第3話 猫石は、おでかけ中?
「で、この丸目が昨日、自分で学校の下からここまで戻ってきたってこと?」
柑奈が丸目を指さしながら、そう言った。
7月8日、土曜日の昼過ぎ。
五人は珠美の隣家の前に集まり、玄関階段の脇に座る丸目を囲んでいた。
昨日の夕方、珠美が柑奈と三咲の家へ電話をかけ、家出猫石捜索大作戦の隊員に緊急招集をかけたのだ。
「誰かが見つけて、ここへ戻してくれた可能性もあるよね?」
三咲が、丸目を眺めながら言った。
元の場所へ帰ってきた丸目は、一連の騒ぎなど知らないとでもいうように、左目の丸い模様を五人へ向けて座っていた。
「でも、丸目がここの家の子だって知ってる人じゃないと無理だよね」
柑奈が腕を組んだ。
「ここの子だって分かる人が、都合よく見つけて戻してくれるかな?」
柑奈は自分で現実的な可能性を否定しておきながら、急に不安そうに丸目から目をそらした。
「……ちょっと待って。これ、怖い話にならないよね?」
「怖い話って?」
弥太郎がわざと声を低くする。
「夜になると猫石に足が生えて――」
「やめてってば!」
「まだ何も言ってねえだろ」
「そもそも猫石に足が生えるのはちょっと別な気持ち悪さだな」
蓮がそう言ったところで、珠美の家の玄関が開き、中から勇斗が飛び出してきた。肩から水筒を下げ、帽子を片手に持っている。
「あ、弥太郎! 蓮!」
勇斗は勢いよく駆け寄ってきた。けれど、途中で柑奈と三咲の姿に気づくと、五人の少し手前で急に足取りを緩めた。
「勇斗くん、こんにちは」
三咲が笑顔で声をかける。
「相変わらず元気だね」
柑奈も手を振った。
勇斗は帽子のつばをいじりながら俯き、蓮たちと話すときとはまるで違う、小さな声で答えた。
「……こんにちは」
「お? 昨日の元気はどうした?」
弥太郎がからかうように顔をのぞきこむ。
「勇斗は、柑奈と三咲のことが好きだから照れちゃうんだよね」
珠美が意地の悪い笑みを浮かべた。
「ち、違うし!」
勇斗が、耳まで赤くして顔を上げる。
「そっか。好きじゃないなら、ちょっと残念だな」
三咲が柔らかく笑う。
「……別に、好きじゃないわけじゃない」
勇斗が再び俯きながら、小さな声で呟いた。五人から笑いがこぼれた。
「ほら、友達のところへ行くんじゃなかったの?」
珠美が言うと、勇斗ははっとしたように顔を上げた。
「あ、やべ。行ってきまーす!」
今度こそ勢いよく駆け出す。
「暑いんだから、ちゃんとお茶飲んで休むんだよ!」
珠美がその背中へ声を投げた。勇斗は振り返らず、水筒を指さして角の向こうへ消えた。
「暑いのに元気だな」
蓮が笑う。
「本当、寝てるとき以外はずっとあの調子だから。見てるこっちの方が疲れるよ」
珠美は呆れたように言いながらも、その表情はどこか楽しそうだった。
「じゃあ、俺たち年寄りは、そろそろ涼しいところで休憩しませんかね」
弥太郎が額の汗を手の甲で拭う。午後の日差しは容赦なく、立っているだけで汗が滲み、Tシャツが肌に張りついた。
「賛成。メキシカンに行こうよ」
柑奈が真っ先に答えた。タイムカプセル騒動のときから、商店街にある喫茶店「メキシカン」は、すっかり五人の作戦会議場になっていた。
五人は丸目に別れを告げると、商店街へ向かって歩き始めた。
* * *
商店街に入ると、まだ残っている七夕飾りの合間に、夏祭りの提灯が吊られ始めていた。笹の木に結ばれた色とりどりの短冊や吹き流しに混じって、赤白の提灯が頭上で揺れ、アーケードの下はいつもより賑やかだった。
「あれ?」
三咲がふいに足を止めた。
そこは、古い銭湯を改装した飲食店だった。その入口には、今も昔の銭湯の面影が残っている。三咲が指さしたのは、その脇にある柱の根元だった。
「ここ、猫石がいなかったっけ?」
蓮たちも、何も置かれていないその場所へ目を向けた。
「いたっけ?」
弥太郎が首をかしげる。
「俺は覚えてないな」
この店の前はこれまでにも何度となく通っている。それでも、そこに猫石がいたかと聞かれると、蓮にはまったく自信がなかった。
「絶対にいたよ」
三咲は珍しく、はっきりと言い切った。
「前に、本物の猫がここの猫石の隣で寝てたの。石の猫と本物の猫が並んでて、かわいいなって思ったのを覚えてるから」
「あっ」
柑奈が声を上げた。
「あのときか! 私も見た!」
蓮は、猫石がいたという柱の根元へ近づいた。丸目のいた場所ほどはっきりしていないが、周囲と比べて汚れ方の違う部分があるようにも見える。
そのとき、店の扉が開いた。中から出てきた店員らしい女性が、帰っていく客へ頭を下げている。
「あの、すみません」
珠美が声をかけると、女性が振り返った。
「ここに猫石っていましたよね?」
「ああ、いるよ」
女性は当たり前のように答えた。
「ですよね。でも、今はいなくなっちゃってるみたいなんですけど……」
「今日はちょっと、お出かけしてるのかもね」
「お出かけ?」
「そのうち帰ってくるんじゃない?」
女性はそう言って、穏やかに笑った。ちょうどそこへ新しい客がやってくる。
「いらっしゃいませ」
女性は五人へ軽く会釈すると、その客を迎えるように店の中へ戻っていった。
「……お出かけ?」
柑奈が、先ほどの言葉を繰り返す。
「冗談だろ」
弥太郎が言ったものの、その声にもわずかな戸惑いが混じっていた。
「勝手に動いたかもしれない猫石は、これで二匹目ってことだね」
珠美が眼鏡を押し上げる。
「丸目と、ここの猫石。偶然で片づけていいのかな」
「でも、こっちは誰かが別の場所へ移しただけかもしれないよ」
柑奈は、必死に現実的な方へ話を戻そうとする。
「ほら、お店の人も知ってるみたいだったし」
「気にしてないだけなのかな? それとも何か知ってるのか……」
三咲の疑問に、柑奈は返事を詰まらせる。
答えが出ないまま、五人は再び歩き始めた。メキシカンはもうすぐそこだった。
「宮坂くん」
不意に名前を呼ばれ、蓮は足を止めた。
声のした方を見ると、ポニーテールに三角巾を着けた、エプロン姿の女性が店先に立っていた。
「あ、薫さん」
天童薫は、メキシカンのほぼ向かいにある、香車蒲鉾店の娘だ。蓮たちの高校の卒業生で、今は家業を継ぐため、店に立っている。
「今日も五人で、何か楽しそうなことやってるの?」
薫は、五人を見回しながら笑った。
「トップシークレットなんで、詳しくは話せませんけど、やってます!」
珠美が胸を張る。
「秘密なのに、やってることは認めるんだ」
「正直者なので」
薫がくすりと笑う。
そのとき、蓮は店の脇へ目を向けた。
「あ、そうだ」
香車蒲鉾店のすぐ横には、海岸通りへ続く細い石畳の小路がある。
「薫さんのお店のところにも、猫石がいませんでしたっけ」
「いるよ。すぐそこに」
蓮たちは薫と一緒に、店の脇へ数歩寄った。石畳の小路の入口近く、壁際に一匹の猫石がちょこんと座っている。丸い身体には、右目を閉じてウインクするような顔が描かれていた。
「やっぱりいた」
「猫石がどうかしたの?」
薫が不思議そうに尋ねる。
「実は……」
蓮は、昨日から起きていることを説明した。
珠美の隣家にいた丸目がいなくなり、学校のそばにある石垣で見つかったこと。
誰も運んでいないのに、翌朝には元の場所へ戻っていたこと。
そして今しがた、元銭湯の店先にいたはずの猫石も姿を消していると気づいたこと。
「へえ。不思議なこともあるもんだね」
薫はウインクの猫石へ目を向けた。
「まあ、猫石だって、たまには散歩したくなることもあるんじゃない?」
冗談めかして笑う。
「薫さんも、そういう言い方するんですね」
蓮が思わず言うと、薫はきょとんとした。
「そういう言い方?」
「さっきのお店の人も、猫石はお出かけしてるんだって言ってたんです」
「ふうん。やっぱり、みんな同じように考えるんだね」
薫はそれだけ言うと、もう一度猫石を見た。
「この子もいなくなっちゃわないように、見ててあげてくださいね」
三咲が言う。
「分かった。目を離さないようにしておくよ」
薫は笑顔で頷いた。
五人は薫に別れを告げると、道の向かいにあるメキシカンへ入った。
店内へ入った途端、冷房の風が火照った肌を包んだ。
「あー、生き返る……」
柑奈が声を漏らす。五人は奥の席へ腰を下ろし、それぞれが飲み物を注文する。やがて運ばれてきたグラスの表面には、すぐに細かな水滴が浮かび始めた。珠美はストローで氷をかき回し、涼しげな音を鳴らす。
「で」
全員の飲み物が揃ったところで、珠美が切り出した。
「どう思う?」
「誰かが動かしただけだよ。きっとそう。絶対そう」
柑奈が、まるで自分へ言い聞かせるように答えた。
「普通に考えれば、そうだよね」
三咲も頷く。
「でも、どうしてそんなことをするんだろう」
「やっぱり、生きてるんじゃねえか?」
弥太郎が、わざとらしく声を潜めた。
「猫石は、実は長い年月をかけて力を蓄えた化け猫で――」
「やめてってば!」
柑奈が頬を膨らませる。
「お前、本当にこういう話に弱いよな」
「弱くない! くだらないから聞きたくないだけ!」
「それ、怖がってる人がよく言うやつじゃん」
弥太郎が楽しそうに笑う。
「そもそもさ」
蓮は、テーブルの上に置かれたグラスを眺めながら言った。
「俺たち、猫石のことをあんまり知らないよな」
「……どういうこと?」
珠美が首をかしげる。
「町のいろんなところにいて、それが当たり前の景色になってる。でも、どうして猫石が作られたのかとか、いつから町中に置かれてるのかとか、知ってる?」
四人は互いの顔を見合わせた。誰からともなく、首を横に振る。
「もともとは町おこしみたいな、そんな感じだったって聞いたことあるような……」
三咲が言う。
「でも、本当かどうかは分からないし、いつ、誰が始めたのかまでは知らないかも」
珠美はストローをくわえたまま、眉を寄せる。
「そういえば、いつからあるんだろう。私が小さいころには、もういろんなところにいたけど」
「私も」
柑奈が続ける。
「なんとなく、ずっと昔からあるものだって認識だな」
「俺たちは猫石がどこにいたかも、まともに覚えてなかった」
蓮は、先ほどの元銭湯を思い返した。三咲たちが覚えていなければ、猫石が消えたことにすら気づかなかったかもしれない。
「丸目のことも気になるけど、俺、猫石そのものにちょっと興味が出てきた」
蓮が四人を見回す。
「調べてみないか?」
「いいね!」
珠美が勢いよく身を乗り出した。
「一足早い、夏休みの自由研究だ!」
「自由研究は小学生の宿題なんじゃなかったか?」
弥太郎がすかさず突っ込む。
「成果は勇斗に託すことにする!」
五人の間に笑いが起きた。
その中で、蓮は窓の外へ目を向ける。
この町の中に、当たり前に存在する「来福猫石」。物心ついたころから町の景色だったそれを、蓮は初めて、もっと知りたいと思った。




