2話 尋問2
ひまりが尋問室から出て行った後。
男は項垂れたまま動かなかった。
全て終わった。
そう悟っていた。
◇
内閣情報調査室。
国際情報部長室。
エマは受け取った報告書に目を通していた。
机の向かい側ではひまりがソファに沈み込んでいる。
「やだなぁ……」
「本当にこういう仕事苦手なんですよぉ……」
先ほどまで人の心をへし折っていた人物とは思えない。
エマは苦笑する。
「助かったわ」
「それは良かったですぅ」
ひまりは気の抜けた返事をする。
「でもちゃんと特別手当くださいねぇ」
「申請しておく」
「やったぁ」
途端に機嫌が良くなった。
エマは再び資料へ視線を落とす。
黒龍会。
李文龍。
横浜港。
三日後。
出国予定。
そこまでは理解できる。
だが。
「……おかしい」
小さく呟いた。
ひまりが顔を上げる。
「何がですかぁ?」
「規模が合わない」
エマは資料を閉じる。
「李文龍が動いている」
「それが引っ掛かる」
「有名人なんですかぁ?」
ひまりの問いにエマは首を振った。
「私は名前しか知らない」
「でも」
「嫌な名前ね」
資料に記された名前を見る。
李文龍。
警察省。
公安。
防衛省。
様々な報告書で目にしたことがある。
だが。
実際に相対したことはない。
「少し確認する」
エマは端末を操作した。
ひまりが不思議そうな顔をする。
「誰にですかぁ?」
「天城先生」
短い返答。
ひまりは納得したように頷いた。
「あぁ」
「美月ちゃんのお父さんですかぁ」
「ええ」
呼び出し音。
数秒後。
大型モニターが起動した。
映し出されたのは天城恒一だった。
議員会館の執務室だろう。
後方では秘書らしき人物が慌ただしく動いている。
『珍しいな』
恒一が笑う。
『昼間にお前から連絡とは』
「相談があります」
エマは即座に本題へ入った。
資料を転送する。
恒一の視線が動く。
数ページ。
数十秒。
そして。
『……李文龍か』
初めて表情が変わった。
エマは確信する。
やはり何かある。
「ご存知なんですね」
『知っている』
即答だった。
『公安も』
『警察も』
『防衛省も』
『何度も追っている男だ』
ひまりが目を瞬かせる。
「そんなに有名なんですかぁ?」
『有名だ』
恒一は頷く。
『だが捕まらん』
『優秀だからではない』
『慎重だからだ』
静かな声だった。
『自分が危険だと思えば姿を消す』
『少しでも不利だと思えば引く』
『そういう男だ』
だから生き残っている。
だから今も捕まっていない。
エマは資料へ視線を落とした。
「やはりおかしいですか」
『ああ』
恒一も同じ結論だった。
『こんな案件で動く男じゃない』
『規模が小さすぎる』
「私もそう思います」
何かがある。
まだ見えていない何かが。
その時だった。
部屋の扉がノックされる。
入ってきたのは先ほどの尋問官だった。
「失礼します」
エマが顔を上げる。
「何かしら」
「追加報告です」
尋問官は一枚の紙を差し出した。
「男が最後に口にした内容です」
エマは受け取る。
そこに書かれていた文章を読む。
そして。
眉が僅かに動いた。
『俺達は末端だ』
『本当の怪物は別にいる』
部屋が静まり返る。
ひまりが首を傾げた。
「怪物ですかぁ?」
「随分物騒ですねぇ」
恒一は無言だった。
その表情から笑みが消えている。
エマはモニターを見る。
「先生?」
数秒の沈黙。
やがて恒一が口を開いた。
『エマ』
「はい」
『会議を開け』
その声音に先ほどまでの柔らかさはなかった。
元防衛大臣。
国家安全保障委員会特別顧問。
かつてエマが直属で仕えた男の声だった。
『すぐにだ』
『これは現場案件じゃない』
恒一の視線が鋭くなる。
『国家案件になる』
エマは背筋を伸ばした。
「了解しました」
即答。
恒一は満足そうに頷く。
『資料は後で送れ』
『こちらでも調べる』
「お願いします」
通話が切れた。
部屋に静寂が戻る。
数秒後。
ひまりがソファへ沈み込みながら呟いた。
「えぇ~……」
嫌そうな声だった。
「残業ですかぁ……」
エマは立ち上がる。
「残業よ」
「やだなぁ……」
ひまりは天井を見上げた。
「特別手当増やしてくださいぃ……」
エマは思わず小さく笑った。
「検討しておくわ」
そして表情を引き締める。
「全関係部署へ連絡」
「緊急会議を招集します」
黒龍会。
李文龍。
そして。
本当の怪物。
何かが動き始めていた。
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