第2話 いやな言い方。
ある日の昼休み。
「なあ、お前、釣りやったことある?」
今日も、クラスの騒がしい男子が蓮の机までやってきた。
「ない」
蓮は、相手の顔も見ずに答えた。
尾之浦へ転校してきて、もうすぐひと月になる。毎日のように話しかけてくるこの男子の名前も、さすがに覚えた。
木崎弥太郎。
休み時間になれば、いつも何人かの男子とふざけ合い、その周りに自然と女子も混じっている。たぶん、クラスの人気者なのだろう。
「マジかよ。俺、この前、父ちゃんと釣りに行ったんだけどさ」
蓮がろくに相槌を打たなくても、弥太郎は気にした様子もなく話を続ける。
「朝すっげえ早く起こされてさ。なのに父ちゃん、釣り場に着いたら眠いとか言い出すんだぜ」
「それあれだろ、お前が一匹も釣れなかったときの話だろ」
弥太郎の隣にいた男子が笑いながら口を挟んだ。
「それ今言うなよ!」
弥太郎がその男子の肩を軽く押す。二人は楽しそうに笑っていた。
釣りに興味がないわけではなかった。海へ糸を垂らして魚を待つのは、少し面白そうだと思う。
けれど、弥太郎の口から「父ちゃん」という言葉が出るたび、胸の中がざらついた。
「そういえば、今度じいちゃんが、フィールドワークとかいうのに連れてってくれるんだって。山で虫とか草とか調べるらしいんだけど――」
今度は、じいちゃん。
別の日には、姉の話をしていた。自分の分のおかずまで食べられたとか、勝手に漫画を読まれたとか。文句を言いながらも、弥太郎はいつも楽しそうだった。
たぶん、弥太郎なりに気を使っているのだろう。転校してきてからずっと、休み時間を一人で過ごしている蓮を見て、話しかけてくれている。
それくらいは分かっていた。
「でさ、父ちゃんが言ってたんだけど――」
「あのさ」
また出てきたその言葉を聞いて、蓮は弥太郎の話を遮った。
「何?」
「ごめんだけど、興味ない。そういう話」
弥太郎は、きょとんとした顔をした。
「そっか」
少しだけ残念そうに言ったあと、それでもすぐに気を取り直す。
「じゃあ、蓮の話を聞かせてくれよ。何か好きなものないのか?」
「別に」
「ゲームとか、漫画とか。東京で何して遊んでたんだ?」
「お前に言うことじゃない」
言った瞬間、自分でも嫌な言い方だと思った。
弥太郎の顔から笑みが消える。
「なんだよ、その言い方」
近くにいた髪の長い女子が、すぐに弥太郎の肩へ手を置いた。
「弥太郎くん」
落ち着かせるような、静かな声だった。さっき釣りの話へ茶々を入れた男子も、「もういいって、弥太郎」と弥太郎の袖を引いた。
けれど、蓮も目をそらさなかった。
すると今度は、短い髪の女子が蓮の机のそばへ来た。
「やめなよ、宮坂くん」
肩へ触れられ、蓮はようやく弥太郎から目をそらした。
弥太郎が、小さく息を吐く。
「お前、いつも一人だから、俺は――」
「頼んでないだろ」
また、最後まで言わせなかった。弥太郎の顔を見てはいなかった。それでも、ひどく腹を立てたことは分かった。
「……分かったよ」
弥太郎の声が低くなる。
「じゃあ、もう話しかけねえ」
「はいはい、そこまで!」
少し離れたところから、妙に明るい声が飛んできた。眼鏡をかけた女子が、わざとらしい笑顔を浮かべている。
「これ以上揉めるようでしたら、先生を召喚します!」
「召喚ってなんだよ、珠美」
近くにいた男子が笑った。
「知らないのかね。召喚というのは、魔法陣を描いて異世界や魔界から強力な存在を――」
珠美と呼ばれた眼鏡の女子は、教卓のチョークを手に取ると、黒板の隅へぐるぐると線を描き始めた。
「ここに職員室へ通じる門を作りまして――」
「なんだよその変な絵」
「高度な魔法陣です」
「めちゃくちゃ歪んでるぞ」
教室のあちこちから笑い声が上がった。
みんなの興味は、すぐに黒板へ移っていく。弥太郎も、いつの間にかそちらを向いていた。隣にいた長い髪の女子と何かを話したあと、珠美の描いた線を見て笑っている。さっきまでの怒った顔が嘘のようだった。
「弥太も、すぐ怒るからさ」
さっき蓮の肩に触れた短い髪の女子が、小さな声で言った。
「でも、悪気があるわけじゃないんだよ」
「……分かってる」
蓮はぶっきらぼうに答えた。本当は、分かっていた。
どう考えても、悪いのは自分だ。
クラスに馴染めず、ずっと一人でいる蓮へ、弥太郎は毎日のように声をかけてくれた。何を話してもろくに返事をしない相手に、それでも楽しそうに話しかけ続けてくれた。
それなのに、あんな言い方をした。謝るべきなのは自分の方だった。
けれど、父親や祖父や姉の話をする弥太郎が、羨ましくて仕方がなかった。毎日のように家族の名前を口にできることも、その話を楽しそうにできることも。
家族に囲まれ、自分とはまったく違う毎日を送っているように見えた。そんな弥太郎へ腹を立てるのは理不尽だと分かっていても、気持ちを抑えられなかった。
「私、柑奈」
短い髪の女子が言った。
「菱野柑奈。何か困ったことがあったら言ってね」
「……うん」
蓮が答えると、柑奈は少しだけ笑った。
「さっきの、宮坂くんも言い方悪かったからね」
「……分かってる」
「そっか。分かってるならいいや」
柑奈はそう言うと、黒板の方へ小走りで向かっていった。
「珠! その魔法陣、右と左で全然大きさ違うじゃん!」
「これは見る角度によって形が変わる、立体魔法陣なのです」
「絶対いま考えたでしょ!」
また教室が笑いに包まれた。
蓮はその輪の外で、さっきの出来事を後悔していた。
弥太郎へ謝りたかった。
けれど、今さらどんな顔で声をかければいいのか、蓮には分からなかった。




