2話 尋問
内閣情報調査室地下。
外部に存在すら知られていない尋問施設。
窓のない部屋に男は拘束されていた。
埠頭で摘発された組織の責任者。
拘束から三日。
通常の尋問は全て失敗していた。
取引相手。
組織の目的。
背後関係。
男は何一つ話そうとしない。
尋問官は机の向こうから男を見据えた。
「もう一度聞く!」
低い声が響く。
「取引相手は誰だ」
男は鼻で笑った。
「知らねぇな」
「嘘だな」
「勝手に思え」
尋問官の眉が僅かに動く。
ここまで何度も繰り返されたやり取りだった。
男も慣れている。
こういう世界の人間だ。
捕まることも。
尋問されることも。
想定の範囲内なのだろう。
尋問官は数秒男を見つめた後、立ち上がった。
「……そうか」
短く告げる。
そして部屋を出た。
重い扉が閉まる。
男は鼻を鳴らした。
だが。
数分後。
再び扉が開いた。
入ってきた人物を見て男は眉をひそめる。
若い女だった。
二十代半ばほど。
眠そうな目。
柔らかな雰囲気。
どこか抜けたような空気。
尋問官には到底見えない。
「なんだお前」
女は首を傾げた。
「えぇ~……」
「私もそう思いますぅ……」
間延びした声。
「なんで私ここにいるんでしょうねぇ……」
男は怪訝そうな顔をする。
女は向かいの席へ座った。
そして大きくため息を吐く。
「やだなぁ……」
「こういうの苦手なんですよぉ……」
男の警戒心が少し緩む。
こんな女に何ができる。
そう思った。
次の瞬間だった。
「奥さん綺麗ですねぇ」
男の表情が止まる。
女はタブレットを机に置いた。
画面には家族写真。
見覚えがある。
自宅で撮影されたものだった。
「娘さんも可愛いですねぇ」
「中学二年生でしたっけぇ?」
男の顔色が変わる。
「……お前」
「バスケ部なんですねぇ」
「背番号七番」
女は笑顔のまま続ける。
「試合動画も見ましたよぉ」
「頑張ってますねぇ」
「やめろ」
初めて男が反応した。
女はきょとんとした顔をする。
「え?」
「なんでですかぁ?」
「やめろと言ってる!」
怒声が響く。
だが女は怯まない。
困ったように眉を下げるだけだった。
「だから嫌だったんですよぉ……」
ぽつりと呟く。
「こういう仕事」
男は黙る。
女はタブレットを操作した。
画面が切り替わる。
地図。
通学路。
学校。
最寄り駅。
全てが表示されていた。
「娘さん」
画面を指差す。
「いつもここ通りますよねぇ」
男の顔から血の気が引いた。
「やめろ……」
「安心してくださいぃ」
女は柔らかく微笑む。
「私は何もしませんからぁ」
男は息を呑んだ。
「でもですねぇ」
その声だけが少し冷たくなる。
「あなたが何も話さないなら」
「あなたを守る理由がなくなるんですぅ」
沈黙。
「私は困りません」
「でも」
「娘さんは困るかもしれませんねぇ」
男の額に汗が浮かぶ。
女は相変わらず穏やかだった。
まるで天気の話でもしているように。
「だから教えてくださいぃ」
「私も早く帰りたいのでぇ」
男は俯いた。
震える拳を握り締める。
数秒。
そして。
「……黒龍会だ」
絞り出すような声。
女は小さく頷いた。
「はい」
「続けてくださいぃ」
「俺達は仲介役だ」
「本隊じゃねぇ」
「女を引き渡す予定だった」
美月のことだ。
ひまりは淡々と入力する。
「取引相手は黒龍会」
「はいはい」
「それでぇ?」
男は諦めたように続ける。
「責任者は李文龍」
ひまりの指が止まる。
だが表情は変わらない。
「日本にいる」
「何ヶ月も前からな」
「潜伏してやがる」
「どこにいる」
「知らねぇ」
男は首を振る。
「俺達みたいな末端に居場所なんか教えるかよ」
ひまりは頷いた。
「それもそうですねぇ」
「でも一つ知ってる」
男は苦々しい顔で言った。
「三日後だ」
ひまりが顔を上げる。
「三日後?」
「横浜港」
男は答える。
「李文龍が出国する」
「その前に何か取引がある」
「それ以上は知らねぇ」
部屋が静まり返る。
ひまりは静かに入力を終えた。
そして立ち上がる。
「ありがとうございましたぁ」
男は何も答えない。
ひまりは扉へ向かった。
そして振り返る。
「安心してください」
柔らかな笑顔。
「娘さんには本当に何もしませんからぁ」
男が顔を上げる。
ひまりは少しだけ困ったように笑った。
「そういう仕事じゃないのでぇ」
扉が閉まる。
廊下へ出た瞬間。
「終わりましたぁ」
いつもの間延びした声が響いた。
待機していたエマが顔を上げる。
「ありがとう」
「やだなぁ……」
ひまりは肩を落とした。
「だから嫌だったんですよぉ……」
そして人差し指を立てる。
「特別手当くださいねぇ」
エマは小さくため息を吐く。
「申請しておくわ」
「本当ですかぁ?」
「ええ」
「やったぁ」
途端に機嫌が良くなる。
その横で。
ベテラン尋問官は未だに言葉を失っていた。
三日かけても聞き出せなかった情報を。
目の前の分析官は。
たった十分で吐かせてしまったのだから。




