隙間録 御牧珠美「もっと面白い方へ」
7月11日、火曜日。
蓮たちとの猫石パトロールを、体調不良を理由に途中で切り上げた珠美は、小学校から帰ってきた勇斗を自分の部屋へ呼びつけた。
勇斗をベッドに座らせ、自分はその正面に立つ。
「あんた、猫石のことで私に黙ってることあるでしょ」
勇斗は、ぎくりとした顔で黙り込んだ。それで、99%だった疑惑は、見事に100%になった。
「勇斗。姉ちゃんに隠し事なんて、百年早いよ」
ここ数日、猫石について調べているうちに、珠美は一連の騒動に小学生たちが関わっているのではないかと考えるようになっていた。
図書館を出た自分たちに、「猫石は消えていない。神社に向かっている」と告げた男の子。
猫石がいなくなったというのに、なぜか楽しそうに笑っていたオザワレコードの子ども。
勇斗のクラスメイトが住んでいる家からも、猫石が消えている。
そして何より、食卓で猫石の話が出るたびに、勇斗は露骨に目を泳がせていた。
何かを知っている。そう思っていたが、どうやら知っているどころではないらしい。
「怒らないから。正直に言いな」
珠美が促すと、勇斗は俯いたまま、ぼそりと言った。
「猫石、動かした」
「猫石って、どの?」
「……隣の家の」
「丸目?」
勇斗は黙って頷いた。
「なんでそんなことしたの?」
「薫さんたちが、内緒で祭りの日に猫石を神社へ集めるって言ってて……」
「ちょっと待って」
珠美は勇斗の言葉を遮った。
「猫石を、神社に集める?」
「うん」
「いっぱい?」
「いっぱい」
「何のために?」
「夜になったら猫石が神社に集まって、会議するって噂あるだろ? それを本当にやるんだって」
珠美の目が輝いた。
「何それ。めちゃくちゃ面白そうじゃん!」
勇斗が驚いたように顔を上げる。
「それで? 猫石はどうやって集めるの? 持ち主には言ってる? 神社の人は知ってるの?」
「う、うん。薫さんが店の人とかに頼んで、俺たちは家に猫石がいる子に声をかけて――」
「祭りの日はどうするの?」
「猫石を全部並べたあと、俺たちが町の人に知らせる。『神社に猫石が集まってる』って、大きな声で言って回るんだ」
「会議してるって噂を、本当の出来事みたいにするわけか」
「うん。それで、みんなに猫石を見てもらうんだって」
「もっと詳しく聞かせて!」
怒られるとばかり思っていたのか、勇斗はしばらく呆気に取られていた。けれど、珠美が本気で興味を持っていることが分かるにつれ、少しずつ声に元気が戻っていった。
勇斗は、薫が発案した猫石の集会について、知っていることをすべて話した。
話を聞けば聞くほど、珠美の胸は弾んだ。謎を解く側にいるよりも、町中の人を驚かせる仕掛け人に回る方が、ずっと面白そうだった。
「なるほどね……」
珠美は、勇斗から聞いた計画を頭の中でもう一度組み立てた。
「めっっっちゃ面白そうじゃん! 私も混ぜてよ」
「薫さんに頼めば、大丈夫だと思う」
「そうだね。まずは薫さんに話を通さないと」
「弥太郎と蓮は?」
勇斗の言葉に、珠美は少し考える。蓮たちにこのことを話せば、猫石失踪事件はすぐに解決する。けれど、祭りの夜に蓮たちの驚く顔は見られなくなってしまう。
「……いや、これはみんなには内緒にしてた方が絶対に面白い」
珠美は、にやりと笑った。
「じゃあ、これから薫さんのところに一緒に行こうよ!」
勇斗は、先ほどまで俯いていたのが嘘のように目を輝かせた。
珠美もつられて笑いそうになる。
楽しいことに、自分も加わりたい。
任された役だけではなく、もっと面白そうな役もやってみたい。
その気持ちは、珠美にもよく分かった。
「――ただし」
「え?」
「面白そうな計画の話は、いったんここまで」
珠美は眼鏡の位置を直した。
「丸目の話、まだ全部聞いてないから」
勇斗の笑顔が、あっという間に消えた。
「最初から、隠さずに話しな」
「……はい」
勇斗の話によれば、丸目を動かしたのは7月5日の朝だった。
薫の計画へ加わったものの、勇斗の家には猫石がいない。猫石を持ってくる子どもたちが羨ましくなり、隣の家の丸目を、ほんの少し借りるだけのつもりでランドセルに入れたのだという。翌日にでも薫のところへ丸目を持っていき、「自分の家の庭の隅にも猫石がいた」と言うつもりだったらしい。
だが、その日の夕食で、珠美は隣のおばさんが丸目を失って寂しがっていることを話した。
勇斗はようやく自分がしたことの重さに気づいた。警察に通報されるかもしれないという恐怖もあった。
「次の日の朝、戻そうとはしたんだ」
「戻せなかったの?」
「丸目を置こうとしたら、隣の家の玄関が開いたから」
「それで逃げた、と」
「……うん」
けれど、丸目をランドセルに入れたまま学校へ向かうのが、急に怖くなった。交番の前を通ったときには、心臓が飛び出しそうになったという。
そして思いついたのが、姉に丸目を見つけてもらうことだった。
「なんで私なの?」
「姉ちゃん、推理が得意だろ」
珠美は一瞬、言葉に詰まった。テレビの推理ドラマを見ながら犯人を当ててみせたことが、何度かある。もっとも、それは珠美が原作漫画を先に読んでいたからなのだが、勇斗はその事実を知らない。
「姉ちゃんたちが学校へ行く道に置いとけば、丸目だって気づいて、家まで持って帰ってくれると思った」
「いや、似てる猫石を見つけただけで、勝手に人の家へ持っていけないでしょ」
「姉ちゃんなら分かると思ったんだよ」
「その重い信頼は喜んでいいものなのか……」
結局、珠美たちは石垣に置かれた猫石を見つけたものの、丸目だという確証を持てず、その場へ残した。
勇斗は放課後、石垣にまだ丸目がいるのを見つけ、いよいよ警察に通報されてしまうのではないかと焦ったらしい。
丸目を抱えて家まで走り、電柱の陰から隣家の様子を窺った。
庭先に誰もいないのを確かめ、コンクリート壁へ戻すと、全速力で自分の家へ逃げ込んだ。
誰にも見られていない。これで何もなかったことになる。
勇斗は、そう思っていた。
「いい? 勇斗」
珠美が少しだけ声を柔らかくすると、勇斗は俯いたまま頷いた。
「面白そうな方へ行くのは、悪いことじゃないよ。姉ちゃんも、いつもそうしてるから」
「うん。知ってる」
「ふふ、こいつめ」
珠美は笑いながら、勇斗の額を人差し指でつんと押した。
勇斗も、少しだけ笑う。
「でも、丸目がいなくなって、隣のおばさんは心配してた。あんたが楽しくても、誰かが困ってたら、それは成功じゃない」
勇斗の視線が、膝の上へ落ちた。
「面白いことをするなら、最後までちゃんと面白く終わらせなきゃ。途中で怖くなって、誰かに後始末を押しつけるのもなし」
「……うん」
「姉ちゃんだって、面白そうなことに飛びついて失敗することはあるよ」
「それも知ってる」
「あんた、ちょっとは空気を読みなよ」
珠美はそう言いながらも、少し吹き出した。我が弟ながら、妙なところで姉のことをよく見ていると思った。
「失敗したら、隠してなかったことにするんじゃなくて、ちゃんと謝る。分かった?」
「分かった」
「じゃあ、薫さんのところへ行く前に、やることがあるよね?」
勇斗はしばらく俯いていたが、やがて小さく答えた。
「……隣のおばさんに、謝る」
「うん、正解。さすが私の弟」
勇斗は、ほんの少しだけ恥ずかしそうに笑った。
「じゃあ、目つぶれ」
「え?」
「歯、食いしばれ」
「怒らないって言ったじゃん!」
「覚えときな。ああいうのは『交渉術』って言うんだよ」
「卑怯だ!」
文句を言いながらも、勇斗は目を閉じ、歯を食いしばった。
珠美は右手の親指と中指で輪を作る。狙いを定めて、勇斗の額を軽く弾いた。
「痛っ」
「これで、姉ちゃんの分はおしまい」
勇斗は額を押さえながら、恨めしそうに珠美を見る。
「次は、隣のおばさんと薫さん。こっちはデコピン一発じゃ済まないかもだから、ちゃんと自分の口で話しなよ」
「……うん」
「ほら、行くよ」
「今から?」
「謝るのは早い方がいいでしょ」
珠美は部屋の扉を開ける。
「それに、面白いことだって、始めるなら早い方がいいからね」
* * *
勇斗は隣のおばさんに、丸目を勝手に動かしたことを謝った。おばさんは困ったように笑いながらも、勇斗を許してくれた。
「でも、いなくなったときは本当に寂しかったんだからね」
「ごめんなさい」
改めて勇斗と珠美は頭を下げた。
「うん、もう大丈夫よ。今度連れていきたいときは、ちゃんと先に言ってね」
「はい」
隣家を出ると、勇斗は大きく息を吐いた。
その足で二人は、薫のいる香車蒲鉾店へ向かった。
勇斗が丸目のことをすべて話し、珠美と一緒に頭を下げると、薫は困ったように眉を下げた。
「丸目を自分で戻したのは偉いよ。でも、勝手に連れていくのは駄目。今度からは必ず、持ち主に聞いてからにしようね」
「ごめんなさい」
勇斗がもう一度頭を下げる。
薫は頷くと、その隣にいる珠美を見た。
「お姉さんに、だいぶ怒られた?」
「デコピンされた」
「余計なこと言わない」
薫は、あははと笑った。
「それはそれとして、薫さん。私も、その計画に混ぜてください」
薫は目を瞬かせた。
一瞬の沈黙のあと、薫が吹き出した。
「御牧さん、面白い子だね」
「よく言われます」
「じゃあ、手伝ってもらおうかな。正直言うと、子どもたちをまとめてくれる人がほしかったのよね」
こうして珠美は、猫石を調べる側から、猫石を隠す側へ回った。
もっとも、珠美が任されたのは、借りた猫石の特徴や返却先を記録し、勇斗のように暴走する小学生がいないか見張ることだった。
派手な仕事ではない。けれど、最後まできちんと面白く終わらせるためには、欠かせない仕事だった。
* * *
7月15日、土曜日。
花火の開始時刻が近づいたことを知らせるアナウンスが、海岸通りのスピーカーから流れた。珠美たちは、手すりの近くにちょうどいい場所を見つけ、花火を待つことになった。
「あのー、ごめん」
珠美は少し申し訳なく思いながら、四人に声をかけた。
詳しい説明はできない。用事があるから先に抜ける。それだけ伝えると、意外にも四人はあっさり送り出してくれた。
みんなは、薫が考えた計画にどこまで気づいているのだろう。
蓮は、かなりいいところまで分かっているみたいだな。三咲も何かを察しているかもしれない。弥太郎と柑奈は――妙な勘違いをしていなければいいのだが。
みんなと一緒に花火を見られないことに、少しだけ後ろ髪を引かれた。
けれど、珠美はすぐに丑寅守神社の方角へ顔を向ける。
「さて」
巾着の中に入れた使い捨てカメラと、借りてきた猫石のリストを確かめた。
これから始まるのは、町中を巻き込んだ猫石たちの夜の集会だ。その光景が完成するところを見逃すわけにはいかない。
「もっと面白い方へ、行きますか」
珠美は小さく笑い、祭りの人波へ踏み出した。




