿だった。それぞれ違う色柄の浴衣に、普段とは少し違う髪型。見慣れた三人なのに、祭りの人混みの中では、いつもより少しだけ大人びて見えた。
「おお、浴衣いいじゃん!」
弥太郎が親指を立てる。
「尾之浦を代表する美少女三人だからね!」
珠美が胸を張った。
「自分で言うんだ」
柑奈が呆れたように言い、三咲がくすくすと笑う。
三人の浴衣姿は、確かに絵になっていた。蓮も合流したとき、何か一言くらい言うべきだとは思った。けれど、どう切り出せばいいのか迷っているうちに、結局何も言えないままになってしまった。だから、こうして軽い調子ながらも、女の子をまっすぐ褒められる弥太郎が、少しだけ羨ましい。
「そういえば、蓮くんからはまだ何も言ってもらってないけど……?」
三咲が、蓮の顔をのぞき込むようにして言った。心の中を読まれたような気がして、蓮は慌てて口を開く。
「あ、いや、ごめん。三人とも、すごく似合ってるよ」
「かわいい?」
柑奈が、間髪を入れずに尋ねた。
「……かわいいよ」
少し恥ずかしくなり、目をそらしながら答える。
「よし」
柑奈が満足そうに頷くと、五人の間に笑いが起きた。
「さて」
ひとしきり笑ったところで、弥太郎が蓮へ向き直った。
「蓮が猫石失踪事件について、何かつかんだみたいだって話だけど」
「そうなの!?」
珠美が驚いたように声を上げる。ここ数日、放課後になるとすぐに教室を出ていた珠美には、どうやら予想外のことだったようだ。
「ああ」
「でも、答え合わせができるのは、祭りが終わる頃なんだよな?」
弥太郎が続ける。
「そうだな。今ここで話すより、そのときに聞いてもらった方がいいと思う」
「だったら、まあ……正直、気になるというのが本音だけど」
弥太郎はそこで言葉を切り、尾之浦を代表するという美少女三人を見回した。
「ひとまず、早くお祭りに行こうよ!」
柑奈が待ちきれないように言った。
「うん。さっきからいい匂いがしてるし、もうお腹ぺこぺこ」
三咲も商店街の方へ目を向ける。
「そうだね。今日は年に一度の無礼講じゃあ!」
珠美が拳を突き上げた。
「おー!」
残る四人も、つられて拳を上げる。
カシャッ、と乾いた音がした。
見ると、三咲が四人へ使い捨てカメラを向けていた。
「お、さっそくだね」
珠美が笑う。
「思い出記録用だからね。みんなも、ちゃんと持ってきた?」
三咲に言われ、四人はそれぞれ鞄や巾着へ手を入れた。みんなで夏祭りへ行く予定を立てたとき、珠美が突然言い出した「夏祭り写真大会」のために、全員が一台ずつ使い捨てカメラを用意してきていた。
「もちろん!」
珠美が得意げに自分のカメラを掲げる。
「一番いい写真を撮った人には、後日、豪華賞品を進呈します!」
「豪華賞品?」
柑奈が目を輝かせた。
「『尾之浦夏祭り写真王』という、輝かしい名誉です」
「いらねえ」
弥太郎が即答し、また五人で笑った。
* * *
商店街には、普段の何倍もの人が行き交っていた。
通りの両側には食べ物や遊びの屋台が隙間なく並び、頭上には色とりどりの提灯が連なっている。商店街の柱に取り付けられた古いスピーカーからは、少し音の割れた流行歌が流れていた。
「この匂いに勝てる客寄せはないな」
そう言って、最初に足を止めたのは弥太郎だった。
屋台で買ったイカ焼きを受け取ると、待ちきれないように勢いよくかぶりつく。
「あっ」
三咲が声を上げたときには遅かった。たっぷり塗られたタレが一滴、弥太郎の水色のTシャツへ落ちた。
「うわ、最悪だ!」
カシャッ。
「ちょっと待て三咲! 今の撮っただろ!」
「思い出記録用だから」
「そんな思い出はいらねえよ!」
「でも、現像するまでちゃんと写ってるか分からないからね」
「失敗してることを願う……!」
三咲は笑いながら、フィルムの巻き上げダイヤルを回した。
商店街を抜けて海岸通りへ出ても、屋台の列は途切れなかった。
型抜きの店を見つけると、珠美が「これは勝負の予感がする」と言い出し、五人で挑戦することになった。
結果は、全員失敗だった。
「今のは針が悪かっただけだから」
一度目に失敗した柑奈は、そう言って二枚目を買った。
その二枚目も、あと少しというところで割れた。
「今度は型が難しすぎた」
三枚目も、同じように途中で欠けた。
「もう一回!」
「柑奈、やめとけって」
「次はいけるから!」
「その台詞、さっきも聞いたよ」
三咲と蓮が両側から腕を引き、柑奈を屋台から引き離す。
その様子を、珠美が少し離れたところからカメラに収めていた。
カシャッ。
「珠! なに撮ってんのよ!」
「夏祭り写真王に、一歩近づいた気がする」
「そんな写真で王になるな!」
少し歩くと、今度は「シロップかけ放題」と書かれたかき氷の屋台を見つけた。
「かけ放題なんだよね? おじさん」
珠美が鋭い目つきで屋台のおじさんに言うと、おじさんも不敵に笑った。
「おじさんが泣くまで、私はシロップをかけるのをやめない!」
赤、青、緑、黄色。
色が重なり、かき氷は次第に何とも言えない色へ変わっていった。八種類目をかけたところで、とうとう新たにシロップを受け止める白い部分がなくなった。
「……今日は、このくらいで勘弁してあげよう」
「お嬢ちゃん、次は十種類目指して頑張んな」
屋台のおじさんが笑う。
カシャッ。
今度は柑奈が、虹色を通り越して茶色に近づいたかき氷と、珠美の悔しそうな顔を写真に撮った。
「それ、味はどうなの?」
三咲が尋ねる。
珠美は一口食べ、しばらく真剣な顔で考え込んだ。
「……甘すぎ」
「そりゃそうだろ」
さらに先の屋台では、三咲がチョコバナナを前に、腕を組んで悩み始めた。
「どれでも同じじゃねえの?」
弥太郎が言うと、三咲は静かに首を振った。
「大きさだけじゃなくて、チョコの厚みと、カラースプレーの散らばり方も大事なんだよ」
「そんなに?」
「今日一番の一本を選びたいから」
三咲は真剣な目で何本ものチョコバナナを見比べ、ようやく一本を指さした。
「これにします」
受け取ったチョコバナナを満足そうに見つめる。
「うん。たぶん、今日一番の出来」
「何を根拠に言ってんだ」
呆れながらも、弥太郎はカメラを構えた。
「ほら三咲。写真撮るぞ」
「え、今?」
「今日一番なんだろ?」
三咲は少し照れたように笑いながら、チョコバナナを顔の横へ掲げた。
カシャッ。
「あ、ちょっと待って」
三咲は自分のカメラを取り出すと、弥太郎の隣へ並んだ。右手を伸ばしてレンズを自分たちへ向け、左手に持ったチョコバナナをもう一度、顔の横へ掲げる。
「弥太郎くん、こっち見て」
「ん?」
カシャッ。
「上手く撮れてるといいな」
「そんなにそのチョコバナナ、気に入ったのか?」
「……うん。今日一番だから」
三咲が笑うと、弥太郎も首を傾げながら笑った。
蓮は、たこ焼きを買った。
六個入りだったが、柑奈に「一個ちょうだい」と言われて渡したのを皮切りに、三咲、珠美、弥太郎まで当然のように手を伸ばしてきた。
「ちょっと待て。なんで全員取るんだよ」
「柑奈にだけあげるのは、不公平でしょ」
珠美が熱々のたこ焼きを頬張りながら言う。
「俺が買ったんだけど」
たこ焼きは、二個だけになってしまった。
「蓮くん、優しいね」
三咲が笑う。
「よかったな、蓮。今のところ『夏祭りたこ焼き奪われ王』だぞ」
「もはや名誉ですらないな」
カシャッ。
二個だけ残ったたこ焼きと、不満そうな蓮の顔を弥太郎が写真に収めた。
誰かが何かを食べるたび。誰かが失敗するたび。誰かが笑うたび。使い捨てカメラの乾いたシャッター音が鳴った。
撮った写真をその場で確認することはできない。ちゃんと写っているのか。目をつぶっていないか。指がレンズへかかっていないか。それが分かるのは、祭りが終わり、写真を現像に出してからだ。
だからこそ五人は、残りの枚数を気にしながらも、今しかないと思った瞬間にカメラを向けた。
夕暮れだった空は、いつの間にか深い青へ変わっていた。海から吹く風が、昼間の熱気を少しずつさらっていく。提灯の明かりが鮮やかさを増し、海岸通りを埋める人の数も、時間が経つほど多くなっていた。
やがて、花火の開始時刻が近づいたことを知らせる放送が、町のスピーカーから流れた。
「花火って、八時からだよな?」
弥太郎が尋ねる。
「うん。三十分くらいって書いてあったよ」
三咲が答えた。
「じゃあ、そろそろ見る場所を決めた方がいいね」
五人は屋台の列を離れ、海がよく見える場所を探した。
海岸通り沿いの手すりの近くに、ちょうど五人で並べそうな空間を見つけたときだった。
「あのー、ごめん」
珠美が、少し申し訳なさそうに口を開いた。
「私、ちょっとこの辺で抜けるね」
「え、花火見ないのか?」
弥太郎が驚いたように尋ねる。
「うん。ちょっと用事があってさ。せっかくみんなで来たのに、ごめんね」
「別に、謝らなくてもいいけど」
珠美は詳しく説明しなかった。
残る四人に向かって片手を上げると、足早に人混みの中へ入っていく。その姿は人波に紛れ、ほどなく見えなくなった。
蓮は、弥太郎と三咲の顔を見た。
二人とも何も言わなかったが、おそらく珠美が猫石の件で抜けたのだと、なんとなく察しているのだろう。
もちろん、蓮もそう考えていた。薫から、花火が終わったら丑寅守神社へ来るように言われている。たぶん、何か最後の準備があるのだろう。
「……はっ!?」
突然、柑奈が大きな声を上げた。
「なんだよ」
すぐ隣にいた弥太郎が、肩を跳ねさせる。
「分かっちゃった……」
「何が?」
今度は三咲が尋ねた。柑奈は、珠美が消えていった人混みを勢いよく指さした。
「彼氏だ!」
「……は?」
三人の声が、きれいに揃った。
「珠、彼氏ができたんだよ! このあと彼氏と花火を見る約束してるんだ!」
「珠は――」
「ああっ!」
柑奈の説を否定しようとする蓮の声を遮って、柑奈はさらに大きな声を上げた。
「今度はなんだよ!」
またも肩を跳ねさせた弥太郎が聞いた。
「猫石なんて関係なかったんだ! 最近付き合いが悪かったのも、彼氏ができたからだったんだよ!」
蓮、弥太郎、三咲は顔を見合わせた。
「いやあ……どうだろうな」
弥太郎が苦笑する。
「珠美なら、彼氏ができたら私たちに教えてくれるんじゃないかな?」
三咲も困ったように笑った。
「恥ずかしくて言い出せないんだよ! 絶対そう!」
「どうかなあ」
なおも苦笑する蓮に、柑奈が詰め寄った。
「蓮くんは鈍すぎるの!」
柑奈がそう言った、そのときだった。
夜空が、白く瞬いた。
四人が一斉に顔を上げる。
海の上に、大輪の花火が咲いていた。
一拍遅れて、腹の底まで響くような轟音が、夏の尾之浦を揺らした。




