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その黒猫は、今夜も港で待っている。  作者: 幸円一
本編

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第4話 猫石って、なんだろう。

 メキシカンを出た五人は、その足で尾之浦町立図書館へ向かった。

 館内の案内板を頼りに郷土資料コーナーまで来たものの、棚には、普段あまり目にすることのない重厚な本がずらりと並んでいた。


「……どれを見りゃいいんだ?」

 弥太郎が棚を見上げ、早くも絶望したような声を出す。

「それを今から調べるんでしょうが」

 珠美はそう言うと、棚から手近にあった『尾之浦町史・通史編Ⅰ』と書かれた分厚い本を引き抜いた。

「絶対、今日中には見つけられない気がするんだけど」

 柑奈が、その厚みに圧倒されたようにつぶやく。

「受付で、猫石について調べたいって相談してみるのが早いんじゃないかな」

 三咲の提案に、弥太郎と柑奈は揃って頷いた。

「何言ってんの。調査開始早々、他力本願でどうするのよ!」

 珠美は張り切って本を開き、目次へ目を走らせる。

 蓮も横からのぞきこんだが、細かな文字が隙間なく並んでいるのを見ただけで、早くも読む気が薄れてきた。

 視線を棚へ戻す。同じような厚さの本が、まだ何十冊も並んでいた。

 柑奈と三咲は顔を見合わせて苦笑している。弥太郎も背表紙を眺めてはいたが、たぶん探しているふりをしているだけだ。

「ふむふむ……」

 珠美が意味ありげにつぶやいた。

「何か書いてある?」

 蓮が尋ねると、珠美は本をぱたんと閉じた。

「受付に聞きに行こう」

「だから言ってんだろ」

 弥太郎が呆れたように言った。

 珠美は何事もなかったように本を棚へ戻し、五人はカウンターへ向かった。


「すみません」

 蓮が声をかけると、カウンターにいた女性職員が穏やかな笑顔を向けた。

「はい。どうされました?」

「町にある来福猫石について調べたいんですけど、どんな資料を見ればいいのか分からなくて」

「来福猫石ですか……」

 職員は少し考えたあと、「少々お待ちください」と言って、カウンターの端にある端末へ向き直った。慣れた手つきでキーボードを打ち、画面に表示された情報を確認していく。

「題名に『来福猫石』とつく資料は、特にないようですね」

 五人の肩がそろってわずかに下がった。

「ですが、町史の文化編や、観光協会が発行した冊子なら参考になるかもしれません。ご案内しますね」


 職員についていくと、着いたのは、つい先ほど五人が自力での調査を諦めた郷土資料コーナーだった。職員は並んだ背表紙を目で追い、『尾之浦町史・文化編』と書かれた本を抜き出した。

「町の文化活動については、まずこちらを見てみるといいと思います」

 受け取った弥太郎の腕が、その重さでわずかに下がった。

「それと……」

 職員は少し離れた棚へ五人を案内した。

「こちらに、観光協会が発行した情報誌や記念誌があります。昔の町政だよりも保存していますが、古いものは書庫にあります。調べたい年代が分かりましたら、カウンターで声をかけてください」


 五人は礼を言い、町史と何冊かの観光協会誌を抱えて閲覧用の机へ移動した。珠美と三咲が町史を担当し、蓮と弥太郎と柑奈は、何冊もある観光協会の冊子を手分けして調べることになった。


 珠美は町史の巻末にある索引を調べ始めた。

「来福猫石……なし。猫石……これもなし」

「町史に載ってないのかな」

 三咲が首をかしげた。

「当たり前すぎて、わざわざ項目にされてないとか?」

「関係してそうなのは、お祭りとか、芸術とか、観光とか?」

 三咲がページをめくるが、関係しそうな項目が多すぎて、どこから読めばいいのか見当もつかない様子だ。

 紙をめくる音だけがしばらく続いた。


「おい」

 不意に、弥太郎の手が止まった。

「これじゃねえか?」

 その声に、四人が一斉に顔を上げる。弥太郎が開いていたのは、町の観光協会が発行した古い記念誌だった。見開きいっぱいに、色の褪せた一枚の写真が載っている。

「何これ……」

 柑奈が立ち上がり、写真をのぞきこんだ。

 神社の境内に、無数の丸い石が並べられていた。

 色とりどりに塗られた猫石が石畳の上を埋め尽くしていて、その後ろに大勢の町の人々が並び、写真へ向かって笑っていた。

「これ、全部猫石?」

「すごい数だね」

 蓮は写真の下に添えられた説明文へ目を移した。

「『昭和四十八年、丑寅守うしとらもり神社にて行われた来福猫石奉納祈祷』……」

「丑寅守神社?」

 珠美が身を寄せる。

 蓮はその続きを読んだ。

「『尾之浦ゆかりの芸術家・蒲田かまた桜将おうしょうと町民の手によって制作された猫石が、夏祭りの日に一堂に集められた』」


「蒲田、桜将……」

 珠美はその名前を口の中で繰り返すと、町史の索引へ戻った。

「猫石じゃなくて、この人の名前で調べれば――」

 指が索引の上を滑っていく。

「あった!」

 思わず声を上げ、すぐに周囲を気にして口を押さえる。少し離れた席の利用者が一瞬こちらを見たものの、特に注意されることはなかった。

 索引に示されたページを開くと、芸術・文化活動の項目に、蒲田桜将の名が載っていた。三咲が声を抑えて文章を読み上げる。


「『昭和三十八年、尾之浦にゆかりのある芸術家・蒲田桜将の呼びかけにより、来福猫石の制作活動が始まった』」

「今から……三十七年前か」

 蓮が計算する。

「『夏祭りを前に、町民参加による制作会が数日間にわたって開かれた。完成した猫石は、祭り当日に丑寅守神社で祈祷されたのち、町の商店や民家、路地などへ置かれた』」

「じゃあ、今町にいる猫石って、丑寅守神社でご祈祷を受けてるんだ?」

 柑奈が、写真を見ながら尋ねた。

「昔からいる猫石なら、そういうことになるね」

 三咲が頷く。

「大規模な制作会は何度か開かれたけど、昭和四十八年を最後に行われてないみたい」

 珠美が続きへ目を走らせる。

「写真が、その最後の制作会ってことか」

「じゃあ、今いる猫石の多くは、少なくとも三十年近く前から町にいるってことか」

 蓮は、境内を埋め尽くす猫石の写真をもう一度見た。

 写真の中の猫石は、どれも色鮮やかで新しい。今、町のあちこちにいる猫石たちは、それから長い時間を雨風にさらされながら、それぞれの場所で町を眺めてきたのだろう。


「蒲田桜将って人は、もう亡くなってるみたい」

 三咲が、町史の記述の末尾を指さした。

「平成二年に亡くなったって。十年前だ」

「じゃあ、本人に話を聞くのは無理か」

 弥太郎が言う。

「でも、もう少し詳しい資料がありそうじゃない?」

 珠美は写真の下に書かれた年代へ目を落とした。

「最初の制作会が昭和三十八年で、最後が昭和四十八年。さっきの職員さん、年代が分かれば町政だよりを出してくれるって言ってたよね」

「私、お願いしてくるね」

 柑奈が席を立った。


 しばらくして、職員が書庫から二冊の分厚い合冊を持ってきてくれた。

「古い物なので取り扱いには気をつけてくださいね」

 そう言って、机の上にそっと置く。昭和三十八年と四十八年に発行された町政だよりが、一年分ずつまとめられている。夏祭り前後の号へ範囲を絞り、手分けしてページをめくった。

「あったよ」

 最初に記事を見つけたのは三咲だった。

 昭和三十八年の夏に発行された町政だより。その一角に、『町に福を呼ぶ猫たち』という見出しが載っている。

 小さな白黒写真には、長机を囲んだ町の人たちが、下絵の入った石へ色を塗る姿が写っていた。大人の隣では、子どもたちも真剣な顔で石へ色を塗っている。


「蒲田桜将さんが、町の人に参加を呼びかけたみたいだね」

 記事によれば、町の人々が一緒に作れる新たな名物で、町を盛り上げようというのが、この制作会の始まりだったらしい。桜将が石の形に合わせて猫の下絵を描き、町の人々が彩色を施して完成させたという。

 制作会は夏祭りを前に数日間開かれ、完成した猫石は祭り当日に丑寅守神社で祈祷を受けたと書かれていた。


 蓮は、記事の最後に書かれた一文で目を止めた。

『祈祷を終えた猫石たちは、福を招く町の仲間として、それぞれの家や店へ送り出された』

「送り出された、か」

 蓮がつぶやく。当時から猫石は、ただ猫の絵を描いただけの石ではなく、町の仲間として扱われていた。そう思うと、少し頬が緩んだ。

「丑寅守神社なら、当時のことをもっと知ってるかもしれないね」

 三咲が言った。

「祈祷をした記録も残ってるかもしれない」

「次の調査場所、決まりだね」

 珠美が町史を閉じる。

「丑寅守神社へ向かう!」

 弥太郎が壁の時計を見た。

「でも、もうすぐ五時だぞ。今から押しかけるのは迷惑じゃねえか?」

「それもそうだね」

 蓮も時計を確認する。

「神主さんに話を聞くなら、日を改めた方がいいな」

 五人は町史と冊子を返却台へ置き、町政だよりをカウンターへ返した。図書館を出る頃には、午後の強い日差しも少しだけ和らいでいた。


   * * *


 五人は、図書館から商店街へ戻る道を歩いていた。


「猫石が作られた経緯は分かったけど、勝手に動く理由までは町史に載ってなかったな」

「勝手に動いたと決まったわけじゃないから」

 弥太郎の言葉を柑奈が即座に訂正する。

「みんなさ、他に『間違いなくここには猫石がいた!』って言える場所ある?」

 珠美が言った。

「明日にでも見て回ってみない? 他にも消えた猫石がいるかも――」


「消えてないよ」


 突然、横から声がした。五人は足を止める。

 道沿いの低い石垣に、小学生くらいの男の子が腰かけていた。勇斗と同じくらいの年頃だろうか。帽子をかぶり、片手には溶けかけた棒付きのアイスを持っている。五人の視線を受けると、ニコリと笑った。


「今、何て言った?」

 珠美が尋ねる。

「だから、猫石は消えてないよ」

「でも、いつもの場所からいなくなってる猫石がいるんだ」

 蓮が言う。男の子は不思議そうに首をかしげた。

「いなくなってるんじゃないよ」

 あっさりとした口調だった。

 怖がらせようとしている様子も、冗談を言っている様子もない。

 男の子は、五人の顔を順番に見た。


「みんな、神社に向かってるんだ」


 一瞬、誰も言葉を返せなかった。

「神社って、丑寅守神社のこと?」

 三咲が尋ねる。そのとき、少し離れた坂の上から声が飛んできた。

「おーい! 何してんだよ、早く来いよ!」

 見ると、二人の子どもがこちらへ向かって手を振っている。

「あ、待って!」

 男の子は石垣から飛び降りた。

「ちょっと待って。神社に向かってるって、どういう意味?」

 珠美が呼び止める。

 けれど男の子は、もう坂へ向かって駆け出していた。

「じゃあね!」

 走りながら振り返り、大きく手を振る。

 待っていた友達と合流すると、三人は何事もなかったように笑い声を上げながら、坂の向こうへ消えていった。


「……神社に向かってるって、どういうことだよ」

 弥太郎がつぶやく。

 蓮の頭には、図書館で見た古い写真がよみがえる。

 かつて、丑寅守神社から町の各所へ送り出された猫石たち。

 今度はその猫石たちが、誰も見ていない町の中を、少しずつ神社へ近づいていく光景が浮かんだ。

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