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その黒猫は、今夜も港で待っている。  作者: 幸円一
本編

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6/21

第6話 消えていく、猫石。

 7月10日、月曜日。

 期末試験を終えた校内には、もう半分夏休みに入ったような、どこか浮ついた空気が漂っていた。この日から終業式までは四時間授業で、生徒たちの気分はますます夏休みへ傾いているようだった。

 ホームルームが終わると、教室のあちこちで椅子を引く音が重なった。窓の外では、照りつける日差しの中で蝉が鳴いている。


 いつもの五人は、蓮の机の周りに集まった。

「どう? あれから、ほかの猫石がいなくなったのに気づいたりしてない?」

 珠美が鞄から例のメモ帳を取り出しながら尋ねた。四人はそろって首を横に振る。

「うちの近所の花壇にいた猫石も、まだ戻ってなかったよ」

「やっぱり、偶然じゃないのかな」

 柑奈は不安そうに眉を寄せる。

「丸目、元銭湯、花壇、それからオザワレコードの笑顔の猫石か」

 弥太郎が指を折った。

「丸目は戻ってきたけど、四匹も立て続けに失踪したんだもんな。全部たまたまってことはない気がするよな」

「丸目は、その後変わりないのか?」

 蓮が尋ねる。

「うん。今朝も、ちゃんといつもの場所にいたよ。おばさんも、もう勝手にどこかへ行かないでねって話しかけてた」

 珠美はそう答えると、メモ帳を開いた。


「今日は、昨日確認した猫石をもう一度見て回ってみる?」

「えっ、猫石がいなくなったの?」

 すぐ近くから声がして、五人は振り返った。隣の列の席で鞄を片づけていた女子生徒が、興味を引かれたようにこちらを見ていた。

「通学途中でいつも見る猫石が、今朝はいなくなってたんだよね」

「それ、本当?」

 珠美がすぐさま身を乗り出す。

「うん。線路沿いの道へ出る手前の家に、子どもが作ったみたいな木の表札がかかった赤い郵便ポストがあるの。そのポストの上にいつもいたんだけど」

「赤いポストの上にいた猫石?」

 珠美はメモ帳に記入しながら聞く。

「そうそう。黄色っぽくて、耳の先だけ黒いやつ。珍しい色の猫石だし、毎朝見てたから印象に残ってて」

 女生徒は蓮たちを見回しながら、「家の人が動かしただけかもしれないけど」と付け加えた。


「猫石がいなくなった話してる?」

 今度は、少し離れた席にいた男子生徒が会話へ加わった。

「うちの庭にいた猫石も、昨日の朝からいないんだよ」

 それを聞いて、五人の表情が変わった。

「どんな猫石?」

 珠美が鉛筆を構える。

「白っぽいやつ。背中に黒いぶち模様があって、口がへの字になってる」

「家の人が動かしたんじゃないのか?」

 蓮が尋ねる。

「母ちゃんにも親父にも妹にも聞いたけど、誰も知らねえって。妹は土曜の夕方にはまだいたって言ってたけどな」

「妹?」

 珠美が顔を上げた。

「ああ。確か、御牧の弟と同じクラスだよ」

「ふうん……」

 珠美は何か考えるように鉛筆の先を止めたが、すぐに猫石の特徴と場所を書き込んだ。


「なあ、これって何かの事件なの?」

 男子生徒が、少し面白がるように聞いた。

「まだ分からない。ただの模様替えが、たまたま重なってるだけかもしれないし」

 蓮が答えると、珠美が横から口を挟む。

「でも、もし町中の猫石が一斉に家出を始めてるなら一大事だよ」

「ああ、あくまでも『もし』の話だから」

 弥太郎が珠美の大げさな表現にフォローを入れる。

「また何か気づいたら、教えてくれる?」

 蓮が言うと、二人は「分かった」と答え、それぞれの友人のところへ戻っていった。


「これで、少なくとも六匹か」

 弥太郎がつぶやく。

「もう、全部たまたまって考えるのは難しいと思う」

 三咲も表情を曇らせていた。

「それで、今日はどうする?」

 弥太郎が珠美へ目を向けた。

「昨日確認した猫石、もう一度見て回るか? 一回帰って、昼飯食ってから集合で」

「……今日はやめとこうか」

 珠美の答えに、弥太郎が眉を上げた。

「なんだよ、さっきは見に行こうって言ってたじゃねえか」

「ちょっと、今ある情報を一度整理しときたくなってさ」

 珠美はメモ帳を閉じた。

「それに、ごめん。母さんが夕方まで出かけるから、勇斗が帰ってくる時間には家にいてって言われてたの、忘れてた」

「捜索隊長がいないんじゃ、今日は各自で確認ってことか?」

「そうしよう。帰り道とか、出かけたついでに目についた猫石だけ確認して、明日報告」

 蓮が言うと、四人は頷いた。


   * * *


 その日の夕方。

 母に醤油と食パンを買ってくるよう頼まれた蓮は、商店街を歩いていた。日中の熱気はまだ路面に残っていたが、アーケードの下には時折、海の方から湿った風が吹き抜けてくる。七夕飾りと夏祭りの提灯が、その風にかすかに揺れていた。


 昨日、珠美が記録した場所を思い出しながら、道沿いの猫石へ目を配る。商店街入口の青い首輪。ラーメン与一の花柄。覚えている範囲では、新たにいなくなった猫石はなさそうだった。

 少し安心したところで、香車蒲鉾店の前まで来た。

 店内には客が何人かいて、商品を眺めていた。揚げたての蒲鉾の香ばしい匂いに腹が反応したが、財布には、頼まれた買い物の分しか入っていないことを思い出し、我慢した。

 ふと、店脇の石畳の小路へ目を向ける。薫が、三人の小学生と話していた。


「薫さん」

 蓮が声をかけると、薫は振り返り、挨拶代わりに片手を上げた。

「じゃあ、今日はここまで。またね。気をつけて帰るんだよ」

「はーい!」

 三人は元気よく返事をすると、海岸通りの方へ駆けていった。

「人気者ですね、薫さん」

「子どもとお年寄りにはね。同年代からも、もう少し人気があるといいんだけど」

 薫は冗談めかして笑った。

「何の話をしてたんですか?」

「お祭りのお手伝いの相談。ほら、もう今週の土曜日でしょう? あの子たち、張り切ってるんだよ」

「何を手伝うんです?」

「飾りつけとか、荷物運びとか、いろいろ。子どもたちにできそうなことをお願いしてたの」

 店先の木箱の上には、折り畳まれた町の地図らしき紙が置かれていた。


 祭りと聞き、蓮は昨日のことを思い出した。石畳の小路へ視線を移す。ウインクした猫石は、今日も同じ場所に座っていた。

「……猫石、ほかにもいなくなってるみたいなんです」

「ほかにも?」

 蓮は、三咲の近所の花壇にいた猫石や、オザワレコード脇の笑顔の猫石が消えたこと、さらに今日、クラスメイトから二匹の猫石が消えたと聞いたことを話した失踪を話した。

「そんなに?」

 薫は、少しだけ眉を寄せた。

「それはさすがに、ちょっと不思議だね」

「ですよね。それぞれ別の事情で動かされたのが、たまたま重なっただけとは思えなくて」

「でも、猫石ってただの飾りじゃないでしょう?」

 薫はそう言って、小路に座るウインク猫石へ目を向けた。

「この町の守り猫みたいなものなんだから。きっと、変なことにはならないよ」

「そうだといいんですけど」

「とはいえ、それに紛れて、誰かが勝手に連れて帰ったりしてないかは心配だね」

 薫は「よし」と小さく言って、腰に両手を当てた。

「私も今日から、町の猫石の様子を気にしておくよ」

「何か分かったら、教えてください」

「もちろん」

 蓮は薫に別れを告げ、買い物へ戻った。


 数歩進んだところで、一度だけ振り返る。

 薫は木箱の上の地図を手に取り、店の中へ戻っていった。

 店の脇、石畳の小路では、ウインクの猫石が変わらず片目を閉じ、通りを眺めていた。

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