2話 召集
会議が終わった後も、室内には重い空気が残っていた。
防衛大臣、東雲隆弘は最後まで表情を崩さなかった。
「気に入らん」
退室間際。
それだけを言い残す。
「だが、決まった以上は失敗は許さん」
短い言葉だった。
誰に向けたものかは分からない。
だが、その場にいた全員が受け取った。
東雲が退室する。
それに続いて各省庁の幹部たちも席を立った。
警察省。
防衛省。
公安調査庁。
海上保安庁。
それぞれが次の準備へ移っていく。
会議室に残ったのは、エマとひまりだけだった。
「……決まりましたねぇ」
ひまりが資料を抱えながら呟く。
いつもの間延びした声。
だが、その表情は少しだけ重かった。
「神代くん、呼ぶんですかぁ?」
エマはすぐには答えなかった。
大型モニターには、まだ李文龍の写真が映っている。
黒龍会。
横浜港。
二日後。
狙撃任務。
その全てが、湊をまた戦場へ引き戻す理由になっていた。
「……ええ」
ようやく答える。
声は静かだった。
だが、ひまりには分かる。
エマは今、かなり嫌そうな顔をしていた。
「部長」
「何」
「そんな顔しないでくださいよぉ」
「してないわ」
「してますぅ」
即答だった。
エマは小さく息を吐く。
「分かってるの」
資料を閉じる。
「今回、神代湊以上の適任者はいない」
「それは理解してる」
声が少しだけ低くなる。
「でも」
その先は言葉にならなかった。
ひまりもそれ以上は言わない。
エマが何を言いたいのか分かっていたからだ。
使いたくない。
戦わせたくない。
それでも、呼ばなければならない。
今のエマに許されている選択肢は、それだけだった。
「……連絡するわ」
エマは端末を手に取った。
◇
その頃。
私立聖鳳学園。
放課後の教室には、まだ数人の生徒が残っていた。
湊は鞄に教科書をしまい、帰り支度をしていた。
その時、スマートフォンが震える。
画面を見る。
立花エマ。
湊はすぐに通話ボタンを押した。
「もしもし」
数秒。
返事がなかった。
「エマさん?」
ようやく、声が聞こえた。
『ごめんなさい』
第一声がそれだった。
湊は僅かに眉を動かす。
「何かありましたか」
『……本当にごめんなさい』
エマの声は、いつもより少しだけ柔らかく、そして重かった。
『また、あなたを呼ぶことになった』
湊は黙って続きを待つ。
『黒龍会という組織が動いているわ』
『目標は李文龍』
『二日後、横浜港から出国する可能性が高い』
『その前に取引が行われる』
エマは簡潔に説明する。
『作戦には、あなたの狙撃能力が必要になる』
湊は一切表情を変えなかった。
「分かりました」
返答は早かった。
「協力します」
通話の向こうで、エマが息を呑む気配がした。
『……そう』
短い沈黙。
『ありがとう』
「いつ向かえばいいですか」
『今から来られる?』
「はい」
『詳しい話は内調で説明するわ』
「分かりました」
通話が切れる。
湊はスマートフォンをしまい、鞄を持った。
周囲の生徒たちは、誰もその会話の意味を知らない。
ただ、神代湊が静かに教室を出て行く姿だけを見ていた。
◇
内閣情報調査室。
国際情報部長室。
エマは通話を終えた端末を机に置いた。
「来ますかぁ?」
ひまりが尋ねる。
エマは即答した。
「来るわ」
迷いのない答え。
だからこそ、ひまりは何も言えなかった。
「断らないもの」
エマは小さく呟く。
それは信頼ではなかった。
むしろ、痛みだった。
神代湊は断らない。
命令されれば動く。
必要だと言われれば戦う。
それが当然だと思っている。
そのことが、エマにはどうしようもなく悲しかった。
「部長」
「何」
「神代くん、気付きませんよぉ」
エマは少しだけ目を伏せた。
「分かってるわ」
分かっている。
湊は気付かない。
自分がどんな顔で彼を呼んだのか。
自分がどんな思いで謝ったのか。
きっと何も分からない。
それでも。
呼ぶしかなかった。
エマは立ち上がる。
「ブリーフィングの準備を」
「了解ですぅ」
ひまりが資料を抱え直す。
その声はいつも通りだった。
だが、部屋の空気は重いままだった。
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