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その黒猫は、今夜も港で待っている。  作者: 幸円一
本編

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13/19

第13話 猫石が見た、夏祭り。

 午後五時を少し回った頃。

 尾之浦駅の前は、地元の人と、電車で祭りへやってきた人々でごった返していた。駅舎からは次々に人が吐き出され、商店街へ続く道には、すでにいくつもの人の流れができている。

 浴衣姿の家族連れ。はしゃぎながら走る子どもたち。屋台から漂ってくる甘辛い匂い。いつもの駅前とは、まるで別の場所のようだった。

 蓮たち四人も、その一角で最後の一人を待っていた。


「悪い、遅くなっちまった!」

 人混みの向こうから、弥太郎が片手を上げながら駆けてくる。

「遅いよ、弥太」

 弥太郎は息を整えながら四人の前まで来ると、珠美、三咲、柑奈の三人を順番に眺めた。

 三人とも、今日は浴衣姿だった。それぞれ違う色柄の浴衣に、普段とは少し違う髪型。見慣れた三人なのに、祭りの人混みの中では、いつもより少しだけ大人びて見えた。


「おお、浴衣いいじゃん!」

 弥太郎が親指を立てる。

「尾之浦を代表する美少女三人だからね!」

 珠美が胸を張った。

「自分で言うんだ」

 柑奈が呆れたように言い、三咲がくすくすと笑う。

 三人の浴衣姿は、確かに絵になっていた。蓮も合流したとき、何か一言くらい言うべきだとは思った。けれど、どう切り出せばいいのか迷っているうちに、結局何も言えないままになってしまった。だから、こうして軽い調子ながらも、女の子をまっすぐ褒められる弥太郎が、少しだけ羨ましい。


「そういえば、蓮くんからはまだ何も言ってもらってないけど……?」

 三咲が、蓮の顔をのぞき込むようにして言った。心の中を読まれたような気がして、蓮は慌てて口を開く。

「あ、いや、ごめん。三人とも、すごく似合ってるよ」

「かわいい?」

 柑奈が、間髪を入れずに尋ねた。

「……かわいいよ」

 少し恥ずかしくなり、目をそらしながら答える。

「よし」

 柑奈が満足そうに頷くと、五人の間に笑いが起きた。

「さて」

 ひとしきり笑ったところで、弥太郎が蓮へ向き直った。


「蓮が猫石失踪事件について、何かつかんだみたいだって話だけど」

「そうなの!?」

 珠美が驚いたように声を上げる。ここ数日、放課後になるとすぐに教室を出ていた珠美には、どうやら予想外のことだったようだ。

「ああ」

「でも、答え合わせができるのは、祭りが終わる頃なんだよな?」

 弥太郎が続ける。

「そうだな。今ここで話すより、そのときに聞いてもらった方がいいと思う」

「だったら、まあ……正直、気になるというのが本音だけど」

 弥太郎はそこで言葉を切り、尾之浦を代表するという美少女三人を見回した。

「ひとまず、早くお祭りに行こうよ!」

 柑奈が待ちきれないように言った。

「うん。さっきからいい匂いがしてるし、もうお腹ぺこぺこ」

 三咲も商店街の方へ目を向ける。

「そうだね。今日は年に一度の無礼講じゃあ!」

 珠美が拳を突き上げた。

「おー!」

 残る四人も、つられて拳を上げる。


 カシャッ、と乾いた音がした。

 見ると、三咲が四人へ使い捨てカメラを向けていた。

「お、さっそくだね」

 珠美が笑う。

「思い出記録用だからね。みんなも、ちゃんと持ってきた?」

 三咲に言われ、四人はそれぞれ鞄や巾着へ手を入れた。みんなで夏祭りへ行く予定を立てたとき、珠美が突然言い出した「夏祭り写真大会」のために、全員が一台ずつ使い捨てカメラを用意してきていた。

「もちろん!」

 珠美が得意げに自分のカメラを掲げる。

「一番いい写真を撮った人には、後日、豪華賞品を進呈します!」

「豪華賞品?」

 柑奈が目を輝かせた。

「『尾之浦夏祭り写真王』という、輝かしい名誉です」

「いらねえ」

 弥太郎が即答し、また五人で笑った。


   * * *


 商店街には、普段の何倍もの人が行き交っていた。

 通りの両側には食べ物や遊びの屋台が隙間なく並び、頭上には色とりどりの提灯が連なっている。商店街の柱に取り付けられた古いスピーカーからは、少し音の割れた流行歌が流れていた。


「この匂いに勝てる客寄せはないな」

 そう言って、最初に足を止めたのは弥太郎だった。

 屋台で買ったイカ焼きを受け取ると、待ちきれないように勢いよくかぶりつく。

「あっ」

 三咲が声を上げたときには遅かった。たっぷり塗られたタレが一滴、弥太郎の水色のTシャツへ落ちた。

「うわ、最悪だ!」


 カシャッ。


「ちょっと待て三咲! 今の撮っただろ!」

「思い出記録用だから」

「そんな思い出はいらねえよ!」

「でも、現像するまでちゃんと写ってるか分からないからね」

「失敗してることを願う……!」

 三咲は笑いながら、フィルムの巻き上げダイヤルを回した。


 商店街を抜けて海岸通りへ出ても、屋台の列は途切れなかった。

 型抜きの店を見つけると、珠美が「これは勝負の予感がする」と言い出し、五人で挑戦することになった。

 結果は、全員失敗だった。

「今のは針が悪かっただけだから」

 一度目に失敗した柑奈は、そう言って二枚目を買った。

 その二枚目も、あと少しというところで割れた。

「今度は型が難しすぎた」

 三枚目も、同じように途中で欠けた。

「もう一回!」

「柑奈、やめとけって」

「次はいけるから!」

「その台詞、さっきも聞いたよ」

 三咲と蓮が両側から腕を引き、柑奈を屋台から引き離す。

 その様子を、珠美が少し離れたところからカメラに収めていた。


 カシャッ。


「珠! なに撮ってんのよ!」

「夏祭り写真王に、一歩近づいた気がする」

「そんな写真で王になるな!」


 少し歩くと、今度は「シロップかけ放題」と書かれたかき氷の屋台を見つけた。

「かけ放題なんだよね? おじさん」

 珠美が鋭い目つきで屋台のおじさんに言うと、おじさんも不敵に笑った。

「おじさんが泣くまで、私はシロップをかけるのをやめない!」

 赤、青、緑、黄色。

 色が重なり、かき氷は次第に何とも言えない色へ変わっていった。八種類目をかけたところで、とうとう新たにシロップを受け止める白い部分がなくなった。

「……今日は、このくらいで勘弁してあげよう」

「お嬢ちゃん、次は十種類目指して頑張んな」

 屋台のおじさんが笑う。


 カシャッ。


 今度は柑奈が、虹色を通り越して茶色に近づいたかき氷と、珠美の悔しそうな顔を写真に撮った。

「それ、味はどうなの?」

 三咲が尋ねる。

 珠美は一口食べ、しばらく真剣な顔で考え込んだ。

「……甘すぎ」

「そりゃそうだろ」


 さらに先の屋台では、三咲がチョコバナナを前に、腕を組んで悩み始めた。

「どれでも同じじゃねえの?」

 弥太郎が言うと、三咲は静かに首を振った。

「大きさだけじゃなくて、チョコの厚みと、カラースプレーの散らばり方も大事なんだよ」

「そんなに?」

「今日一番の一本を選びたいから」

 三咲は真剣な目で何本ものチョコバナナを見比べ、ようやく一本を指さした。

「これにします」

 受け取ったチョコバナナを満足そうに見つめる。

「うん。たぶん、今日一番の出来」

「何を根拠に言ってんだ」

 呆れながらも、弥太郎はカメラを構えた。

「ほら三咲。写真撮るぞ」

「え、今?」

「今日一番なんだろ?」

 三咲は少し照れたように笑いながら、チョコバナナを顔の横へ掲げた。


 カシャッ。


「あ、ちょっと待って」

 三咲は自分のカメラを取り出すと、弥太郎の隣へ並んだ。右手を伸ばしてレンズを自分たちへ向け、左手に持ったチョコバナナをもう一度、顔の横へ掲げる。

「弥太郎くん、こっち見て」

「ん?」


 カシャッ。


「上手く撮れてるといいな」

「そんなにそのチョコバナナ、気に入ったのか?」

「……うん。今日一番だから」

 三咲が笑うと、弥太郎も首を傾げながら笑った。


 蓮は、たこ焼きを買った。

 六個入りだったが、柑奈に「一個ちょうだい」と言われて渡したのを皮切りに、三咲、珠美、弥太郎まで当然のように手を伸ばしてきた。

「ちょっと待て。なんで全員取るんだよ」

「柑奈にだけあげるのは、不公平でしょ」

 珠美が熱々のたこ焼きを頬張りながら言う。

「俺が買ったんだけど」

 たこ焼きは、二個だけになってしまった。

「蓮くん、優しいね」

 三咲が笑う。

「よかったな、蓮。今のところ『夏祭りたこ焼き奪われ王』だぞ」

「もはや名誉ですらないな」


 カシャッ。


 二個だけ残ったたこ焼きと、不満そうな蓮の顔を弥太郎が写真に収めた。

 

 誰かが何かを食べるたび。誰かが失敗するたび。誰かが笑うたび。使い捨てカメラの乾いたシャッター音が鳴った。

 撮った写真をその場で確認することはできない。ちゃんと写っているのか。目をつぶっていないか。指がレンズへかかっていないか。それが分かるのは、祭りが終わり、写真を現像に出してからだ。

 だからこそ五人は、残りの枚数を気にしながらも、今しかないと思った瞬間にカメラを向けた。

 夕暮れだった空は、いつの間にか深い青へ変わっていた。海から吹く風が、昼間の熱気を少しずつさらっていく。提灯の明かりが鮮やかさを増し、海岸通りを埋める人の数も、時間が経つほど多くなっていた。


 やがて、花火の開始時刻が近づいたことを知らせる放送が、町のスピーカーから流れた。

「花火って、八時からだよな?」

 弥太郎が尋ねる。

「うん。三十分くらいって書いてあったよ」

 三咲が答えた。

「じゃあ、そろそろ見る場所を決めた方がいいね」

 五人は屋台の列を離れ、海がよく見える場所を探した。

 海岸通り沿いの手すりの近くに、ちょうど五人で並べそうな空間を見つけたときだった。


「あのー、ごめん」

 珠美が、少し申し訳なさそうに口を開いた。

「私、ちょっとこの辺で抜けるね」

「え、花火見ないのか?」

 弥太郎が驚いたように尋ねる。

「うん。ちょっと用事があってさ。せっかくみんなで来たのに、ごめんね」

「別に、謝らなくてもいいけど」

 珠美は詳しく説明しなかった。

 残る四人に向かって片手を上げると、足早に人混みの中へ入っていく。その姿は人波に紛れ、ほどなく見えなくなった。


 蓮は、弥太郎と三咲の顔を見た。

 二人とも何も言わなかったが、おそらく珠美が猫石の件で抜けたのだと、なんとなく察しているのだろう。

 もちろん、蓮もそう考えていた。薫から、花火が終わったら丑寅守神社へ来るように言われている。たぶん、何か最後の準備があるのだろう。


「……はっ!?」

 突然、柑奈が大きな声を上げた。

「なんだよ」

 すぐ隣にいた弥太郎が、肩を跳ねさせる。

「分かっちゃった……」

「何が?」

 今度は三咲が尋ねた。柑奈は、珠美が消えていった人混みを勢いよく指さした。

「彼氏だ!」

「……は?」

 三人の声が、きれいに揃った。

「珠、彼氏ができたんだよ! このあと彼氏と花火を見る約束してるんだ!」

「珠は――」

「ああっ!」

 柑奈の説を否定しようとする蓮の声を遮って、柑奈はさらに大きな声を上げた。

「今度はなんだよ!」

 またも肩を跳ねさせた弥太郎が聞いた。

「猫石なんて関係なかったんだ! 最近付き合いが悪かったのも、彼氏ができたからだったんだよ!」

 蓮、弥太郎、三咲は顔を見合わせた。


「いやあ……どうだろうな」

 弥太郎が苦笑する。

「珠美なら、彼氏ができたら私たちに教えてくれるんじゃないかな?」

 三咲も困ったように笑った。

「恥ずかしくて言い出せないんだよ! 絶対そう!」

「どうかなあ」

 なおも苦笑する蓮に、柑奈が詰め寄った。

「蓮くんは鈍すぎるの!」


 柑奈がそう言った、そのときだった。

 夜空が、白く瞬いた。


 四人が一斉に顔を上げる。

 海の上に、大輪の花火が咲いていた。


 一拍遅れて、腹の底まで響くような轟音が、夏の尾之浦を揺らした。

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