第2話 帰ってきた、猫石。
「え、ほんとに丸目かも」
珠美は石垣へ歩み寄ると、そこにいた猫石をそっと手に取った。握りこぶしほどの身体を両手で支え、顔を確かめる。横から弥太郎ものぞきこんだ。
「確かに、左目のまわりに丸い模様があるな」
「ほんとに? 間違いないの?」
柑奈が背伸びするようにして尋ねる。
「百パーセント……とは言えないけどね。そもそも、丸模様が右目だったか左目だったかも、うろ覚えだったわけだし」
珠美は自嘲気味に笑った。
「でも、めちゃくちゃ似てる。私には丸目に見えるんだけどなあ」
猫石を持ち上げたり、少し傾けたりしながら、しげしげとその顔を眺めている。
「っていうかさ」
蓮は猫石ではなく、それが置かれていた石垣へ目を向けた。
「そもそも、ここに猫石っていたっけ?」
珠美の手元へ集まっていた視線が、一斉に石垣へ移った。
学校から帰るときにはいつも通っている道だ。けれど、そこに以前から猫石がいたかと聞かれると、蓮には自信がなかった。
「覚えてないっていうのが、正直なところかな」
三咲が困ったように笑った。
「だけど、こっちも百パーセントとは言えないけど、いなかったような気はする」
「うん。私も記憶にはないかも。いなかった派だな」
柑奈も頷く。
丸目によく似てはいる。けれど、似た模様の猫石が他にいないとも限らない。何より、以前からこの場所にいた猫石である可能性が否定しきれない以上、勝手に連れていくわけにはいかなかった。
「仕方ないか」
珠美は名残惜しそうに猫石を見つめてから、手に取ったときと同じ場所へそっと戻した。
「とりあえず、丸目がいなくなった現場を確認しに行こう」
五人は再び歩き始めた。そこから線路沿いの道を西へ進むこと、およそ十分。
珠美の家がある通りへ入ると、その隣家の前で珠美が足を止めた。
「ここだよ。ここに丸目がいたの」
珠美が指さしたのは、玄関へ続く階段の脇だった。道路に面したコンクリート壁の角に、今は何も置かれていない。
三咲が近づき、空いた場所をのぞきこんだ。
「長い間、ここにいたのが分かるね」
丸目がいたという場所には、周囲よりわずかに色の薄い、丸い跡が残っていた。
「ああ。丸目がいたところだけ、雨や日差しの当たり方が違ったんだろうな」
蓮も身をかがめて確かめる。
「ずっとここから動いてなかったってことか」
「そうだ!」
珠美が勢いよく顔を上げた。
「さっきの丸目――いや、丸目疑惑がいた場所はどうだった? こんな跡、残ってなかった?」
珠美が四人を見回したが、誰も答えなかった。
「……見てない?」
「見てねえな」
「私も」
「わたしも気づかなかったかな」
珠美は額を押さえた。
「家出猫石捜索大作戦の隊員である自覚が足りないようだな」
「珠こそ隊長の自覚足りてんのか?」
「痛いところを突かないで」
弥太郎の突っ込みに珠美が肩を落としていると、隣家の玄関が開いた。
「あら、珠美ちゃん。おかえりなさい」
中から出てきたのは、丸目の持ち主である隣家のおばさんだった。五人の姿を見ると、穏やかに笑う。
「今日はお友達も一緒なのね」
「あ、おばさん。ただいま」
珠美が答えると、蓮たちも口々に挨拶した。
「お家の前で騒がしくして、すみません」
三咲が頭を下げる。
「全然大丈夫よ、気にしないで。話してるのは丸目のこと?」
「そうそう! あのね、おばさん。学校の近くで、丸目っぽい猫石を見つけたよ」
珠美は、学校から続く石段を下りたところにある石垣で、丸目によく似た猫石を見つけたことを説明した。
「左目のまわりに丸い模様があって、すごく似てたんだけどね。絶対に丸目だっていう自信はなかったから、連れては来なかったの」
「そうなの?」
おばさんは少し驚いた顔をしたあと、ほっとしたように目を細めた。
「私が見たら分かるかもしれないわね。夕方、涼しくなってから見に行ってみようかしら」
「うん、そうしてみて」
「わざわざ探してくれて、ありがとうね」
おばさんは五人へもう一度礼を言うと、家の中へ戻っていった。
「せっかくここまで来てもらったけど、多分これで解決だね、こりゃ」
珠美が、丸い跡だけが残ったコンクリート壁の角を見ながら言った。
「丸目がお家に帰れるなら、何よりだよ」
三咲も笑顔を浮かべる。
そのとき、弥太郎の腹から大きな音が鳴った。
「……帰るか」
「締まらないねえ」
「仕方ねえだろ。今日は昼飯まだなんだから」
期末テスト最終日のため、学校は午前授業だった。解放感に任せてここまで歩いてきたものの、そろそろ五人とも空腹を覚えている。
「あ、そうだ。弥太」
解散しかけたところで、珠美が弥太郎を呼び止めた。
「近いうちに、またうちに遊びに来てよ。勇斗が、あんたとゲームしたいってうるさくってさ」
勇斗は珠美の弟で、小学四年生。蓮と弥太郎によく懐いている。
「おう、いいぜ。明日はどうだ?」
「急だね。でも、まあ大丈夫だと思う。勇斗も喜ぶよ」
そこで珠美は蓮を見た。
「あ、蓮も来てよ」
「俺も?」
「私と弥太、ゲームになるとつい本気でやっちゃうからさ。あんたが勇斗と組んでやってよ」
「それは大事な役目だね」
三咲が楽しそうに笑った。
「珠も弥太も、もう少し大人になりなさいよ」
柑奈も呆れたように言いながら笑った。
* * *
7月7日、金曜日。
登校途中、蓮は昨日の帰りに、丸目らしき猫石を見つけた石垣の前で足を止めた。そこに猫石の姿はなかった。隣家のおばさんが、昨日のうちに迎えに来たのだろう。
そう考えながら教室へ入ると、すでに登校していた珠美が、待ち構えていたように振り返った。
「蓮! 丸目、戻ってたよ!」
「やっぱり。昨日いた場所からも、いなくなってた」
「じゃあ、間違いなく丸目だったんだね。よかったよかった」
こうして、猫石失踪事件はあっさりと解決した。
その日の放課後、蓮は珠美、弥太郎と三人で、珠美の家へ向かっていた。
昨日と同じ線路沿いの道を歩き、珠美の家がある通りへ入る。すると、道の先で待ち構えていた勇斗が、三人の姿を見つけるなり駆け寄ってきた。
「おせえぞ、弥太郎! 蓮も、早くやろうぜ!」
勇斗は二人の手を掴むと、そのまま家の方へ引っ張っていこうとする。
「こら、勇斗。呼び捨てにするなって言ってるでしょ」
「いいって、珠」
弥太郎は気にした様子もなく笑った。
「おい勇斗。今日も手加減しねえからな」
「俺だって強くなったもんね! 弥太郎には負けても、蓮には絶対勝てる!」
「ずいぶん舐められたもんだな。じゃあ今日は、俺も本気を出そうかな」
「望むところだ!」
勇斗に引っ張られながら隣家の前を通りかかったとき、庭先に人影が見えた。隣家のおばさんが、プランターの花に水をやっているところだった。
「あ、おばさん。ただいま!」
珠美が声をかける。
「あら、珠美ちゃん。おかえりなさい。今日もお友達と一緒なのね」
おばさんは蓮と弥太郎へ笑顔を向け、二人の腕を引っ張っている勇斗にも目を細めた。
「勇斗くんも、ずいぶん楽しそうね」
「早くゲームしたいんだってさ」
珠美が呆れたように答えたあと、玄関階段の脇へ目を向けた。昨日訪れたときには空いていたコンクリート壁の角に、丸目がいた。
「やっぱり、あの猫石は丸目だったんですね。無事に帰ってきてよかった」
珠美が言うと、おばさんは不思議そうに首をかしげた。
「あら? 珠美ちゃんが連れて帰ってきてくれたんじゃないの?」
「え?」
珠美の表情が止まった。
「昨日は結局、石段のところへ行けなかったのよ。それで今朝見たら、丸目が戻っていたから。てっきり、珠美ちゃんたちが連れてきてくれたんだと思ってたんだけど……違うの?」
蓮と珠美と弥太郎は、互いの顔を見合わせた。
「いや、私じゃないんだけど……。お家の人は、何か知らないの?」
「それが、家の者にも聞いてみたんだけど、誰も知らないって言うのよ」
昨日の午後、丸目は学校近くの石垣にいた。
今朝にはそこから消え、元の場所へ戻っていた。それなのに、おばさんも、その家族も、誰も丸目を運んでいない。
「なあなあ、早くゲームしようぜ!」
勇斗が蓮の腕を強く引いた。その声に、蓮は思考から引き戻される。
「じゃあ、この子、自分で帰ってきたのかしらねえ」
おばさんは冗談めかして笑った。珠美もつられて口元を緩めたものの、その顔には少しだけ戸惑いが残っていた。
蓮はもう一度、コンクリート壁の角へ目を向ける。
丸目は、最初からどこへも行っていなかったような顔で、いつもの場所に座っていた。




