1話 教室の喧騒2
小鳥遊ひまりの挨拶が終わると、教室の空気は少しだけ和らいだ。
若い担任。
親しみやすい雰囲気。
そして天然らしい言動。
生徒達の警戒心はすっかり解けている。
「じゃあまずは自己紹介かな〜」
ひまりが出席簿を閉じながら言った。
「せっかく同じクラスになったんだし、みんな仲良くなってほしいな〜って」
教室から賛同の声が上がる。
ひまりは満足そうに頷いた。
「順番にお願いしま〜す」
前列から自己紹介が始まる。
名前。
出身校。
趣味。
将来の夢。
内容は様々だった。
「父が外交官なので、海外で生活していました」
「将来は医師を目指しています」
「中等部から上がってきました」
聖鳳学園らしい自己紹介も少なくない。
普通の高校とは少し違う空気があった。
やがて。
「天城美月です」
美月の番が来る。
教室が少し静かになった。
「中等部からの内部進学です」
柔らかく微笑む。
「これから三年間、皆さんと楽しい学校生活を送りたいと思っています。よろしくお願いします」
自然な拍手が起きた。
新入生代表。
内部進学組の中心人物。
誰もが納得するような自己紹介だった。
そして。
「次、神代くん〜」
ひまりが言う。
全員の視線が集まる。
湊は立ち上がった。
「神代湊だ」
終わりだった。
教室が静まる。
数秒。
沈黙。
「……以上?」
誰かが思わず聞いた。
「ああ」
また沈黙。
そして。
教室に笑いが起きた。
「短っ」
「必要最低限すぎるだろ」
「逆にすごいな」
悪意はない。
むしろ面白がっている。
湊は首を傾げた。
名前は名乗った。
十分ではないのだろうか。
「趣味とかないの〜?」
ひまりが聞く。
「ある」
「何かな〜?」
「車」
教室の男子が少し反応した。
「スポーツとかじゃなく?」
「車だ」
それ以上は語らない。
再び笑いが起きる。
「神代くんって面白いね」
美月が小さく笑った。
湊は意味が分からなかった。
◇
午前中のホームルームが終わり、昼休みになる。
途端に教室が賑やかになった。
机を寄せる者。
購買へ向かう者。
弁当を広げる者。
高校生らしい光景だった。
湊は自席で弁当を開く。
中身はひまりが作ったものだった。
彩りも栄養バランスも完璧。
明らかに気合いが入っている。
「神代くん」
声が掛かった。
顔を上げる。
美月だった。
「隣いい?」
「ああ」
美月は自然に席へ腰掛けた。
その様子を見ていた周囲が少しざわつく。
だが本人達は気付いていない。
「自己紹介、あれで終わりだったね」
「終わったが」
「普通はもう少し話すと思う」
「そうなのか」
「そうなの」
エマと同じことを言われた。
湊は少し考える。
「難しいな」
「何が?」
「普通の高校生」
その言葉に美月は少しだけ目を丸くした。
そして笑った。
「確かに神代くん、ちょっと変わってるかも」
「そうか」
「うん」
即答だった。
悪意はない。
本当にそう思っただけらしい。
「でも」
美月は続ける。
「悪い意味じゃないよ」
その言葉に嘘はなかった。
だから湊も何も言わなかった。
◇
放課後。
一日の予定が終わる。
教室は再び賑やかだった。
「また明日ー!」
「部活行こうぜ!」
「購買寄って帰る?」
様々な声が飛び交う。
そんな中、美月が鞄を持って立ち上がった。
「神代くん」
「何だ」
「今日はありがとう」
「何かしたか」
「入学式の時、案内してくれたでしょ」
「ああ」
そんなこともあった。
湊は思い出す。
「助かったから」
美月は微笑んだ。
「また明日」
「ああ」
短い返事。
だが美月は満足そうだった。
友人達に呼ばれ、その輪の中へ戻っていく。
楽しそうな声が聞こえる。
湊はその背中を見送った。
不思議な感覚だった。
明日また会うことを前提に別れる。
そんな経験は今までほとんどない。
任務ではない。
戦場でもない。
ただの日常だった。
エマが望んだもの。
ひまりが見守ろうとしているもの。
そして。
自分がまだ慣れていないもの。
湊は静かに席を立った。
窓の外では夕日が校舎を赤く染めている。
聖鳳学園。
私立の名門校。
そこで過ごした最初の一日が終わろうとしていた。
まだ何も起きていない。
平穏で。
退屈で。
どこか居心地の悪い日常。
だがその時の湊は知らない。
この平穏が、そう長くは続かないことを。




